おはようございます。月初に今月の注目点に挙げた消費増税問題は、いよいよ月末の本日12月29日が決着の日になりました。政界再編成の火種になるでしょうか。
生き生き箕面通信1116(111229)をお届けします。
・杉原プロに学ぶシニアの生きざま
プロゴルファー杉原輝雄さんが昨日12月28日、前立腺がんのため74歳で亡くなりました。杉原プロの「愛嬌のある反骨人生」は、多くのシニア(中高年)に勇気と感動を与えました。ユーモアがにじみ出るペーソス(哀愁)がただよう生きざまは、「人生道の達人」と、かねがね敬意を表していました。
杉原さんは、生涯こだわり続けたプロゴルファーとしても国内外通算63勝という素晴らしい足跡を残しました。68歳10か月でのツアー予選突破は、米ツアーでサム・スニードという偉大な先人がマークした67歳2か月を上回る世界最年長記録です。
実績もさることながら、杉原さんが敬愛されたのはそのひょうひょうとしたキャラでした。「小柄で非力、地味なおっさん」、どことなく間寛平に似た風体。注目され始めた石川遼選手と出場したティーグラウンドでは、「石川遼です」とあいさつしたり。体力が衰え、飛距離が落ちてからは「物干し竿」と茶化された長尺ドライバーを使ったりしていました。ファン・サービスに徹し、いつでもサインできるようキャディバッグにペンをしのばたのは杉原プロが走りだったのです。
反面、「勝ち」にこだわり、毎朝、自宅近くの長い石段を何度も往復する過酷なトレーニングを欠かさなかった。努力の人でしたが、その努力を見せないことを美学にしていました。60歳でがんを公表してからも、「手術をすると体力が落ち、優勝できない」と選手生活を優先、「納得するまでやる」。ちょうど1年前に新しいガンの移転が見つかったけれど、中日クラウンズ出場に意欲を見せ、「この年で目標を持てること自体がありがたいし、感謝している。今を一生懸命生きたい」と語りました。寿命が縮まっても、ゴルフを取るという一筋の生き方だった。
「今の選手は良く飛ぶ。でも、風雨や精神的な重圧に対する対応力で世界に水をあけられている」という言葉も残しました。杉原はただ一生懸命に生きました。目前の新しい年は、日本が現実に壊れていくスタートの年になるかもしれません。たとえ土砂降りのなかでも、そして涙を流しながらでも、私たちも自分の頭で決断し、自分の足で歩いて行きましょう。