生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信1097 ・ナベツネ氏の老害訴訟――メディア劣化の見本

2011-12-10 06:59:34 | 日記

 おはようございます。アフガンに入ったジャーナリスト常岡浩介さんがタリバン幹部にインタビューして伝えるところによると、「タリバンは、和平交渉については日本政府の仲介に希望を持っている」そうです。来年7月には東京でアフガン和平に関する国際会議が開かれる予定です。日本の外務省にも、アフガン和平に懸命に努力している職員がいるのです。彼らの努力で、来年の和平交渉が成功することを、心から願います。
 生き生き箕面通信1097(111210)をお届けします。
 
・ナベツネ氏の老害訴訟――メディア劣化の見本

 本日12月10日の読売新聞朝刊にオヤッと思える広告が掲載されていました。月刊誌「文藝春秋」新年特別号の広告ですが、大きく「独占手記 清武英利 ナベツネ栄え、野球は枯れる」の文字が躍っていたのです。読売の広告局もこのまま掲載するのはナベツネ御大の手前具合が悪いので、文藝春秋側に「なんとか小さな扱い」を要請したけれど、拒否された。広告を出す文春側の押し切る力の方が強かったということが推測されます。新聞社にとって、スポンサーは神様なんですから。

 読売新聞のボス、渡邉恒雄会長・主筆が、子飼いの部下だった清武英利・前巨人軍球団代表を相手に訴訟を起こしたことは、広くひんしゅくを買いました。清武氏の代理人である吉峯啓晴弁護士は昨日9日、逆に渡邉氏を相手取り、名誉棄損にもとづく損害賠償や謝罪広告を求める訴訟を起こすことを明らかにしました。訴訟合戦です。それにしてもくだらない。「天下の読売」を自負する読売が、身内の恥をここまでさらすか、と開いた口がふさがりません。メディアの劣化もここに極まれり。

 ここまで恥をさらす前に、誰かナベツネ氏を止められなかったのでしょうか。読売新聞社の中では誰もダメでしょうね。社長も、編集局長も止められない。みんな、ナベツネ氏に引き立てられた者ばかり。ナベツネ氏はインタビューに答えて、「うちはみんなざっくばらんに何でも話し合いますよ」と得意げですが、実態は「ナベツネ批判はタブー」です。きちんと物を申した人は、すべて飛ばされました。だから、周りはみんな「イエスマン」ばかり。ナベツネ氏は「裸の王様」になっているのですが、それに気がつかない。「老害」の極みです。今回の訴訟は、「オレに楯突くやつは、裁判に訴えてでも徹底的にたたきのめしてやる」という”みせしめ”でもあります。”裸の王様”は、意気軒昂です。しかし、何たる低次元。言論界に身を置くものの「品格」というものが、みじんも感じられません。

 「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ」とうたった宮沢賢治は、「イツモシヅカニワラッテヰル」のあとに、こう続けました。「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ……北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ」と。「けんかや訴訟はつまらないから止めろ」といわなければならない。それこそが、言論人が率先垂範すべきことのはずです。ところが、その御大自らが、けんかや訴訟に訴える。大人げないナベツネ氏。「いつも静かにニコニコしている」という大人の風格はかけらもない。あきれたアホさ加減。愚や愚や。 

 ともかく、読売新聞の社内には、大事な企業内民主主義が無くなってしまった。これが、メディア劣化の原因です。話を少し広げますと、最近は他の大手メディアも、多かれ少なかれ企業内民主主義が機能しなくなっています。 いい例が、原発批判がタブーでした。事故直後ですら、東京電力や政府の記者会見で、情報隠ぺいを追求することはほとんどありませんでした。東電や政府の「大本営発表」を無批判にたれ流すのが実態でした。

 さらに根幹の問題として見えてきたのは、わたしたち自身の「民主主義」に対する感覚が弱まっているということです。「民主主義が犯される」ことに、日常からきちんと対応する姿勢が維持されていれば、ここまで日本の劣化進むこともなかったのではないでしょうか。

 しかも、この傾向はさらに強まりそうなのです。訴訟社会のアメリカ型へ社会の形が変わりつつあるように感じられます。TPP(環太平洋連携協定)に参加すれば、日本の司法制度もよりアメリカ型へ変貌させられるのは確実です。ナベツネ氏の「老害訴訟」は特殊なケースではない側面をはらんでいるといえます。