生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

2010 ・集団的自衛権行使容認へ秒読み――日本は殺し殺される国へ

2014-06-25 09:53:38 | 政治

お早うございます。
生き生き箕面通信2010(140620)をお届けします。

・集団的自衛権行使容認へ秒読み――日本は殺し殺される国へ

 与党協議とやらもあと1、2回で、めでたくしゃんしゃん、集団的自衛権は使えるようになる見通しのところまで来てしまいました。安倍という首相の完全勝利が目前です。良識ある有権者の意向は、無視されたままになりそうです。

 憲法9条は形だけそのままに、中身は完全に骨抜きになります。空洞化です。いわば”9条の死”です。

 日本は、平和にこだわる国から、戦争にこだわる国へ。180度の歴史的転換を、世界の人が見ている前でやって見せるわけです。やるのは、安倍という男です。この男の一存で、日本は戦争しに出かけることになります。アメリカ軍の先兵として出かけます。

 出かけた先では、若い自衛隊員の死もあるでしょう。安倍は、国葬並みの儀礼に仕立てるはずです。

 ひどい政治がまかり通るニッポン。

 この間、野党第一党の民主党の存在感はゼロでした。党内が、集団的自衛権行使容認派の前原誠司という男らのグループと、反対派とに真っ二つに分かれ、動きがとれませんでした。憲法の危機にまったく対応できない野党。そんな野党など無意味ですよね。

 それでも海江田という代表は、「続投したい」ですって。あきれてモノもいえない。何のために続投するんでしょうかね。有権者は、民主党にいまさら何も期待できないではありませんか。

 こうなると、日本を立て直すには、やはり芯になる旗が必要です。それにふさわしい男がいるんですがね。

 話は変わりますが、先日、東京の憲政会館で、「これでいいのか日本!」と題するシンポジュウムが開かれました。パネリストは、写真左から、森田実(政治要論家)、平野貞夫(日本一新の会代表)、佐高信(週刊金曜日編集委員)、菅原文太(俳優)の四氏。司会は、「月刊日本」の南丘八郎主幹。

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(写真はネットより転載)

 この中で、森田氏と佐高氏が、安倍政権の暴走を許すことになった大きな原因として、「小選挙区制が悪い」と主張していました。このとんでもないお門違いの発言に、あぜんとしました。この二人にして、小選挙区制の意義がまったく分かっていないとは。

 自民から民主へ、そしてまた民主から自民へ、と政権交代が実際に起きたのは、ひとえに小選挙区制があればこそではないですか。それが分からず、また中選挙区に戻した方がいいというような言説は、日本の政治評論家のレベルの低さを表すものです。

 中選挙区制に戻せば、二度とふたたび政権交代を実現することは難しいでしょう。ほぼ自民党の永久政権化を保障するようなものです。

 この小選挙区制を実現したのは、当時、自民党の幹事長だった小沢一郎氏でした。小沢氏は今も、「小選挙区制があるから、安倍政権を倒し、より民主主義的な政権を打ち立てることができる」と、自信をもって活動しています。

 安倍政権は、投票率がほぼ5割、自民党の得票率はそのまた5割ということからすれば、有権者のわずか25%の支持で成り立ったことが分かります。何もオールマイティーな権力をゆだねたわけではありませんよね。

 それが、平和を誠実に希求する日本を、殺し殺される国にしようと暴走しているのです。

 この暴走を止め、正常な軌道に戻すことができる芯となる旗は、やはり小沢一郎氏しかいないと思われます。小沢氏を中心にオリーブの木を植え、育て上げたいものです。


2009 ・私たち本土の人間にとっての「沖縄慰霊の日」の意味

2014-06-24 10:09:44 | 政治

 おはようございます。
生き生き箕面通信2009(140624)をお届けします。

・私たち本土の人間にとっての「沖縄慰霊の日」の意味

 沖縄慰霊の日の式典が昨日6月23日、摩文仁の丘で安倍晋三という首相も出席して開かれました。安倍首相は全日本を代表した立場で、「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、できることはすべて行う」と、約束しました。

 もし、「沖縄の方々の気持ちに寄り添って、できることはすべて行う」意思が本当にあるなら、まず、辺野古への新基地建設を即刻中止すべきではないでしょうか。

 これこそが、いま沖縄の多くの人が心から望んでいることだということは、これまで何度も繰り返されてきた県民挙げての県民大会に結集した県民の数に明瞭にあらわれています。

 なんと軽い首相の言葉でしょう。この安倍という男の得意芸は、その場限りの耳触りのいい言葉を吐き散らすことです。自分は反対のことを考えていても、そんなことはおくびにも出さず、そこにいる人々、安倍の言葉が聞かれる範囲の人々に心地よく聞こえるであろう言葉を、しゃあしゃあと垂れ流す。

 現知事の仲井間氏も、知事選に立候補の時は「辺野古基地反」を公約とし打ち出さざるを得なかったではありませんか。もっとも当選後は、いつの間にか「「辺野古基地建設促進」の本性を現し、県民の心を裏切って平然としています。

 朝日新聞は本日の社説で、「沖縄慰霊の日 犠牲者に誇れる平和か」という見出しを立てました。そして、「沖縄に負担を強いて成り立つ今の平和は、20万の犠牲者に誇れる平和だろうか」と、問いました。さらに、「国民全員がそう問いかけられている」と、ダメを押しました。

 いかにも、朝日らしい社説です。一見、ごもっとも風です。しかし、「沖縄に負担を強いて成り立つ今の平和」と断じるなら、なぜひとこと「辺野古米軍基地の建設は中止せよ」と言及しないのか。朝日の社説は、辺野古基地建設という現在の最も重要な問題を完全に素通りしてしまいました。「逃げた」ということでしょう。

 社説の本文中には、沖縄戦の生き残りの方の証言も取り上げていました。その方は、「『本土の方は沖縄戦のことをご存じない。もっと知って戦争をなくすことに協力して』と訴える」とも記述しました。そこまで言及するなら、当然、安倍政権がごり押しで進めつつある、今の問題、つまり戦争のための最新鋭基地建設・辺野古にも触れるべきです。

 ただ、20万人もの死者を出した沖縄の犠牲の上に、今の私たちの平和があるのも事実ですよね。そして、結果的に新しい基地を押し付けようとしているのも、私たち本土の人間ということになります。辺野古ばかりでなく、安倍政権は高江にもオスプレイ用の米軍基地を造って差し上げようとしています。

 これだけ、沖縄に新たな犠牲を増やしながら、安倍首相は、「沖縄の負担軽減のためにできることはすべて行う」ですって。どこからそんな言葉が出てくるのでしょう。

 このどうしようもない男が、私たち日本の総理大臣です。形の上では、私たち有権者の多数が選んだことになっています。最高裁からは「違憲もどき」という判決のもとで行われた選挙でしたが――。

 日本の民主主義は、まさに風前のともし火です。

 


2008 ・やらせで決着の集団的自衛権――国民をバカ扱いする安倍政権

2014-06-23 07:46:56 | 政治

おはようございます。
生き生き箕面通信2008(140623)をお届けします。

・やらせで決着の集団的自衛権――国民をバカ扱いする安倍政権

 日本の政治は、茶番ややらせが横行し、どうしようもないほど下品な状態をさらしています。

 東京都議会での自民党都議(多分?)の「産めないのか」などの品のないヤジ。今回は大きな反響を呼びましたが、これは例外ではなく、議員族には日常的にみられる風景といえます。

 麻生副総理兼財務相という男は演説会で、「いじめられるのは、喧嘩が弱く、勉強もできない、そして貧乏人ではない。金持ちの子が、いじめられる」と、得意顔でしゃべりました。何がいいたいのやら、支離滅裂。

 集団的自衛権問題では、一見、抵抗しているかにみえる公明党が、実は”おとしどころ”の案を自民党の高村副総裁にひそかに渡していた、と一部新聞(西日本新聞など)が伝えています。

 全国紙も知っていながら報じないのは、官邸に巣食う情報担当のラスプーチンが目を光らせているからと思われます。要するに、公明党は集団的自衛権の行使容認を、オーケーしていることがよりはっきりしました。それをいかにも抵抗していいるかのようにみせる”やらせ”の茶番を演じているにすぎない。

 つい先日には、東京の官庁街、霞が関に”放射能汚染牛”が持ち込まれました。この牛は、国から”殺処分”、つまり死刑判決を受けている、体に白い小さな斑点が浮き出た牛です。

  

東京の農林省前で、トラックから牛をおろし抗議しようとする吉沢さんを、警官隊が押しとどめています。

 牛をつれて来たのは、殺処分の措置が取られようとしている牛たちを浪江町で「希望の牧場」と名付けた牧場で世話をしている吉沢正巳さん(60)です。牛の数は増えて、いまでは350頭にも。

 吉沢さんは、農林省の措置に抗議し、牛たちの被ばく調査とエサの支援を求めています。

 牛たちは、国から捨てられました。しかし、牛たちだけでしょうか。

 メルトダウンというあってはならない事故を起こした東京電力福島原発周辺では、今も放射能汚染がひどく住民は自分の家に戻れません。そして風化が進む過程で、国は実施的に住民を見捨てる措置を始めたといえます。

 石原伸晃・環境相が、「最後はカネめでしょう」と言ったのは、「カネをやるから、うだうだ言うな」という本音を含んでいます。すべてカネでけりにする、いわば手切れ金。牛の次は、人間がバカにされながら打ち捨てられようとしています。

 先に成立してしまった特定秘密保護法、そして今度は集団的自衛権を閣議決定だけで行使できるようにしてしまう憲法の骨抜き。すでに国民総背番号制も実施されます。国民は完全にがんじがらめ。政権側は、国民を見はることが容易になり、国に盾つくものはただちに逮捕拘留です。

 これほど国民をバカにした政治はありません。しかし、それでも静かです。これほどバカにされてもおとなしい有権者。棄民の運命が待ちうけています。

 


2007 ・「集団的自衛権の行使が容認されると、ひとつに時代が終わる」と、中村哲さん

2014-06-22 09:00:26 | 政治

お早うございます。
生き生き箕面通信2007(140622)をお届けします。

・「集団的自衛権の行使が容認されると、日本のひとつの時代が終わる」と、ペシャワール会の中村哲さん

 ペシャワール会の中村哲代表がTBSの報道特集で、「私はこれ(集団的自衛権の行使容認)で日本は終わると思います」と、強い危機感を訴えています。

 中村哲さんは、「日本のひとつの時代が終わる。それはいい方向には終わらない。破滅に向かうんじゃないかと……」と、話したことが、フェースブック上にアップされました。

(中村哲氏関連の記事から転載)

 これまでの各地での講演で、中村さんはこう繰り返し、強調してきました。「アフガニスタンでは、日本人はアフガン人を殺すことが一回もなかった。日本は平和外交をやる国だから、信用できると親日的だった。それがあったからこそ、海外事業が維持できた」と。

 その「平和外交の国」という素晴しいブランドを、惜しげもなく踏みにじろうとしているのが、安倍という名の男だと断定できます。この男の本質は、思考力が単細胞的で、レベルは幼稚園児程度。いやそう言ってしまうと、幼稚園児たちに申し訳ない。

 安倍という男の幼稚さを、「決意と能力の欠如」と断じるコラムが、朝日新聞の本日6月22日付け朝刊に掲載されました。執筆は、星浩・特別編集委員。ぼくは、星氏を安倍という男の”お友だち”と認識していたので、本日のコラムの内容には少なからずびっくりしました。

 星氏はこう記述しました。「集団的自衛権という国の針路を左右する課題を抱えているのに、指導者たちは『与党協議』と称して、密室の字句修正を続けている。骨太の外交・安保論は聞かれない。説明の場となる国会は、早々と閉じてしまう。そこからは『歯止め』を担う決意も能力も、見いだせない」

 星氏の書いた内容にしては、異例によくできた方といえるのでしょうか。しかし、この記述では、「安倍政権は」という固有名詞は慎重に避ける配慮が働いています。「指導者たち」と一般的な名詞で代替させ、責任のありどころを不明確にしています。

 それでも、第1次大戦前夜の指導者たちからの教訓に触れている点は、貴重な指摘であり、高く評価したい。

 星氏は、細谷雄一慶応大教授の言葉を引用して、「第1次大戦前夜のヨーロッパの大国にみられた、慢心と、自尊心と、慎慮の欠如と、熾烈な愛国心が火に油を注ぐように、各国の総動員を後押ししていった」と指摘。

 続いて、「戦争へと向かう巨大な歴史の奔流のなかで、その危険性を熟知して、それに立ち向かう決意と勇気そして能力を兼ね備えた指導者が多くなかった。その結果として、ヨーロッパの大国は自らが望まず、想定していなかった『大戦争』へと突入していったのだ」と、分析しています。

 そのうえで、「指導者に『決意、勇気、能力』が欠けていたことが大戦争につながったという指摘が重い」と、指導者の”幼稚さ”が重大な事態をもたらす教訓を明確にしています。

 中村氏が強める「ひとつの時代が終わる」という危機感。思えば、私たち日本人は、営々として「平和国家のニッポン」という地位を築いてきたのでした。

 本当にその大事な”財産”をあっさり捨て去ってもいいのでしょうか。あまりにも浅慮じゃありませんか。

 中村哲さんには、まだまだアフガンで力になってあげてほしい。安全ななかで、NPOペシャワール会の活動を続けていただきたい。そのために、日本は「平和国家」であり続けたいと思います。

 


2006 ・国定教科書化すすめる文科省検定

2014-06-21 08:45:31 | 政治

お早うございます。
生き生き箕面通信2006(140621)をお届けします。

・国定教科書化すすめる文部省検定

 来年4月から小学校の教科書が4年ぶりに変わります。いま全国各地で、来年度はどの教科書にするか、先生方への採択のための閲覧が行われています。私たち一般の人間も閲覧し、意見を提出することもできます。

 先日、ぼくが住む箕面市の教育センターを訪れました。東京書籍、光村図書、教育出版、日本文教出版の4社からの国語、算数、社会などの教科書が2階ロビーに並べられ、自由に手にとって見ることができます。

 ぼくがのぞいた6月17日(火)の午後は、まったく人影がなく、ソファーに座ってゆっくり目を通すことができました。

 問題にしたい教科書は、社会科。まず、領土問題。4社とも、尖閣は「日本固有の領土」と政府見解通りの記述でした。どの出版社のものでも一緒です。文科省の教科書検定を通じて国定教科書化が進んでいる証拠です。

 領土問題は、「固有の領土」というだけでは、問題解決に向かいません。「国際紛争はどのように解決すべきか」という問題も一緒に考える教科書にしたいものです。

 次に、東北大震災と原発事故。4社とも「東北大震災」は取りあげていましたが、光村、教育、日本文教の3社は、原発事故についてはまったく触れていませんでした。

 東京書籍のみが6年生用の「新しい社会」下巻で、原発に触れていましたが、「原子力発電の安全を今後どのように確保すればよいか、見直しが進められています」とあるだけ。

 原発があることを前提とした教科書になっており、原発から脱して、再生エネルギーへ転換しようとする動きがあることなどは、どの教科書にも見当たりません。

 音楽の教科書では、1年生から6年生まで、かならず「君が代」のページがあり、歌詞と楽譜、簡単な解説がありました。

 一番の問題は、教科書の閲覧が行われているということが、一般にはほとんど知らされていないことです。僕がのぞいた教育センターでも実にひっそりと置かれていました。「だれも見に来ないでいいよ」みたいな雰囲気なのです。

 教科書に関するパブリック・コメントを出すことはできるのですが、そんなお知らせもまったくありません。ぼくも、「意見を提出したいのだけど、どうすればいいか」と、係員に聞いて、提出用用紙をもらうことができました。

 小学校の全教科の教科書を並べるに必要なスペースは、3人掛け用の長テーブルひとつあれば充分。だから、例えばどの図書館でも片隅に小さなスペースがあれば簡単に展示できます。

 小学校の教科書には、できるだけ多くの一般の市民が直接触れ、どんなことをどんなふうに教えているか、関心を持ちたいものです。

 文科省は、いまはそっとしておいて、その間にどんどん国定教科書化を進めようとしているかのようです。国定教科書化とは、全国一律に同じ内容を、子どもの頭に刷り込む仕掛けです。「君が代」の教え方が、いい例です。

 社会科では、「福島での原発事故のことは教えない」という文科省のご意向が徹底しているようです。

 社会化という科目では、「人間はどうすれば平和で暮らしよい社会を作ることができるか、本当の民主主義はどういう風に身につけるべきか」、そういうことを学ぶ場のはずです。ところが、偏ったナショナリズムにもとづく教育をしようとしているように見えます。

 国民の広い監視の目が必要だといえます。