なぜか今年はいつの間にかもうお盆?という忙しい感覚です。焙烙は昨年同様、今戸焼のではなくて、スーパーで買ってきたテラコッタ風のものです。
わが家は路地にあるので、通りから路地への入口の角でまず新聞紙を火種におがらを焚いて、、。
わが家の玄関前でもう一度焚いて、家へお迎えしました。あとでそうめんを買ってきてお供えしようと思います。おはぎは明日。
「おがら」こそは氷川様の眼に当たった憎い憎い蓮の茎。見沼の辺りの迎え火はどうするんだろうか、、?という疑問が、、。
なぜか今年はいつの間にかもうお盆?という忙しい感覚です。焙烙は昨年同様、今戸焼のではなくて、スーパーで買ってきたテラコッタ風のものです。
わが家は路地にあるので、通りから路地への入口の角でまず新聞紙を火種におがらを焚いて、、。
わが家の玄関前でもう一度焚いて、家へお迎えしました。あとでそうめんを買ってきてお供えしようと思います。おはぎは明日。
「おがら」こそは氷川様の眼に当たった憎い憎い蓮の茎。見沼の辺りの迎え火はどうするんだろうか、、?という疑問が、、。
ウリ坊の家は分家なので、先祖供養らしきことは特にしていませんでした。
ただ、本家では祖母がお精霊(おしょらいさん)への接遇をきちんと行っていました。
その、祖母が亡くなったので、教えて貰うわけにもいかず、もし、両親が亡くなったら、お盆のノウハウ(?)を、近所の友人に教わるしか無いかと思っています。
わが家はここに関東大震災のあとくらいから住んでいて私で4代目になりますが、わが目で見てきた親のやり方は簡略というかほぼ今やっていることと変わらないと思います。ただ感じるのはお供え物や花、精霊馬など昔に比べ材質や形も変わってきているな、ということです。一時期、真菰の精霊馬ではなくて、ナスときゅうりに足をつけて使っていたこともありました。京都だと年中行事ひとつひとつもっと丁寧なやり方があるんだろうな、というイメージですがどうですか。テレビで町内のお地蔵様に化粧するのを観ましたが、あれは別の行事ですか。