いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

帝大生 保クン

2007年05月22日 22時41分25秒 | インド・3回目・シンガポール

ていだいせい たもつクン

シンガポールの街路にて。

■おもいついたこと

1776 - 1947

米国がインドに肩入れして、特に核技術の転移を推進していることについて。核武装が現代の大国の独立自尊の基本的条件である。大国として存続してほしい相手だからこそ米国はインドに核技術を供与するのだろう。

そうなのだ。米国とインドは、長兄・末弟なのだ。

つまりは、米国は18世紀の大英帝国の王冠の宝石であり、インドは19-20世紀の大英帝国の王冠の宝石だったのだ。そして、米国はワシントン、インドはガンジーを象徴とする独立・建国の「神話」を持つ。ここで神話とは、歴史的事実なのではあるが、それにしても両国民には、国の原点として神々しいという意味。

恐るべき、大英帝国。 たぶん、米国とインドはただの国となった旧大英帝国の存続には尽力をつくすであろう。

これは、朝鮮人諸君や旧五族共和諸君が、現在のただの国でさえない、米国属領・ぬっぽんが没落・崩壊していくことになんら尽力しないこととは大違いではある。

大ぬっぽん帝国ばんぜー!

ばんぜー!


ばんぜー!