ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.4.4 嬉しい開花

2011-04-04 19:39:05 | 日記
 大学正門前の桜並木がぼつぼつ花開いてきた。まだ1分咲きといったところか。都心より気温が低いので、いつも一足遅れての開花になり、雨や風に見舞われなければ、わりと長いこと楽しむことができる。

 6年前、初発術後の補助療法で放射線治療に毎日通っていた頃。ふと見ると、病院に到着するちょっと手前の小さな川べりに、見事な桜の木があった。枝が川の上に張り出していて、散ると川が一面ピンクに染まるほどだった。あまりに綺麗で、初めて携帯で写真を撮った。入院、手術、リハビリ、放射線治療と辛い2カ月だったけれど、それでも私はちゃんと生きているなあ、すごいなあ・・・、と思ったら、なんとなく涙線が緩んで画面が曇ったことを覚えている。

 再発した後は転院したので、その病院には婦人科の経過観察で伺ったのが最後で、もう3年近く訪れていない。この季節になると、その病院の近くにあるリフレクソロジーサロンに通う道すがら、その桜の木を見るのがなんとなく楽しみだった。が、昨年ふと見ると、桜の木は跡形もなくなっていた。桜の木を切るなんて・・・と、とても哀しくなった。リフレクソロジーサロンも引っ越してしまったので、その後どうなっているのかはわからない。

 こうして四半世紀以上働いてきて、桜の咲く頃は年度末・年度初めでいつもてんてこ舞いに忙しかった。だからゆったりした気持ちでお花見などしたことは記憶にない。採用されたての新人だった頃=今思えば本当に古き良き時代だったが=に、売店でお昼の買い出しをして、近くの公園に小走りでお花見に繰り出した、ということがあったくらい。
 結婚した頃は、夫と2人で遅く帰宅した後に、近所で夜桜見物はしたけれど、明るいうちに見たことはなかったかもしれない。息子も小さな頃からずっと花粉症だったから、日曜日に公園に繰り出してお花見方々お弁当を食べる、ということすら避けてきた。

 だから、こんなふうに桜の開花を気に留めて、今年も無事元気で桜の花を見ることが出来た、としみじみ思えるようになったのは再発して以来のことだ。気持ちのゆとりがなかっただけではなく、忙しさにかまけて作ってこなかったのだな、と反省する。

 今日は、お昼休みにお散歩をしながら(もちろんしっかりマスクはして)、膨らんだ蕾のせいか何となくピンクっぽくなった枝を眩しく眺めてきた。青空の下、淡いピンクの点々は本当に綺麗。今にピンクの綿菓子のように満開になるのだろう。

 本当なら明日は私が勤務する大学の入学式だった。息子は明日が臨時登校日。7日は高校の入学式が行われる予定だ。今のところ学校から“入学式は中止”の連絡がないから、半日休暇をとって参列したいと思う。息子は卒業証書を貰っていないし、4月にはなったけど、果たして僕はもう高校生なのか、どうなのか・・・、と微妙に複雑な気分のようだ。

 とにもかくにも高校生の母になることが出来た私は、あわせて今年もまた桜を観ることが出来て、素直に嬉しい。

 こう毎日書いていると、日々治療のことが書かれているわけではないし、そうそう文章にできるような派手な事件も起こるわけではないから、治療日記という視点から見れば本当につまらないブログだろうと思う。が、ドラマのように盛り上がるようなことはむしろ御免こうむりたい。病状がジェットコースターのように上がったり下がったり、ということは無いに越したことはない。つまらなくて何より。こうしたなんでもない日常、取るに足りない事実を淡々と綴っていけることの有難さを噛み締めて生きたい。
コメント (2)
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