シンガポール陥落とは、何であるのか?
数千、(万?)の毛唐さんを生け捕りにした。
近代で、これほどの毛唐さんを生け捕りにした「有色」民族はいない。
数千の支那人を殺した。
数千の英帝インド人兵士を I N A として組織して、インドを大英帝国の頚木から放たんとした。
要は、当時の『世界』を、壊したのである。
祖父がよりどころにしていた世界、つまり英国と英国にまつわるすべてが崩壊してしまったからだ。
- -リークワンユーセンセの回顧より - -
■シンガポール国立博物館にもシロソ砦にも、I N A :インド国民軍がシンガポールで健軍されたことに関する展示はあった。表題のChalo Delhi!は、デリーへ進め!という意味。1857年のメーラットのインド大反乱でシーパーヒーたちはChalo Delhi!、デリーへ進め!と叫んで、デリーのラールキラーに向かった。そして1942年シンガポールではチャンドラ・ボース率いるINA・インド国民軍がChalo Delhi!、デリーへ進め!と叫んで進軍を開始することとなる。今回のおいらのインド・シンガポール巡業は、たまたま、A "Chalo Delhi!" traceなのであった。
ボースはデリーのラールキラーにたどり着くことなく、終戦の3日後航空機事故で台湾で死ぬ。インパール作戦での幾万の日帝皇軍の屍をビルマにさらして。そんなボースではあるが、現在のインド軍は I N A インド国民軍の正嫡と自認しているらしく、現行インド軍が管轄するラールキラーの展示館にはボースコーナーがあるのでした。
ボースの正統的な解説はこちらがおすすめ;Subhas Chandre Bose Academy アカデミー事務長 林 正夫 さま