いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

京都 街中華での昼ご飯2軒;菜格、魏飯夷堂

2021年09月30日 17時51分55秒 | 国内出張・旅行

春の「京都中華料理屋での昼ご飯3軒;MACHIYA 兪、秋華、芙蓉園」に続く、秋の京都街中華2軒。

先週、京都に遊びに行った。3日のうち2日のお昼は中華にした。もう1日は嵯峨野の奥に行ったので街中華がなかった。

■ 菜格; 京都市中京区観音町76 二条通, 堺町西入


地下鉄駅、烏丸御池から歩く

店舗は目立たず、通り過ぎてしまった。


麻婆豆腐

スパイシーでなく、まろやかだった。若い男の人が調理をしていた。

<荊の簪を挿した御方>は汁なし担々麺。 辛くなかった。

食べログ

■ 魏飯夷堂 三条店; 京都市中京区橋西町661

二条城の南にある三条商店街に行った。

牛肉丼。野菜の種類が多い。くわいも入っている。野菜が細かく刻んである。肉も細かく刻んである。もやしの風味が強かった。味は薄甘く、これまたスパイシーではない。まろやか風味。熱かった。

<荊の簪を挿した御方>は、海老と卵のチリソース煮

食べログ


京都散歩、嵯峨野 :天龍寺、常寂光寺、落柿舎、化野念仏寺

2021年09月26日 14時49分20秒 | 国内出張・旅行

1;嵐電・嵐山駅、2;天龍寺、3;竹林、トロッコ嵐山駅、4;常寂光寺、5;落柿舎、6;化野念仏寺、7;嵯峨釈迦堂前バス停、8;渡月橋

α;天龍寺庭園、β;常寂光寺、γ;化野念仏寺、δ;嵯峨釈迦堂前バス停

9月23日、京都の嵯峨野に行った。嵯峨野の奥の化野に行くことに決め、途中の天龍寺、常寂光寺、落柿舎に寄った。今、このブログ記事のため経路を確認すると、嵯峨野と小倉山の境界の斜面に敷地をもった寺院とわかった。落柿舎は別。

■ 1;嵐電・嵐山駅 ⇒ 2;天龍寺 

9:50

10:20

10:30

2;天龍寺の北口を出る。



a; 天龍寺庭園、b;天龍寺北側出口、c;常寂光寺展望台、d;落柿舎

■ 3;竹林 ⇒ 4;常寂光寺

この竹林は天龍寺敷地内らしい

■ 常寂光寺

10:45

11:15

常寂光寺(じょうじゃっこうじ)は、京都市右京区嵯峨小倉山小倉町にある日蓮宗の寺院。山号は小倉山。旧本山は、大本山本圀寺(六条門流)。百人一首で詠まれる小倉山の中腹の斜面にあって境内からは嵯峨野を一望でき、境内の庭園には200余本のカエデが植えられており[1]、秋は全山紅葉に包まれる。wiki

■ 落柿舎

11:30

落柿舎(らくししゃ)元禄(げんろく)俳人向井去来(はいじんむかいきょらい)遺跡(いせき)である。去来は芭蕉(ばしょう)の門人にて師翁(しおう)の言葉に、「洛陽(らくよう)に去来ありて、鎮西(ちんぜい)俳諧奉行(はいかいぶぎょう)なり」と(たた) えられた。去来が落柿舎を営んだのは、 貞享(じょうきょう) 四年(1687)の以前で、芭蕉が初めて訪れたのは元禄二年(1689)、 (あわ)せて三度来庵す。元禄四年には四月十八日から五月四日迄滞留(までたいりゅう)し、その間に『嵯峨日記(さがにっき)』を(しる)した。落柿舎: 落柿舎について

受付の人が、詳しく説明してくれました。特に、落柿舎のイメージとなっている蓑とかさと閉まった戸は、東山魁夷の絵から広まったとのこと。 戸は自由に開閉していいですよと言われる。 芭蕉の『嵯峨日記』も知らなかった。 ⇒ 芭蕉紀行文集―付嵯峨日記 (岩波文庫 黄 206-1) 

■ ⇒ 化野念仏寺

12:00

化野(あだしの、仇野、徒野とも)は、京都の嵯峨の奥にある小倉山の麓の野。京都市右京区嵯峨鳥居本化野町にその地名が残っているが、古くは山城国葛野(かどの)郡嵯峨といい,かつては風葬の地,近世は鳥辺山とともに火葬場として知られた。wiki

■ ⇒ 嵯峨釈迦堂前バス停

12:30

嵯峨釈迦堂前バス停からバスにのり、市内へ。

■ バスからみた渡月橋など

12:45

▼ 最近と1960年代の航空写真。範囲は本記事上から2つめの地図、凹凸地形図と同じ。

 


新しい街でもぶどう記録;第359週

2021年09月25日 18時41分08秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第359週

■ 今週のよその猫


京都、嵯峨野、常寂光院の受付の黒猫さん

■ 今週のメタセコイア


京都、三十三間堂から見える国立博物館敷地内のメタセコイア

古い町にあっていまの郊外のニュータウンにないものが三つある。一つは大木、一つは宗教施設、いま一つは場末だ。(鷲田清一、『京都の平熱』)

いまの郊外のニュータウンにある大木はメタセコイアだ。樹齢75年を越えることはない。なぜなら、メタセコイアは第二次世界大戦中に「発見」され、戦後に苗木が世界に広まったからだ。ただし、メタセコイアは成長が速く、かつ、大きく伸びるので、由緒ある大木と誤解させる。したがって、"古都"京都の古さを誇示するものとしてのメタセコイアの大木は不適当に違いない。ましてや、日本庭園にない樹木がメタセコイアだ。そんなメタセコイアを京都で発見して、にこにこしてしまった。もっとも、府立植物園にあることは確認していた。すなわち、京都では、メタセコイアは植物園にしかあってはならない樹木のはずだ(?)。

日本庭園にないはずのメタセコイアは、植物園以外にあったのは、国立博物館敷地内だ。やはり、特殊な樹木は適切な場所に植えられているのだ(?)。

■ 今週の草木花実苔芝

■ 今週の開閉

京都、嵯峨野、落柿舎。 扉が開↑、閉↓。


東山魁夷、落柿舎@扉:閉

■ 今週のいただきもの

落柿舎の柿@枝付き

■ 今週のレコンキスタ史跡探訪

京都府京都市左京区北白川伊織町64、 駒井家住宅

駒井家住宅(こまいけじゅうたく)は、昭和2年(1927年)に遺伝学の権威京都帝国大学理学部教授駒井卓博士の自邸として京都・琵琶湖疏水分線の畔にウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計により建てられた近代洋風建築である。wikipedia

1945年(昭和20年)

終戦直後は、米軍の将校住宅として接収される。駒井夫婦は離れに起居。

【駒井家ショート・ストーリー】

■ 今週の夕焼け


伊丹空港

■ 今週のパン1

下京区松原通猪熊西入北門前町740の「まるき製パン所」で総菜パンを買った。ハムカツコッペパンとコロッケコッペパン。キャベツも多く、おいしかった。中を開けて詳しく調べなかったが、ソースが入っている気がしなかった。少なくとも、はみでるほどではない。でも、味つけはしっかりしていたと感じた。下記リンクの記事をみるとソースを入れているようだ。

名物・コッペパンサンドを求めて。京都人に愛される街のパン屋「まるき製パン所」

Google [京都 パン屋 多い なぜ]

■ 今週のパン2

 

日頃はパンをほとんど食べない。そして、この総菜パン、マーガリン使用なのだ。おいらの人生で、最後にマーガリンを口にしたときを思い出せない。それくらい久しぶりにマーガリンを口にした。 

志津屋のカルネ  行く駅、行く駅でSizuyaなるものを見たので、何か買ってみた。それが、カルネ。京カルネ 210円。


神奈川散歩;大和市、つきみ野駅 ⇒ 宇都宮記念公園 ⇒ 中央林間駅

2021年09月19日 13時44分26秒 | 武相境


散歩経路: 1;東急田園都市線つきみ野駅、2;つきみ野1丁目、座間大和線、3;下鶴間、座間大和線、4;小田急線跨橋、5;宇都宮記念公園、6;東急田園都市線中央林間駅


航空写真;1960年代(左)、現在

■ 1;東急田園都市線つきみ野駅 ⇒ 2;つきみ野1丁目、座間大和線

▼つきみ野駅から八王子街道を南下する;

ブックオフでゾッキ本を買う;

八王子街道を右折(西へ向かう)し、住宅街に入る。

谷が南北に走っている。最低部にたどり着き、流れている川をみる。

■ 2;つきみ野1丁目、座間大和線 ⇒ 3;下鶴間、座間大和線

アクティブデザイン つきみ野 (google)とあるビルの敷地には、溶岩石があった。

むさしの森珈琲


フレッシュいちごのクレームダンジュ

バスクチーズケーキとやらを目当てに行ったが、バスクチーズケーキはもうなくて、これに替わったとのこと。 クレームダンジュ って何だ!?と今、ググった;

▼ キューピー3分クッキング クレームダンジュ

クレームダンジュはフランスのアンジュ地方で生まれたデザート。一般的にはフロマージュブランと呼ばれるチーズを使いますが、手軽に水切りヨーグルトを使って作りました。ふわふわでなめらかな食感とクリーミーな味わいは何度も作りたくなるおいしさです。 (明治ブルガリアヨーグルト倶楽部

中央林間交叉点

■ 4;小田急線跨橋 ⇒ 5;宇都宮記念公園

宇都宮記念公園は、市街地に現存する貴重な樹林地をできるかぎり保全し、整備された公園です。本公園は、「みどりの森(+緑野公園)」、「ひのきの散歩道」、「仲よし広場」の3つのゾーンによって出来ています。
 本公園の用地は、故宇都宮徳馬氏のご遺族からご寄付いただいたものです。同氏の「緑を残したいという」ご遺志を受けて、本公園は整備されました。大和市 web site

 宇都宮徳馬氏は衆議院議員を10期、参議院議員を2期務め、昭和55年には「宇都宮軍縮研究室」を創設し、月刊「軍縮問題資料」を発行。日中友好協会会長を務めたほか、昭和59年に評論家や学者、政治家らで「核軍縮を求める22人委員会」を結成するなど、平和・軍縮の実現に心血を注がれました。
  また、大和市の自然や田園都市としてのたたずまいを愛し、平成12(2000)年7月に93歳でご逝去されるまで市内下鶴間に居住されていました。 (大和市 web site

この「樹林地」というものについて調べた。この宇都宮の森は天然林ではなさそうだ。ヒノキが整然と植わっている。あたかも、ヒノキの畑のようだ。おそらく、木材目的の商業林なのだろう。このあたりは平坦な台地面。この「樹林地」はその一部。過去の「樹林地」の広がりを調べた。


赤矢印が旧宇都宮屋敷

1960年代は小田急線の西側にゴルフ場がある、その南に樹木林が広がっている。区画で整然としているので、相当管理されたものだ。建築用木材の生産地であったと推定される。一部は雑木林していたかもしれない。なぜなら、現在の宇都宮記念公園のヒノキ以外は雑木林化している。

▼ ゴルフ場

1960年代の航空写真で既にゴルフ場ができている。相模原カントリークラブ。歴史をwb siteで見ると、1955年に相模原ゴルフクラブ創立とある。つまり、それ以前の歴史はないのだ。そこで、戦後できたのかぁと思う。しかし、もしかしてこれは進駐軍がつくったものの払下げかと思った。つまり、敗戦直後、進駐軍は土地の接収をしてゴルフ場をつくった例がある。

でも、さらに調べると、戦前にできたゴルフ場とわかる;

昭和16年(1941年)の航空写真で載っていた。 一方、web siteにあった;

相模カンツリー倶楽部は1931年、赤星六郎の設計により現在の地に9ホールで仮開場したのが始まりです。
赤星六郎は大正期に活躍したアマチュアで、唯一日本オープンを制したゴルフ界の巨人であり、生涯で設計したゴルフ場は、相模カンツリー倶楽部と我孫子ゴルフ倶楽部の2コースで、この相模カンツリー倶楽部が処女作となりました。
相模カンツリー倶楽部はその後、戦中の軍による敷地の徴発、戦後の進駐軍による接収の危機や、クラブハウス焼失といった苦難の時代を経て、現在に至っています。

▼ 米軍用住宅

1960年代の航空写真でゴルフ場の東、小田急・中央林間駅の西に、住宅群があるのが見える。この時代、まだ住宅化が進んでいないはず。何だろう?と調べると、米軍住宅とわかった。

Google (中央林間米軍ハウス)。 

「大和の魅力アピール!」 第4 回「中央林間米軍ハウス」 

中央林間駅から徒歩5分。閑静な住宅街のな
かに、終戦後からこの街を見守り続けた通称
「米軍ハウス」があります。米軍ハウスは、
厚木基地に勤めるアメリカ兵が家族と住むた
めに建てられました。現在は数少ない米軍ハ
ウスですが、今もここ中央林間で歴史を刻ん
でいます。

■ 5;宇都宮記念公園 ⇒ 6;東急田園都市線中央林間駅

とにかく、平坦。

 


新しい街でもぶどう記録;第358週

2021年09月18日 18時56分07秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第358週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週のおやつ; 25円

マロンあんドーナッツ。4個入り100円。

google [こまつ製菓 マロンあんドーナツ]

■ 今週の「違いのわかるおいら」; 辛と幸、あるいは、辛い幸せ

 もし自分の国を離れなかったら、わたしの人生はどんなになっていたのだろうか。もっと辛い、もっと貧しい人生になっていただろうと思う。けれども、こんなに孤独ではなく、こんあに心引き裂かれることもなかっただろう。幸せでさえあったかもしれない。 『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』、国外亡命者たち (アゴタ・クリストフ、 堀茂樹 訳)

すなわち、辛くても幸せというのはありうると云っているのだ。

■ 今週読んだ本

今週、<荊の簪を挿した御方>が横浜市立図書館から借りた本をみた。著者の名も留意せず、本を開いた。著者の名は目に入っていたにせよ、誰であるかピンとこなかった。適当に開いてみると、いきなり、スターリンの死。読むと、スターリン専制下の衛星国で苦しむ人の自伝であるわかる。そのまま読み進めると、上記の「辛い幸せ」もありうることが書いてるくだりに出会う。

東欧共産圏からの亡命者、難民は西側諸国あるいはスイスでは工場で働くことが多いらしいとわかる。言語による複雑なコミュニケーションが不必要であるからか?これは今に至るまで西ヨーロッパ諸国が移民、難民を「欲しがる」理由である。ドイツは最近まで法定最低賃金がなかったらしい。

そして、ほぼ読んで、著者紹介を見ると、アゴタ・クリストフであり、ハンガリー動乱でスイスに亡命した人とわかる。そして、『悪童日記』の著者なのだ。

アゴタ・クリストフ(wiki)。『悪童日記』。知ってた。以前、話題になったので、買って、読み始めたが、おいらにとっては、当時、面白くなく積読にしてあった。探して、読んだ。『悪童日記』は、第二次世界大戦末期の独ソ戦、ソ連の「ハンガリー」征服を背景としたお話。たくさんの短い寓話的節で構成されている。「生活困窮」、「ユダヤ人狩り」、「占領軍」、「脱走兵」、「オンリーさんになった母」などが描かれている。主人公は双子の兄弟。

『悪童日記』は、亡命ハンガリー人が、フランス語で書いた作品なのだという。外国人としての言語の問題は、『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』にも書いてある。たいへん売れた作品をフランス語で書いたアゴタ・クリストフは、フランス語にはなじめず、敵語だというのだ。

<荊の簪を挿した御方>は、この『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』にどうしてたどりついたのであろうか?以前、ジュンパ・ラヒリを集中的に借りて読んでいた。おいらが、ジュンパ・ラヒリを知ったのも<荊の簪を挿した御方>のおかげだ。なので、<荊の簪を挿した御方>に、「移民や難民が外国語を習得して、作品を書く作家が好きなのか?」と仮説お尋ね申し上げると、「なに?! その「基準」?」とあっさり却下。ネットで、映画の『悪童日記』を見たから、アゴタ・クリストフの本を読んでみようと思ったらしい。

さて、『悪童日記』にも『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』にも、生活の困窮が描かれており、貧乏の象徴が靴が買えないことである。東欧の寒さで靴がないのは辛い。さらに、鶏も出てくる。『悪童日記』では、鶏が絞められ、つぶされ食べられることが出てくる。断食をした悪童双子兄弟におばさんが一人で鶏を食べる。

そして、『アゴタ・クリストフ自伝 文盲』の第1ページ目の、著者アゴタ・クリストフに違いない少女時代の写真。粗末ではない紐靴を履いている様子が写されているし、鶏も写っている。

■ 今週の ひのき

宇都宮記念 公園ひのき の散歩道 (google map)神奈川県大和市

■ 今週の森

宇都宮記念公園みどりの森 (google map)  神奈川県大和市

宇都宮徳馬って今の人は知らないだろう。今のひとでもないが、おいらもよく知らない。LDPのブルジョア左翼だ。広大な森、自然をもっていた。自然左翼なら世田谷だろうと思うのだが、宇都宮徳馬は、選挙区は都内であったらしいのだが、屋敷は東急・中央林間駅近くの大和市に、広大な森林つきの屋敷をもっていた。その屋敷を大和市に寄贈したのがこの公園だ。

なぜ、中央林間駅の宇都宮記念公園に気付いたかというと、戦争(シナ事変)を調べていて、陸軍大将・松井石根(wiki)について読んでいると、陸軍大将・宇都宮太郎(wiki)にあたり。この宇都宮太郎は、宇都宮徳馬の親と認識した。徳馬が、放蕩児のように、LDPでブルジョア左翼をやっていられたのも、父親が陸軍大将だったからだろう。

■ 今週のかぼちゃ無し

ほうとうを食べた。かぼちゃが無かった。レンコンを入れた。

■ 今週の検索語句、あるいは、閲覧されるページ

■ 今週のゾッキ本購書

 


新しい街でもぶどう記録;第357週

2021年09月11日 18時49分00秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第357週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の存在感

咲き始めたと伝えてくるキンモクセイ

■ 今週の草木花実

■ 今週のブリカス[1]さま

[1] ブリカス


カナコロ

2021年9月4日、英空母「クイーン・エリザベス」が初来航し、横須賀の米海軍基地へ入港したのはご存知のとおり。同空母は欧州からインド洋、南シナ海、東シナ海と「不安定の弧」と呼ばれたユーラシア大陸辺縁海域・地域を西から辿り、日本へ到達した。

長い航海の目的はインド太平洋地域の平和と安定のために英国の関与意志を示すものだと言われている。相手は中国だ。日本来航の前に、同空母打撃群は各国軍との共同訓練を重ねており、新たな防衛協力体制を見せることは覇権主義的海洋進出を続ける中国を牽制する狙いがあるとみられている ソース

息子の敵討ち(Prince of Wales撃沈の報復)に来たのか!?とおいらはビビる。

■ 今週の連合国軍


https://twitter.com/uep_tw/status/1435552311619702786


オランダ海軍「エファーツェン」が横須賀へ来航 空母「クイーン・エリザベス」のお供

日本再占領か!?とおいらはビビる。

「横須賀とは思えない」というのは、違うのではないか? 米英蘭ともに、朝鮮国連軍である。「朝鮮国連軍」とは「1950年6月25日の朝鮮戦争の勃発に伴い,同月27日の国連安保理決議第83号及び7月7日の同決議第84号に基づき,「武力攻撃を撃退し,かつ,この地域における国際の平和と安全を回復する」ことを目的として7月に創設され,同月,朝鮮国連軍司令部が東京に設立された」ものだ。そして、「国際連合の軍隊は,日本国における施設(当該施設の運営のため必要な現存の設備,備品及び定着物を含む。)で,合同会議を通じて合意されるものを使用することができる」のだ。

以上、引用元は、外務省の web site: 朝鮮国連軍と我が国の関係について より。

■ 今週の20年


2012年、パリにて。フォワイヤティエ通り Rue Foyatier (wiki

今週、今日、9月11日は、米国多発テロ事件から20年。

2001年9月11日のことはよく覚えている。その時、おいらは失業者だった。その夜、10時からのNHKのニュース番組で、ツインタワーへの2番目の航空機突入が、生放送された。それをおいらは見た。並び立つビルに2機も航空機が衝突にしているのに、これはテロだ、という確信にはすぐにはいたらなかった。でも「特攻機」というイメージはすぐ湧いて、ネットの掲示板に「カミカゼごっこかよ~」と書きこみした。 (愚記事:2001年 9.11、米国同時多発テロ事件、十年ひと昔。あの時おいらは失業者で、death valleyのとば口だった。

2001年。この時、小泉首相、田中真紀子外相だった。9.1事件の直前にサンフランシスコ講和条約50周年の記念のイベントが米国で行われたと記憶している。その直後に、この事件。

今からみると、グローバリゼーションは、9.11にもかかわらず邁進していった。今では忘れられつつあるBRICS、すなわち、中印露伯南アの新興5か国についての展望を示したゴールドマンサックス社のBricks Reportは、2003年だ。おいらも、資本の手先としてインドに何度か行くことになった(例えば、草莽微賤の地球化)。中二病的「インド幻想」[1]をかつて持っていたおいらは思いもかけずインドに行くこととなる。<資本>と<グローバリズム>のおかげだ。

[1] 中二病の頃から「インド幻想」をもつようになった。アメリカが嫌いだからだ。排外的、右翼的政治的動機からだ。ただし、アメリカが嫌いだからといってインドに注目するとは、インドに失礼なのではあるが。(愚記事:最近読んだ本(杉原薫、『世界史のなかの東アジアの奇跡』)から思い出されたなつかしい本の話)

中露にも行った。 米国も行った。9.11の3年後だ。

 

一方、今からみれば、2001年はおいらにとって、実験しない1年だった。学部4年から研究室/ラボで<実験をする人生>を始め、今に至るまで、もう30年あまり、実験をしている。2001年の9.11事件の頃、ポスドク任期切れで職をさがしている失業者だったおいらは、もう実験はしないだろう/できないだろうと感じていた。でも、結果的に、今に至った。「産業的啓蒙主義」(Industrial Enlightment)のイデオロギーに「帰依」したからだ。最近借りた本に書いてあった;

科学革命が産業革命をもたらしたもう一つの方法は文化を全体として変えることである。モキイアが、産業革命期の継続した発明の活力は科学革命と啓蒙主義に起因する、という有力な説を展開している。これらを結びつけるものが産業的啓蒙主義である。すなわちそれは「自然主義に関する人類の知識を増大させてまたその知識を生産現場で容易に使えるようになってて物質的進歩と経済政庁が達成されると信じる啓蒙主義の一部である」。新しい知識は技術進歩にとっての鍵であり知識は科学と科学的方法による技術研究から生まれた。「産業的啓蒙主義はどう見ても科学革命の論理的な連続性の帰結であった」。 (R.C.アレン、『世界史のなかの産業革命  資源・人的資本・グローバル経済』、第10章 発明家、啓蒙主義そして人的資本)

■ 今週の訃報;またひとり消えゆく日帝兵士@インテリ

一般の人々の視点から歴史を捉える「民衆史」研究の先駆者として知られる歴史学者の色川大吉さんが7日、山梨県内の自宅で老衰のため亡くなりました。96歳でした。google

色川大吉、1924年生まれ。針生一郎、永井陽之助と同い年。でも、二高ではふたりより学年が(2学年?)上だったようだ。色川は中学4年で(旧制)高校入試合格。そして、召集令状が来たとき、色川は大学生だったが、針生と永井は高等学校生(旧制)だった。もっとも、針生と永井は結核で入隊しなかった。色川は1944年(昭和19年)早々に徴兵検査、9月に入隊。土浦海軍航空隊。『ある昭和史』に書いてる。

色川大吉については、2冊しか読んだことがないので、あまり知らないが、現象する”歴史学者”という印象。二高・東大・徴兵・敗戦・山村工作隊・民商専属と「現象」し続ける。自分を度外視した客観的な歴史像を描くのではなく、"歴史"の中で生きる自分という現象を記述する感じ。今度の訃報記事で、「民衆史」とかいわれているが、色川が昭和天皇について直接書いていることを軽視している。あの司馬遼太郎は「天皇について書いていない」といわれているらしい。

さて、色川の自伝では、仙台の二高時代の思い出で、針生の自伝にも出てくる「ドイツ語教師」のことが書いてある。

拙い自分の日記を見ていると、大戦の翳りが次第に濃く蔽ってくるのが分かる。例えば9月にはクラス会の席で大議論が起こり、私は「いつ世界対戦に参戦するかわからない」と書いている。このあと佐々木という同級生の提案で「ナチス研究会」をやることになり、さらにドイツ語の H 教授宅を訪ねて、初めて小野講師からユダヤ問題というのを教えられた。この人は仙台陸軍幼年学校でドイツ語を教えていたがこの春から二高の講師としてきていた。若い新任の講師だったせいか、私たちにはいくらか遠慮したようなふうもあったが、いうことが狂信的で 、たいそう神秘主義めいていた。(色川大吉、『ある昭和史』)

この色川が書いている小野講師というドイツ語教師が、針生が回顧しているドイツ語教師のことに違いない;

そして、昭和20年8月14日には、仙台にも『日本で一番長い日』の「畑中少佐」が、しかも、飛行機でやってきて高等学校のドイツ語教師にもとに来てアジるという話もいとをかし。(愚記事)

敗戦の時は、旧制二高での指導教官――クラスの指導教官がかなり右翼的、右翼的と言ってもナチスばりの思想だったんだけど――そこの家へ行って、玉音放送というものを聞く。彼は学校へ出ていなかったんで、奥さんと並んでラジオを聴いて、翌日くらいからそこの家に、もう大学に行っているけども、(教え子の)右翼的な連中が集まった。この先生は母校である二高に来る前は幼年学校で教えていたんだが、そこの幼年学校の卒業生の青年将校が栃木の軍隊から飛行機を勝手に乗り出して、飛行機で仙台空港に着いた。それで、こんな無条件降伏なんてどう考えたって重臣たちの陰謀だから、この飛行機で行けるだけの人間が行って皇居を襲撃して、天皇を奪い返そうと言う。針生一郎オーラル・ヒストリー 2009年2月28日

この教官が小野講師に違いない。



横浜散歩;東急田園都市線 たまプラーザ駅 ⇒ あざみ野駅

2021年09月05日 13時37分05秒 | 東京・横浜

初めて、東急電鉄たまプラーザ駅に降りてみた。あざみ野まで散歩した。

地図1
1;たまプラーザ駅、2;たまプラーザ団地、3;山内中学校北口交叉点、4;山内中学校、5;早淵川 松本橋、6;和田橋、7;あざみ野駅 、A:溝の口演習場の兵舎、B:射撃場、 DT:田園都市線

左上から時計回りに、地図、1960年代の航空写真、1970年代の航空写真、現在の航空写真。

■1.たまプラーザ駅 ⇒ 2;たまプラーザ団地

新横浜元石川線を跨ぐ橋を渡る。この橋は、平成15年にできたとある。

絵にかいたような昭和の団地だった。こんな団地がたまプラーザにあるとは知らなかった。団地は1968年に建設。当時、分譲したらしい。だから、URL管理の賃貸しではないのだ。現在も転売が行われている。築50年にもなるのに、現在の市場価格は、2,680-4,190万円(三井のリハウス)。当時の分譲価格は、わからなかった。団地にしては、(例えば、多摩ニュータウンの永山団地と比較して)樹木が多く、まるで森の中の団地のようだ。芝もきれいに管理され、刈られていた。住民は見なかった。

■ 2;たまプラーザ団地 ⇒ 3;山内中学校北口交叉点

■ 3;山内中学校北口交叉点 ⇒ 4;山内中学校

新石川55号線を西に向かって、丘陵斜面を下る。坂を下った先には、早渕川が南北に流れている。

市営山内住宅。ここで、西へ右折。

 

散歩から帰ってこのあたりの年代別航空写真をみた。1945-1950年の航空写真に山内中学校付近に建物群を見つけた。ググると、歩兵第101連隊(wiki)の兵舎だとわかった。地図1のA地点。ここはかつて、溝の口演習場 [1] の一部で、地図1のB地点に射撃場があった。その場所は現在國學院大学となっている。

[1] google

■ 4;山内中学校 ⇒ 5;早淵川 松本橋

やっと、期待していた(!?)美しが丘的住宅を発見。

このあたりの中古住宅の値段の一例。100平米(30坪)、築約20年で、5,480万円

早淵川とそれに沿う日吉元石川線に降りる。

■ 5;早淵川 松本橋 ⇒ 6;和田橋 ⇒ 7;あざみ野駅

日吉元石川線をあざみの駅方面へ

あざみの駅

▼ まとめ

通過町

青葉区

美しが丘
あざみ野

2町のみ。


新しい街でもぶどう記録;第356週

2021年09月04日 19時19分10秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん

▼ 新しい街でもぶどう記録;第356週

■ 今週のよその猫 @ スペイン系


横浜市青葉区あざみ野

愚ブログの los Gatos: 「スペイン子にゃん軍団」、及び、「スペイン子にゃん軍団、面子紹介

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

まだまだがんばるアジサイ

■ 今週、返した本

  

最近、中森明夫、『青い秋』(Amazon)と燃え殻、『ボクたちはみんな大人になれなかった』(Amazon)を横浜市立図書館から借りて読んだ。中森明夫、『青い秋』は西部邁のことが書いているというので、おいらの意図で借りた。ゴシップ目的だ。一方、燃え殻、『ボクたちはみんな大人になれなかった』は、<荊の簪を挿した御方さま>が借りていたのを、読んだ。つまり、両者を同時に読んだのは偶然である。

両者に共通するのが、東京、中高年男、回顧、「サブカル」、「業界」人、遊蕩、非大卒、そして、大人になれなかった、だ。おもしろいのは、両者とも「大人」という「型」が脳内にあって、その「型」からの自分のずれを描いている。すなわち、「大人」は"サラリーマン”であり、結婚していて子供がいる。燃え殻、『ボクたちはみんな大人になれなかった』には"サラリーマン”が頻出する。

両者に共通する「大人」に観念的囚われているところ、そして、それを描いているところが興味深い。でも、なぜそんな観念に囚われているのかは、どうなんだろう。書かれているのだろうか。おいらの読みが浅いのか、よくわからなかった。

一方、両者ともその成因、すなわち、自分がなぜこういう人生を歩むことになったかの原因にも言及している。親のことや生育環境。かつて、「親について書かれていない」と批判された流行私小説とは違う。

■ 今週の「丑松」; 宿命とアメリカ、あるいは、リベラリズム

島崎藤村の小説、『破壊』は、被差別出身の丑松が、テキサスを目指して、田舎を去るという話らしい(wiki)。旧習に囚われた人生をリセットするため、アメリカを目指すのだ。

さて、今週の「丑松」は、もちろん、眞子内親王殿下だ。旧習に囚われた人生をリセットするため、アメリカを目指すのだ。

リベラリズムとは、その実社会での作用は、伝統的社会の解体と個人の「自由」を推進するイデオロギーとしてのものである。「保守」的な人々、すなわち眞子内親王殿下に共感しない人々から見て、その「自由」とは、伝統的社会を破壊する「放埓」、「無作法」と見える。

さて、今回の眞子内親王殿下の決断を実現させた最大の制度的根拠は、マッカーサー憲法(マック憲法)の第二十四条第一項では「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、・・・」に他ならない。これを根拠に秋篠宮皇嗣殿下は結婚を認めた。マック憲法のために、天皇陛下も反対できない。なぜなら、上皇陛下が「憲法を守り」と宣言しているからだ。リベラリズムを担保するマック憲法。

  
マック憲法を発布し     守り          使う

ところで、眞子内親王殿下は個人の趣向にもとづき今度の結婚を強硬したと、「保守」派の人々が激おこプンプンである。でも、違った視点を、おいらは、思いついた。保守的生き方とは先祖伝来の生き方、理想を自分の代でも実現しようとする意志であるとするなら、アメリカ流のリベラリズムこそが遵守すべき「伝統」と眞子内親王殿下は子供の頃から刷り込まれてきたのでないだろうか? 「保守」的な生き方の惹句に自分が居るべきところに居るといふ実感、 その宿命感だけが人生を支えている」というのがあるらしい。自分が居るべきところに居るといふ実感は、アメリカに居ることであると眞子内親王殿下は思っているのはないかと考えれば、説明がつく。


リベラル事始め;生き方はアメリカ人のように

■ 今週の「止め壁」

ジョナサン 国産白桃とフルーツのふんわりスフレケーキ。円柱状のフィルムを外すと、クリームが崩れ流れます。<荊の簪を挿した御方さま>お召し上がり品です。でも、おいらも半分ほど奪ってしまいました。許してください。 「スフレ」って何だよ!というおいらは、今、ググりました:wiki

■ 今週の初めて降りた駅;たまプラーザ

初めて東急電鉄の田園都市線に乗ったのは10年少し前。初めてたまプラーザ駅に降りた。今までは用がなかったからだ。

■ 今週の「アカ」。 そのたまプラーザ駅で降りて、見た;

「アメーラ 」(google)って初めて知った。トマトの1品種らしい。「アメーラトマト」とは、静岡県の農業試験場で開発された高糖度のトマトブランドです。1994年に発表

■ 今週の購書

たまプラーザ駅に降りた理由は、大古本市に行くため。

江藤淳の『漱石とその時代』は持っていなかった。あったので買う。3,000円。

■ 今週の購書;通販編

玉蟲左太夫の『航米録』の現代語訳を先週購入した。原文を含む本が、案外、安かったので(読めないのに)買う。500円しない(Amazon)。来た本は、読んだ形跡がなく、1974年の岩波書店の新刊案内がそのまま入っていた。ちなみに、「家永三郎」の名が入る本を買ったのは初めてだろう。

■ 今週の待機

ワクチン接種をした。接種後、15分待機する。腕に待機終了時刻を示すシールが貼られた。時刻が来ると、「管理人」が「おまい、帰ってよし」と指示してくれた。

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