いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

2013年 回顧

2013年12月29日 16時59分22秒 | プロフィール

【1月】 大雪の日があった。歩くのが大変なほど雪が積もった。


・関東人みんなの雪道

 

【3月】 全くうけなかった記事

茨城県北部の古い土蔵から政宗の密書が見つかった件;
 梟雄が放った盲の鶺鴒が、400年の後、大地震で崩れた土蔵で、古の教唆煽動を囀る

  

きょうゆうはなっためくらせきれいが、400ねんのちだいじしんくずれたどぞうで、いにしえきょうさせんどうさえず

この話は面白いなぁと一生懸命ブログ記事を書いた。でも、今年1年、ほとんど見られていないページ。 残念。

5月に実物の展示会に行った。

【4月】


銭理群って知らなかった。北京大学の「名物」教授なのだそうだ。
天安門広場のツァラトゥストラ、1960年


 愚記事: ポルノ三昧; キャリアポルノ編

 今年は春に銭理群、『毛沢東と中国』に遭遇。読む。年末にいたるまで数度繰り返し読んでいる。何度読んでもわからないからだ。訳の日本語はとてもよい。だから、いかに内容が難しいかわかる。その難しさは銭理群の理論が難しいのではなく、中国に関する自分の知識がないからである。本は歴史的事件の詳細というよりその事件の意味づけである。例えば、文化大革命の章では宋彬彬はもちろん聶元梓の名も本文には出てこない。銭理群は魯迅など作家研究の文学者なのに老舎もでてこない。事件史ではなく意味づけを考えたいらしい。かといって抽象的な思想史ではない。でも、銭理群、『毛沢東と中国』から目がはなせないのは、その視線である。

 また毛沢東思想を単純に「正しい」か「間違っている」かで見てしまうと、単なる全肯定か全否定しか生まれないのである。「正しくなければ即誤り」という二元論では、毛沢東思想と毛沢東時代の複雑さや豊かさは隠されてしまい、毛沢東の遺産を美化するのか呪うかだけになってしまうだろう。我々は今でもこのような両極の間で揺れ動いているのだ。 (銭理群、『毛沢東と中国』、第十二章 ポスト毛沢東時代(上))

 今年は、春は中国経済の最近20年の経済発展史(だから、渡辺利夫の本をいく冊か読んだ、その派生愚記事が; 1)何が書かれていないのか?、 2)「オーバーコート」の意味;昭和の成仏のために、超些細 = 「様々なる衣装」編   )、遠藤誉の中国政治現状分析の本をいく冊か読み、さらに文化大革命の本を読んでいる。あまりの濫読のため (← ちゃんと、カネ儲けの仕事しろよ!) 「毎朝、中国共産党の革命歌を歌う変わったおじさんの父」の娘の本にもぶち当たってしまった(愚記事; 唱紅は、野心喚起の響き)。余華、『ほんとうの中国の話をしよう』は読みやすい。初心者への中国入門としてはよいと思う。文化大革命の本はこれまでもっていた本の再読と新たな本を読んでいる。文化大革命は読めば読むほど謎がでてくる。そして、これら中国現在史(中国には現代史しかない、なぜなら中国が発足したのが1949年だからだ)を読んで、少しは銭理群、『毛沢東と中国』の理解がすすんだ。

   

 この銭理群、『毛沢東と中国』をきっかけに、今の防衛大学校の校長センセは中国屋さんだと知る。国分良成 校長センセだ [wiki]。五百旗頭真校長センセ(愚記事:用もないのにコーチョーセンセが.... )は退官していたのだ。 その中国の超専門家が「評者が近年読んだ中国書の中で最も心を揺さぶられた一冊である」と書評する本だったのだ(銭理群、『毛沢東と中国』の書評、防衛大学校長 国分良成#1)。素人には難しいのだ。

【5月】

仙台参り

my sentimental journey; 虫瞰・鳥瞰 仙台2013 

ポーランド出張

『勧進帳』を読み上げるヤルゼルスキ、でも、21世紀、『立ち往生』は免れる。

【6月】

  

映画『兵隊やくざ』シリーズ全部をみた。

兵隊やくざシリーズ (1965-1968....1972); 造反時代への準備教材

【7月】

モスクワ出張

モスクワっ子は、犬派が多いのか?

【9月】

横浜中華街参り


中華街 中共派

 【10月】

「中華街」参り


 王府井、北京

北京参り 2013

【11月】

秋のつくばは美しい;

 

【12月】 

愚ブログの「読み」が外れる;


愚記事; 2006年06月04日 11時40分52秒

2012年12月26日(中華人民共和国初代主席の毛沢東さんの119回目の誕生日)に発足した第二次安倍晋三内閣の総理大臣は、2013年12月26日の内閣発足1周年の日に靖国神社に参拝。

おまい、あやまれよ!と電波が来る。

なぜなら、今まで、さんざんおちょくって来たからだ。


愚記事;  動かざる ボンクラだから動けなかったこと山のごとし。

ごめんなさい。 ゆるしてください。

今回の靖国参拝で顕わになったのは、親米保守 「アメリカ真理教」教徒の まぬけさ の暴露である。

米国は日本の基本的生存権を否定しているのだ。

米国はじめ戦勝国の戦略目標は「日本が二度と米国の脅威にならず、世界平和の脅威にもならないようにすること」に他ならない。この点中国と米国は戦略的目標が合致しているのだ。日本は戦勝国の「喜び組」としてカネと領土だけを出しいればいいのだ。(おとろしいことにいまだに対中ODAというのは続いているらしい [了解しかねる対中ODA継続] ) こういう背景なのに、日米「同盟」などといってきた親米保守の まぬけ さが顕わになったのだ。


■ そして、ヤルタ―ポツダム体制の守護者となった中国共産党

 

■2013年回顧 ―アートシーン(笑い)篇―

エル・グレコ展、上野、東京都美術館 

プーシキン美術館

トレチャコフ美術館本館

トレチャコフ美術館新館

だれもいなかった。5人も人を見なかった。

トレチャコフ新館近くの通り。 少しはパリっぽい?

地下鉄の駅に近くなるとコンクリートの高層住宅街となり殺風景となる。

モスクワの地下鉄では携帯やiPhoneやっている人より本読んでる人の方が多い気がした。

 

「プーシキン美術展」、 横浜美術館

 

アートアクアリウム、東京日本橋


・ 798芸術区、北京

 

 

■ まとめ

おいらの脳内:: 赤色と支那文字はシナプスを活性化させる???!!!

それは、実は、正しく、道ることは実現しがたく、造反がその実現をなしうることであると、わかっていたのだ。

 造反戦争としての1941年の対米英宣戦布告


  - 支那文字だけがメッセージ -

 

 

 


#1

毛沢東と中国(上・下) 銭理群著 自身の経験を踏まえて描く現代史

2013/2/24付
  本書は、評者が近年読んだ中国書の中で最も心を揺さぶられた一冊である。それは、学者そして人間として対象に真摯に向き合う著者の姿勢がこの大著の中に溢(あふ)れているからである。

  本書が見事なのは、著者が生きた毛沢東時代から今日までの中華人民共和国の歴史を、自身の経験とその時々の思いを絡ませながら立体的に描き出している点に ある。著者は、毛沢東時代に形成された政治体制の根本的病理を、自身の過去の精神的彷徨(ほうこう)に正面から向き合うことで解明している。

  本書の注目すべき論点は次の三つに集約できる。第一に、「五七体制」を中華人民共和国の最大の画期として位置付ける点である。一九五七年、毛沢東の指示に より共産党外から共産党を批判させる運動を始めたが、予想外の大批判に直面し、慌てて発言者を摘発することに切り替えた。これが反右派闘争である。著者に よれば、この闘争こそが今日に至る一党専政の出発点であり、その後の大躍進、文化大革命へと続く継続革命の起点となった。著者は反右派闘争の際、北京大学 の学友を陥れてしまった顛末(てんまつ)を正直に懺悔(ざんげ)している。

 第二に、トウ小平体制は「五七体制」で確立された毛沢東時代の一党専政をむしろ維持・強化したとの指摘である。それをここでは天安門事件を指す「六四体制」と呼ぶ。毛沢東とトウ小平は方法論こそ違えどともに生産力主義者であり、本質は富国強兵論者であるという。

  第三に、著者は毛沢東からトウ小平へと続く一党専政の中で「民間」の空間が生まれ、維持され、拡大されてきたという。「民間」とは、「五七体制」に対する 疑問や批判を展開することで正史から否定・抹消されつつも、その言論空間を広げてきたリベラルな思想家や活動家を指している。

 著者の描く中国のあるべき姿は、一党専政を排し、民主的で狭小な民族主義を脱した政治体制である。「偉大な中華民族の復興」を声高に唱える今の中国で、その可能性は低い。しかし、著者らが先導してきた「民間」の空間が着実に広がりつつあることもまた事実である。

(防衛大学校長 国分良成)

[日本経済新聞朝刊2013年2月24日付]

 


ぶどうの木再生日記;第41週目

2013年12月28日 10時54分01秒 | 草花野菜

■ 今週のお誕生会

 ⇒ 12月23日 あきひとさん(御存命)

戦後バンザイ!

などてすめろぎは、RPGとなりたまいし...


孤独な人間が、やさしい奥様のたすけをうけて、役割を果たす

天皇陛下記者会見 全文

 ⇒ 12月26日 マオさん (故人)


   google  なお、上の画像中の文章の「毛沢東記念堂」はまつがい。
正しくは、「毛沢東念堂」である(関連愚記事: - 「毛沢東紀念堂」のパンフを手にする西蔵僧 -)。

 ■ 今週の失望


 失望した!

 

 ■ 今週の贈り物


靖国神社参拝 自国の権益拡大の口実に使いたい中国への贈り物


  突然の贈り物

▼ 今週の励ましあうふたり、あるいは、戦略的互恵関係への模索

日本国安倍首相の突然の贈り物は、先月の中国の防空識別圏の設定宣言など一連の覇権主義に対する御恩返しに他ならない。

それを口実に戦争できる国へがんばっているのだ。中国の脅威がなにより国内での説得材料となる。

一方、中国では日本を敵にして国内矛盾をごまかそうとしているのだ。

お互い、脅しあって、励ましあっているのだ。 麗しい日中太子の方々。

そして、正嫡性を誇示しなければいけないので、
12/26 マオさんのミイラを参拝した日没する処の太子、
魂のみの靖国神社を参拝した日出ずる処の太子)、

   ― 励ましあうふたり -


【中国ブログ】わが国には日本が必要…日本を意識すれば繁栄できる

まとめ


    革命国家、日支;


 やはり、 似た者同士、やることも同じなのだ。 愚記事: 日支は、糾える縄の如し。
 

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【2013年回顧 ④】 仙台散歩

2013年12月25日 22時19分20秒 | その他

 
my sentimental journey; 虫瞰・鳥瞰 仙台2013

■ 蜃気楼の街

 今年5月仙台に散歩に行った。当初の予定通り大橋を通って広瀬川を渡り仙台市博物館に寄る。若冲展を見るのだ。その後、澱橋を通って再び広瀬川を渡る。センチメンタルジャーニー by 御徒を実践するのだ。そして、B29の襲来にも耐えた木町通(関連愚記事; シカゴ・アヴェニュウーと呼ばれた日)を散歩する。

泊まったホテルは一番町のホテル。 タイムマシーンに、お願い! ????のホテルらしい

元来貧乏学生が、出世して、泊まる、お宿らしい(???) (後述)。

部屋に入って景色を見下ろすと片平が鳥瞰できた。昔しばしば散歩した。ただし特に地図を持って散歩したわけでもなく自分の足で行くことはできるが道や建物、店が地図上でどういう位置関係にあるか詳細を知らないことも多かった。散歩のコースは大体いつも決まっていた。四半世紀ぶりにその散歩コースが鳥瞰的にわかった。

 

・このホテル、タイムマシーンに、お願い! ????ホテルらしい....


貧乏学生時代を過ごした仙台全てを見渡せるルームビューはタイムマシンのようにとても懐かしいものでした。


 ― ルームビューはタイムマシンのようにとても懐かしいものでした。 

元々は貧乏学生が、出世して、泊まる、お宿らしい(???) に、出世しなかったおいらも、泊まってみた。

▼ 当初は散歩する予定はなかった片平から五橋を歩いた。なくなってしまったものは気づきずらいが、残っているものはわかりやすい。

  
 もう五橋ではやってない萬葉堂書店(移転したらしい)     昭和に買った本の値段表

▼ 少しとんで一番町1番

昔、ここに中古レコード屋さんがあった。パラダイスレコード。

今、ネットで調べたら、移転して、営業しているらしい。

北門食堂がなくなっていた。さらには片平構内はすっかり小奇麗になっていた。今から思えば四半世紀~30年前は片平構内が一番荒れていた頃だったのもしれない。金研だって立て直す前だった。あの廃墟の建物だった保健管理センターがお色直しされいるのをみて、びっくりした。

今年の回顧ということで、愚記事;蒙童、老舎老師を知る、の関連でいうと、老舎は片平に1965年4月18日に来ている;

出典:長尾光之 · 阿部兼也 · 渡辺襄、「仙台を訪れた老舎」

 

 


【2013年回顧 ③】 ポーランドに行った

2013年12月22日 13時38分44秒 | その他

 春に行ったポーランド;

  
    コペルニクス像

今年のおいらのコペルニクス的転回は、仙台にて、虫瞰→鳥瞰転回 (愚記事:my sentimental journey; 虫瞰・鳥瞰 仙台2013


ワルシャワの中心街


ワルシャワから列車に乗って地方に行く。途中、ただただ耕地。人影も見えない。


 地方の街かどにて

■ 蚊取り線香

公園で蚊取り線香をつけていた。

■ 街角の張り紙


 「行方不明の猫 !」、 ワルシャワ

■ 壁画


 ワルシャワ

そして;


  ワルシャワの街かどで

■ ポーランドへは国際学会の参加のため行った。日本人はおいらひとりだった。というか、日本人なんて参加しないだろう国際会議がポーランドで開かれることを見つけたので、参加することに決めた。国別参加人数情報の一部(下記)。コロンビア3人、ベルギー5人、そしてアイルランド、日本ひとり、など。

・目立つ華人

日本人はおいらひとりだったが、華人は 多かった 主流のヨーロッパ勢の中で少数ながら(5~7人程度)存在感があった。なお、コリアンはゼロ。シンガポール、台湾、ヨーロッパ、そして大陸から華人(=中国系)の研究者が参加していた。彼らは、非公式の席では中国語で話す。出身国もばらばらだけど、集まって中国語で話していた。ほとんどが英語はthe second languageなのであるが、元気に活躍している。その元気さがすごい。シンガポールの偉い教授さまの英語なぞ、すごい訛っている。でも、通じている。ひとり、ヨーロッパの名門大学の教授さまが極めて流暢な英語であった。素性をきくと、出身はシンガポールとのこと。若くしてヨーロッパの大学に行ったと推定される。上記のシンガポールの教授さまはおそらく(蒋介石一派→???)台湾??or 大陸??→米国留学→シンガポールで教授さまと思われる。

集まって中国語で話していた華人研究者たちとは個別においらは話した in English。 彼らを interviewするに政治上のboundaryは感じられない。極論すると、国民国家意識、なんてものを持ちあわせていないがごとく語る。 恐るべし、華人の inter-nationalizm。

(台湾の研究者に「おめえさんちは蒋介石の旗本かい?」ってお尋ねしたら、「いや、おいらんち(おいらの家)は、200年前くらいに大陸から来たんだ」とのおこたい。じゃ、「清朝 Qing Dynastyの頃だね?」と聞くも、Qing Dynastyが通じず、筆記で清朝と書いても通じなかった。おいらの尋ね方がおかしかったのか?彼が歴史に無知な研究者か?だったのか...)

おいらが属している業界は日本での高度成長期的産業である。だから、現在日本では下火、アジアなど新興国で産業と研究が盛んなのだ。でも、ヨーロッパでは研究が盛ん。結局、ヨーロッパの目論見は技術と科学の理論的部分と統括を保持しようとすることである。

とまれ、中国大陸の技術開発の先導や頭脳的役割を周辺の台湾、シンガポール、さらにはヨーロッパが担うことになるだろう。そして、台湾、シンガポール、さらにはヨーロッパは大陸中国との連携を、経済的利益の観点から、望んでいる。

「中国包囲網」なんて日本のひとりよがりになる可能性がある。


ぶどうの木再生日記;第40週目

2013年12月21日 07時57分11秒 | 草花野菜

■ 今週の筑波山麓

▼ 今週の草木花実

 
       ひと粒と                 99 [?]粒と


 ジュウガツサクラ [?] 東京都、丸の内-大手町界隈

● 今週のぬっぽん・ぶるじょあ村; ひよこ来襲。

  ・おもてで脱ぐ就活生@初めての、命がけの飛躍; 


  丸の内-大手町界隈のビルの入り口にて

 "冬には、受付が見える場所に来る前にコートを脱ぐし、

◆ 生まれて初めて街頭で号外をもらう;

 

「政治家としてアマチュア」ときいて思い出すのがこの情景。リアクションがアマチュア。

● 今週の看猫

▼ 今週の山陽勢

  
オハヨー乳業のヨーグルト

箱根を超えて、東京を超えて茨城までオハヨー乳業がきていていることに気づく。と、おもったら県内は鉾田にオハヨー乳業の工場があるらしい[google]。

● 今週の知らざるを知る人@蒙童動物園の管理人

「駅弁大学って最初に名づけたの誰だよ。」?!:: 大宅壮一さんです [google]

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【2013年回顧 ②】 やはり、身体が大事

2013年12月18日 19時35分42秒 | その他

今年、外科に行った。足をぶつけたからだ。

最後に外科に行ったのは何年前だったか思い出せない。

学生の頃のある日ある場面で、旋盤の金属レバーの動きが鈍かった。全力で思い切り手前に引いたとき、力が余って肘が自分のあばら骨を直撃。「ばきっ」といった。

あばら骨の痛みに加え、呼吸ができなくなり、死ぬかと思った。

外科に行って、レントゲン写真を撮ると、あばらにひびが入っていた。呼吸をするだけであばらが痛み、息も絶え絶え過ごした。

今年は、足を思いっきり重いものぶつけた。蹴り上げた先に重量物があったのだ。激痛。歩行も困難。進行は跛行。

死ぬとは思わなかったが、社会的・仕事的仮死状態は免れないだろうなとびびった。

外科に行ってレントゲンを撮ったが骨は大丈夫。それにしても腫れはひどく医者も驚いていた。皮下で大量に内出血していたと思われる。歩くと、着地のとき足にひびくので、ひどく痛む。だから、動きまわれない。仕事では、身体使って実験数を多くすることでごまかしているので、動けないことは「痛い」。いかに身体の丈夫さが重要かわかった。

アタマ悪くても何とかなるが、身体がワルイとどうしょうもない。

歩くより、むしろ自転車こぐのは痛みはなかった。だから、自転車に乗るのはやめなかった。ちゃんと正座できるようになるまで三か月以上かかった。


【2013年回顧 ①】 スターリンゴシック: ワルソー、モスコー

2013年12月15日 20時16分48秒 | 欧州紀行、事情

今年のブログ投稿もあと5回(ぶどう記録を除いて)。今年のまとめをしないといけない。

今年は、ロシアのモスクワ、ポーランドのワルシャワと他の地方都市と中国の北京に行った。

みんな、旧・現共産圏の都市。

 スターリンゴシック建築を確認した。wikipedia[スターリン様式]

おいらはスターリンゴシック建築とは摩天楼のような塔のような、しかも尖塔のような建物のことかと思っていた。

違った。

北京の人民大会堂もスターリン様建築だそうだ(wiki)。北京に行ったが人民大会堂は見なかったので、画像はない。

■ ワルシャワ

  

ポプラ、すずらん、そして、ライラックとおいらの(まだ幸せだった?)がきんちょの頃を思い出した。

 → ポーランド関連の今年の愚記事; 『勧進帳』を読み上げるヤルゼルスキ、でも、21世紀、『立ち往生』は免れる。

 → ポーランド出身科学者に関連する愚記事;  帰化、あるいは、the first Hibakusha 

■ モスクワ

→ 関連愚記事; モスクワの敵(かたき)を、横浜で討つ; あるいは、田舎者の収集品を田舎者がみる 

→ 関連愚記事; モスクワっ子は、犬派が多いのか? 


ぶどうの木再生日記;第39週目

2013年12月14日 07時29分56秒 | 草花野菜

 

■ 今週の筑波山麓

■ 今週の銀杏


   ―成田山新勝寺―

▼ 今週の東亜狂帝

北朝鮮の金正恩第1書記が側近実力者の張成沢を死刑にした。 ”「中国通で改革派」、中国メディアは改革的な姿勢から張氏を「朝鮮(北朝鮮)のトウ小平」とも伝えてきた”とされている。 金正恩さん、30歳。


  ―「改革派」「朝鮮のトウ小平」抹殺に中国、衝撃

独裁国家における権力闘争という観点で、金正恩さん、30歳と文化大革命のときの毛沢東を比較して、毛沢東の特異性を書く。

金正恩さん、30歳はだしにされるのだ。

今回の金正恩さん、30歳の政敵の打倒は「裁判」を行い、「合法的」に「しかるべき組織」が「死刑」を実行した。普通の独裁国家である。

文化大革命のときの毛沢東は違った。今となってわかっているが、文化大革命を始める前に毛沢東は政敵の劉少奇の打倒を決意していた。その後軍部のトップである林彪を服従させた。だから、毛沢東はやろうとおもえば軍事独裁制を敷き、暗殺でも謀殺でも「しかるべき組織」を以って劉少奇ら政敵を殺せばよかったのだ。しかし、実際の歴史において毛沢東はそういう手段を執らなかった。

文化大革命という「大衆」運動を起こし、特に学生を使嗾して劉少奇ら政敵とその支持集団を非合法的にリンチを加えることで打倒した。アナーキー状況を作り出しに政敵を打倒させた。それはヒトラーの親衛隊がやったテロとも違う。別に毛沢東はリンチやテロを詳細に直接指示したわけではない。しかし、それはもっと恐ろしい=テロルな現象を起こした。リンチが多発するように役者(紅衛兵)とアナーキー状態をつくりだしたのだ。

つまらない比喩でいうと、金正恩さん、30歳の普通の独裁者のやり方が、熱水を政敵にかけることで火傷させることに喩えるなら、毛沢東の手口は社会を電子レンジに放り込んで、スイッチを入れ=電磁波をかけて、水分を振動させ発熱させるようなものだ。毛沢東は政敵の走資派は水分に富み、紅側(味方)は乾燥しているので発熱しないと考えていたのだ。

こういう比較をすると、金正恩さん、30歳は1989年の天安門事件において丸腰の民衆を戦車で踏みにじった小平に近い。小平は鎮圧命令を出した。

    
   機関銃で      戦車で      紅衛兵で

  
 張成沢と金正恩第1書記       毛沢東と劉少奇

↑ 今(2013-12-14 20:14:56)気づいたんだけど、みんな「いいもの」着てるね。

まとめ: 鶏口となるも狂帝傍となるなかれ!

● 今週の悠仁さま


悠仁さま、初めて沖縄へ 平和の礎を訪問

学校行かなくていいの?と思った。でも、帝王学優先なのかな?とも思った。

学校は休みだったのだ。「悠仁さまが通うお茶の水女子大付属小学校は入試のため休校中」だそうだ。

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1972年9月27日、中南海の毛沢東書斎の左右について

2013年12月11日 06時17分04秒 | 中国出張/遊興/中国事情

 日中国交「回復」のために北京に行った田中角栄は毛沢東と会った。1972年9月27日だ。日本の総理大臣である田中角栄の中国側のカウンターパートナーは周恩来である。だから、 中国の国家の(事実上の [1])元首である毛沢東との会見は「表敬訪問」となる。毛沢東は角栄を自分の「書斎」に招いたとされる(上図)。もっともこの部屋が本当にマオさん の書斎かどうかはわからないではないか!?というつっこみはみたことがない。『中国文化大革命の大宣伝』の著者草森紳一は、上記画像を見て「人を圧倒する ことうけあいの書斎」と判断している。

[1] 後註;2018/3/25。この時(1972年)毛沢東は国家主席ではない。国家主席(代理)は、(この年死んだ/殺された劉少奇の後)董必武。 この時、マオは中国共産党中央委員会主席。

変なの! 草森紳一って、『本が崩れる』の草森紳一だよね。別にマオさんの書斎は『本が崩れ』てないぞ。もっとも『本をくださる』マオさんではあるのだが....。


本をくださる』マオさん(真ん中)と本を片手で頂く角栄(右)、「幼児を見る眼差しで笑っている」周恩来(左).

田中角栄が、訪中した時の写真は、中国も日本も、ほとんど似たり寄ったりである。(中略)そういう紋切りの写真の中で私が気になったのは、毛沢東が、田中角栄におそらく復刻和綴じの『楚辞集注』を贈った時のものである。この時、五十四歳の若さであった角栄は、片手で六冊の『楚辞集注』をわし掴みし、残りの手で、毛沢東と握手している。
 あわてる角栄のしぐさがおかしかったのか、毛沢東も珍しく歯を見せて笑っている。毛のかたわらにいる周恩来も、そういう「大人」の愛想笑いである。角栄は、腹を立てる幼児の冷静さはなく、ひたすら汗びっしょりの感じである。この種の宣伝写真の中では、小味があって、出来のよいものである。
  草森紳一、『中国文化大革命の大宣伝』 

google [毛沢東はなぜ贈物に『楚辞集註』を選んだか]

■ そして、どうでもいい話です。

中国共産党が2001年に中国共産党80年周年記念の写真集を出版した。写真からなる中国共産党史だ。文章が読めない庶民にもわかりやすい。

その142ページ目の1972年の田中角栄日本国総理大臣の毛沢東との会見の写真の左右が逆になっている。印画紙を左右逆にして紙に焼き付け出版している。これまでのこの時の毛沢東と田中角栄の会見の写真では角栄が向かって右側にいる(図2)。

この2001年の左右逆転は何か深い意味があるのだろうか?


 紀念中国共産党成立八十周年(2001年出版)のp142。 角栄左、マオ右。

 
   - 草森紳一、『中国文化大革命の大宣伝』より - マオ左、角栄右。


図2 ネットで拾ったNHK放映の番組のひとこま。 角栄右。

後記; この時の映像はこのYouTube [十年文革] (現在リンク切れ)の0:52:34からの部分で観れる。


今日は成田で; かえで?

2013年12月08日 19時09分30秒 | 草花野菜


 ―成田山新勝寺-

成田に行った。新勝寺の銀杏の黄葉の絶頂は過ぎていた。残念。 

今日12月8日は、ブッタさまが悟られた日です。スジャータさんが活躍された日らしいです。

■ 造反戦争としての1941年の対米英宣戦布告


―中国文化大革命中の腕章と昭和16年12月9日の新聞―

12/8の開戦記念日、大詔奉戴日なので、少し思いつき。 1941年12月の大日本帝国の対米英宣戦は東条内閣でなされた。でも、そこに至った原因と大戦争を可能にした政治体制の構築は近衛文麿の数次にわたる内閣でなされた。つまり、日中戦争(当時の呼称は支那事変)にのめりこみ、大政翼賛会をつくり、国家総動員法をつくり、日独伊三国同盟を結び、最後には仏印に進駐した。仏印進駐が対米戦回避の可能性を断ったと判断する歴史家も多い。

その近衛文麿は、1918年に『英米本位の平和主義を排す』という論文を書いた。第一次世界大戦直後の時評である。要旨は、第一次世界大戦で負けた帝政ドイツは遅れてきた強国(帝国主義国という言葉は使っていないが、そういう意味)であり、帝政ドイツは自存自衛のために戦争をしたという面もあるのだ。それをすでに既得権で欧州はじめ世界を支配しはいしている英米が平和主義という物差しでドイツを裁き、豊かな自分たち英米が戦争しなくて済む現状維持勢力である状況を無視して、欺瞞的だ!というものだ。例えば下記のように書いてある;

 欧州戦乱は既成の強国と未生の強国との争いなり、現状維持を便利とする国と現状破壊を便利とする国との争なり。現状維持を便利とする国は平和を叫び、現状破壊を便利とする国は戦争を唱ふ。平和主義なる故に必ずしも正義人道に叶ふに非ず、軍国主義なる故に必ずしも正義人道に反するに非ず。要は只その現状なるものの如何にあり。

つまり、遅れてきた帝国主義国のいきさつに同情し、遅れてきた帝国主義国を受容しなかった英米に憤っているのだ。 なんだ、造反有理の思想ではないか!

近衛が1918年に27歳で『英米本位の平和主義を排す』を書いてから、20年後、1937年に首相になってやったことは、今から見ると27歳の時の『英米本位の平和主義を排す』の思想に則ったものに見える。

ただし、近衛の実生活は親米英的であった。自ら英国、米国に行くし、息子は米国に留学させた。金持ちけんかせず。近衛文麿のおもしろさは、下半身=物質的構成が「俗物=物質的=米英的=快楽主義=暖衣飽食→セックス大好き=京大時代は「妾」をもっていたらしいこと」であり、一方、頭脳=観念が(公爵という皇族以外で最高位にありながら)孤児(生母が産後まもなく死んだ)、幼少期の貧乏(公爵家なのに借金取りが来た)など不遇体験に基づく観念左翼&観念右翼であることだ。なによりのおもしろさは、ヒトラーの仮装をしてしまうところだ(愚記事:近衛文麿 ヒトラー仮装写真 )。

でも、歴史において、日本は世界の現状維持勢力であった米英に戦争を挑んだ。世界の体制への挑戦である。 造反じゃないか!

世界の体制への挑戦というイデオロギーは共産主義、ナチズムから注入された。近衛自身そもそも『英米本位の平和主義を排す』という気質があるので、共産主義やナチズムを学習したに違いない。

『英米本位の平和主義を排す』の文章の魅力は中二病的要素が入った、世界の暴露、暴露された現状や体制への挑戦文であることだ。アジビラ風でもある。conservativeな上品な人にとってには耐えられない幼稚なものだ。暴露することに成功したことに陶酔し建設案を出しているわけではない。建設案がないので、自ずと破壊や反逆しか活路がみあたらない。

■ さて、2013年

今の中国共産党の言い分は『日米本位の平和主義を排す』といったところか?

リークアンユーは[愚記事]、中国は第二次世界大戦を起こした日本やドイツみたいことをすべきではない。静かに世界で大きくなれと言っている。

中国は帝政ドイツの過ちを繰り返してはならないとフィナンシャルタイムズはいったそうだ。

一方、国内問題として、中国は「中産階級の罠」は回避できるとの見通しとの報道(google[中国 中所得国の罠])。

日本もドイツも戦争前夜は中産階級が半端に形成された時期で、戦争を望み、翼賛したのはその中産階級の大衆である。

(なお、新聞というのは中産階級の大衆が戦争の情報を得るため購入することで発行部数が増えた[関連愚記事]。)

それにしても、『英米本位の平和主義を排す』を毛沢東が読んだら、絶対喜んだと思う。反米ということではなくて、造反を唆す中二病的なところ。

▼ 話はすごい飛ぶが、戦争ネタということで、

中国の文化大革命の時期に、日本の映画『山本五十六』、『日本海大海戦』、『ああ、海軍』、『トラ・トラ・トラ』などが日本から中国に輸入され特定の劇場で非公開で上映されていた(唐亜明、『ビートルズを知らなかった紅衛兵』)。大義名分は、日本軍国主義復活批判である。林彪一派はこれらの映画を見ていたと記録がある。中国共産党の特権階級は楽しんでいたのだ。当時の中国の敵は米ソである。反帝反修の時代だ。その時代、ロシアやアメリカの艦隊を次々打ち破るわれらが大日本帝国海軍の栄光の記録を中共幹部は観ていたのだ。無意識にでも大日本帝国の造反にしびれていたに違いない。

さて、20年後国力が伸張するとみなされている中国。衰退が免れないとされる米国。平和の海=the Pacific oceanはどうなるのであろう。

実現性はともかく、考えられるひとつのシナリオが日中連合造反軍がパールハーバーを襲うことである。

当然、そのとき日本は中国に「飲み込まれている」のであるが。ただし、その時の為政者=対中従属派は現在の対米従属派とそのメンタリティは変わらない。ただ、長いものに巻かれただけさ。

そのとき日中で山本五十六が英雄となっていたら、にこにこできる。 なにより、「実現性はともかく、考えられるひとつのシナリオが日中連合造反軍」における将来の「日中連合造反軍」への道の第一歩は、「離米」志向である。今、「離米愛国」なんていって本を出している御仁こそ中南海からの工作員かもしれない。 愛国無罪って言葉もあるしね。