いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

サンファンバウティスタ号 -仙台参り2006⑤-

2006年09月30日 19時13分24秒 | 仙台・竹雀・政宗

宮城県慶長使節船ミュージアム

伊達政宗は、自領で造った船・サンファンバウティスタ号 で、家臣の支倉六右衛門をスペインに派遣し、奥州伊達家との通商条約締結を目論んだ。支倉はスペインとの交渉がうまくいかないので、ローマに行き教皇からスペイン王へ影響力を発揮してもらう戦略にでたが、結果うまくいかなかった。支倉は再び太平洋を渡り帰国した。

雑記
●基礎的前提として、スペインは、メキシコ→フィリピンと日本に迫っていたことを認識すべし。だから、通商はルーチン化すれば日本⇔フィリピンとなり、当時スペインは最も近い西洋だったといえる。メキシコは当時金銀が産出し、その鉱山技術と精錬・冶金技術が日本には魅力だった。

■メキシコ・スペインとの通商は家康が希望し自分で手がけていたが、交渉が決裂、政宗はその「落穂拾い」をした。政宗の造船と使節派遣には徳川家から向井将監が参加していた。

■サンファンバウティスタ号はスペイン航海士に操られ、黒潮に乗って、北米はカリフォルニアのメンドシノ岬に到達した。のち海岸沿いに航行、最初の目的地のメキシコはアカプルコに到着。これは1614年1月。米国建国神話となる、メイフラワー号でのピルグリム・ファーザーズが到着した1620年より前ということになる。

■こんな、今から見れば、漁船ほどの規模の船に、180人が乗って、太平洋を渡った。










大崎の復活 -仙台参り2006 ③-

2006年09月28日 20時50分52秒 | 仙台・竹雀・政宗


武家家伝 大崎氏 より
大崎氏は中世以来栄えた名門であったが、戦国時代という乱世にあたって優れた当主を得られず、家中の反乱をついに克服することができなかった。さらに、伊達政宗に降ったことで、中央との直接外交の途も閉ざしてしまった。一方、伊達政宗は傘下となった周辺の大名・国人らの頭領的立場で行動したため、大崎氏らとしても政宗に遠慮して独自に小田原に参陣することをはばかったと想像される。いいかえれば、みずからの運命を政宗に委ねたところに没落の要因があったといえよう。

伊達に滅ぼされた大崎の名前が21世紀に復活した。

この「大崎」の復活は、ある意味唐突とも言えそう。なぜなら、新生大崎市の、例えば高校など既存組織名においては、「大崎」の名が付いたものはひとつもない。これは「大崎」が地名ではなかったからだろう。旧地名でもない「大崎」の復活は、かつての領主としての「大崎」の復権を目指すものとしか考えられない。もしそうなら、なぜ?

思いつくところとして、県北人の仙台への対抗意識かな?県北ナショナリズム、というかセクショナリズムというべきだが、のシンボルに、伊達に対抗して大崎を持ち出した。

ウィキペディア(Wikipedia) 大崎市





今回、おいらがわかったことは、新しくできた大崎市は、鳴子→岩出山→古川と江合川という川が火山及び火山起源堆積物山地を侵食して形成した「溝」状の細長い平地上にあること。江合川流域ということ。そして、その流域は平地で広大な米作地帯。

溝」状の細長い平地は上の写真のピンク線で挟まれた地域。


大崎市の概要

政宗が、滅ぼした大崎の名を残したのが、大崎八幡宮。 過去の記事・『覗写・大崎八幡宮 』


岩出山 有備館 -仙台参り2006 ②-

2006年09月26日 21時07分00秒 | 仙台・竹雀・政宗

岩出山 有備館
岩出山は今でこそ宮城県「北部」であるが、江戸時代の伊達領(南は刈田・白石、北は江刺・気仙までの領土であった)の中央に位置した。これは現在の宮城県が旧伊達領より相当小さいことを意味する。

岩出山は政宗の「政庁」が12年間(1591-1603)あったところ。政宗は25才のとき米沢からここへ来て37才の時仙台に去っていった。仙台建都が政宗の権力の結実であるなら、岩出山はその権力を秀吉や家康と渡り合って作っていた時代の「政庁」だったこととなる。

ちなみに、家康は政宗が岩出山に入る前に秀吉の命令でこの地の平定のため来たことがある。岩出山を城にしたらよいと政宗に勧めたのは家康とされている。

その後、岩出山知行地1万5千石は政宗の4男宗泰が初代岩出山伊達家領となる。



岩出山伊達家の3代敏親、4代村泰にそれぞれ、冷泉為清(冷泉家12代1631-1668)の娘於妻、冷泉為綱(13代 1664-1722)の娘伊世が嫁いでいる。この時期に有備館が学問所としてできた。つくったのは上記3代敏親、4代村泰。


冷泉家からの品. 冷泉当主自筆の和歌







明治2年9月1日

最後の岩出山伊達家の当主伊達邦直は家臣を有備館に集め、蝦夷への移住を発表する。

これは戊辰戦争で仙台伊達家は敗北し、62万石が28万石へと激烈に縮減される懲罰が薩長「新政府」に決められ、仙台の伊達宗家は白石の片倉家など片腕をもふくめ親族の大半との主従関係を解消せざるを得なくなったからである。



岩出山旧伊達家家臣たちは、彼らは有備館で学んだ、現在の北海道は石狩の当別に移住するのであるが、開拓地においても邦直とともに歌会をしていたとのこと。

ちんぴら薩長の クロダキヨタカ クン(酒乱で細君を惨殺したとうわさされる)が北海道開拓庁長官であった時代である。



仙台参り2006 ①

2006年09月25日 19時18分22秒 | 仙台・竹雀・政宗
年に一度は行きたい仙台参り。今年は宮城県北部・岩出山、鳴子そして帰りぎわに石巻・亘理に行きました。



【岩出山・有備館】岩出山は政宗が仙台に移る前の居城。日本にあまたある「小京都」のひとつ。江戸期は分家の岩出山伊達家が統治。京都の冷泉家からお嫁さんをもらったり優雅な街。そんな街の藩校。冷泉当主の和歌の展示あり。庭が大きくきれい。この岩出山伊達家は戊辰戦争のあと蝦夷の当別に移住。その顛末の展示もあった。



【大崎の復活】
ちょうど稲刈り直前の時期らしく、黄金の稲が果てしなく広がっていた。この肥沃な土地の米が仙台伊達家の力の源泉。江戸期のある時期は江戸で消費される米の大半が仙台産だったらしい。今回の仙台参りの5年前以上の地図を参照して、かつたいして予習もせず、行った。すると、古川市もなければ岩出山町さらには鳴子町もなくなっていた。できたのが 大崎市。おお!。去年・今年は市町村の合併もめずらしくないので、そうかと思ったが、大崎市とは。大崎とは伊達氏躍進のまえに「消滅」した中世からの名門武家。



【鳴子温泉】
 鳴子温泉に泊まる。硫黄くさいのが特徴。



【石巻 サンファンバウティスタ号】
翌日は石巻に行って、前から見たかった、復元船サンファンバウティスタ号を見に行く。



【野蒜築港跡】
つくばに向かって南下。野蒜(のびる)築港跡に行く。野蒜築港跡は明治維新のあとすぐに大久保利通の決定で貿易港と産業地域をこの松島北部の野蒜に作ろうとした。が結局失敗。維新敗北後も運が悪いのがとーほぐ、仙台。



【はらこめし】
さらに南下して、亘理ではらこめし食べて、帰った。








マーブルねことの邂逅

2006年09月23日 07時24分30秒 | ねこ
邂逅;かいこう。思いがけなく出会うこと。


歩いていると、ねこ発見! マーブル柄なり。


近づくとごろにゃん。やたら体を地面になすいりつけ、
ぐるぐる・すりすりころげまわる。


「何だ! おまい」って言われた。


さわれた。


遊んでもらって、おいらは立ち去った。
振り返ると、見送ってくれていた。

さようなら。


逆立ちした国家主義者

2006年09月22日 18時55分18秒 | 日本事情

時事ブログ「グースの勿忘草」の記事・「国賊:大江健三郎の中国行脚」で知った大江の支那での言動。

日本は反省のない現状を改めるべき 大江健三郎氏、北京で講演 *註1


で、むしろ、おいらが考えるのは大江は「逆立ちした国家主義者」なのであってその思考構造は悪質なド反動分子そのものである。  

■まず、お手本である「ホント」の国家主義者の論理は、おまえたちは日本人以外の何者でもない。日本なしに日本人なし。日本人がいないということは、おまえたちは無に等しい。せいぜい、難民である。だから、日本を翼賛せよ!日本を誇れ!「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。すなわち、戦争になったらみんな出て死んでも闘え!特攻だ!玉砕だ!

■そこで、大江。おまえたちはお中国さまを侵略した加害者である日本人以外の何者でもない。日本なしに日本人なし。日本人がいないということは、おまえたちは無に等しい。したがって、日本人に生まれた限り、「たゆまず贖罪するとともに、そのためにたえず努力しなければならず、これこそ中国およびアジア諸国に対する日本人の基本的態度である」。だから、反省しない日本を恥よ!贖罪せよ!お中国さまにお布施せよ!

■なんことはない、両者とも日本人という理由で日本人を動員したいだけなのである。若い世代の自分たちに身のおぼえのないこと(中国侵略)や実感が薄いもの(愛国心)を処理するため、両者は「教育」を重視する。それが、昨今の歴史教科書をめぐる政治こぜりあいにほかならない。両者に共通なのは子供の知力や心情を粘土細工のごとくどうにでもなる思い込んでいることである。

▼大江は昨今の若い世代のウヨを、教育のない無教養なあわれなひとたち、ぐらいに思っているんじゃないのか。そういうサムザムしい根性が最近の若いネットウヨには敏感に伝わっているのである。

●大江の いか@サマ のところは、時事ブログ「グースの勿忘草」氏ご指摘のごとく、 【▼贖罪】 [1] 金品を出したり、善行を積んだりして、犯した罪をつぐなうこと。また、刑罰を免れること、であるなら、まずはてめーの邸宅を売ってお支那にお布施でもしろ!そして、てめーの身体ひとつで善行を積めばいいのである。

■そういえば、江藤淳は、「いつも重大な局面で大江はいなかった/逃げていた」と60年安保のときに、大江が北京にいって北京放送で日本人にメッセージを送ったことをなじっていたな。今回は安倍ちゃん選出で、逃げたのかな?大江がホントは隠れ愚民党員だったとしても、大江は逆立ちしてるだけだから、おいらは、おどろかないけど。

 → 
逆立ちしても持続する志 そして、持続するメガネ.

 → 
 逃げた!     捕まった! 持続するドモリ

 註1
日本は反省のない現状を改めるべき 大江健三郎氏、北京で講演

2006/09/10
 ノーベル賞受賞者、日本の作家大江健三郎氏は9日、北京で講演した際、日本はまったく反省のない現状を改めるべきだ、中日関係正常化の前提は日本国民がかつての戦争行為を深く反省することだと述べた。

 9月9日、70歳を過ぎた大江健三郎氏は5回目の訪中をした。そしてこの日の午前、中国社会科学院に招かれて講演した。少年時代に中国の作家魯迅の作品から大きな影響と啓発を受けたことから、特に魯迅が言った「絶望に始まる希望」を講演のテーマにした。

 6年前、大江氏は中国で講演した際、「われわれは未来に向かって、たゆまず贖罪するとともに、そのためにたえず努力しなければならず、これこそ中国およびアジア諸国に対する日本人の基本的態度である」と述べていた。

 6年後のきょう、氏は記者に、「極端な国家主義が国内で再び高まっており、このため日本の将来を憂慮している」と語った。

 今年8月、小泉純一郎首相は再度、靖国神社参拝を強行した。大江氏は、「終戦から61年後、先の戦争と大東亜共栄圏の名を正す活動がまたも始まっていることは否定できない」と語った。

 そして、「大部分の日本人がもはやあの不正義の侵略戦争の記憶をもっていない。われわれは強い逆風を受けている」と述べた。

 大江氏は、12歳で初めて魯迅の作品を読み、魯迅先生のいわれる「希望」の2字が生涯私の頭から離れなくなった。1960年に初めて訪中した後、中国に深い感情をもつようになったという。

 この数年、大江健三郎氏と日本の知識人はたえずデモや抗議活動を行い、氏自身はさらに、平和憲法を守るためにあちこち奔走している。氏の作品は文学の創造力を発揮し、戦後の日本史転換期の大きな社会・政治問題を形象的に描いて、「たたかいの文学」と称えられている。今回の訪中の際には、わざわざ南京大虐殺記念館を訪れて、生存者と会い、歴史研究者と座談会を開いた。

 訪中する度に、大江氏の気持ちは、「喜び余って重くなる」、それは将来に対して多くの疑問を抱いているからだという。日本の若い世代はまったく違った世界に暮らしている。本を通して歴史を理解できるだろうか、と。

 大江氏が訪中する前、唐家セン(王+旋)国務委員は8日、時事通信社の若林清造社長と会見した際、中日関係はいま歴史的岐路に立たされており、正しい方向をつかめるかどうかは、両国の根本的利益および地域の平和・安定と調和した発展という重大な問題にかかわると述べた。

 さらに、中国側は一貫して、双方が同じ目標に向かって努力し、中日関係を改善するよう主張してきた。中国はこのためすでにたゆまぬ努力を払っており、これからもそのようにする。目下の問題解決のカギは、今後の日本の指導者が賢明な決断をし、両国関係の発展に影響する政治的障害を徹底的に取り除き、中日関係の新たな1ページを開くことであると述べた。

 中国に着いたその時から、大江氏はたえず自分の希望を繰り返している。つまり日本が日本人に傷つけられた中国人と本当に和解できるよう希望している。

 「生きているうちにこの希望が実現するのを見ることができないかもしれない、それでもなお期待している」、氏はこう語った。

 (北京9月9日発新華社)



くろ・うめ変則フォメーション

2006年09月21日 19時54分50秒 | ねこ


くろ・うめ変則フォメーション

■『資本論』を読んでいたら、

地獄への道はよき意図をもって舗装されているのであって(長谷部文雄 訳)

とあることに、今更ながら、気づいた。 第5章 労働過程と価値増殖過程、 第2節 価値増殖過程.

「地獄への道は善意で敷きつめられている」というのはレーニンの警句かとばかり思っていたら、『資本論』にあったのね。そこで、じゃー、マルクスは自分で考えたのか?どこからか持ってきたのか?調べた。

わかってきた。  ブログ・本に溺れたいの記事・「地獄への道は善意で敷き詰められている」

この文、英語表記では、

  The road to hell is paved with good intentions.

という。で、この文章で丸ごと、検索をかけてみると、サミュエル・ジョンソン(18世紀後半英国の文筆家、辞書編纂者)が言っていたらしいことがわかった。


でも、異説もある。ブログ・うつせみ日記 の記事・「地獄への道は善意で舗装されている」は誰の言葉かではダンテ説など。

■で、ばかサヨは、小泉改革を評して「地獄への道は善意で敷きつめられている」と、いかにもサヨって、ものいいをするだろうな、とgoogleをみた;

Google; 地獄への道は善意で舗装されている 小泉

●ちなみにマルクスがどんな文脈で「地獄への道は善意で敷きつめられている」という句を使ったかというと、労働力商品を買い入れて物を生産した<まぬけ者と設定されている>資本家が生産物価値と投入資本価値が等しいことに「びっくり」する。つまり儲けがないと<思ってしまう>。そこで、労働者を雇った生産などやめて、工場を売って投資する方がいいやと思ってしまう。その「労働者を雇った生産などやめて、工場を売って投資する方がいいやと思うこと」が善意、そして、投資に失敗して破産するのが地獄。

ここで、<まぬけ者と設定されている>資本家というのは、労働力商品の交換価値と使用価値の違いがわからない資本家以下の存在のこと。本当の資本家は労働力商品の交換価値と使用価値の違いにもとづき、労働者を「搾取」して資本を増殖させる。

つまり、マルクスによって地獄におとされた御仁は、<まぬけ者と設定されている>いか@サマ資本家であることに注意。




今、どこにいるの!? 地獄? 天国?


地獄(but 焼死体除去のあとよ!)を散歩













ススキと秋空

2006年09月20日 19時45分26秒 | 草花野菜


--「もう、女の価値は美にはないわよ。自分の妻は美しいことより、医者であるとか、
金持ちであるとか、有名な画家であるとか。女の価値は変動しました」--


遥洋子が伝書する上野千鶴子の言。 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』より


■『結婚できない男』で阿部ちゃんはお医者と結婚してしまった。建築家と女医の結婚という、ドラマの設定ではあるが、上記上野の言う意味を感じ取った視聴者はどのくらいいるのかな? それとも、二人は痴話げんかもしあうというキャラで結婚に至ったと思っているのかな?

なぜ、夏川結衣がコンビニの店員や車屋の売り子でなくて女医の設定なのか?なぜ、阿部ちゃんの近所に住むブル所有の若い女性が女医でない設定なのか?あるいは、そんなことはどうでもいいのか。

おいらは、建築家と女医の結婚という社会的意味の方が、痴話げんかをしあう仲というキャラクター的意味より、現実感がある。

ドラマの感想で、このことに言及しないのも、不自然な気がした。

PS;上野「理論」に従うなら、あの女医の役は夏川結衣ではなく、光浦靖子がやって、それでも阿部ちゃんは「女医」を選ぶにすべき。






栗の実

2006年09月19日 20時38分03秒 | 草花野菜


栗の実。 花の頃はこちら。

ブログも3年目だとネタは定番となってくる。この後はキンモクセイ、彼岸花の季節と続く。

つくばは市街地でも栗畑がやたらあり、かつどうやら栗の実は熟れ放題、こぼれ放題。これは土地持ちが農作地扱いに土地を登録して維持しているためと、おいらは邪推している。無意味な芝地も多い。すなわち、伸びると刈るが、芝をはがして出荷することのない芝畑がつくば市街地には目立つ。