いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 50週目

2012年03月31日 07時56分42秒 | 草花野菜


 - うめの木の枝にからむぶどうのつる -

 

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今日の看猫 2012/3/28、そして、小ネタ集

2012年03月28日 20時00分15秒 | ねこ


今日の看猫 2012/3/28、 精悍なうめちゃん。 打倒まめ さん。

このうめちゃんのイメージに対し下絵がぐるぐる脳内でうずまいているおいらは、やはり、アタマおかしい。
 Portrait of a Cardinal (Raphael)
この絵はプラドのメインストリートにある。ひときわ目を引く作品。

■小ネタ集: 札幌篇

●変わらない札幌の風景。


札幌駅前通り、玉屋前。 少なくとも30年前から、変わらない。ただし、昔は衣替えはなかった。

● その30年前からあった「焼きそば弁当」。
内地の人は「焼きそば弁当」を知らない、と初めて知る(びっくり)[wiki]。

■ 関東篇

●JR常磐線にて; 若い二人は夢中になれるから、狭いシートで、TDLの疲れに身をゆだねる...

■ 蛇足、仙台篇

★ リバーサイド英数教室

四半世紀前、仙台は広瀬川湖畔、大橋のちかく、旧琵琶首丁あたりに、「リバーサイド英数教室」(の看板)ってのがあった。

散歩のとき、その看板を見るたび、~♪~リバーサイド! リバーサイド!~♪~と脳内で響き渡った。

昭和の話さ。

 


江戸時代の筑波山麓 『非正規'賃金'労働者』、仙台伊達家足軽

2012年03月25日 20時47分51秒 | 筑波山麓

筑波山麓 江戸時代の子供手当」に続く、江戸時代の筑波山麓 『非正規'賃金'労働者』。
(元ネタは『龍ヶ崎市史』)

■福沢諭吉は「身分制度は親の敵(カタキ)である」と言ったとされる。この言葉を今の人が理解するには、諭吉の時代の常識を知っていなければならない。つまりは、親の敵(カタキ)とは何よりも憎むべきものであり、切って捨てる責務が子供にはあるということ。身分制はそれほど存在してはいけないという悲痛な叫びを「近代」"日本"にしたはずだった。

でも、「平成」の日本において、身分制度はむしろ蔓延しているだろう。実情として。「平成」を掲げたあのおじさんちからしてそうだ(⇒愚記事:子供たちには未来がある)。"自由" ’民主’党って悪い冗談にも程がある。封建世襲党にすればいいのに。そうすりゃ、おいらは応援するぜ。

世襲問題ばかりでなく、賃金労働者の間の身分制もはげしい。正規労働者と非正規労働者。非正規労働者は、その組織の雇用の調整弁として利用されている。

筑波山麓にはたくさんのポスドク研究者がいる。そのポスドク研究者は学術・研究組織における非正規労働者である。多くのポスドクは、正規労働者であるパーマネントの研究者さまにexploitされている。独立した研究者としてのポスドクの割合は少ない。

そんな【ポスドク崩れ】で、今は「大企業」でバイトのおいらは、ポスドク問題で愚痴を言いたいわけではない。

ただ、江戸時代にもそんな"非正規な人たち"が、筑波山麓にはいたんだなぁ、ということに気付いたんだというお話。

「変わらないぬっぽんマンセー!」という極めて"保守"的なぬっぽんを寿(ことほ) いでみよう。

■ 江戸時代に仙台の伊達家は筑波山麓-龍ヶ崎に領地を持っていた。仙台伊達家常陸領一万石。あちこち飛び地ではあったが、筑波山麓は、吉沼、西高野、大砂。上図の「筑波郡」の地域。のち大穂町。現在つくば市。常陸領一万石の管轄は仙台藩の龍ヶ崎陣屋。その他信太群(現在の阿見町⇒仙台藩領阿見地域)が仙台領だった。

伊達家はこれら常陸領を治めるにあたって、足軽を現地で55人採用した。 江戸時代の非正規"賃金"労働者!

もちろん、支払わるのは貨幣ではなく、お米なので、"賃金"労働者ではないのだが。

足軽は身分としては微妙である。正式な武士ではないらしいから。端的に言って、苗字帯刀の権利なかった。ただし、1777年から足軽組頭は苗字御免。

仙台藩では、藩士が門閥(一門・一家・一族・着座・宿老・太刀上)・大番士・組士・卒に分けられているが、士分は番士以上で、足軽は卒待遇であった。

採用された55人の足軽たちは地元の農民である。仙台伊達家の常陸領一万石受領は1634年。55人の足軽の内訳は、龍ヶ崎足軽が33人、吉沼足軽が22人。吉沼足軽の22人は、1677年から採用された。足軽は世襲と任命の両方。足軽は、幕末まで続く。

足軽の任務は、治安維持、年貢催促、普請の指揮、定期市の差配、仙台からの江戸廻米御用、江戸藩邸の御用など。勤務以外は農業に従事していた。

仙台からの江戸廻米御用とは潮来勤務のことだろう(⇒愚記事:仙台がし)。

賃金である 扶持(ふち) は、ひとりで1年に4石。つまり米 600kg だ。強引に今の貨幣価値に直すと、お米を1キロ=3000円と計算して、18万円。江戸時代の足軽さんの年俸は18万円。さすが、これではポスドクの方がましか。もっとも、年600kg ということは4人家族としては1日ひとり当たり400g。つまり、ひとり当たり1日、2.7合。お米だけの視点だと、余裕だ。

それにしても、仙台伊達家の足軽になろうとした人たちの動機は何だったんだろう?史料解説には書かれていない。

当時の時代を考えれば、仙台伊達家は尚武の誉れ高く、石高も表高で62万石、実際は100万石あったとされる。そして、百万石の前田家と比べても、伊達家は武闘派だった。武力と経済力の総合の実力は徳川家の次だったはずだ。スケールのオーダーは違うけど。徳川は800万石だ。

筑波山麓の足軽さんたち。そんな「ブランド」の伊達家と知っての足軽志願だったのか? 全然そんなこと関係なかったのか? 興味はあるが、史料解説は語らない。

ただ、足軽採用は結果採用された人数よりは希望者の方が多かったとある。そして、推挙は村役人がしている。ということは、足軽は統治者ではないのだ。あたりまえだが。自治を実効的に行っている村が、たまたま仙台藩領になった、だから人役供出をしたというイメージか?

足軽、得意の絶頂?

あの独眼竜の政宗、自ら、龍ヶ崎や阿見に来た。自分の領地の視察。

その後、五代目の藩主・伊達吉村(wiki)は、陣屋があった龍ヶ崎はもちろん吉沼にも来た。

 伊達吉村@伊達騒動後の「中興」の藩主。

享保一三年(一七二八)の伊達吉村の龍ヶ崎訪問は、初代藩主政宗以来のことであったので、足軽や村役人が是非にとお目見えを願い出ている。(中略)また、佐々木左七郎の取り次ぎで、知行地境において御小姓組平大八郎が伴っていた龍ヶ崎足軽組頭二名・並足軽二名、吉沼足軽組頭二名・並足軽一四名のお目見えが行われた。

足軽その後;

何と、江戸時代中半―後半は足軽の「給金」は、商家への徒弟奉公より少なかった。だから、成り手が減少。今、どこかで聞く話じゃないか!

そして、幕末。維新。仙台伊達家の常陸領一万石の統括所の龍ヶ崎陣屋は打ちこわしに遭う。幕藩体制の瓦解。

まとめ

ポスドク諸君よ!、君たちこそ足軽の系譜に続く底辺非正規(半端なメンバーシップ)という ぬっぽん の身分差別の文化の中で保守本流なのだ! おめでとう!

 

 


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 49週目

2012年03月24日 09時09分10秒 | 草花野菜


  ― 自縛するブドウ ―

 

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大卒の就職; たけしの錯誤、おいらも誤解

2012年03月21日 19時16分23秒 | 日本事情

 ― 会議が終わって私はホテルの明るくて広くて長い廊下を歩いていた。何時の間にか私は元文部次官の木田宏氏と並んで歩いていた。私は彼とロンドンでも会ったことがあった。当時は文部省が私立大学の増設、拡張に熱心であり、あまりに熱心なので私は、文部省は天下り先として私立大学を開拓中なのかといぶかったりした。私は木田氏に「私立大学を拡充するのはいけないことだ。少子化が進行すると、やがて生まれた子供は皆大学にくることになる。それでは小学校と同じ顔触れを大学の先生は教えねばならないから、高等教育などできるはずはない」と言った。当然のこととして彼は文部省を激しく弁護した。
 二人の声は高くなった。木田氏は「大丈夫だよ。森嶋君。進学率が六五パーセントになっても、ちゃんと大学教育はできますよ。アメリカでもやれているんだから」と言った。 
― 森嶋通夫、『なぜ日本は没落するか

■四十半ばでバイトのおいらが書いてみる。

たけし@おフランス叙勲の天下人さまが、おっしゃっている;
ビートたけし「大卒就職率の低下はバカ大学が増えたから」


確かに、大学進学率は上昇し、いわゆる「Fラン大学」というのも続出しているので、そういう大学を出ても昔ながらの価値観の大卒用の職はないらしい。その点、上記のたけしの指摘はそんなに間違っているわけではなさそうに見える。

でも、実態は違うと、おいらは最近知った。たけしは、下位大学についてその就職難を言っている。そして、「レベルの高い」大学は問題ないかのような認識だ。違うらしい。最近は昭和末期の価値観でのいわゆる「銘柄大学」でも「大企業」に就職できるのが多数派ではないらしい。これにはおいらは気付かなかった。


出典;http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3865.html

一橋大学の50%を筆頭にあとの大学ではのきなみ「大企業」への就職率が30%程度である。このデータには大学院進学者は除いてある。理系を有する「銘柄大学」は大学院への進学が1/3に及ぶ。その分は最初から考慮してある。ただし、官僚や教師など非民間部門への分は考慮していない。その分の見積もりをしないといけない。それでも、東大はともかく、民間企業と同数ということもないだろう。したがって、「銘柄大学」を出ても、「大企業」に就職できるのは半数以下なのだ。

知らなかった。

そもそも、「大企業」の定義は不明であるが、どうせ「賃金労働者」になるなら「大企業」の正社員さまが圧倒的に有利であると、よんじゅうなかばで、「大企業」でバイトしているおいらの実感である。

世間知は言っている;

大手企業はたくさんの子会社孫会社、数千の取引先企業によって支えられています。生かさず殺さずの方法で。その中で大手企業が傾けばまっさきに我々弱い立場の者から切られていきます。 

おいらのバイト先のメーカー(従業員何万人、売上何兆円)の銘柄大学卒の40歳代はピン・キリ。でも、給料は倍半分どころか、30%も変わらない。部長を目指す課長さんは有給休暇を取ることもなく働く。一方、出世に興味のない御仁は土日を含め年間140日(以上)休む。だから、「大企業」の正社員さまにもぐりこんでしまえば、お貴族さま同然だ。ノン・ワーキング・リッチってホントにいるんだよ。

基本的に「大企業」の正社員さまがぬっぽん産業の中核なのであって、そのお貴族さまに塁が及ばないように、非正規従業員だの、子会社だのが完備されていることはいうまでもない。

●「就職コア層」という言葉があるらしい。「大企業」の正社員さまなどぬっぽん産業の中核となる人々だ。2万人とも7万人ともいわれる。仮に10万人として同世代の10%。大学進学率が50%として、大卒者の20%だ。

いわゆる就職氷河期の前、昭和の価値観が残っていた時代は、大学進学が「身分リセット」といわれていた。事実、バブル期は大卒全員が「大企業」の正社員になれたし、就職氷河期の前で、「銘柄大学」で「大企業」に行かないひとは、公務員や教師、大学院進学、そしてよっぽど自分の考えがある自覚的選択をした"変わり者"だった。

それが、今じゃ、銘柄大学卒で半分も「大企業」の正社員になれないのか。それで、就活が「身分リセット」となっているのだ。だから、みんな必死だ。

最近の学生の就職で親が変なことをいうというのが問題とされている。すなわち、有名企業じゃないと就職する価値なしと判断する親たちがせっかくもらってきた中小企業の内定にダメ出しする例。

昭和の価値観、バブルの残滓なんだっちゃ。

その程度の認識だったんだ、おいらは。

 


札幌駅前通り、その どんつき は中島公園。そして、赤黒い ケンペーくん についてのささいな情報

2012年03月18日 18時39分46秒 | 札幌

 図1
    - 札幌駅前通り、その どんつき は中島公園 -

トンネルを抜けて海が見える道をそのまま走って、どんつきにあるのが三笠公園というのは、横須賀のことらしい。

おいらは、まだ行ったことがない、横須賀。三笠公園って、あの東郷平八郎の戦艦三笠がある公園なんだろう。

いつか行きたいと思ってはいるが、しばらくやめとく。なぜなら、NHKの坂の上の雲に刺激されたお調子者どもがあふれていそうだから。

さて、札幌駅の南口に降りると、駅前通りが南に伸びる。遠視力のいい人なら"すすきの"が見える。

そのまま進んいけば、どんつき。中島公園だ。 図1で信号の向こうが木々で遮られているが、かすかに見える建物は、1983年1月9日に中川一郎が首を吊って死んだ札幌パークホテルである。 昭和の成仏のために闘っている愚ブログの今日のお題は、もっと昔の話だ。終戦直後の札幌のあるケンペーくんの話。

 横須賀の三笠公園には、たぶん東郷平八郎の像がそびえたっているに違いない。残念なことに札幌中島公園には、槇枝元文陸軍憲兵中尉殿の像はない。当然だが。

槇枝元文さん;

「北朝鮮」には泥棒がいない。泥棒とは富の片寄ったところに発生する。この国には泥棒の必要がないのである。泥棒も殺人犯もいないから警察官もいない、などの発言で有名な、ミスター・日教組と呼ばれた御仁であることは言うまでもない。

Wikipediaにまとめてある;

また、日教組委員長時代の1973年に訪朝した際、北朝鮮人民の生活について「この国は、みんなが労働者であって資本家、搾取者がいない。だから、みんながよく働き、生産をあげればあげるほど みんなの財産がふえ、みんなの生活がそれだけ豊かになる・・・この共産主義経済理論を徹底的に教育し、学習し、自覚的に労働意欲を高めている。またこのこ ろは、労働-生産-生活の体験を通して現実的にも実証されているから国民の間に疑いがない」「生活必需品はべらぼうに安い。ただも同然である。したがって 生活の不安は全くない。だからこの国には泥棒がいない。泥棒とは富の片寄ったところに発生する。この国には泥棒の必要がないのである。泥棒も殺人犯もいな いから警察官もいない。交通整理や怪我人のために社会安全員が街角に立っているだけ」と北朝鮮の体制を賛美する記述もしている[4]  [wiki]

そんな、北朝鮮マンセーの槇枝さんは、日帝憲兵だったのさ。

私ごとで恐縮だが、中高生時代を絶頂期として、おいらは 日教組が大嫌いだった。嫌いに至った理由は自己分析しているが、家で親が反日教組であったとか、他人から吹き込まれたとかそういうことではない。厳密にはそういうことはありえないのだが、自分で考え至ったのであった。そして、そのことは他人には言わなかったし、言えなかった。1970年代後半1980年代前半の北海道(日本全国そうだったであろう)は、日教組を罵倒することは、"右翼"であり、"軍国主義者"であるという「空気」であった。

当時、札幌の中心街はいつでも"右翼"の街宣車が走り回っており、今から思うと二十歳まえのおにいちゃん、小学生の頃のおいらの目には怖いおにいちゃんが、走る街宣車の上にいた。しばしばおいらは、手を振った。するとほとんどの今から思うと二十歳まえのおにいちゃんは手を振り返してくれた。"右翼"の街宣車の掲げるのは北方領土返還と日教組撲滅であった。

 小学生のころから日教組を呪っていたおいらであるが、もちろん、思想的なことはそんなに詳しくしらなかった。ただ、おいらが彼らをあやしいと感じたのは、彼らの"眼つき"がおかしいというものであった。そして、当時の彼らの頭目が槇枝元文であり、その"眼つき"がとんでもなくあやしいとおいらは直観したのだ。当時そういう言葉はもっていなかったが、のち得た言葉でいうと"スターリニストの目"だ。1980年代中半、つまりインターネットなぞまだない時代でも、日教組の槇枝(元)委員長は、北朝鮮マンセー!の言辞を吐いていたことは公知であった。おいらは知っていた。やっぱりね、"眼つき"がおかしいし、当然だろう、と思った。でも、何かもうひとつ奥があるのではないかと睨んでいた。そう睨んだ背景は、戦後の日教組というのは元軍国教師どもが起こした運動であり組織だからだ。

果たして、ビンゴ!の事実がわかった。1989年に刊行された田原総一郎・栗本慎一郎、『闘論 二千年の埋葬』にあった;

田原: ぼくは前の日教組委員長の槇枝元文さんにインタビューしたことがあるんです。あの人戦争中、憲兵だった。

栗本: あ、そうですか。

田原: 憲兵中尉ですよ。それで彼に、あなたの戦後のスタートは何ですかと聞いたら、アメリカです、アメリカに感動したっていうんです。
 戦後アメリカが進駐してきた。自分は憲兵だから、当然極刑を受けると思った。そうしたら、自分と同じ歳ぐらいの、若い中尉かなんかがやってきてね、お互い国家のためにやったことだから、あんたに罪はないですよ、ものすごく紳士的に扱ってくれた。あ、デモクラシーというのはこれだなと彼は思ったそうです。
 そのあなたが、どうして反米になり、社会党になったんですか、といったら、それはべつにたいしたことじゃなくて、日教組をつくったときに、自民党は相手にしてくれなくて、いや敵視して、社会党が相手にしてくれたっていうだけの違いなんだって(笑い)。そこには原爆も何もない。これはやっぱり、槇枝さんがおかしいんじゃなくて、日本人のパターンなのね。

 この槇枝さんが日帝憲兵だったと知ったときの衝撃は忘れられない。ビンゴ!ビンゴ!ビンゴ!と脳内で響き渡った。

槇枝元文さん@日帝憲兵⇒日教組委員長⇒総評議長⇒北朝鮮から叙勲@@眼つきおかしい@@@息子の名前が「(かずおみ」。⇒赤黒さ、噴出!

■そして、中島公園。

この話を最初に知ったときはわからなかったが、槇枝さんが憲兵をしていたのは札幌であった、と最近知る。

おいらが生まれる20年あまり前のことだ。当時8歳や5歳だったおいらのとぉちゃん、かぁちゃんは、"兵隊さんありがとう!"と、けなげに手を振っていたのかもしれない。ちゃんと、憲兵中尉殿は手を振り返してくれたのであろうか?

戦前の札幌で、憲兵隊を配下に置くはずの北部軍司令部が中島公園にあったらしい(⇒札幌と終戦)。そして、敗戦後米国占領軍は中島公園に進駐する。

札幌に占領軍が進駐するのは、10月になってからだ。

 昭和二十年十月四日、まず米第八軍九軍団の六千名がバーネル少将の指揮下に函館港に入港、つづいて北海道進駐米軍最高司令官ライダー少将および七七師団長ブルース少将が部下八千名をしたがえて小樽港へ向かった。
 翌五日、小樽は薄曇り、札幌は曇りのち晴れ、高くやがて晴れあがった秋日和。
 (中略)
 小樽から札幌へは海岸ずたいに三十七キロ、午前七時すぎには早くも先発のトラック四台が札幌へのりこみ、日本側の先導で、中島公園内の元北部軍司令部あとの建物に入った。つづく車両の進駐軍は手に手に自動小銃をにぎりしめ、鉄カブトをにぶく光らせながら、その前日市役所が労務者を動員して掃き清めた北一条のアスファルトの道路を通過してゆく。 (奥田二郎、『北海道米軍太平記』)

 

なので、上記の田原総一郎のインタビューで槇枝さんが答えた米軍将校との邂逅は秋の札幌、昭和20年のことである。

日帝憲兵の槇枝元文陸軍中尉が札幌のどこで占領軍から武装解除を受けたかは、どうやら中島公園ではないらしい。おそらく、月寒の北部軍管区司令部なのであろう。

占領軍に殺されると思ったが、やさしく赦され感激する元文さん。 憲兵の所業は無罪放免。

そして、戦後は学校教師。日教組幹部として、北朝鮮礼讃、長年に渡る日朝友好親善への貢献により、北朝鮮から国際親善賞第1級の勲章を授与と、その後の拉致事件看過も「許されている」。

すごい無責任男だ。だれかと、無責任男日本一を争っていたつもりなのだろうか? 中尉の大元帥さまへの下剋上!?

戦争中は「日の丸・君が代」を蔑ろにするものを摘発し、戦後は「日の丸・君が代」を蔑ろにすることを以って正義とすることで、昭和の御代を、身過ぎ世過ぎをしてきたのだ。どうか成仏せず、地獄に落ちてほしい。

でも、上記インタビューの「なぜ反米に?」への答えはあやふやだ。赦してもらって殺されなくてよかったというのは事実の半面なのではないだろうか?赦すということこそ実は最も深い意味での侮辱であると無意識に感じているのではないだろうか?

あと、この後槇枝さんは故郷の岡山に帰るはずである。空襲を受けなかった札幌は実は戦禍を免れたのどかな街であった。岡山への帰郷の途上、壊滅した都市が連続する東海道、山陽道を通ったのであろう。そこで、初めて戦禍を目の当たりにしたのではないだろうか?敵の悪行を目の当たりする自分と、その敵に赦してもらっておめおめと生きている元憲兵中尉の自分。アタマおかしくなって当然だ。

■軍人と教師

でも、軍人、憲兵が教師になるって、おいらは、別に違和感はない。その体質って似てるだろう。

未成熟な近代社会では、純粋まっすぐで、余裕のない"ビンボー人"がなりやすい職業だ。

(例えば、従業員を何人も使う船大工の息子である、あるプチ・ブル子弟は言っている;「わたしは、よくよく食うに困らないかぎり教師になるまいと思っている」[1])

軍人も教師も両方とも、商売とお金を憎悪している。だから、北朝鮮を好きになる。そして、英雄崇拝もその共通する属性だ。

乱れた世相を憂えている。

今でいうと、ホリエモンとか大嫌い。ケンペーくんとなって斬りまくるのだ。

 


[1] 吉本隆明、「現代学生論―精神の闇屋の特権を」、現在、『擬制の終焉』に収録。


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 48週目

2012年03月17日 10時49分43秒 | 草花野菜

 

近所の畑にキジ。

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札幌、あれこれ

2012年03月14日 22時00分54秒 | 札幌

■きつね


キツネを人の生活圏に近付けるな⇒さもないと⇒キツネ狩りの必要性
⇒素敵さ、ただ生きて戻れたら...

■札幌で雪に傘をさす人;内地の人なのかもしれない?

■すべり止め砂@自由にお使いください;
(受験会場に置いとくべき?)

■新種? 白ざんぎ


頭上注意! カラス子育て中

2012年03月11日 19時04分50秒 | その他


  -札幌、南8条西2丁目付近。― 
都市派カラス;~♪~カラスは山に~かわいい七つの子があるからよ~♪~、というんじゃなんいだ。


■3.11、1年。

図1図2
実は、まだかたずけが済んでない。怠けものだからだ。

 
この部屋は毎日の勉強部屋なのでかたづけた。でも、本置き場にしていた残り2部屋(図1-2)は、まだかたずけが済んでない。特に、引き戸の押し入れの中。押し入れの中で棚が倒れ、崩壊している。かたづけてない。


▲瓦礫問題

津波で生じた海岸の街の瓦礫の問題ばかりではない。日本中枢の崩壊した"瓦礫"である。

今回の震災で露わになったことは、津波による直接的な自然災害と、原発災害。原発災害は、その出来を許したこれまでの政府の管理のでたらめさと震災後の危機管理のずさんさの両面で、真実が露わになった。日本政府は瓦礫だって。

「保護国」の米国さまももとより承知。(⇒米、日本の対処能力疑う

藤沢数希さんは、「原発を再稼働しないことは非常に愚かなことだ思っている」といっているが、”日本は非常に愚かなので、原発を再稼働できないし、すべきでもない"、というのが実態だ。記録も議事録も残せない”土人”には原発を稼働させる権利はない。

フクシマと同じ原発GE社製 "マークI" の"文明人"の使い方⇒同じ原発を持つスイスと日本。日本の原子炉爆発をスイスはどう見たか?

その土人さんたちの「頭脳」について。

●本物の瓦礫は津波で生じたが、ぬっぽん・科学技術者さまの瓦礫化は自壊である。

瓦礫と化した44万人ぬっぽんずん科学研究者

⇒ 34 学会(44 万会員)会長声明

外国メディアの風評による被害を批難するが、「メルトダウンは生じない」など安全デマを流布させていたのは、声明の学会に所属の学者さまたちである。

近代日本史上未曽有の東日本大震災とそれに続いた福島原子力発電所の事故により、今日の科学・技術の限界を痛感しております。

とひとこと殊勝ぶったことを言い訳としてすましている。

近代日本史上未曽有と稀な天災として逃げを打っているように見えるのは、おいらのひがみなのだろう。

今回の地震のマグニチュードは9であり、日本の地震学の「想定外」のことであった。原発の設置・運営には生じうる天災の見積もりが不可欠である。さもないと安全対策ができないからだ。結果的に(津波を対象とした学問としての)日本の地震学はそれをできなかったことになる(⇒▼今夜のレクイエム; watch your step!を怠った仙台住居歴ありの専門バカ、理学部教授の地理・歴史知らずの悲しさにおもいを寄せましょう;) [1]。

そういう状況で、その地震学を含む、一般社団法人日本地球惑星科学連合会長東京大学教授木村 学さま、をはじめぬっぽんの科学諸学会の会長さまたちは、つらっと、今日の科学・技術の限界を痛感しておりますですまし、今に至るまで安全デマを始め事実誤認、データ隠蔽、や「天災予想」もできないのに地震学会が政府に安全指針を「提言?」してきたことなどにほっかむりしている。

そもそも、津波以前に、科学や工学がなんであるかよくわかっていない学者さまが経済産業省総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会の部会長である。

そして、食税研究者さまはいつだって、俺たちがいないと日本が滅びる!である。

 
    -瓦礫も山のにぎわい-

上記、一般社団法人日本地球惑星科学連合会長東京大学教授木村 学さま、もいっている;

このままでは国が滅びる!

そうかね? 知性のないぬっぽん研究者さまたちが日本瓦解に拍車をかけているとおもうのだが。

そもそも自壊しているぬっぽん研究者さまたちが税金投入による保身と延命に必死なんだべ。
無駄な公共事業としての肥大化した大学院教育

ひと昔前の、公共事業費をあてにする"土建屋"と同じ根性だ(←これは土建屋差別ですね、ごめんなさい)。

それにしても、ぬっぽん食税研究者さまの、俺たちが不遇=日本が滅びる、という思考方法は普遍なんだなぁ。

それってすごく興味深い。

ぬっぽん食税研究者さまって、何か集団人格障害なんでねぇーべか?バルクの業績は科学先進国の平均以下なのに(⇒ シロアリ研究者としての日本食税研究者)。

俺たちが不遇=日本が滅びる、という事例;

・名古屋大学 学長 日本は死ぬ

科学技術以外に日本が成長する方法はあるでしょうか。意外と当事者の国立大学内部でこういう危機意識は共有できていないように思えます。日本の浮沈が大学にかかっていると言っても過言ではないかもしれません。 ⇒ ttp://atsutoyoda.exblog.jp/14817085/

秋入学が実現できなければ、東京大学だけでなく日本自体もだめになるという危機感を持っている

●以上、食税研究者さまになりそこねたおいらが、ぐちってみました。もちろん、ルサンチマンに基づくものです。

 


[1]  地球物理系の狭義の「地震学」は、というべきか。 産総研の津波堆積物研究者の指摘があったわけだから。でも、産総研は、独法化したとはいえ、日本政府の傘下の組織なのであるから、津波堆積物研究者の指摘を行政的にきちんと処理できなかったのは日本政府の落ち度ではないだろうか?


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 47週目

2012年03月10日 09時07分03秒 | 草花野菜


  おいらは、ぶどうの木の画像を撮っています。変なものがまじって、ごめんなさい。

 

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