いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

東京散歩:九段、三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園、青山一丁目⇒赤坂 東京ミッドタウン ⇒神宮外苑イチョウ並木

2023年11月27日 05時17分01秒 | 東京・横浜

「国亡びて、お庭あり」という観点から、大日本帝国を肇めた山縣有朋の死後わずか23年で帝国は亡びた史実を愚ブログは想感している。山縣有朋の道楽は「お庭」だった。そのうち3つが今至るまで残っている(国亡びて、お庭あり)。その3つはお参りした。京都・無鄰菴、小田原・古希庵、そして東京の椿山荘。山縣有朋がつくった庭は上の3つだけではないことは知っていた。ただし、上の3つ以外に残っている庭があるとは知らなかった。最近知った。東京都千代田区九段南2-1-5の三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園。明治18年に山縣私邸としてつくられた。明治天皇も来た。その後政府が購入。なお、山縣が今の椿山荘を買ったのが明治10年。この三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園は、農林水産省の管理にあり、年に1度公開するのだ。今年2023年は11/25,26が公開日であったので、お参りした。

さらのその後、地下鉄で九段下駅から青山一丁目駅に行き、赤坂の東京ミッドタウンに行った。フジフィルムスクエア 写真歴史博物館での「生誕90年記念 細江英公 作品展」をみるためだ。そして、神宮外苑に戻り、イチョウ並木を見た。


1.九段下駅、2.インド大使館、3.三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園(農水省管理)、a. 九段北

■ 1.九段下駅 ⇒ 2.インド大使館

大山巌の銅像は、九段南二丁目2、九段坂・牛ケ淵のお濠沿いの九段坂公園内にあります。
 大正8年(1919)11月3日の建設。原型作者は北の丸公園の北白川宮能久親王騎馬銅像を制作した新海竹太郎。建設委員長に陸軍大将井口省吾、ほか現役、予備役将校、実業家、地方有志とあります。工費は9万5373円81銭。この銅像は、現在の国会前庭北地区洋式庭園(尾崎記念公園)にあったといわれていますが移設の年月は不明です。
 大山巌は天保13年(1842)の生まれで薩摩藩出身。元帥陸軍大将日露戦争では陸軍司令官、初代の陸軍大臣となりました。
 その後参謀総長、内務大臣を勤め元老となりました。 (ソース:千代田区観光協会

▼ インド大使館

■ ⇒ 三番町共用会議所(旧山縣有朋邸跡)庭園


東京都千代田区九段南2-1-5

令和5年度 三番町共用会議所( 旧山縣有朋邸庭園跡・庁舎別館 ) 一般公開について (公式 web site)。 抜き書き;

 三番町共用会議所は、第3代、第9代内閣総理大臣「山縣有朋」が明治18年に建築した邸宅跡にあり、当時の建物は、大正12年の関東大震災、昭和20年の空襲により現存していませんが、当時が偲ばれる庭園跡と明治天皇の行幸(明治18年10月)を賜った記念碑(山縣有朋公建立)が今も残っています。
   また、庁舎別館は、戦後日本を代表する建築家「大江宏」(代表作:大阪万博の日本館、国立能楽堂など)の設計によるもので、令和4年度、DOCOMOMO Japanの「モダン・ムーブメントの建築」に選定されました。


ソース

玄関を入り本館の受付へ。名前記入が必要だった。本館の中を通り抜け、庭へ出る。

見どころは「庭」と「別館」。


本館の正面

現在の本館はコンクリート製であり、1973年に改修し完成。そもそもは山縣私邸。

山縣私邸は明治18年につくられた。同年、行幸があった。

山縣有朋公私邸として竣工。 設計者 片山 東熊
洋風建築史に残る建物であった。外部装飾はないが、屋内装飾は暖炉の大理石
前飾り大鏡等 外国製の豪華設え。 馬車庫、馭者部屋、馬丁部屋等
*建坪(本館)248坪、延坪335坪、付属建物226坪 (ソース

その翌年、邸は農商務省に転売された。関東大震災と大戦の空襲で焼失。昭和27年、1952年に木造建築として再建。

▼ 庭に出る

まず、芝生。この芝生域は明治18年に山縣邸がつくられた時からあるとのこと。

この芝生、とてもふかふかしていた。こんな芝生初めて。

*回遊式庭園

この庭の作成者は不明。無鄰菴をつくった小川治兵衛はかかわっていないとガイドの人が言っていた。ただし、この庭は無鄰菴といくつかの共通点がある;①芝、②「借景」、③水の流れなど。まず、母屋の手前の芝畑。これは苔が主流の日本庭園とは趣が違う。山縣の芝好きは西洋庭園をみた影響と聞いたことがある。「借景」;この庭の樹木の奥をよくみると向こうにある皇居のお堀の水面が輝いてみえた。あたかも、庭の向こうに海があるかのごとく見える。なお借景に「」をつけた理由は、無鄰菴で「借景」というなかれ、奥の風景は主山というのだと教わった。では、この九段の庭はどうか?奥にあるのは水面だ。水の流れ;奥の回遊式庭園は水がわきでている。そこから水が低位に流れていくのだ(上画像)。滝もある。というふうに、この九段の庭も、無鄰菴で認められる特徴、すなわち、山縣の好みで構成されている。つまり、庭の設計監督者は山縣本人に違いない。

おにわさん

千代田区遺産

▼ 建物:別館 (現存 RC造 総二階建て 延坪252坪) 竣工 

旧山縣有朋邸跡ではあるが、建物はモダンなコンクリート製建築。

建築家・大江宏[wiki]の設計による「農林省大臣公邸三番町分庁舎(現・農林水産省三番町共用会議所別館)」。1956年完成。 
⇒ 大江宏を考える会 大江宏設計 農林省三番町会議所別館(1956)

 

(ソース)

ベランダの床は人造「大理石」様石材。 ↓ 目地はガラス。

コンクリートの建物の中に和室。

*別館2階からの眺め

詳細解説 ⇒ 野口哲 様 天井とモダニズム「大江宏 農林省大臣公邸三番町分庁舎(山縣有朋邸跡地)」

■ ⇒ a. 九段北1丁目

 

「ガストブラックカレー本気盛り」ガスト web site

▶ 地下鉄で移動

■ 地下鉄・九段下駅 ⇒ 青山1丁目駅

 
11.青山一丁目駅、12.旧乃木邸、13.東京ミッドタウン、14.神宮外苑イチョウ並木

■ 11.青山一丁目駅 ⇒ 12.旧乃木邸

■ ⇒ 12.旧乃木邸

■ ⇒ 13.赤坂、東京ミッドタウン

フジフィルムスクエア 写真歴史博物館、『生誕90年記念 細江英公 作品展「この写真家の熱量を観よ!」』(公式 web site

■ ⇒ 神宮外苑、イチョウ並木

 

まとめ

通過町 東京都
千代田区 九段北、九段南
港区 南青山、赤坂、北青山

 


新しい街でもぶどう記録;第471週

2023年11月25日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第471週

■ 今週のよその猫


旧山縣有朋邸庭園/ 農林水産省 三番町共用会議所

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の草木花実

■ 今週の印度旗翩翻(いんどきへんぽん)

インド大使館。東京九段

■ 今週のお庭

旧山縣有朋邸庭園/ 農林水産省 三番町共用会議所。年に1度の一般公開(公式web site)。

■ 今週のイチョウ並木

神宮外苑

■ 今週の「本気」

「ガストブラックカレー本気盛り」ガスト web site

うすカツ、から揚げ、海老フライ、チーズINハンバーグ、目玉焼きとブラックカレー

■ 今週の写真展

生誕90年記念 細江英公 作品展「この写真家の熱量を観よ!」(公式 web site

■ 今週返した本

三牧聖子『Z世代のアメリカ』。アメリカのZ世代[1](1997-2012年生まれ、2023年で11-26歳)というのは「アメリカ人であることを非常に誇りに思」っているのは約2割なのだという [1]。このことだけで、おいらは、アメリカのZ世代に興味をもった。米国人は正気になりつつあるのだろうか?そもそも、奴隷主と先住民虐殺者が肇[はじ]めた国が米国だ。強姦者もいる。米国の特徴は、例えばチンギスハーンのような単純な「奴隷主と虐殺者」と違って、人権とか、民主とか、自由とか奴隷制やジェノサイドを否定するお題目を掲げることである。そして、自らの蛮行になんら関心がないことである。つまり、その存在が最初から欺瞞的なのである。「アメリカ真理教」の信者は、これを「理念国家アメリカを見誤るな」と称し[0]、理念のみ見て、実際にやっていることを無視する。あるいは、せいぜいそれらの「蛮行」をみたら、「そんなことは理念からはずれたことだ」といっていれば「論理的」に片付くのである。そして、ちゃんと、理念に向かい進めばいいのだと。そうして、1619年からアフガニスタンでのテロとの戦いにおける民間人殺害までずっとやってきたことだ。なぜかしら、今に至って、Z世代というのが気づき始めたとのこと。この米国の本性の認識をwoke:目覚めるという。ジョージ・ワシントンなど建国に父たちは、奴隷主と先住民虐殺者であったことを認めたくない「保守」派はこのwokeを敵視する。もっとも、「保守派」ではないが、どんなにリベラルな考えを標榜しようと人生や生活が「保守」的である「リベラル」学者がこのwokeに怯えている話はしたことがある(<「文化大革命」に怯える>堀田絵里)。アメリカのZ世代の特徴的な属性は上記のアメリカを誇りに思わないに加え、現在のパレスチナ紛争で、全米の平均と比べ、パレスチナ支持が高い [3]。ちなみに、人種の構成は白人が51%とのこと。つまり、米国の若者(11-26歳)の半分はもう白人ではないのだ。

[0] (理念国家アメリカを見誤るな google)今日(2023/11/25)青山一丁目駅付近の路上で、北岡伸一を見た。

[1] Z世代

Z世代解説

[2] Z世代で、「アメリカ人であることを非常に誇りに思う」と回答したのは16%。ミレニアル世代は36%。アメリカ人全体では、 63 パーセント。なお。2013年には、アメリカ人の85%がアメリカ人であることを「非常に、または非常に」誇りに思っていると回答した。

なぜZ世代の多くはアメリカを嫌うのでしょうか? 私たちが彼らを諦められない

ミレニアル世代とZ世代がアメリカ人であることに誇りを持たない理由

[3] 同情派6割がZ世代 親パレスチナに傾く米若者

■ 三牧聖子『Z世代のアメリカ』の章立て

第1章 例外主義の終わり―「弱いアメリカ」を直視するZ世代
第2章 広がる反リベラリズム―プーチンと接近する右派たち
第3章 米中対立はどう乗り越えられるか―Z世代の現実主義
第4章 終わらない「テロとの戦い」―Z世代にとっての9・11
第5章 人道の普遍化を求めて―アメリカのダブル・スタンダードを批判するZ世代
第6章 ジェンダー平等への長い道のり―Z世代のフェミニズム
第7章 揺らぐ中絶の権利―Z世代の人権闘争

▼ アメリカ例外主義 [wiki]の終焉?

 本来のアメリカ例外主義(ファナティックな使命感をもった征服者)というより、ここ20年の対テロ戦争に始まりアフガン撤退に至る米国の凋落を目の当たりにしてZ世代が弱い米国=世界で異常に卓越した権力国家を所与のものとできなくなったことがこの本の基調。

なお、三牧聖子さんは、2021年の「アメリカは「例外国家」である続けるか」(雑誌 ひらく)で、ジョージ・ワシントンがすべての人間は生まれながらにして平等である...との独立宣言を起草しながら奴隷主であったことに言及している。つまり、米国は最初から欺瞞であることを知っているのだ。でも、この『Z世代のアメリカ』ではこの歴史のことには全く触れていない。1619プロジェクトにも全く触れていない。もっぱら、対テロ戦争での米国の「弱体化」がZ世代に影響を与えるという仮説である。つまり、米国は最初から欺瞞であるとの歴史教育の効果は検討されていない。

▼ リベラル批判の視点

この本はトランプ大統領時代の施策がアメリカのZ世代において「アメリカ人であることを非常に誇り」に思わなくなったことへの影響は書いていない。あるいは、アメリカのZ世代のトランプ大超量への態度、見解、好悪も書いていない。

一方、トランプ大統領を生んだリベラルへの嫌悪。これはトランプ当選時米国で広く認められ、中道層での「隠れトランプ派」の発生もその一環だ。でも、本書では、リベラル批判は反リベラリズムの「右派」の所業で、プーチンとの共通性・親和性という属性で「悪魔化」されている。

▼ キャスティングボードを握るアメリカのZ世代

2020年の大統領選挙や2022年の中間選挙での民主党の勝利は、Z世代の投票行動の結果とのこと。共和党とトランプ忌避のグループが、アメリカのZ世代。

▼ 暗殺大統領・オバマ [google]

この本で確認したことは、オバマの暗殺大作戦。パキスタンでのドローンによる「テロリスト」殺害作戦で多数の民間人が死んでいるとのこと。そして、民間人が死んだ場合でも、欧米人とパキスタン人では対応や保障が違うこと。それを「アメリカのダブル・スタンダード」として本書では紹介している。

オバマ大統領初の無人機攻撃の犠牲者「私は無人機とは何かを示す生きた例だ」  ファヒーム・クレシ

バラク・オバマ大統領時代の対テロ秘密戦争では、前任のジョージ・W・ブッシュ大統領時代に比べて10倍の空爆が行われた。

なお、ダブル・スタンダードこそが米国の本質を示す。つまり、自分たちがやる殺害はテロでもジェノサイドでもない。確かに無辜が死ぬが、それは米国な高邁な理想実現のための犠牲である。一方、他国、他文明の無辜の殺害を伴う理想実現行動はテロリズムであり、遂行者はテロリストである。これは、ダブル・スタンダードではあるが、もっと適切は言葉で言えば、御都合主義である。米国=ダブル・スタンダードというより、米国=御都合主義。幼稚な自己中心性だ。

なぜ、アメリカのZ世代は、今さら、この米国の第一属性に気づいたのか?こういう問いを立てて、明確に答えているわけではない。ただし、2002年から始まって、20年続いた「テロとの戦い」戦争を挙げる。

▼ 白人優越主義への批判

三牧聖子『Z世代のアメリカ』では、米国に限らず、白人たちが白人優越主義を無意識にもっていることが、最近、自覚的に批判されていることを示す。具体的には、ウクライナ戦争での報道での問題;

CBSニュースの外国特派員のチャーリー・ダガタ氏は2月25日、ウクライナからのリポートで、「失礼ながら、ここウクライナはイラクやアフガニスタンのように何十年も紛争が続いている場所とは違います。比較的文明化し、ヨーロッパ的な都市で、今回のようなことが起こるとは予想もできないような場所です」と述べた。ソース

戦争や紛争はアジア、アフリカに特有のもので、白人たちの地域はそういう場所ではないし、そうあってはならないという無意識の白人たちが白人優越主義。

米国ではない例として、カナダはシリアからの難民に受け入れ人数の制限を設けていたが、今回のウクライナ危機ではウクライナ人の受け入れ人数には制限はない。無意識の白人たちが白人優越主義の例だ。三牧聖子『Z世代のアメリカ』で指摘されている。

もっとも、カナダは、原爆がヨーロッパの白人ではなく、日本人になされてよかったと日記に遺しているのは、カナダ首相のマッケンジー・キング(wiki)。マッケンジー・キングは戦時中のカナダ首相。したがって、カナダの日系人強制収容の責任者。なお、原爆の開発と行使について、米国は英国、カナダと「共同」で行っている。(愚記事より)

こういう、白人たちの無意識の白人優越主義が批判されるようになったのは、米国で非白人が半数を占めるZ世代が成人してきたからだ。半分の非白人は生まれてから白人からされてきたことの経験があるのだ。したがって、Z世代で、「アメリカ人であることを非常に誇りに思う」と回答したのは16%(なのか?)

▼ アメリカのZ世代の「神々」(?)

バーニー・サンダース [wiki]

アンジェラ・デイヴィス [wiki]    ブラックパンサー党 [wiki]

バーバラ・リー [wiki]     ラナ・アブデルハミド [google]

コーネル・ウエスト [wiki]

▼ アメリカのZ世代の対中認識

アメリカのZ世代の属性で特徴的なのは①祖国米国に誇りを感じられない;②パレスチナびいきとあと、対中宥和である。「米中は貿易や経済政策についても協力できない」と回答したZ世代は27%。65歳以上では51%なので、対中宥和的である。これを三牧はアメリカのZ世代はリアリズムをもっていると評してしいる。

でも、人権を尊ぶはずのアメリカのZ世代が人権抑圧、一党独裁の中国を経済的理由で容認するのであれば、これこそダブルスタンダード、つまり、御都合主義である。要は、アメリカのZ世代も本質的に米国人に違いないのだというのがおいらの見立てだ。

▼ 人種問題、あるいは、人道の普遍化

アメリカのZ世代はブラック・ライヴズ・マター [wiki] 運動で大きな役割を果たしたとされる。さらに、アメリカのZ世代はリスクであるとの認識もあるとのこと。リスク No.9 TikTok な Z 世代(ユーラシア・グループ 2023年10大リスク)。米国分断の一端でもあるらしい。

三牧聖子『Z世代のアメリカ』には明瞭に書かれていないが、アメリカのZ世代のブラック・ライヴズ・マターへの賛同は、世代の半分が非白人であることに起因するのだろう。さらに、本書では、イスラエルーパレスチナ問題に言及し、Z世代のパレスチナへの共感の拡大が書かれている。

▼ 現代米国の紅衛兵?

本書には書いていないが、Z世代学生によるキャンセル・カルチャーとして大学の講義における教授の「つるし上げ」がおこなれているとのこと。

「ソーシャルネイティブ」Z世代により社会現象として定着した「キャンセルカルチャー」(ソース

Z世代:進歩派、非自由主義派、あるいはその両方?

▼ Z世代の国会議員

当選時25歳、アメリカ史上初のZ世代連邦議員マックスウェル・フロストの素顔

非白人。社会運動家というところが、Z世代の象徴か?

 

対テロ戦争 [wiki]  アメリカ例外主義 [wiki]

スーパーPAC(特別政治活動委員会)

▼ 三牧聖子『Z世代のアメリカ』からの抜き書き;

 20年超に及んだアメリカのアフガニスタン関与の失敗は、同国の歴史や、長い時間をかけて育まれてきた生活様式や価値観を尊重せず、西洋的な価値観と衝突するものはそのことをもって否定し、現地の人々と水平に向き合い協働する態度を欠いていたことの帰結であった。(p159 第5章 人類の普遍化を求めて)

 アメリカ市民による議論の力、そして変革の力を深く信頼するからこそ、アメリカの誤った行いについて、とりわけ他国の人間の命を奪い、人々の人生を大きく変えてしまったような対外行動について徹底的に批判すべきだ、ということを教えてくれたのは、西崎文子先生だ。本書を読んでくださった読者の心の中に、私が西崎先生の著作を読んだ後に生まれるような、未来のアメリカへの期待が生まれることを切に願う。(p228 おわりに)


らーめんGOEN さがみ野店:味噌とんこつ大盛り ¥950、あるいは、Miso Flavor

2023年11月24日 04時08分12秒 | ラーメンたべた

らーめんGOEN さがみ野店:味噌とんこつ大盛り ¥950

この店を知った理由は、YouTubeの広告(愚記事)。Close to NAFとあった。この時、NAFを知らなかった。NAF:Naval Air Facility 。

    

    

「厚木」基地参拝の帰りに寄った。

麺は太かった。

 横文字では Miso Flavor

卵はうずら。スープは確かに濃くて、まろやかなのだが、さすがにくどくなる。厭きる。テーブルに酢があった。

丼全体の汁に酢を入れるのも、調整が難しいので、蓮華のスープに酢を入れ飲む。クリーミー&すっぱさでおいしい。

ごちそうさまでした。メニューで九州とんこつはあったが、替え玉がなかった。

らーめんGOEN さがみ野店 web site: https://www.ramen-goen.com/

▼ 新しい英語、いや、誤り?

文の最後:every crust of bones are melt into the broth.

are molten into ではなく、are melt into。新しい、というか古い英語ではないのだ。

いや、今、辞書を見るとmeltの過去分詞はmelted、あるいは、molten。ただし、<古>の註付き。30年前はまだ使っていたような気がする。google画像 [molten iron] [melted iron]。

確かに30年前からmoltenは古いといわれていた。おいらは、melt/melted/moltenが、当世風のmelt/melted/meltになったのかとおもった。現在形と過去分詞が同型という英語の動詞、run/ran/runとかcoe/came/comeとかと同じと思ってしまった。

辞書を見るとmeltの過去分詞はmeltedなので、上の広告の英語は間違い?

● YouTubeの広告

 

 


神奈川県散歩:大和駅⇒ 「厚木」基地⇒ さがみ野駅

2023年11月23日 07時45分44秒 | 散歩

 

われらが大日本帝国が敗北し、マ元と米兵とがやって来たのが「厚木」だ。敗戦日本の原点だ。武相境に来て10年目に入ったが、その敗戦日本の原点をお参りしたことがなかった。お参りした。今google mapで距離を測ったら、ここから10kmだった。歩いていける距離だ。もっとも、基地を1周すると約10kmなので、電車で大和駅まで行った。

なお、「厚木」とかっこがつくのは、「厚木」基地は厚木市にあるわけではなく、大和市と綾瀬市にあるからだ。ちなみに、あの靴下屋さんのAtsugiは海老名市の会社であり、その社名をマ元が到来した「厚木」から取ったとされる [wiki]。これは2重に間違っていることになる。

今まで、うかつにも、特に意識していなかったのだが、「厚木」基地は米海軍の基地なのだ。横田は米空軍の基地。棲み分けていたのだ。おいらは、「厚木」飛行場は米軍基地という認識は強くあったが、漠然と米空軍の基地なんだろうと過ごしてきた。実際は、「厚木」基地は米海軍の航空基地なのだ。気づかなかった理由のひとつは、以前やっていた米海軍航空隊の離発着訓練が行われていないからだ。昔は、騒音が激しかったとのこと。

現在「厚木」基地は自衛隊との共用になっている。どんな自衛隊というと海上自衛隊だ。なので、米海軍航空隊はルメイの系譜ではない。ルメイが創設に尽力したのは航空自衛隊だ。すなわち、飛行機は飛行機でも、海上自衛隊の航空隊はルメイ・チルドレンではないのだ。でも、海上自衛隊も「米」衛隊だ。極東米軍の補助的戦力を担っているのだ。古い話だが、1977年の「厚木」基地から出撃した米海軍航空機が日本の民間地に墜落した事件では、「米」衛隊としての本領を発揮いている;

事故発生から10分後の13時23分に出動した海上自衛隊のS-62J救難ヘリコプターは、13時25分頃黒煙を目撃、30分頃事故現場上空に到着した。既に消防車が来ているのを確認した上でパイロットを収容し、再度事故現場上空に状況を確認(放水が開始されていた)上で、基地に帰還した。wiki

つまり、海上自衛隊は米海軍になにかあったらすぐ出動できるようにスタンバっていたとわかる。

■ 

1.相鉄大和駅;2.草柳1丁目;3.Atsugi East Gate;4.福田/代官;5.代官3丁目;6.綾瀬市本蓼川816付近;7.サントリープロダクツ 神奈川綾瀬工場;8.Atsugi West Gate;9.綾瀬市大上付近;10.大上橋/東名高速道;11.東柏ケ谷 近隣公園;12.さがみ野駅

■ 1.相鉄大和駅 ⇒ 2.草柳1丁目

中央に写っている円筒型の容器は「篩」である。これだ。見た目はともかく、骨董には全く場違いで、驚いた。見た目が骨董ぽいからに違いない。

▼ 厚木街道 草柳1丁目付近

■ 2.草柳1丁目 ⇒ 3.Atsugi East Gate

この手のしぐさは何かを意味しているのだろうか?

 ソース

右上のでっぱり部分がEast Gate。「厚木」基地の内部にはジョギングコースがあるとネットでわかった。今思えば、フェンスの向こうで走る「米兵」が見えた。

■ ⇒ 4.福田/代官;5.代官3丁目

「厚木」基地の反対の方向。台地が開析された地域(低地)。もちろん、米軍「厚木」基地は「丘の上」[*1]にあるのだ。 [*1] 「厚木」基地を創ったのは大日本帝国海軍だ。

海上自衛隊の官舎。

■ ⇒ 5.代官3丁目

■ 代田3丁目

■ ⇒ 6.綾瀬市本蓼川816付近

何か「幻視」できないかと目を凝らしたが、何も見えず。つわものどもが、夢のあと。

 
航空写真 左 1960年代、右 現在

■ 6.綾瀬市本蓼川816付近から引き返す ⇒ 7.サントリープロダクツ 神奈川綾瀬工場

▼ 7.サントリープロダクツ 神奈川綾瀬工場

■ ⇒ 8.Atsugi West Gate

また犬か!

■ ⇒ 9.綾瀬市大上付近

フェンス越しに「Coral Sea St.」の標識が目に入る。米海軍基地でCoral Seaといえば、珊瑚海海戦だ。

今、調べると、「厚木」基地内には Midway St.とかHalsey Aveとかがあると知る。もちろん、ミッドウエイ海戦、ハルゼー提督 [wiki] にほかならない。MacArthur fieldもある。Ranger St. のRangerはわからなかった。調べた。アメリカ海軍の伝統の艦名(USS Ranger)wiki

 ソース

▼ 10.大上橋/東名高速道

ここで「厚木」基地から離れる。

▼ 11.東柏ケ谷 近隣公園:海老名市

まとめ

通過町

神奈川県 大和市 中央 草柳 福田 蓼川 

綾瀬市 深谷上 寺尾南 大上 

海老名市 東柏ヶ谷 

▼ 補遺

「厚木」基地の正門に行かなかった。今後、行くかわからない。行かないだろう。
Google Mapのペグマンの画像を取った;

それにしても、facility と baseの違いがわからない。


新しい街でもぶどう記録;第470週

2023年11月18日 18時00分00秒 | 草花野菜


▲ 今週のみけちゃん

■ 今週のよその猫


▼ 新しい街でもぶどう記録;第470週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の富士山


綾瀬市より望む

■ 今週のキリバン

■ 今週の単価

灯油 112円/L。今季始めて購入。

■ 今週の半額

食卓応援セレクト肉らしいほど旨い肉肉まん (google

■ 今週のフェンスの向こうのアメリカ

米海軍「厚木」航空基地。 
厚木航空基地は海上自衛隊と米海軍が共同使用している基地です。海上自衛隊 web site

■ 今週の犬

ここにも、軍犬隊。ドローンも禁止です。

■ 今週の「市」

神奈川やまと古民具骨董市 (web site

■ 今週の「アメリカ真理教」

 佐々江賢一郎元駐米大使・事務次官


ソース

11/12(日)のNHK、日曜討論 「ガザ危機 国際社会は 日本は」において、司会者に「アメリカはダブルスタンダードでは?」と質問された佐々江賢一郎元駐米大使 [wiki] は米国を大国として他の大国と相対化して、そのダブルスタンダードを容認する回答をした。おまけに、中ロもダブルスタンダードではあるがもっとひどいととの認識を示した。

これでは、何でもありということにある。論理もひったくれも必要ないということになる。もちろんこの論理ならざる「論理」で、米国の御都合主義を合理化していた。「アメリカ真理教」。

■ 今週の本の感想

ハーフが美人なんて妄想ですから! ! - 困った「純ジャパ」との闘いの日々 (中公新書)Amazon

Amazonの本の内容紹介;
ハーフは皆「かわいい」「バイリンガル」「お金持ち」と思っているあなた。それは妄想です。実際には、不美人・日本語しか話せない・貧乏なハーフも大勢いる。日・独ハーフ(三十路、独身)が、日本社会でハーフが巻き込まれる「怒るに怒れない話」を多数挙げ、おもしろおかしく、時に真面目に「純ジャパ」との共生を考える。

カスタマーレビューのひとつが目を引いた:


この文章を読むと、父は極右とでも書きたいほどの純ジャパとある。そして、その子である書評者がクオーターなのだという。ということは、母親がハーフであるに違いない。したがって、「極右とでも書きたいほどの純ジャパ」である父はハーフと結婚し、この書評者を設けたのだ。つまり、父はハーフが好きな「極右とでも書きたいほどの純ジャパ」であるということだ。

極右・純ジャパはハーフがお好き?

■ 今週の東大教授さま

飯山陽[wiki]が、自分のYouTUbeで、池内恵東大教授が博士号を持っていないといっていた。

飯山陽は東大で博士号を取得したのだそうだ。でも、安定した研究職の地位には恵まれていないらしい。

おいらは、池内恵が博士号をもっているとかもっていないとか考えず、素人向けのイスラム解説を読んだことがあった。結構、昔だ。その頃、小谷野敦博士は池内恵をえらく誉めていた記憶がある。一方、小谷野敦博士の基本的態度としてとして博士号をもたない大学教員を批判してきた。今日、池内恵が博士号をもっていないと気づいた。小谷野敦博士の過去のブログをみたが、博士号のことは言及していなかった。

今回、池内恵が博士号をもっていないことを飯山陽が喧伝することになった事由は、池内恵と篠田英朗らが飯山陽を「インフルエンサー」と範疇化して、研究者扱い、学者扱いしていないことに怒ったことによる。飯山陽は、『池内恵は私(飯山陽)を学者扱いしないで「インフルエンサー」よばわりするけど、おまえはそもそも博士号をもっていないだろう』と憤慨しているのだ。

もっとも、学歴社会の頂点とされていた東大法学部の教授で博士号をもっていない人は多いかもしれない。東大法学部で偉い学者のコースは、学部を出て助手(当時の職名)になることらしい(学士助手[wiki])。

東大文系では、(少なくとも)大学院重点化以前は、博士号をもたないことこそ東大の優秀学者であることの証であったと本人たちが意識していた気配がある。博士号というものを全く評価しない。では、何を重視していたかというと、ポストなのである。ポストについている者こそ偉いのだという思想である。なので、下手に博士号をもっていると、人事権を持っている既存教授たちから採用されないのだ。博士号をもっている同僚を許せないのだ。御殿女中の世界である。

さて、そういう自閉的な東大法学部を批判していたのが、篠田英郎さんであった。自分は英国で博士号をとったのだから、なぜ東大法学部に劣等感をもったりルサンチマンをもっているなどという批判がわきでるか不明だとどこかでいっていた。

でも、この篠田英郎さんは池内恵とお友達で、今回、飯山陽批判を行い、飯山陽が激おこぷんぷんなのだ。

■ 今週の「スイッチが入った」人

この人、現行憲法の東大法学部的解釈を越えて、国際的に/国際法的に/国際協力的に日本が貢献することは合憲であり、推進すべきであるという見解の人だと思っていた。端的に、集団的自衛権の発動、行使は憲法違反ではないという見解。おいらは、当世の英米体制「迎合」主義なのかなと思い、ちびちび本を読んでいた。

 でも、先月のイスラエルーハマス戦争で、何か「スイッチ」が入ったらしい。快楽殺人とは穏やかではない。もっとも、「快楽殺人」とは(日米安保マフィアの???)小谷哲男がハマスに投げつけた言葉だ。篠田英郎さんはイスラエルの過剰な「自衛権」行使が許せないらしい。これは、ガザの民衆の死傷に加え、自分がかつて従事していた国連の職員が多量にガザで死んでいることに衝撃を受けているのかもしれない。


東京・神奈川散歩:[後編] こどもの国⇒ 玉川学園構内⇒ 小田急線踏切⇒ 薬師池公園⇒ 自由民権資料館⇒ 鶴川駅

2023年11月17日 09時38分46秒 | 武相境

東京・神奈川散歩:[前編] こどもの国⇒ 玉川学園構内⇒ 小田急線踏切⇒ 薬師院公園⇒ 自由民権資料 の続き

1.こどもの国駅;2.玉川学園台団地;3.玉川学園大学:4.小田急線踏切;5.金井1丁目交差点;6.薬師池公園;7.ぼたん園;8.自由民権資料館;9.鶴川駅


a:玉川学園5丁目付近高台 b:ゆうき山公園 c:団地いちょう通り

■ 3.玉川学園大学 ⇒ 4.小田急線踏切

4.小田急線踏切 ⇒ 5.金井1丁目交差点

玉川学園5丁目付近。昭和のアッパーミドル住宅地風。
老夫婦と歩く小学校高学年くらいの女の子が「おはようございます」とあいさつしてきた。

▼ 金井

▼ ゆうき山公園

■ 金井1丁目交差点付近

▼ 団地いちょう通り

■ 薬師池公園 ⇒ 福王寺薬師堂 ⇒ ぼたん園 ⇒ 鶴見川


α:福王寺薬師堂、β:七国山風致地区、γ:鶴見川・丸山橋、δ:新袋橋

薬師池は低い場所にある。だから、水が溜まっている。その池の周囲は尾根。尾根の斜面を登ると福王寺薬師堂がある。さらにその奥の屏風のように立ちはだかる尾根を登って超えると、やや緩やかな斜面が広がっている。草原の広がる。その中の道を北上。丘陵地を抜けていく。七国山風致地区。その中にはそば畑もある。そして、ぼたん園公園。

■ 6.薬師池公園

web site: おにわさん 「福王寺旧園地(薬師池公園)」

▼ 

福王寺薬師堂(wikipedia, google

【薬師堂】 薬師池公園周辺は、戦国時代には北條氏照(ほうじょううじてる)の支配領域であった。野津田薬師といわれている薬師堂は、天平年間(729~749)行基(ぎょうき)の開基と伝えられており、現存する薬師堂は、福王寺薬師堂のことで、明治16年(1883)の再建されたものです。 御本尊の薬師如来様は、秘佛の為、12年に一度、寅年の4月10日から5月10日までの一月間だけ扉が開かれ、拝観することができます。天井絵は墨絵の龍と彩色された二人の天女様が、狩野派の絵師、狩野信矩により描かれています。 この御堂の特徴は、彫り物と、総欅造りで御堂の入口にまりを抱えた獅子が彫られており、まりの中の玉は、ころころと動くようにまりの外から彫りぬかれているとのことです。 境内には采女霊神(うぬめれいじん)、お稲荷さんがあります。ソース

この日、堂の中に入れた。

中央におまつりされている御本尊様は、薬師如来様です。お薬師様の右には日光菩薩様が、左には月光菩薩様が脇佛としてまつられています。更に右側と左側に六人ずつ、十二人の神様がまつられています。全部で十五体の佛像がまつられています。(上のリンク)

画像撮影は、もちろん、禁止だった。像の写真はリンク先にある。

Google [町田 木造薬師如来坐像]

福王寺薬師堂の裏山をのぼる階段があり、奥に抜けられる。こ抜け道は尾根を横切る道。

■ ⇒ ぼたん園

■ 7.ぼたん園

ぼたん園は、薬師池から徒歩で7分ほどのところにあります。
園内にはボタン(約330種類1700株)とシャクヤク(約60種類600株)が植栽されており、関東有数のボタンの名所です。
ボタン・シャクヤクが開花する時期(例年4月中旬から5月上旬)は有料開園、それ以外の時期は民権の森公園として無料開園しています。
ぼたん園は民権の森公園の一部であり、隣接地に自由民権運動の指導者であった「石阪昌孝」氏の墓があります。
園内にはその長女「美那子」と「北村透谷」が出会ったゆかりの地を記念した自由民権の碑もあります。
また、公園の東側に東京都が指定する「町田民権の森緑地保全地域」約19000平方メートルが広がっています。(町田市 web sit : 町田薬師池公園 四季彩の杜 ぼたん園(町田ぼたん園)

■ ⇒ 鶴見川

▼ 瓦屋根の家にアメリカンな張り出し

▼ 鶴見川

▼ 新袋橋交差点:町田市野津田。鎌倉街道と芝溝街道 [google] との交差点。

■ 8.自由民権資料館

自由民権資料館常設展示「自由民権運動と町田」その1

みずから憲法をつくる (google)

■ ⇒ 鶴川駅


道産品:オホーツク人参と北見玉ねぎ(右下の段ボール)


本を読みながら歩く人をみた。

まとめ

通過町

横浜市青葉区 奈良町
東京都町田市 玉川学園 金井町 金井 野津田町 大倉町 能ヶ谷  

 


立川参り2023;昭和記念公園

2023年11月12日 09時13分30秒 | 東京・横浜

毎年恒例とした立川の昭和記念公園参り。レコンキスタ史跡訪問の原点。今年で8年目(2016, 2017, 2018, 2019, 2020, 2021, 2022)。今年は公園以外の新探訪はない。あけぼの口から入り、昭和記念館の南を通り、カナール(いちょう並木)、大噴水、橋を渡って、水鳥の池。水鳥の池の北の岸でお弁当を食べる。その後、はてしなく広いみんなの原っぱの真ん中を北上、日本庭園へ。その後、北西奥のこどもの森まで行き、引き返す。南下して語らいのいちょう並木へ。水鳥の池の南側を廻って、カナール(いちょう並木)を再び鑑賞。そして、あけぼの口でおしまい。

この日あいにく陽がささなかった。天気予報ははずれ、小雨さえぱらついた。残念、いちょうの並木は黄色充満への充足度は30-50%ほど。一方、紅葉はほとんど色づいていなかった。

例年のごとく外国人が多かった。ただし、華人系はほとんどおらず、おそらくインドネシア、マレーシア、タイの人たちが多かった。なお。数年前インド人がとても多かった年があったが今年は見なかった。曜日のせいかもしれない。この日は土曜日だった。例年は平日が多い。

■ A あけぼの口 ⇒ 昭和記念館の南

昭和記念館の前に行列ができていた。みんな 尊王家 尊皇家なんだ。この日開催の展示はこれ↓


https://f-showa.or.jp/museum/display_info/planning_and_special/

室と室は違う。なるひとさんはEmperorであり、チャールズさんはKing(王)だ。日本のメディアで皇室を「ロイヤルファミリー」ということがあるが、間違い。インペリアル・ファミリーである。

▼ ⇒ カナール・イチョウ並木 ⇒ 水鳥の池

▼ C 水鳥の池

D 「おにぎりポイント」

「おにぎりポイント」:毎年ここでお昼のおにぎりを食べる。

▼ E みんなの原っぱ

▼ E 日本庭園

▼ ⇒ G こどもの森売店

▼ 窪地

▼ G かたらいのイチョウ並木


新しい街でもぶどう記録;第469週

2023年11月11日 18時19分31秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第469週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

▼ 2023/11/11の昭和記念公園

■ 今週の「とっとくポイント

■ 今週の葉付き

■ 今週本屋でみた本と今週の<荊の簪を挿した御方>のおやつ

なぜ女の子はさつまいもが好きかについて」。

  焼き芋とドーナツ  Amazon

■ 猫たちが食い尽された街、サンクトペテルブルグの今の猫たち

愚記事で、「猫たちが食い尽された街へ;サンクトペテルブルグ参拝」がある。シンクロ行動する現世の猫の動画があった。13秒なので、見やすい。かつて食い尽された犬も元気だとわかる。

■ 今週の載せたもののてんまつ

すかいらーくグループのジョナサンに行って、猫ロボットから注文品を受け取った。載せたものが転倒した。

 ピンぼけです。

ジョナサン プリンノセターノ

■ 今週の「フェンスの向こうのアメリカ」、あるいは、世界最大だとOG/aussieがいうのだ

ピンボケです。横浜線を走行する電車内から撮った米陸軍相模原補給廠 [wiki]。英語では、general depot [wiki]。

補給廠とは兵器整備工場のこと。日本では工廠といった。補給とかあるから、気づかなかったのだが、この米陸軍相模原補給廠、占領時代には世界最大(級)の兵器整備工場だったらしい。もっとも、1970年代初頭のベトナム戦争の頃までは操業は活発であった(愚記事:忠米外交官 松田慶文 さんはその後どうなったのか? 相模原戦車輸送阻止闘争 - 1972)。

OG/aussieがいうのだ;

 ソース

1956年、その帽子でそれとわかる豪兵が、米陸軍相模原補給廠、当時はYokohama Depoと呼称していた、を訪問した時の写真。つばなしの帽子をかぶって説明しているの人は米兵。その説明書きには「The American Yokohama Engineering Depot, Japan, probably the biggest in the world」とあった。知らなかった。相模原補給廠は世界最大だったのだ。

なおこの写真は1956年とある。敗戦直後、占領期のものではない。ではなぜ豪兵?おそらく、朝鮮戦争への豪軍部隊と思われる。相模原補給廠が世界最大となっていたのは、朝鮮戦争で操業が活発化した結果なのだろう。説明書き(ソースのリンク先)を読むと、豪兵は東京のキャンプ・恵比寿所属(洗濯兵!とある)。

Description

The American Yokohama Engineering Depot, Japan, probably the biggest in the world, is entertaining members of the 1st Commonwealth Division, including Australians. This centre supplies all American forces in the Far East. VX502320 Sergeant (Sgt) Charles Henry (Charlie) Herdy (centre rear, behind two others), of Bandiana, Vic, looks on as an American sergeant explains a technical point in one of the many machine shops. Sgt Herdy is NCO in charge of the laundry at Ebisu Camp, Tokyo,the British Commonwealth Sub Area Headquarters and Leave Unit. Private J 'Moose' Prouse (position in group not identified), of Ringwood, Vic, also shows keen interest.

 (ソース:https://www.awm.gov.au/collection/C1103014

■ 今週返した本

▼ ジョーダン・ピーターソン、『生き抜くための12のルール』 

ジョーダン・ピーターソンとは北米で活躍している学者で、反リベラルの論客とされている。渡辺靖の『白人ナショナリズム』では彼は白人ナショナリスト [wiki] と認識されている。(ジョーダン・ピーターソン wikipedia。)日本ではそんなに話題にはならないが、北米でのリベラルー「保守/右翼」論争で有名らしい。例えば、Google [Jordan Bernt Peterson right wing]。なぜ、この本を読んだかというと、なぜかしら、YouTubeの「お勧め」に出てくる;このジョーダン・ピーターソン。理由と考えられるのは、北米での「白人至上主義者」についてのYouTubeを見ていたからだろう。もちろん、おいらは、敵を知らば・・・という動機で見ている。

この本は聖書、文学など古典を以て人間を語っているが、通俗的処世術でもある。内容はYouTubeでみられる:『人生を生き抜くためのルール 前編 後編 』

▼ 白人・キリスト教至上主義

そこで、ジョーダン・ピーターソン、『生き抜くための12のルール』をみてみると、いきなり、日本人をチンパンジーと同席で、すなわち改行なしの同パラグラフ(段落)で論じている;

章タイトルが「卑しい未開人」であり、チンパンジーは、実は、チンパンジー同志で殺し合いをするのであり、「想像を絶するほどの残忍さ」であると紹介する。これは、人間ではない動物は人間のような残忍さはをもたないという印象、すなわち動物、あるいは類人猿は無垢であるという先入観を、著者ジョーダン・ピーターソンは否定したいのだ。このチンパンジーの残忍さを述べるパラグラフにおいて改行もなく、人間の残忍性を述べる。その例は日本人なのだ。

チンパンジーは超自我(super-ego)をあまり持っていないのだ。 人間に関しても、自己制御の能力は思いのほか 低いと用心しておくべきだろう。 日本軍による残虐な大虐殺 を描いた アイリス・チャンの『The Rape of Nanking』(翻訳は 『ザ ・レイプ・オブ・南京 』=同時代社)など、 衝撃と恐怖に満ちた本を精読すると、深く愛し合っている相手でさえ、 本当に大丈夫かと疑わしく思えてくる、 当時設立された日本の生物兵器研究部門、七三一部隊については、 ここで触れたくもないほどだ。 関心のあるかたは、じゅうぶん覚悟のうえ、関連書籍をお読みいただきたい。  (ジョーダン・ピーターソン『生き抜くための12のルール』)

このパラグラフのあとに、狩猟・採集民族(「未開人」)の残忍さが述べられる。ルソーのいうような文明化する前の人類は、文明後の人類と違って、無垢で高貴であるという認識を否定するのだ。とまれ、「未開人」の残忍性説明の前に、チンパンジーと人類の残忍さの代表として日本人の残忍さが述べられている。

ところで、「戦場にかける橋」[wiki](日本兵が「白人」捕虜を(も)酷使・虐待して橋を造らせる話)と「猿の惑星」[wiki]の原作者が同一人物であることは知られている。ピエール・ブール(wiki):フランス人。われらが日本軍の捕虜になった経験をもつ。実は、おいらは、両方ともきちんと全部を見たこと、読んだことはない。でも、なんとなく内容はわかる。<やつら>にとって日本人や猿が支配する世界というは全く驚愕すべき事体でかつ絶対受け入れられないことを前提とした話だ。ジョーダン・ピーターソンもそういう世界観の持ち主とわかる。白人の残虐行為は絶対目に入らないのだ。

この本では、新旧聖書が優れたものであり、指針となるべきものだという主張が基調である。一方、なるべきではないもの、その思想、その指導者として、ヒトラー、ナチス、スターリン、毛沢東が繰り返し指名される。ヒトラー、スターリン、毛沢東は底知れぬ恐怖が支配する体制の独裁者と認識されている。さらに、ナチス、スターリン主義者、毛沢東主義者が世界を堕落させ、地獄[*1]に替えたという。天皇ヒロヒトも一度出てくる。カンボジアのクメール・ルージュ(の大虐殺)も出てくる。つまりは、悪者・悪魔を明確化して、この本は進んでいく。

*1:本当の地獄を現出させるには、嘘が必要だ。という。

そして、良いものは、米国・カナダなどキリスト教国だ。言明していないが事実上は白人・キリスト教者たちである。なお、人種のことは触れていない。米国・カナダなどは先住民を虐殺、駆逐してつくった国であることは一言も言及していない。日本軍の南京大虐殺は論(あげつら)うのに。

ところで、著者ジョーダン・ピーターソンは共産主義を強烈に批判し、ソ連の共産革命後の残虐性、悲惨を語る。すなわち、ソ連の共産革命後、何百万人の富農がシベリアへ送られたこと、ウクライナでは飢餓が激しく発生したことなど。こういう共産主義の残虐さを大日本帝国はわかっていたので防共政策をとり、共産主義のチャイナ大陸への浸透を防ぐため満州国をつくった。日独防共協定はこういう背景での外交政策だ。一方、そのソ連を結んだのが米国である。それについてジョーダン・ピーターソンはいう;

残虐行為について 噂以上の情報がもたらされたにもかかわらず、 西洋の知識人の多くは、共産主義に対して 一貫して肯定的だった。心配すべきことが他にあり、 第二次世界大戦では、ヒトラー、 ムッソリーニ、 天皇ヒロヒトに反対して、欧米諸国とソ連が同盟を組んだ。(ジョーダン・ピーターソン『生き抜くための12のルール』)

これはほぼ嘘である。米国は早くからソ連政府を承認し、容共政策を実行し、あまつさえ、ソ連からの工作員を大量に米国政府内に許容していた。そもそも防共国家である満州国を認めなかったのが米英である。ジョーダン・ピーターソンはこの本で繰り返しスターリンと毛沢東の名を連呼し、「悪魔」扱いしているが、この二人を冗長させたのは米英(含むカナダ)である。

一方、キリスト教の擁護には熱心である。この本が出た後だが、カナダではカトリック教会が先住民の子供たちを虐待、虐殺していたことが明らかになっている(カナダで先住民族の子どもが集められていた「強制収容所」)。もちろんこんなことは公然の秘密だったのだ。なお、カナダは第二次世界大戦中の日系人の強制収容を、米国同様に行った。広島、長崎への核攻撃は米英加の大統領、首相の合意の作戦である。さらに、その日本への核攻撃を行ったカナダ政府の首相ウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング[wiki]は「原爆の使用がヨーロッパの白人ではなく日本人に向けられたのは幸運だった」と日記に本音を書いている(ソース:原文機械語翻訳)。

キリスト教に問題がなかったわけではない。 しかし、そうした問題は、全く別の深刻な諸問題が解決された後で 浮上したと見るのが適切だろう。 キリスト教によって作られた社会は、それが とって変わった 異教徒の社会に比べー ローマ人の社会と比べて さえー野蛮さがはるかに抑えられていた。 p235

 サタンは、 犠牲の拒否を象徴している。 傲慢で無骨、意地悪で 欺瞞、残酷で意識的な悪意だ。人間、 神、「ビーイング」に牙をむく 純粋な憎悪だ。自分がすべきことをじゅうぶんに知り、手を緩めようとしない。さらに、自分が何をしているのかを正確に認識しており、 破壊への欲望に取り憑かれ、 故意に、 思慮深く、 完全に実行している。善の原型である キリストと対峙して誘惑する。まさに悪の原型だ。万人が最も熱望するものを、 極めて過酷な条件のもとにある、人間の救世主に差し出す役柄にふさわしい。p228

白人・キリスト教徒の「想像を絶するほどの残忍さ」はなんら語られていない。

▼ 井上隆史『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』

三島由紀夫の人と代表作を鍵語句「虚無とセバスチャンコンプレックス」を通じて書いたもの。三島由紀夫は付き合う人によって見せる自分をとても変えたことが今では明らかになっている。三島由紀夫の伝記で有名なものは親しい友人であった村松剛の『三島由紀夫の世界』がある。これはもう「プロパガンダ」である。すなわち、三島は本気の同性愛者ではなかった、三島は議会主義者であったなど三島由紀夫は紳士的な山の手文学作家であったとの評伝である。もちろん、村松は三島の情宣局長であったわけでもなく、三島に頼まれてプロパガンダを書いていたわけでもない。ただ、三島は村松に見せる自分を演技し、事実上の情報操作をしていたに違いない。そして、三島はこいつはおれのことを書いて稼ぎにするのだから、見せたものを書くだろうぐらいの計算はあったろう。さらには、漏れてしまった同性愛事情などは山手の友人同士の礼儀として隠してくれるだろうと踏んでいたのだろう。一方、三島の死後30年を経て、当時の同性愛事情も明らかになってきている。

井上隆史『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』の三島伝は過去の三島伝を踏まえて、のちに判明した事実と三島の創作ノート、ノーベル賞選考過程の資料、そして作品の解読を通じて、さらに、上記の鍵語句「虚無とセバスチャンコンプレックス」での三島研究。

▶「セバスチャンコンプレックス」:この言葉を「つくった」のは澁澤龍彦。

この由来は、もちろん、三島の『仮面の告白』で主人公がグイド・レーニ(wiki)の≪聖セバスチャンの殉教≫(聖セバスティアヌス[wiki]の殉教)を見て、性衝動が横溢し勃起し射精したという記述である。

澁澤が新語「セバスチャンコンプレックス」をつくった理由は、三島の「道義的革命」という新語を解釈しなければいけなかったからだ。澁澤は三島のいう「道義的革命」とは自己処罰に結果する反逆であると解し、それこそ三島の「好きな」≪聖セバスチャンの殉教≫だろうというのだ。それを、「セバスチャンコンプレックス」と名付けた。

ところで、澁澤も井上も言及していないのだが、この絵画≪聖セバスチャンの殉教≫はゲイのアイコンなのだという。( ゲイ・アイコンとしての聖セバスチャン )

澁澤が新語「セバスチャンコンプレックス」の要は反逆と自己処罰であると云っている。一方、井上隆史は、この『暴流の人 三島由紀夫』では、暴力的な性衝動の意で使われていると註がある。暴流(ぼる)は、「阿頼耶識」を象徴的に示す「恒転如暴流」(つねにてんずるところぼるのごとし)に由来するとのこと。なお、三島の母親、平岡倭文重に「暴流のごとく――三島由紀夫七回忌に」(新潮 1976年12月号)がある(ソース)。

● ノーベル賞:サイデンステッカーの「拒否権」

三島由紀夫はノーベル文学賞の候補になっていた。本人も意識して、ある時期、受賞に執心していたらしい。自分の作品の英語への翻訳促進に努めていた。一方、川端康成の推薦状も書いてた(書かされていた?)。今となってわかるノーベル賞の選考過程での評価が、井上隆史『暴流の人 三島由紀夫』で紹介されている。すなわち、ドナルド・キーンは「現在の日本人の作家のなかでは、三島がもっとも優れている」と書いてとのこと。ただし、年齢の問題で谷崎、川端がいると指摘もしている。年功序列!

一方、今となってわかる三島が受賞できなかった理由は、サイデンステッカーの評のせいなのだという。「日本のもっとも将来有望な若き作家」に留まっているように思われると評価している。その背景は、サイデンステッカーが川端康成の翻訳を多数行っていること。つまりは、サイデンステッカーは川端を推していた。当然、川端受賞のため、三島をけなす。さらに、井上の指摘で興味深いのは、政治的問題である。

端的にいって三島の「右翼的」傾向へのサイデンステッカーの嫌悪。さらに、同性愛問題があるのだという。

ノーベル賞から話はずれる。三島は敗戦後、同性愛者の社交場、飲食店で占領軍兵士と交流があった。一方、米国本国では、当時、同性愛は公認されておらず、同性愛趣味の占領軍の軍人、軍属たちは、組織内では公表できない自らの趣向を占領地の巷で謳歌できていたことを示す。その米兵の同性愛者たちと三島はつきあいがあった。ゲイ・サークルを形成していた(銀座ブランスウィック (ゲイバー)[google])。かれらは当時の焼け跡の東京からアメ車で九十九里浜のへ遊びに行っていたそうだ。行先の浜の町は、漁民が裸で働いているから選ばれたらしい。『仮面の告白』を翻訳したウェザビー[wiki]はゲイ・サークルの一員であった。さらに、サイデンステッカーはこれを助けたらしい。さて、当時、同性愛は米国では公認されていなかったので、三島がノーベル賞をとれば、同性愛を語った『仮面の告白』の翻訳にサイデンステッカーが関わっていたことが明らかになる。保守的なコミュニティで生きていたサイデンステッカーはそれを恐れた。だから三島を評価しなかったというのだ。

ところで、三島が盾の会の観閲式で祝辞を述べてもらうことを川端康成に頼むと、きっぱり、速攻で断られた。これを三島は涙を浮かべ村松剛に話した(『三島由紀夫の世界』)。この川端康成が盾の会を拒否した理由は、サイデンステッカーから釘をさされていたからではないか?「右翼」的なものにかかわるなと。

井上隆史も指摘するように、『英霊の声』、『文化防衛論』、そして、『わが友ヒットラー』は、今でいうところの、政治的正しさ(ポリティカルコレクトネス)と調和的でない。ノーベル賞を遠ざけた。これを、三島はノーベル賞なぞ欲しいとは思わなかったと解釈するか、無神経だったと考えるのか、ひとつの問題だ。

三島はプライベートな事柄を描くように見えながら、射程を社会、時代、歴史の全貌に広げ、逆に、どんなに広い小説であっても、描かれる出来事は、すべて自身の身の上に起こった具体的な事実から出発してるのだった。(p187)

▼ 小谷野敦、『徳川時代はそんなにいい時代だったのか』

江戸時代について羨望の眼差しをそれは幻想だとわかっていて向けてしまう動機というのは、①江戸時代において初期の対バテレン戦争(島原の乱)と北方ソバージュ民との戦争(コシャマイン、シャクシャインの乱など)に限られ、主地域では事実上戦争がなかったこと、②ましてや大規模な対外制服戦争がなかったこと、そして、③化石燃料を使わず、経済(物質の循環)の持続可能性が極めて高かったことである。もちろん、この江戸時代の経済の生活水準を今の生活になれた日本人が耐えられることはないだろう。したがって、現在日本人の江戸時代評価は、欺瞞的なものである。すなわち、近代「文明」がもたらした暖衣飽食の安楽生活にひたって、都合のよい江戸時代を夢想してしているのだ。でも、なぜ、近代日本人(の一部)はつい夢の江戸時代を希求してしまうかというと、それは近代社会の基調であるパラノイアに疲れているからだ。パラノイアの典型が経済の拡大(経済成長)と戦争による「秩序」の確立=資本主義体制の世界化(植民地支配と帝国主義間戦争)である。

特に興味深かったのは、小谷野博士の西洋文明の摂取についての見解;

「私には、ルネッサンス以後西洋で進展した科学文明や、近代政治思想を、優れたものとして明治日本が輸入したのは、当然のこと」「私より若い世代でも、こういう屈託に取りつかれているひとがいて、保守を名のってみたり、反米を叫んでみたりしているのは、まったく意外だった。現在でも、西洋中心主義にこり固まって、日本の近代化を「サルまね」などと言う日本人がいるが、信じがたいことである。優れたものを取り入れることにサルまねもクソもないではないか。どうにもこじれたプライドと偏見の持ち主がいるものだと思わざるをえない。」

この見解はおいらの世界観とは違うと感じた。例えば、優れたと思って導入した近代政治思想としての明治憲法体制下で、その憲法の「欠陥」で(実質的に国家を責任ある<機関>が統制できず)滅亡したのが大日本帝国だし、優れた原子力発電所を「サルまね」して、すなわち、地震や津波がない地域で成立した技術であることを無視して導入したので、爆発させたのが近代日本だ。

▼ そして、奥羽越列藩同盟加盟国問題

酒井忠次の子孫は代々 左衛門尉を名のり、出羽庄内藩主だった。 鳥羽・伏見の戦いの前哨となった、江戸 薩摩屋敷の焼き討ちは 庄内藩がやったもので、薩摩の挑発に乗った形 だが、奥羽越列藩同盟に加わって新政府軍と戦った。 p125

愚記事:「会津は奥羽越列藩同盟に加盟していないし、ましてや、容保(かたもり)公は、その同盟の盟主ではない。」がある。要旨は「奥羽越列藩同盟とは東北諸藩が会津を救済するためにつくった同盟である。会津は同盟の目的の対象である。その対象者が盟主となることはない。」である。同様に庄内藩もそうである。小谷野博士は『名前とは何か― なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』では会津は奥羽越列藩同盟の加盟藩として、さらにこの『徳川時代はそんなにいい時代だったのか』では庄内藩を同盟加盟藩としている。

奥羽越列藩同盟の加盟藩については、会津と庄内を含める学説と含めない学説の2つがあるとのこと;

奥羽越列藩同盟に加盟した藩と,藩旗が知りたい。

「※会津・庄内藩の救解を目的として結成された性質上,会津・庄内藩は同盟に参加していないが,会庄同盟を結んでこれに連携したことから,本図では同盟加盟藩として扱っている。」との記述もあり。

■ 今週の購書

ブックオフで285円

 


東京・神奈川散歩:[前編] こどもの国⇒ 玉川学園構内⇒ 小田急線踏切⇒ 薬師池公園⇒ 自由民権資料館⇒ 鶴川駅

2023年11月10日 15時56分28秒 | 武相境

1.こどもの国駅;2.玉川学園台団地;3.玉川学園大学:4.小田急線踏切;5.金井1丁目交差点;6.薬師池公園;7.ぼたん園;8.自由民権資料館;9.鶴川駅

■ 都県境の「壁」を抜ける道


地図ソース

上の航空写真の+のあたりは自動車で通過できないことを示す図↓

こんなわずかな距離を自動車で通過できない。

自動車で移動するためには大回りしないといけない。

■ 都県境&小田急線沿いの大学:和光大、玉川学園大学

小田急線の鶴川駅と玉川学園駅の間には東京都と神奈川県の境界が走る。その境界を都県を越えて行く道は少ない。尾根があるからだ。このあたりには和光大と玉川学園大学がある。両大学は(おそらく)隣接している。横浜側、こどもの国駅から歩いていくことができる。ただし、道は簡単にはわからない。もっとも今ではgoogle mapでも確認できるので、よく調べれば行ける。

今回の都県境・小田急線越えは、玉川学園大学の構内を通過して東京都側へ抜ける散歩をした。

このあたりの散歩はこれまで何度かしたことがある:横浜・川崎・町田散歩;こどの国駅⇒川崎・岡上⇒鶴川。今回は途中までは前回と同じ経路であり、途中に右(北)は和光大学、左(南)は玉川学園大学という分岐地点があるところを、玉川学園の方へ歩いた。

■ 1.こどもの国駅 ⇒ 2.玉川学園台団地

 

玉川学園大学を出る。

▼ 都県境・小田急線横断散歩経路

▼ 玉川学園大学構内経路


マップリンク元(公式 web site


新しい街でもぶどう記録;第468週

2023年11月04日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第468週

■ 今週のよその猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実


そば畑 東京都町田市野津田

■ 今週のメタセコイア

▼ おもわぬセコイア

 

Furuta 公式 web site

『セコイヤチョコレート』は、ウエハースとチョコレートの絶妙なハーモニーが特徴的な、チョコレート菓子です。

商品名の由来は、世界一大きい樹木の一つである『セコイアの木』から来ています。『セコイアの木』は、ヒノキやスギの仲間で、高さ100mほどに成長する巨木です。『セコイヤチョコレート』という商品名には、子どもたちが『セコイヤチョコレート』を食べて『セコイアの木』のように大きく成長して欲しいという願いが込められています。(ソース:語源由来図書館)

■ 今週の初物

洋ナシ:11kg、3,840円。 山形県産。

■ 今週のどうぶつ・でんしゃ

こどもの国線、ひつじでんしゃ。 公式web site

■ 今週の死なない言葉:死語とならない言葉

アジトの語源は agitate=煽動するにあるらしい。振り込め詐欺し主導層は煽動はしないと思う。アジト=隠れ家くらいの意味か?

■ 今週の「(集めたら)とっとくポイント

とっとくポイント」概念の誕生。 「とっとくポイント再訪

■ 今週の非中華丼、あるいは、実は親子丼

かつや、天津飯チキンカツ。 公式web site. 天津飯はチャイナにないらしい。だから、中華丼ではない。そして、チキンカツ。でも、卵と鶏肉なので、実は、親子丼なのだ。

■ 今週返した本

三島由紀夫、『行動学入門』。文庫になっているようだが、昭和45年(1970年)刊行の単行本を横浜市立図書館から借りた。本の傷みがあるので、ケースに入れて、公民館に送られてきた。


三島の死の前の月の刊行だ。

三島は東大在学中、仏文研究室に出入りしていたとわかった;

私は今でも恥ずかしいが、学生時代、専門外の仏文研究室へ飛び込んで、
「先生、僕はゴーチェみたいのが好きなんです」
 などと、ゴーティエというべき発音を、ゴーチェ、ゴーチェと、ごっちゃごっちゃに発音しながら、得意げに宣言しましたが、そのじつ私はゴーティエなんか、一度も読んだことがなかったのでした。 
 それに対して仏文の先生は、まともに学問的な答えをして、
「あれはロマン派と自然主義の中間にでた作家だから不鮮明で、無視されがちで」
 などと、丹念に答えてくれましたが、どうして大学の中では頭のヘンな学生に対して、まともに答えなければならぬという社会的義務があるのでしょう。
 頭のヘンな若い連中の相手をしているのが好きな人たちだけが、先生という職業を選ぶのではないでしょうか? 「学校のおわり」、『行動学入門』、三島由紀夫

東大仏文の研究室で三島があった教官とは誰なのだろう? もしかして、渡辺一夫なのだろうか?ちなみに、三島の東大在学は敗戦を挟んだ時期。敗戦前は勤労に動員されていたので、仏文研究室訪問は敗戦後のことだろう。敗戦直後、三島は仏文にご執心だったのだ。表は日本浪漫派で、その実仏文派だったのだ。ラディケだ。三島は堀辰雄にも心酔していたらし。三島と仏文のことは、鹿島茂『三島由紀夫のフランス文学講座』(Amazon)に書いてある。

▼ 三島由紀夫ー渡辺一夫ライン

渡辺一夫は三島由紀夫の短編集『宝石売買』の序文を書いているとのこと。澁澤龍彦が『三島由紀夫おぼえがき』書いている;

「以前に一度、 三島氏には偶然にさる喫茶店でお目にかかったことがあります。 その際、三島氏は、平和論者というよりも 戦争恐怖者たる僕に向ひ、わざと『僕は戦争が好きなんです』と言われました。僕は大変弱りましたが、三島氏は戦争崇拝者ではないことは知ってゐますし、氏が戦争によって苦悩する人間を愛して居られることも、氏の哀傷も夢想も推量できます。しかし、氏の愛に価する人間性が 戦禍中にあるからと言って、『戦争をすきだ』などと仰しやるものではありません。それは悪いレトリックです」

なお、三島は渡辺一夫を口を極めて罵っていたそうだ。渡辺一夫の慇懃無礼と自己卑下が気に入らなかったからだという。でも、上記の渡辺の証言が本当だとしたら、三島は自ら戦争に行かなかったのに、上記のようなことを言ったこととになる。徴兵審査の時は誤診で兵役を免れたと三島は証言している。もしそうなら元気になった時点で志願すればよかったのである。本当は兵役を免れて安堵していたのだ。その点、 戦争恐怖者たることにおいて、渡辺一夫と話が合うのではないか?!

■ 今週の購書

「町田の歴史をたどる」500円(左)、福島次郎『三島由紀夫 剣と寒紅』、中古219円

■ 今週のわかったこと:林芙美子ー三島由紀夫

三島由紀夫が林芙美子について、「あんな馬鹿な女の葬式に行かなくちゃならないなんて、いまいましいよ」(google)といっているとネットで知った。2015年頃だ。林芙美子について調べていたとき、ふと三島由紀夫との関係を思いついて、ネットでググった。その時、両者の関係については、「あんな馬鹿な女の葬式に行かなくちゃならないなんて、いまいましいよ」とは林芙美子の葬式への参列時(1951年6月28日死去)に三島が言ったらしいことの情報のみがあった。ただし、その情報の出典などは不明であった。今週、わかった。福島次郎『三島由紀夫 剣と寒紅』にあった。福島次郎が三島の発言を聞き、記録し、公開したのだ。どういう点において林芙美子が馬鹿であったかなどについては報告されていない。なお、この頃、三島は『仮面の告白』など作品が売れ、目黒の緑ヶ丘に200坪あまりの三島の両親にとっても初めての自分たちの家を購入した(それまでは借家)。林芙美子はそれ以前からもっと売れていて、豪邸を建てて住んでいた。林芙美子は47歳で死んだ(心臓麻痺)。三島は、45歳。

⇒参考:ブログ「切られお富!」様 : 三島由紀夫が絶賛した林芙美子の短篇。