おはようございます。
生き生き箕面通信1365(120906)をお届けします。
・「原発ゼロ」への工程表を示せ
毎日新聞の本日9月6日の社説は、見出しが「将来の原発比率 ゼロ
への工程表を示せ」でした。大手のメディアがこれほど具体的に「原発
ゼロ」の主張をしたのは異例といえるのではないでしょうか。それも「工
程表を示せ」と要求したのですから、毎日の立ち位置が「原発ゼロ」か
ら後戻りするようなブレは許されなくなりました。毎日は退路を絶って、
「原発ゼロ」の旗を高く掲げたのです。
これで三つの新聞の立ち位置が明瞭になりました。読売は「何がなん
でも『原発推進』です。なんとまあ、時代遅れなことでしょう。原発が人類
を滅ぼす技術であることが、まだお分かりにならない。朝日は「将来は
原発ゼロ社会をめざすべき」と、少し柔らか。「工程表を示せ」と時期を
限定するところまでは踏み込んでいません。だから、広い意味では政
府と同じです。
「将来は原発ゼロ」なら、あのウソつき野田政権も打ち出そうとしてい
ます。政府のエネルギー政策としては、「原発ゼロ」の文言を入れ込む
ようです。あくまでも選挙用です。だから、「ゼロ」にする時期は明記し
ていません。例によってどこまででも得意の先送りができるわけです。
つまり、「原発ゼロ」はほとんど無期限に先送りです。それだけに、「い
つまでに」とゼロ実現の時期を明記することが欠かせない。毎日の社
説は、そこを要求したという点で高く評価できます。
毎日は、政府の方針に対して、「心配なのは、『原発ゼロ』という看板
を掲げておしまいにされることだ。国の将来を左右する政策が、総選挙
を意識したパフォーマンスに使われてはならない」と、釘をさしています。
そのうえで、「原発全廃には、企業を含めた国民的合意に基づく社会・
経済システムの変革が必要になる。政府には、そのための具体策を説
得力ある工程表として示すよう求めたい」と結びました。
新聞によって立場の異なる「原発問題」ですが、朝日新聞には注目さ
れる反省の記事がありました。いまや名物連載の評価を確保した観の
ある夕刊3面の「原発とメディア」ですが、昨日は同紙の元論説主幹・岸
田純之助氏が退社後に、関西電力の広報誌の監修者に就任、「電力
業界から報酬(カネ)をもらっていた」と、自省を込めて”告発”する内容で
した。別冊宝島の表現を借りて、「メディアOBたちも原発推進の世論誘
導に手を染めてきた」と、電力業界とメディアの癒着を認めています。
新聞は、混迷する現代であればこそジャーナリズムの真価を発揮でき
るはずです。真価を発揮することが求められます。しかし、現実はジャー
ナリズムが政府やアメリカの意向をそんたくした、くだらない売文に堕し
ているといっても過言ではありません。もどかしい限りです。
生き生き箕面通信1365(120906)をお届けします。
・「原発ゼロ」への工程表を示せ
毎日新聞の本日9月6日の社説は、見出しが「将来の原発比率 ゼロ
への工程表を示せ」でした。大手のメディアがこれほど具体的に「原発
ゼロ」の主張をしたのは異例といえるのではないでしょうか。それも「工
程表を示せ」と要求したのですから、毎日の立ち位置が「原発ゼロ」か
ら後戻りするようなブレは許されなくなりました。毎日は退路を絶って、
「原発ゼロ」の旗を高く掲げたのです。
これで三つの新聞の立ち位置が明瞭になりました。読売は「何がなん
でも『原発推進』です。なんとまあ、時代遅れなことでしょう。原発が人類
を滅ぼす技術であることが、まだお分かりにならない。朝日は「将来は
原発ゼロ社会をめざすべき」と、少し柔らか。「工程表を示せ」と時期を
限定するところまでは踏み込んでいません。だから、広い意味では政
府と同じです。
「将来は原発ゼロ」なら、あのウソつき野田政権も打ち出そうとしてい
ます。政府のエネルギー政策としては、「原発ゼロ」の文言を入れ込む
ようです。あくまでも選挙用です。だから、「ゼロ」にする時期は明記し
ていません。例によってどこまででも得意の先送りができるわけです。
つまり、「原発ゼロ」はほとんど無期限に先送りです。それだけに、「い
つまでに」とゼロ実現の時期を明記することが欠かせない。毎日の社
説は、そこを要求したという点で高く評価できます。
毎日は、政府の方針に対して、「心配なのは、『原発ゼロ』という看板
を掲げておしまいにされることだ。国の将来を左右する政策が、総選挙
を意識したパフォーマンスに使われてはならない」と、釘をさしています。
そのうえで、「原発全廃には、企業を含めた国民的合意に基づく社会・
経済システムの変革が必要になる。政府には、そのための具体策を説
得力ある工程表として示すよう求めたい」と結びました。
新聞によって立場の異なる「原発問題」ですが、朝日新聞には注目さ
れる反省の記事がありました。いまや名物連載の評価を確保した観の
ある夕刊3面の「原発とメディア」ですが、昨日は同紙の元論説主幹・岸
田純之助氏が退社後に、関西電力の広報誌の監修者に就任、「電力
業界から報酬(カネ)をもらっていた」と、自省を込めて”告発”する内容で
した。別冊宝島の表現を借りて、「メディアOBたちも原発推進の世論誘
導に手を染めてきた」と、電力業界とメディアの癒着を認めています。
新聞は、混迷する現代であればこそジャーナリズムの真価を発揮でき
るはずです。真価を発揮することが求められます。しかし、現実はジャー
ナリズムが政府やアメリカの意向をそんたくした、くだらない売文に堕し
ているといっても過言ではありません。もどかしい限りです。