生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信339 ・「落ちた太陽」――再建険しい日航

2009-10-31 07:13:08 | 日記
おはようございます。落ちたどんぐりを、親イノシシとウリ坊のイノシシ一家がむさぼっていました。
生き生き箕面通信339(091031)をお届けします。

・「落ちた太陽」――再建険しい日航
 日航再建は結局、政府の「企業再生支援機構」にゆだねる”お上頼み”になり、自力再建の能力はないことをさらけ出しました。

 日航には、もどかしくも腹立たしい二つのデジャビュ(既視感)があります。ひとつは「皇軍」、もうひとつは「パンナム」です。

 山崎豊子は、「沈まぬ太陽」で、主人公の恩地元(モデル・小倉寛太郎・日航労組元委員長)に「男の矜持」を持たせて、体質改善の問題提起をしました。しかし、経営陣はそれをまともに受け止めるだけの器量と能力は喪失していました。すでにそのころには、日航に巣食う”白アリ”と化し、「人間の矜持」を大切にしようとする労働組合には、「御用組合」設立で対抗する安易な道に走ったのです。企業合併による労組も加わり、結果的に労組は乱立。社内は疑心暗鬼と、社員分断が常態化し、解決をより困難にしたのでした。

 皇軍と称した大日本帝国陸海軍は、国民全体を結果的に困窮の極に引きずり込み、それでもなおなす術がありませんでした。最後まで面子というしがらみに捉われていたからです。ついに自ら局面打開することはできませんでした。

 アメリカの「フラッグ・キャリア」として世界に君臨したパンナムは、「汎(パン)アメリカン」の語を連想させることから「アメリカ帝国主義」の象徴ともされるほどでした。それが、海外旅行が大衆化するなかでの価格競争に「高コスト体質」の転換ができず、規制緩和の大風にあおられ、大海のもくずと消えました。

 いままた、あのGM(ゼネラル・モータース)も、高コスト体質に苦しんでいます。

 映画「沈まぬ太陽」では、経営陣の”白アリ”ぶりが描かれています。実際の経営陣は、山崎豊子の小説が「新潮」に連載されていたときから、機内のサービスに新潮を置くことを拒否し、その後も映画化されないよう圧力をかけ続けました。つまり、自分たちの保身が先に立つ経営無能力ぶりと利権あさり体質は棚に上げ、世間の目にさらされなければよしとする隠蔽体質に漬かったままでした。権力争いも好きでした。

 日航という栄光に輝く経営体にあって、資金的に行き詰れば政府に駆け込む経営風土が定着し、自力で改善する能力を喪失していきました。「皇軍」と見栄だけを張って潰れた歴史、あるいはパンナムの破産のお手本もがあるのに、なぜ生かせなかったのか。なぜ自力で立ち直れなかったのか、腹立たしく感じます。

 空港ができれば、路線を開設せよと政治的圧力がかかるなど、政治に振り回される外部要因があったことも事実です。それにしても、ここまでくることはデジャビュのはず、見えていたはずです。

 少なくとも中曽根首相(映画では加藤剛・首相=利根川泰司)が伊藤淳二・カネボウ会長(国見正之会長=石坂浩二)を送り込んだ段階で再建へ舵を切ればともかく、逆に手を替え、品を替えて妨害し追い出すにいたっては何をかいわんやです。

 御巣鷹山の墜落事故は、起こるべくして起こり、いまもまだ安全第一は優先されていない危うさです。

 今後は、税金をつぎ込む以上、それが「国民のためになる」という見通しが必要です。それがなければ、すぐ行き詰まらざるを得ない。経営陣はもちろん、現社員もOBも「痛みを分かちあう」ことがない限り、「皇軍」やパンナムの運命しかないはずです。「賢明な自助努力」は発揮されるのでしょうか。