いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

常陸の国の親殺し;連日

2004年11月28日 13時51分23秒 | 日本事情


常陸の国は幕末時10あまりの諸藩があった。その中でも群を抜いているのが水戸・徳川家と土浦・土屋家である。片や御親藩、片や譜代大名である。城下は水戸と土浦。今でも城址は立派である。

その水戸と土浦で連日の親殺し。それも水戸では殺された両親は学校教師、土浦では博物館副館長とのこと。「文化」的なバックグラウンドのあるはずの家庭での惨事である。

という言い方はいやみであった。魚屋や大工の息子はふつう親は殺さないものである。

やくざは絶対やらない。だからカネコノブオさんは長生きしたのである。(←わかるかな~?わかったしとコメントすてね。)

この「文化」家庭の病理こそ現代日本の病理ではある。





中曽根元首相自伝

2004年11月26日 20時01分48秒 | その他
 アマゾンの中古本通販で買った『自省録』中曽根康弘を読む。
内容もおもしろく文章もわかりやすかった。

中曽根元首相は自分が何を考えているかを、プロパガンダではなく、きちんと論理的に表明する政治家でこれは日本人離れしている。彼の主張に賛成か反対かは別問題です。

▼彼はまっとうな立憲主義者である。憲法改正というとすぐ右翼よばわりするが、そういうレッテルはりはおばかなオサヨクしかもうしない。

▼占領下の国会で吉田首相にひろひとさん退位を事実上迫ったのが中曽根代議士。そして吉田に「非国民」といわれた。吉田は「昭和天皇はこのままぜひ仕事を続け、日本再建に努力していただきたい。」(#1)と言った。”このままぜひ仕事を続け”って、臣・茂ちゃんさ、ひろひとさんはおまいの部下か!?って口の利き方だね。

▼突然ですが問題▼(#1)について▼今引用文を打ち込み最中気づいたのだが

::吉田は「昭和天皇はこのままぜひ仕事を続け、日本再建に努力していただきたい。」と言った。::

は上記本からの引用であるが、吉田の答弁としては全くおかしい点がある。というかこう答えたはずがない点がある。それは何か指摘しなさい。答えはコメント欄にね。

▼「首相を目指す者は、ちんけな役職なんかにつかないで野で政権準備をしろ」という信念で10年間過ごしたこと。これは、大平正義や宮沢喜一などの官僚的・役職すごろくあがりの首相と自分を対照化したものである。

▼中曽根元首相は先の大戦の日本の侵略性を認識している。

▼彼が首相時代、岸元首相の叙勲でひろひとさんに事実上の許可をもらっている。ということは、戦後叙勲は内閣が選考を行うものだが、いちいちひろひとさんの裁可を事実上もらっているということなのだろうか?

▼そうすると、ルメーの叙勲もひろひとさんが認めたことになる。

タイ、米英に宣戦布告

2004年11月25日 07時38分24秒 | その他
▼昨晩のNHK「その時歴史は動いた」は、タイ国のラーマ5世。英仏の欧米列強に相次いで領土を奪われ最後に大英帝国と領土確定の条約を結んだ。ニッポンに学べ!タイの”明治維新”~「王様と私」・ラーマ五世の苦闘~

タイ王ラーマ5世は日本のむつひとさんと同時代人とのこと。シンクロなんだって。

日泰シンクロなら、もっとすごいのがある。

▼タイも日本も20世紀初頭に彼らの時代は終わる。20世紀中盤。アジアと欧米列強との激突。

▼1941年、日本・東条内閣は米英蘭に宣戦布告。

▼1942年、タイ・ピブン内閣も米英に宣戦布告。実にまだシンガポールが陥落する前であった。

▼つまり、アジアの独立国2国{当時アジアの独立国は日本、タイのみである(中国をどう認識するか議論があるが)}、つまりアジアの独立国すべてが米英に宣戦布告したことになる。

▼ピブンは、国王ラーマ9世に中立を指示されたが、米英と戦争しラーマ5世以前の失地を回復せんとした。

●シンクロはこれに終わらない。

ピブンは戦況の不利で、自由タイという政治勢力に負け失脚する。しかし、戦後1948年、「親米反共」を掲げて政権に復帰する。

まとめ:日泰シンクロ
ラーマ5世:むつひとさん
ピブン首相:東条首相
ピブン首相:岸信介首相

「クビ!」論。

2004年11月24日 07時12分48秒 | その他
【「クビ!」論。】 梅森浩一、朝日新聞社。 【】内が書名なのである。「」!。、とか変であるが。

 外資系会社で解雇担当社の自伝。おもしろい。実はこの本出た当初書店にてほとんどを立ち読みしてしまった。内容も実経験の話が満載でおもしろく読みやすい。読みやすいのは論理的にかつ簡潔に書かれているからである。ポジションがあって人(労働者)が必要となる。ポジションがなくなれば人(労働者)が不要となる。という論理は資本主義の原理からみて当然である。著者自身が任務終了でクビになるシーンはおもしろい。一方、日本の会社組織は、役所なんかそれ以上であるが、まず構成員がいて、ひどいときには構成員の勤続年数にあわせたポジションを、必要もないのに、作ったりする。この日本の慣行は1度構成員になったものは構成員たることが永年保障されるべきであるという論理にもとづく。この日本の慣行に従い、その構成員になったものは幸いなるかな。ぬるま湯のなか定年まで身分保障。ということは高度成長期の大企業内だけのことであった。最近は大企業も解雇の嵐で、クビが普通となった。この本では外資系の会社の雇用の流動性を訴えたいのである。これは日本の大企業のように構成員全員の保障を当然としてやってきたが不況で逆切れ的リストラで理不尽な大量解雇とは違うと批判したいらしい。その批判が十分なされているかわからないが、外資系の会社のポジションの概念、雇用・解雇の概念そしてその実行の説明はよくわかった。


 上述の本と離れて;日本の最近のリストラで悲惨なのは、ぬるま湯のなか定年まで身分保障されると思い、40代・50代と自己研鑽してこなかった元エリートたちが大量に放逐されたことである。彼らは、プライドだけ高く、実務はすべて若いものがやると信じ込んでいる。しかしながら、その実務をやる若い者は、ぬるま湯あがりのおっさんに、おまいも「槍働き」しろよ!とどやしつけるのだからたまらない。

learning cultureって?

2004年11月21日 09時56分25秒 | その他
英国皇太子(Prince of Wales)の発言メモが物議をかもしているらしい。皇太子の発言メモに教育大臣が反発しているとのこと
英皇太子、平等教育は「空想」 メモ暴露で教育相が批判 。asahi.com

皇太子は、
 "learning culture" gave people hope beyond their capabilities
 といっているとのこと
 BBC

この意味がわかりずらいのだけど、このわかりずらさを理解することが近代の社会の一端を知ることになると思うので考えてみる。つまり英国皇太子が、「人間のできることは生まれつきの能力(capability)で決まるのであり、後天的に学習するなどということはばかげているのである」と主張しているのか?ということである。

もしそうであるなら、教育制度がそう必要ないということになる。さらに、遺伝を考えれば、英国はダーウインのふるさとである、生まれつきの能力人間は生まれつき能力のある人間から生まれると考えるのが自然だから、おのずと階級社会を想定することになるであろう。

この理論を応用すれば、労働者階級のみなさんは能力はそう高くないので教育など受けないでご自分達の能力にあった仕事をして下さい、ということになる。

ところで、この件の関連記事でbuilding childrenという語彙に逢った。ここ 子供に野心を持たせて努力させ達成させる、の意だろう。こういう生き方は戦後日本、特に高度経済成長期に広がった。つまり、「いい学校、いい会社、安楽な人生」という路線である。学校化社会。しかし、この生き方は現在はまったく無効になりつつある。高度成長期は大学を出れば「サラリーマン」になれた。現在は大学進学率も50%ほどになり、大学を卒業しても高度成長期の感覚での「まともな職」に就けるのは7割以下とのこと。大学卒にふさわしくないと思われる職に、不本意にかつ勇気を持って、就いた人とは別に、そのような職なら就かないと無業あるいはアルバイトで卒業後も過ごす人が大卒の2割以上いる。

英国皇太子はじめ学校教育批判の一面に「学習すればいい職につけるという幻想を振りまいて子供たちを学校に駆り立てる」という主張がある。

これを念頭に日本社会について考えると、「学習すればいい職につけるという幻想を振りまいて子供たちを学校に駆り立てる」というのは高度成長期以降の日本社会の特徴であり、バブル以降、実は、それが深化、徹底化しているように思われる。つまり、「大学ぐらい出ないといい職にありつけない」という雰囲気である。その結果が大学での「学級崩壊」、と引きこもり問題であろう。引きこもりは学校化社会で学校に順応することを強いられてうまく行かなかった子供たちに起こったことである。

 英国皇太子の発言が、階級維持を当然視する前近代的発想に基づくものなのかはいまいち不明であるが、その学校制度批判は、過剰な学校化社会を考えるひとつの視点である。