生き生き箕面通信

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1644 ・沖縄「慰霊の日」に出席する安倍首相は本当は何を思うのでしょうか

2013-06-23 07:05:47 | 日記

おはようございます。                                                                生き生き箕面通信1644(130623)をお届けします。

・沖縄「慰霊の日」に出席する安倍首相は本当は何を思うのでしょうか

 沖縄・摩文仁(まぶに)の平和祈念公園で本日6月23日、県主催の「慰霊の日」追悼式が営まれます。安倍首相も出席する予定です。

 「慰霊の日」は、68年前のこの日をもって沖縄での組織的戦闘が終結したとされる日です。当時の司令官・牛島満・中将が自決したとされる日でもあります。

 沖縄では島民の4人に1人、20万人以上の人が犠牲になりました。この多大な犠牲は、日本本土の軍部を中心とする権力中枢が、本土決戦のための準備に要する時間かせぎに沖縄を防波堤、あるいは捨て石とした結果です。

 現地で海軍の指揮を執っていた大田實・少将は本土参謀本部あて最後の電文で、沖縄の人々が生命、財産の全てを投げ打っていかに苦しい戦闘に協力したかを述べたのち、「一木一草焦土と化せん。沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」と打ち、6月13日に戦死しました。

 他方、陸軍の牛島中将は、「最後まで敢闘し、生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」と美辞麗句を連ねた訓令を残して、自分はさっさと自決しました。この「生きて虜囚の辱めを受くることなく」という訓令が遺されたために、その後も部隊員や県民は白旗を掲げて投降することができず、いたずらに犠牲者を増やす結果となりました。

 「慰霊の日」は、「多くの尊い生命が失われた冷厳な歴史的事実にかんがみ、戦争の惨禍が再び起こることのないよう、人類普遍の願いである平和を希求するとともに、戦没者の霊を慰めるために」追悼する日です。

 平和を希求する厳粛な式典ですが、憲法9条を改定して「戦争ができる国にしよう」と目論んでいる安倍首相が出席します。沖縄では、国民の税金を使って辺野古にアメリカ軍のための最新鋭の戦闘基地を造ろうとあの手この手で、地元懐柔にやっきです。

 辺野古だけではありません。ヤンバルなど貴重な生き物が生きる高江地区でも、アメリカ軍のためにオスプレイ用のヘリパッド工事を住民の強い反対を押し切って進めさせています。

 今日の式典参加自体も、安倍首相にとってみれば、「沖縄を大切に思っているからこそ、総理大臣である私自らがわざわざ足を運んで出席するのだ」というポーズを演出するパフォーマンスにすぎないように見えます。

 本当に沖縄のことを大切に思っているのなら、アメリカ軍の基地をすべてお引き取り頂くように外交交渉に全力をあげるべきです。少なくとも沖縄に対する基地差別を改めてこそ、大田少将が遺した「後世特別の御高配を賜らんことを」の願いに最小限応えることになるのではないでしょうか。

 しかし、安倍首相の心のありようは、沖縄の人々の切なる願いとは遠くかけ離れたところにあると断言できます。そんな首相は本日の慰霊祭の席で、本当は何を考えているのでしょうか。沖縄の人々をだまし、沖縄に今も犠牲を強いて平然としている最高権力者。

 沖縄には一回も憲法9条が機能したことはないといえます。憲法とは何なのでしょうか。沖縄の本土復帰とは何だったのでしょうか。

 沖縄の人の中には昔から、「琉球独立論」がありました。そして今年の5月15日、沖縄の人が「屈辱の日」とする日に、「琉球民族独立総合研究所」が立ちあがりました。仲間由紀恵が独立論者とされたり、独立運動は中国や台湾の策謀とされたり、さまざまな反応が出ています。

 しかし、日本本土の人々は、沖縄の人々を本当に「日本人」として遇してきたでしょうか。今日の「慰霊の日」は、沖縄が払った犠牲は何だったのか、「沖縄とは何か」を改めて考えてみたいと思います。