おはようございます。
生き生き箕面通信2008(140623)をお届けします。
・やらせで決着の集団的自衛権――国民をバカ扱いする安倍政権
日本の政治は、茶番ややらせが横行し、どうしようもないほど下品な状態をさらしています。
東京都議会での自民党都議(多分?)の「産めないのか」などの品のないヤジ。今回は大きな反響を呼びましたが、これは例外ではなく、議員族には日常的にみられる風景といえます。
麻生副総理兼財務相という男は演説会で、「いじめられるのは、喧嘩が弱く、勉強もできない、そして貧乏人ではない。金持ちの子が、いじめられる」と、得意顔でしゃべりました。何がいいたいのやら、支離滅裂。
集団的自衛権問題では、一見、抵抗しているかにみえる公明党が、実は”おとしどころ”の案を自民党の高村副総裁にひそかに渡していた、と一部新聞(西日本新聞など)が伝えています。
全国紙も知っていながら報じないのは、官邸に巣食う情報担当のラスプーチンが目を光らせているからと思われます。要するに、公明党は集団的自衛権の行使容認を、オーケーしていることがよりはっきりしました。それをいかにも抵抗していいるかのようにみせる”やらせ”の茶番を演じているにすぎない。
つい先日には、東京の官庁街、霞が関に”放射能汚染牛”が持ち込まれました。この牛は、国から”殺処分”、つまり死刑判決を受けている、体に白い小さな斑点が浮き出た牛です。
*東京の農林省前で、トラックから牛をおろし抗議しようとする吉沢さんを、警官隊が押しとどめています。
牛をつれて来たのは、殺処分の措置が取られようとしている牛たちを浪江町で「希望の牧場」と名付けた牧場で世話をしている吉沢正巳さん(60)です。牛の数は増えて、いまでは350頭にも。
吉沢さんは、農林省の措置に抗議し、牛たちの被ばく調査とエサの支援を求めています。
牛たちは、国から捨てられました。しかし、牛たちだけでしょうか。
メルトダウンというあってはならない事故を起こした東京電力福島原発周辺では、今も放射能汚染がひどく住民は自分の家に戻れません。そして風化が進む過程で、国は実施的に住民を見捨てる措置を始めたといえます。
石原伸晃・環境相が、「最後はカネめでしょう」と言ったのは、「カネをやるから、うだうだ言うな」という本音を含んでいます。すべてカネでけりにする、いわば手切れ金。牛の次は、人間がバカにされながら打ち捨てられようとしています。
先に成立してしまった特定秘密保護法、そして今度は集団的自衛権を閣議決定だけで行使できるようにしてしまう憲法の骨抜き。すでに国民総背番号制も実施されます。国民は完全にがんじがらめ。政権側は、国民を見はることが容易になり、国に盾つくものはただちに逮捕拘留です。
これほど国民をバカにした政治はありません。しかし、それでも静かです。これほどバカにされてもおとなしい有権者。棄民の運命が待ちうけています。
官憲に弾圧される善良な庶民なんてゆう図をのせて
みたり。
階級意識・階級感情みたいな・・・・
特定秘密保護法、集団的自衛権、国民総背番号制
すべて賛成である。左翼的な民衆扇動主義こそ反対
するべきである。
神様です。
花のお江戸では、「金目」という造語---が。辞書にないのでは。勝手に新語を口走っては不可です。きちんとした家庭教育が石原家ではなされていなかったのでは。
福島、東北の人たちに向けての石原父子の暴言は、厚顔無恥の列伝一号二号です。
↑こーゆー社会観をアトミズムとゆぃます。
近現代特有の、偏った社会観。
つまり、まづ個人があって、それが集まって社会を
作るってゆう社会観
ではなくて、
世間様あっての自分、こー考えないとゆけない。
江戸時代について古臭い見方をしてるようだね。
渡辺京二「逝きし世の面影」、こり、幕末明治初期に
来朝した外国人の書き残したものを集めたもので
あるが、一度読んでみたらよい。江戸時代の庶民
ってのは明るくてお喋り好きの人々だったのだよ。
感動的な本だ。