生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

1492 ・橋下市長のインチキ「体罰批判」

2013-01-22 07:05:12 | 日記

おはようございます。                                                                           生き生き箕面通信1492(130122)をお届けします。

・橋下市長のインチキ「体罰批判」

 大阪市立桜宮高校での体罰問題は、表向きは「募集中止」、裏では「実質募集」という姑息なやり方で1件落着としました。本当に大切な「どうしたら体罰をなくすことができるのか」や、それに関連する「クラブ活動のあり方」など本質的な課題は置き去りにし、先送りした格好の「看板の掛け替え」収拾でした。

 橋下市長は、この姑息な収拾案を「素晴らしい決定をしてくれた。改革の第一歩が踏み出せた」と、手放しで評価しました。どこがそんなに評価できる内容なのでしょう。体罰はなくなるのですか。クラブ活動のあり方は、何か改まるのですか。

 体罰は、日本では昔から体育会系の分野では広く行われてきました。戦前、戦中の軍隊では、「往復ビンタ」は日常的に行われてきました。「戦場では一人のミスが、全体の死に結びつきかねない」という理由で、厳しい訓練、体罰が当たり前とされてきた面があります。一人のミスは、部隊全体の「連帯責任」と決めつけ、部隊全体に往復ビンタをくらわすことも日常的に行われてきたといわれています。

 今回の橋下市長の問題提起はそれなりに意味があると思いますが、「募集中止」にまで介入したことで、”橋下パフォーマンス”に堕してしまったといわざるを得ません。「募集中止」は、連帯責任による往復ビンタに相当する措置です。思考回路は全く同じです。

 橋下市長の「君が代斉唱」強制では、先生方の口元チェックまでして見張る。橋下氏のやり方は、自分の意に従わない者には罰を課すという方式で一貫しています。自分の意に従わない者は、力でねじ伏せるというやり方です。体罰を与えることと、ほとんど同じです。

 教育の現場で、教育をするということはどういうことか、人を育てるということはどういうことか、そこには教育に携わるものに求められる高い倫理性、あるいは教育者としての人間的な魅力、徳といった本質的なスポッと抜け落ちています。だから「力づくのけんか方式」ばかりが目立ち、ハシズムと見られるのです。

 また、教育委員会のだらしないこと。橋下(ハシゲ)に少し脅されたら、飛び上がってその意に沿おうとするみっともない姿を天下にさrしました。そんなことだから、ハシズムに蹂躙されるのだと思うのですが、そのメンタリティは変わりそうにない。

 教育の現場に問題があることも事実でしょう。教育の現場に求められる高い倫理性といったところで、お題目を唱えるだけになってきたという歴史的な経緯もあります。しかし、この課題は、息長く、ある意味ではエンドレスに取り組まなければならない課題といえます。そこには私たち一人ひとりが、地域の教育現場にもっと関心を持ち、教師側とコミュニケーションを保つことが求められてもいます。むずかしいことですが、そうしたことがなければ、一部の人間が教育をいいようにしてしまいます。