関東平野。典型的な冬晴れ。気温は低いが、日差しがまぶしい。
常陸の国、筑波山麓の小田城址。
今は田んぼ。つわものどもが夢のあと。
ここで、600年あまり前、北畠親房が、大日本は神国なり、で始る『神皇正統記』を書いた。
別にその場に行っても当時のものは何もない。当然である。が、親房が毎日見ていただろう筑波山はある。
村松剛は『帝王後醍醐』において、後醍醐帝の出現なしに明治維新はなかった、と言っている。もちろん、後醍醐が明治維新の時代に生きていたわけではないから、村松のものいいは隠喩・暗喩である。
後醍醐帝:幕府なしで国政をせむとした、日本史上全く特異な帝。 鎌倉幕府滅亡後日本を統括しようとするも、足利尊氏が別の帝を京都に立て、事実上敗北。吉野にいわゆる南朝をつくる。
村松の言いたいことは、幕府を廃し、自ら日本を統括するという帝モデル、がなければ明治維新のむつひとさんはありえなかった。
◆この『神皇正統記』、岩波文庫などにあるはずなのだが、 品切れ。 原物を読まずして、周辺から情報を集める。
◆親房がなぜ、吉野や京都からはるか遠い関東で、この「神皇正統記」を書いたか?それは東国の武士団に南朝を支持するように工作するためであった。
親房が筑波山麓に来たときに後醍醐帝の崩御を知る。そして、5年をかけて「神皇正統記」を書く。これは親房が結城親朝を説得するための政治文書と考えられている。
この書の「天皇」論のポイントは;
・「天皇」は血筋ばかりでなく、その君徳が必要である。
・三種の神器が重要。
・国政では、公家は武士より高い位置で「天皇」補佐する。
(日本の歴史⑥ 永原慶二 小学館 1992)
◆<書かれたもの>の運命。古書検索で『神皇正統記』を検索すると、戦前のものが多い。これは戦争のための国民精神の総動員の政府の施策と共振するものだろう。20世紀前半、14世紀に<書かれたもの>を多くのひとが読み込んだのである。
常陸の国、筑波山麓の小田城址。
今は田んぼ。つわものどもが夢のあと。
ここで、600年あまり前、北畠親房が、大日本は神国なり、で始る『神皇正統記』を書いた。
別にその場に行っても当時のものは何もない。当然である。が、親房が毎日見ていただろう筑波山はある。
村松剛は『帝王後醍醐』において、後醍醐帝の出現なしに明治維新はなかった、と言っている。もちろん、後醍醐が明治維新の時代に生きていたわけではないから、村松のものいいは隠喩・暗喩である。
後醍醐帝:幕府なしで国政をせむとした、日本史上全く特異な帝。 鎌倉幕府滅亡後日本を統括しようとするも、足利尊氏が別の帝を京都に立て、事実上敗北。吉野にいわゆる南朝をつくる。
村松の言いたいことは、幕府を廃し、自ら日本を統括するという帝モデル、がなければ明治維新のむつひとさんはありえなかった。
◆この『神皇正統記』、岩波文庫などにあるはずなのだが、 品切れ。 原物を読まずして、周辺から情報を集める。
◆親房がなぜ、吉野や京都からはるか遠い関東で、この「神皇正統記」を書いたか?それは東国の武士団に南朝を支持するように工作するためであった。
親房が筑波山麓に来たときに後醍醐帝の崩御を知る。そして、5年をかけて「神皇正統記」を書く。これは親房が結城親朝を説得するための政治文書と考えられている。
この書の「天皇」論のポイントは;
・「天皇」は血筋ばかりでなく、その君徳が必要である。
・三種の神器が重要。
・国政では、公家は武士より高い位置で「天皇」補佐する。
(日本の歴史⑥ 永原慶二 小学館 1992)
◆<書かれたもの>の運命。古書検索で『神皇正統記』を検索すると、戦前のものが多い。これは戦争のための国民精神の総動員の政府の施策と共振するものだろう。20世紀前半、14世紀に<書かれたもの>を多くのひとが読み込んだのである。
2・26事件で、明治維新に習い天皇を戴き政治体制を一新しようとした日帝陸軍兵士によって、殺害された蔵相・高橋是清。
仙台・伊達家の足軽の子として江戸で育った。
是清クンは、竹雀(伊達家の家紋のひとつ)系だっちゃ。
維新のころはガキンチョだったのだろう。長じてヘボン(ローマ字のヘボン式)の学校で学び、その後渡米。「奴隷」契約にサインしてしまって、たいへんな目にあったこともあったようだ。(ちなみにHepburnはローマ字の形式名のときはヘボン、『ローマの休日』ではヘップバーンとなります。)
薩長のいんちき政権に抵抗し、奥羽越列藩同盟をつくった仙台・伊達家。
そんな、むつひと帝をダシとしたクーデターから68年後、
またしても、天皇を戴く狂信集団の犠牲者です。1936年。
1868年のクーデターでの竹雀犠牲者。
例えば、玉虫左太夫。
幕府の小栗忠順らと遣米使節団として渡米、世界一周をして、米国で近代社会の洗礼を受け、帰国。
薩長のいんちき国家捏造に遭遇。
当然、理を通す。
その結果、敗北、切腹。
テロ起源国家・大日本帝国の発足を許してしまう。
狂気のすめろぎ勢力に、理性で抗した仙台系の高橋や玉虫であるが、彼らに共通なのは米国体験。
ん~。
近代理性か、狂気のすめろぎ、って救いのない選択だな~。
明日は狂気の発祥の地、探訪記だ~!(予定
)
映画監督、岡本喜八が死んだとウェッブのニュースで知った。映画に興味は薄いのだが、レンタルビデオ屋でへんてこなパッケージを見た。海へがらくたのような魚雷のような潜水艦ようなものでひとり出航するような映像の写真。アングラ系。その時、岡本喜八の名を知った。さっきまでアングラ映画監督と思っていた。
ウェッブニュースをクリックし経歴を見たら、なんと『日本のいちばん長い日』の監督だった。『日本のいちばん長い日』は、昭和20年8月14日から15日までの終戦イベント、具体的には玉音放送(天皇の肉声で停戦を宣言する録音盤の放送)を遂行する、を描いた映画。
このポスターをみると、カラーのようであるが、映画は白黒だったと記憶している。最初に見たのはガキンチョの時で、テレビ。2週に分けて、放映。後半が見られず、とてもくやしかった。当時はビデオなんてものはなく、もう見る機会はないのであった。長じて、30歳まじかでレンタルビデオでみた。
それで、畑中少佐を演じていたのが黒沢年男。畑中少佐は終戦に反対。映画では、阿南陸相にポツダム宣言をめぐって、文章に 「subject toとあります!」と叫んでいたシーンが印象的。しかし、別の本によれば、「畑中少佐はあの黒沢年男のように熱情的な男ではなく、冷静・知的な軍人だった」とのこと。畑中は終戦に反対し、最後はビラをつくって、市井に撒いて、最後の最後は自決。ビラを撒く軍人というのもなにか皮肉なものだ。
投稿後期:昨晩、踊るさんま御殿に黒沢が出てたのでデジカメでとって、ネタにしますた。
五百旗頭(いおきべ)真センセである。
敗戦後日本がマッカーサーから精神年齢12才と罵倒された史実を受けて、
そんな日本人も成熟した面もありました。
当時日本に最大の脅威の国はどこでしたか?米国です。その米国と同盟を結んだことはすばらしかった。
そこで、現在の最大の脅威はどこですか?中国です。
だから、中国とうまくやりましょう!
と主張。
まずは最大の脅威が中国かどうかともかく、なぜなら北朝鮮があるから、日本に脅威を与える国と誼を通じなければならないという論理を適用すると、日本と北朝鮮の関係改善がうまくいかないのは、北朝鮮の日本への脅威の与え方が不足しているからだ、ということになる。同じことはロシアにも言える。
■そもそも五百旗頭の間違いの根本は戦後のサンフランシスコ体制を評価していることである。交戦権をもたず、軍隊ももたない「国」と、普通の国の間に同盟関係など原理的に成り立たない。戦場でともに戦う軍隊をもつ国どうしが契約するのが同盟関係である。
そんな原理を無視して、日米は同盟関係であるなどと欺瞞しているのが日本の「保守」学者、「保守」政治家である。日米安保条約は、軍事同盟関係条約でなく、被保護国安全保障条約と認識するのが正しい。
日本が外国と同盟を締結するのは合理的であるが、それなら交戦権と軍隊の設置は不可欠である。
■五百旗頭の戦後認識は、例えば『日本の近代6 戦争・占領・講和』中央公論新社, 2001年,に記されている。この本は、とかく終戦を境に戦後史と戦前史を裁断してしまい、別個に語る通史がほとんどすべてあるなか、開戦から講和、そして戦後体制の確立を見通そうとしている点が優れている。さて、戦後体制認識であるが、軽武装経済重視路線と親米路線が自由貿易体制を実現したと認識。その結果1990年代に露になった問題点として、「軽武装・通商国家として豊かな果実を手にした戦後日本であるが、何か大事なものが欠けていたように思われる。」と五百旗頭は書いている。ちょっと悠長すぎないか?
それに、軽武装であったことと戦後復興、高度経済成長が経済的因果関係があったことが論証ぬきで広まっている。軍事ケインズ主義というのもあり、再軍備・軍需産業振興・経済発展という路線もある。軽武装=主権放棄・交戦権放棄が「豊かな果実」をもたらしたというのは「神話」である。
また、「豊かな果実」も疑わしい。従来の産業は空洞化し、日本人は働き口を探すのがたいへんだ。先祖伝来の農業や商売をしていれば、サ講和時の農業人口は4-5割ではないかな、持続可能性の高い社会が日本に継続していたことになる。貧乏だけど。こういうことを保守的というのではないだろうか?
■なぜ中国や北朝鮮、あるいは北方領土を占拠しているロシアが日本を挑発、あわよくば何かを分捕ろうとするのでしょうか?それは日本が米国の分捕りを容認しているからです。中国やロシヤや、北朝鮮でさえ主観的には自分たちは戦勝国だと思っています。だから、日本からなにか分捕ったり、土下座させて当然だと思っています。そんな状況で日本は戦勝国米国にのみ沖縄、東京(横須賀、横田)を好きにさせています。日本が自分のものは自分のものだときちんと自己管理できるようにならないかぎり、日本にからんでくる有象無象を防ぐことはできません。
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今週あたま、日曜日の夜、テレビに大貫妙子が出ていた。
たまたま見たのだけど、昔の思い出ばなしなどしていた。坂本龍一のことなど。上のアルバムの『La mer, le ciel』のピアノなんぞをパラパラとたたいているのは坂本龍一だと思い込んでいて、今クレジットをみたら、ちがった。坂本はアルバム中の1曲のRemix engineerとしてクレジットされていた。
おいらは、彼女の作品群では、3rdから6thの一連のものが好きです。リアルタイムではないのですが、「レコード」を集めました。特に「ロマンティーク」と「アヴァンチュール」。1970年代後期というのもびっくりです。そのころは、カイバンド、アリス、松山千春(爆笑)時代ですよ。こういう音楽はないし、ただいっぽまちがえると、いんちきになるんだけど、よくできています。
そんで、そのテレビでは、なぜか「政治主義」に言及。
言い方は、当時は学生運動も末期で、コンサートやってもポップスだとブーイングされてよわった。そういうこと(政治運動)と音楽は別ものとしなければだめなのよ。
といっていた。大貫がそういうこと経験して今にいたっていることをはじめて知ったが、よくわかる話ではある。
そして、大貫はジョニー・ミッチェルの「サークルゲーム」をうたったのでした。