,おはようございます。 生き生き箕面通信1626(130605)をお届けします。
・「尖閣棚上げは国交回復時に確認したこと」と、野中・元官房長官
野中広務氏が今回の訪中時に、「棚上げ合意を確認する」と、中国側要人に伝えたことが波紋を広げています。野中発言は6月2日から3日間訪中し、要人との会見後や帰国時の記者とのやりとりで明らかにされました。
これに対し、政府側が直ちに反論し、菅官房長官が「中国側と棚上げで合意した事実はないし、棚上げすべき問題も存在しない」と、全面否定して火消しにやっきです。「一個人の発言にいちいち取り合わない」と突き放し、不快感をあらわにしています。
他方、中国側は、「野中発言を歓迎」と人民日報で取り上げ、日中関係が冷え込むなか、日本からの要人訪問を好意的に扱いました。
尖閣の棚上げは、日中国交回復時の1972年(昭和47年)9月に当時の田中角栄首相と周恩来・中国首相との間で、また78年10月に福田赳夫首相と小平・副首相との間で、「解決は後の世代の知恵に待つことにしよう」と再度にわたって”合意”したことが明らかにされています。
しかし、外務官僚は正式文書がないことから、「領土問題は存在しない」という考えを打ち出し、安倍政権もそれに引きずられています。
そもそもは、石原慎太郎という当時東京都知事の職にあったポン吉が、わざわざアメリカまで出かけて、「尖閣を東京都が買い取る」と発言して、パンドラの箱を開けたのがきっかけでした。開ける必要のない、そっと寝たままの子を、カッコつけてわざわざ起こして、面倒な問題にしてしまったのだから、まさにポン吉なのです。
この問題ではかつて、読売新聞の社説が珍しく正しい論調を明快にしていました。「尖閣問題を紛争のタネにするな」(79年5月31日付け)が、見出しでした。そして、棚上げ方式を強く支持し、次のように主張しました。
「日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争があることを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた」「文書がなくとも、政府対政府のれっきとした約束事であるのは間違いない。これを順守するのが筋である」と。
つまり当時は、日本政府、外務省、マスコミも、”寝た子”にする考え方で一致していたのです。ところが、その寝た子を起こすポン吉がいました。みずから”暴走老人”という呼び方を喧伝している、少し頭のおかしいポン吉です。
問題は、起こしてしまった子どもを、どうあやすかです。日本政府が何んとかのひとつ覚えのように繰り返す「領土問題は存在しない」というだけで、なんとかなるでしょうか。中国は、話し合いに日本政府を引っ張り出すまで、徐々にエスカレートさせるでしょう。いずれ、尖閣を何百隻もの”漁船”(中国軍所属?)で取り囲む。それでも出て来なければ、上陸もするでしょう。戦略的目標は、「実効支配」です。
日本政府は監視船は出すものの、事態の悪化をただ見ているだけでしょうか。ここにも、日本自体のレベル低下、もっと言えば「劣化」があらわです。