東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

視線

2016-04-11 21:21:42 | 仕事場(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 このところたくさんの嘉永安政風型の丸〆猫(まるしめのねこ)の色塗りをしています。とりあえずきら(雲母)塗りまで進めているのですが、それに先がけ、試し塗りをしている分を棚の上に干しながら、改めて思い出しました。

 HPの「飾り棚」のページにずいぶん前から記してあるのですが、この嘉永安政風型が近世遺跡出土の遺物を参考にモデリングしたもので、誤差はあるかもしれませんが、なるべく忠実に起こしたつもりのものです。出土の現物のモデリングから受けた印象というのは、顔が下向きな感じであること。そしてそこから想像できることは、神棚とか縁起棚の上にお祀りすることを前提として造形されたのではないか、ということでした。

 そんな考えから瞳を置く位置を意識的に下向きに入れてきました。嘉永安政風型と構図的にほぼ同じといえそうな本丸〆猫(これも近世遺跡から出土の遺物を参考にモデリングしたもの)にも同じ考えで瞳を下向きに入れています。

 HPの画像も意識的に下から仰ぎ見るような気分に撮影したのですが。将に今、椅子に座って作業机から見上げた猫たちとの角度というものが、神棚を仰ぐ角度に近そうだと思いました。微妙ですが下向きに入れた猫たちの目線と自分の視線とが向かい合っているような気がします。

 仏像鑑賞などでそれぞれの作品について「正面鑑賞性」だとか「側面鑑賞性」だとかという言葉を耳にしますね。仏師の人たちは仏さまと参拝者との位置関係によって変わって来る仏さまの荘厳さというものを計算して造形しているわけで、参拝者の位置からの視線と仏様のまなざしとの関係というのはかなり重要であったであろうことは想像できると思います。

 仏さまと招き猫とを同じレベルで比べるなんてばちが当たりそうですが、丸〆猫についての嘉永5年の「武江年表」と「藤岡屋日記」との記述には病の治癒だとか生活の豊かさへの庶民の願いによって流行が支えられたようで、猫といえども神様仏さまのように心願する対象だったので神棚にお祀りして見上げて祈るという点を意識して造形されたと考えることはひとつの行き方としておかしくはないと思います。

 はからずも「武江年表」の記載の中に「布団を造り供物を備へ神仏の如く崇拝して、、、」とあり、「藤岡屋日記」には「猫二布団三枚敷、、、」とあります。

 かつて今戸焼の土人形の数あるレパートリーの中、最も生産されたであろうベストスリーは「稲荷の狐」と「恵比寿大黒」と「裃雛」ではないかと思っています。「裃雛」はお節句飾りですが、今戸人形がたくさん流通していた千葉県内で以前神社の境内の祠に雨で色の流れてしまった何体もの裃雛が並んでいたのをこの眼で見たことがあるので、購入する側に信仰的な意識がなくはなかったのだろうと思います。

 「恵比寿大黒」と「稲荷の狐」はいうまでもなく、「恵比寿大黒」は神棚の上で蠟燭の煙だの家中の煙を被って真っ黒になったものをいくつも見ました。

 今戸人形に限ったことではありませんが、信仰的背景で登場した土人形は少なくありません。丸〆猫もそのひとつと言っていいかと思っています。

 

 

 

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