いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ラストオーサーは私に; Science のはやぶさ試料6論文を読んだょ

2011年08月30日 19時25分20秒 | ぐち

■週末、Scienceの惑星探査機「はやぶさ」が回収してきた試料を解析した結果の6論文を読んだょ。
 Hot Topic: Hayabusa—Dust from Itokawa

これまで、さんざん、はやぶさプロジェクトについて愚痴を言ってきた。これは、別に、正しいことを語るというものはなく、ただただおいらの、ねたみ・ひがみ・そねみに基づくルサンチマンの発散に他ならない;

試料採取目的惑星探査機『はやぶさ』の残念について

塵(ちり)で筑波山がわかるのか?イトカワって筑波山より小さいのね、知らなかったわ。

「現場はぎりぎりのところで一生懸命がんばっている」けど、紛失しちゃった!   

セシウムで汚れちまった梅を干す、そして、「宇宙村」の滅亡を希求する。

●6論文読んだけど、基本的認識は変わらず。

なんのことはない、普通コンドライトはS型小惑星から来たってことを直接示したということなんだろうけど...。あんな研究費かけてやることかね?

ただ、イトカワはやせ細って、そのうち消える!にはびっくりした。この結果は、直接サンプリングじゃないとわからなかったことだろう。

いずれにせよ、「太陽系の起源とその後の惑星進化を明らかにすることに寄与するという目標」にはそんなに貢献していないと、おいらは思う。

でも、このScienceの特集に結果を出した研究者たちは、相対的には、偉いよね。なぜなら、報道によれば、ここに出てきていない研究者にもはやぶさの試料が渡っているはずだから。別に、このScienceの特集に出す必要もないのだけれど、結果出せないとなると、それこそ、そんな研究費かけてやることかね?といいつのりたくなる。

■Scienceの6論文+第3者(?)によるopening remark [6論文の概略紹介]に関するメモ;

0. opening remark  Krot

水/水素を含んだ鉱物が今回見つからなかった。これじゃ地球の水の起源が分からないよ。やはり、揮発性成分のありそうな小惑星を探査しなくちゃね。やっぱ、はやぶさ2号だ!


1.Nakamura 論文 

はやぶさの回収してきた1500に及ぶ塵の中に、鉱物的考察ができる鉱物群(mineral assemblage)を見つけたよ。それらは密着していたょ(thermally anealing)。鉱物組成からLLコンドライトだったょ。そして、鉱物組成を地質学的温度計に適用すると、最高の平衡温度が800℃くらいだったょ。イトカワは今はちっぽけだけど、一時期は20kmに及ぶ岩体だったのさ。そう想定しないと、鉱物どうしが密着した状態とその鉱物の組成が示す800℃を経験したことを説明できないょ。さらに電子顕微鏡でみると、鉱物にディスロケーションがあったんだ。衝撃の痕跡だょ。一時期は20kmに及ぶ岩体にも、ある日ある時あるきっかけで衝突がおきたたんだょ。


2.Yurimoto 論文 

鉱物の酸素同位体を測ったょ。酸素って鉱物の中で一番多い元素なんだ。そして酸素には同位体があるんだょ。その同位体の比率が"指紋"みたいなものさ。あまたある鉱物の出身を分類するのに重要な指標なんだ。"指紋"というより"お国訛り"って言った方がいいかな。とにかく、"お里"がわかるのさ。イトカワの塵を分析したさ。そしたら、やっぱりL~LLコンドライトだったよ。酸素同位体でも温度を推定したょ。600-700℃だったのさ。

3.Ebihara 論文  

金属の元素分析でも"お里"が知れるのさ。イトカワの塵にはイリジウムが相対的に少なかったんだょ。イリジウムが少ない環境でイトカワの塵はできたんだ。その環境ってのはイリジウムみたいな元素が少ない、のこりかすが多いところだったのさ。

4.Noguchi 論文   

イトカワの起源のことじゃないんだ。今のイトカワの塵のおかれた過酷な環境について。太陽風など宇宙空間を吹き荒れる"風"でイトカワの塵は毎日ダメジを受けている。そして塵の表面が変化しているんだ。この変わっちまった表面のことを考慮いれた上で、遠くから小惑星を観察した結果(スペクトル解析)を検討しないと、ダメなんだ。その風化を回収試料の中に電子顕微鏡観察で直接見つけたょ。

5.Tsuchiyama論文

イトカワの塵の形状を観察、測定したょ。イトカワには溶融した証拠は見当たらなかったょ。1.Nakamura 論文 の結果(イトカワは800℃くらいになった)と重ね合わせると、800℃と融点の間の熱状態にイトカワはあったんだょ。今回のサンプリングで一番の問題である、回収した試料のバイアスについても考えたんだ。


6.Nagao論文

太陽風など宇宙空間を吹き荒れる"風"を受けたイトカワの塵の(希)ガスの同位体組成を測定したょ。そうしたら、びっくり。イトカワの表面には古い塵が無いんだょ。古い塵はみんな表面から次々離れてしまった。つまり、イトカワは日に日に痩せて行っているんだょ。このままじゃ、1~10億年で消えちまうのさ。

あばよ!

Save the last dance for me (邦題:ラストダンスは私に) - The Drifters


のこのこと、仙台参り【2011夏】 ④ 災い続く仙台城大手門

2011年08月28日 15時03分07秒 | 仙台・竹雀・政宗

未来へのキオク亡国で失われてしまった文物や失われそうな文物も、みんなで力を合わせればきっとデジタル画像として未来に残せる!

仙台城大手門@古写真: 昭和20年(1945年)7月10日戦で焼失。


↓ 今夏の仙台城大手門。今度の震で石垣がやられたらしい。


↓同じアングルの古写真を見つけた。

■ 経済成長ねぇ~。民主党の党首選で候補者が連呼、経済成長!

(おいらは、経済成長なんて、けっ!と吐き捨てるずんせいを、若いころは夢見ていたのだが、気付けば、経済成長とやらの最前線にいる(ようだ)。Death valleyに他ならない。たぶん、バチが当たったのだろう。処罰される、おいらのずんせい

<このブログは"ガダルカナルの最前線"から東京の陸軍"参謀本部"を呪うブログに他ならない;Across a Death Valley with Distillated Resentment !

おいらの槍働きに、ぬっぽんの成長の、極々微々たるにものにせよ、いくばくかが、かかっているのであれば、もうそれでダメである。なぜなら、[売上数兆円、従業員数万人なのに]"アーランディー(R&D)はバイトまかせ"の会社だからだ。

▼今回の原発事故で露わになったのは、原子力村に象徴される"ぬっぽんのえすたぶりっしゅめんと"事情。

あんなぬるいことしていて、高給もらっているんだから、経済成長なんかするはずがない。

なぜ、日本で経済成長が見込めないのか?それは、当事者たちがバカだからである。人

こういうバカどもの収入を税金や公共事業料金で賄(まかな)っているのだ。

うらやますぃ、おいらも賄ってほしい。同じバカなんだから。

▼デフレは甘い汁吸っている"ぬっぽんのえすたぶりっしゅめんと"には僥倖なのだ。

なぜなら、非えすたぶりっしゅめんと層の低賃金化で、物価が下落。給与が下がらない"ぬっぽんのえすたぶりっしゅめんと"は実質的に所得増加。甘い汁が吸える。

▼それにしても、動かない"もんじゅ"に2兆円以上(出典)がつぎ込まれているらしい。もんじゅに限らず、原研(原子力研究所)や旧動燃の研究開発者って、プロジェクトの成果が上がらなくても、全然身分や収入には関係ない。むしろ、ずーっと、プロジェクトが成功しないことを、願っているかのようだ。身分が安泰だから。

そもそも原研(原子力研究所)や旧動燃の研究開発者で、地層処分や核廃棄物処理技術を含めた原子力発電に直接関係ない研究者も多い。放射線を応用する分野とか。ぬっぽん原子力村は、原子力予算で、多くの研究者、技術者を抱えている。そして、彼らは、おそらく、ぬっぽん原子力村を離れると、生きるすべがないとおいらは邪推する。

なお、旧動燃では、プロジェクトがなく研究予算もない研究者がいる(personal communication)。ぬっぽん原子力村内失業である。でも、もちろん、給料・(1千万円くらい←邪推)はもらっている。

ところで、もんじゅやプルサーマル以前に、従来の原発用技術においても、核廃棄物方法が確立していない。地層処分とか。もっともこれは現場の研究開発者の責任ではなく、上が地層処分の場所を政治決定できないからだ。それでも、地層処分の実験場は、そこを最終処分地にしない約束で、存在する。ずーっと、地層処分ごっこをやっているのだ。うらやましい。

● 今は昔;


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 19週目

2011年08月27日 07時57分44秒 | 草花野菜

初秋になっても成熟できないぶどう。ずーっと、青二才。

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

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のこのこと、仙台参り【2011夏】 ③ 仙台市博物館・名品百選、あるいは、水玉刺繍を間近に見た。

2011年08月25日 20時10分40秒 | 仙台・竹雀・政宗

未来へのキオク亡国で失われそうな文物も、みんなで力を合わせればきっとデジタル画像として未来に残せる!

紫羅背板五色水玉模様陣羽織

 蛇足→ 

  

フラッシュ撮影禁止ということは、フラッシュを使わなければ撮影OKということだ。事実、みんな撮影してた。欧米の美術館と同じだ。(ちなみに、プラド美術館は撮影一切禁止。一方、撮り放題のサン・フェルナンド王立美術アカデミ。)

竹雀マニアとうちゃんと三兄弟を見た;40歳くらいの中年男性と十代前半の三兄弟がいた。父親殿は子供を気遣う風でもなく自分が何よりも一番展示に見入っていた。子供たちは、そろって、背中に平板で薄い小ぶりのバックパックを背負い、ふざけあうわけでもなく、親父殿に従っていた。親父殿が食い入るように見る視線の先を、三兄弟も見ていたのだ。あこがれに、あこがれる。

何やら精悍さをただよわせる親子4人組であった。

同博物館では、1時間に一度20分くらいのフィルムが上映される。支倉常長の遣欧使節の物語だ。おいらは、上映が始まって少し遅れていく。壁にもたれてぐだっと見ていると暗闇の中に、背筋を伸ばした4人。さっきの親子だ。恐るべし、竹雀藩士会。まちがいない。

この画像だけからはわからないが、実物は でかい。 実物をみるとびっくりする!」と生まれて初めて見た時は思った。なれると、びっくりはしなくなった。


のこのこと、仙台参り【2011夏】 ② 奥松島、富山・紫雲閣、あるいは、封印された明治大帝御真影

2011年08月23日 20時25分43秒 | 仙台・竹雀・政宗

未来へのキオク】 震災で失われた写真や動画も、みんなで力を合わせればきっと取り戻せる。

野蒜から富山に行った。標高約100メートル。奥松島が見渡せる。

2004年の姿↓ 紫雲閣 (富山(麗観) 松島町 【観光地 景勝地】 宮城の旅)。 
関連愚記事: むつひとさん

■震災後の現在;封印中。

この日、野蒜から車で富山に行く。駐車場から石段を登って、富山観音にたどり着く。すると展望台に人がふたり。観光客ではない。草刈機を地面に放り出して、展望台から松島湾を見ている。気付くと、下の方からサイレンや放送の音。そのふたりに聞くに、少し前に、かなり大きな地震があったとのこと。今思えばこれだ⇒19日午後2時36分ごろ、宮城県中部や南部、福島県浜通りや中通りで、震度5弱の地震があった。気象庁は宮城、福島両県の沿岸部に津波注意報を出した。ヘリがけたたましく飛んでいる。

しばらくして、津波警報解除の防災放送がきこえた。

●紫雲: 紫色の雲。仏教で、念仏を行う者が死ぬとき、仏が乗って来迎するとされる雲。


のこのこと、仙台参り【2011夏】 ① 野蒜

2011年08月21日 21時07分56秒 | 仙台・竹雀・政宗

未来へのキオク】震災で失われた写真や動画も、みんなで力を合わせればきっと取り戻せる。

貞山掘。奥松島野蒜。2007年。

●貞山掘。奥松島・野蒜。2011年、夏。

休みは、震災後5カ月たって、のこのこと、仙台に行った。まずは、野蒜に行った。

野蒜は、松島とブルーインパルスで有名な松島航空隊の基地がある矢本の間にある。「奥松島」とよばれる地域。

20年あまりまえ、おいらは少しここで"修業"をしていた。だから、ちょっとは土地勘があった。

その野蒜は当時は鳴瀬町だった。

最近の 平成の市町村合併で、地名が変わって、昔の記憶とのつながりが悪く、津波被害の実感が持ちづらかった。

東松島市とか、ビンとこない。

奥松島だけど、松島町ではなく、矢本と東松島市を作ったんだ。

鳴瀬と矢本は鳴瀬川・吉田川に分断された、元来結びつきは強くない地域どうしと思えるのだが...。

それだけ、松島町と鳴瀬町には何かあったのだろう、とつい邪推する。

野蒜海岸よりちょっと入ったところ。画像の奥には海岸の防砂林が見える。下記地図の「場所1」付近。

薄茶黄色に塗られた地域が、津波を被ったところ。
震災時⇒松の枝・自宅の庭…遺体続々 宮城・東松島市野蒜地区

■野蒜駅。

駅はかたずけられていた。それで、何も残っていない。壁のガラスなどは全壊。内部も津波にのまれたらしい。

図A

鉄道としての機能は無い。

津波の塩分も手伝ってか、錆びた鉄路に、放置された夏草。廃止ローカル線のようだ。

図B

ホームから見た、駅裏の民家。津波の破壊力がうかがわれる。

震災直後の野蒜駅周辺の映像;

●上の地図で「大仏山」という字が見える。ここの標高が68メートル。68メートルとは相当高い。仙台市街の一番高い所より高い。ちなみに青葉城(仙台城址)@山城は、市街から少し離れた高さ100メートルの「山」の上にある。

図Bの画像の奥に森が見える。ここが山。つまり野蒜は山の手前の海抜「ゼロ」メートル地帯。ゼロメートルではないが、5メートル以下位。

あの見た目が美ししい「松島」は、浮島のよう。こういうイメージ↓;

その浮島のような部分が図Bの奥の山。図Aにも「浮島」の崖の部分が見える。

本当の松島湾のあの見た目が美ししい「松島」は、まわりに土砂が堆積しないので、海の上に浮いている(ように見える)。

でも、野蒜は、川が近くにあるので、そこから供給される土砂と太平洋からの沿岸流で、砂州のような一大"堆積平野"ができた(上地図)。

その「砂州のような一大"堆積平野"」の地域一体が、今回津波を被った。

松島航空隊もこのような太平洋からの沿岸流でできた砂州のようなところに基地があったのでこうなった⇒全滅した松島・ルメイキッズ

■生き残っていた「松島ルメイ・キッズ」。

ニュースで、今日、松島航空隊のブルーインパルスが行われたと報じられていた;

東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市の中心部で20日、中止になった夏祭りに代わって企画された「“ありがとう”東松島元気フェスタ」が開かれ、航空自衛隊松島基地(東松島市)所属の「ブルーインパルス」が震災後初めて地元で曲芸飛行を披露した。
 松島基地は、津波でF2戦闘機など28機が水没するなど、大きな被害を受けたが、ブルーインパルスは震災前日から芦屋基地(福岡県)に展開していて無事だった。 
ただいま、松島の空 ブルーインパルスが飛行再開 #1

知らなかった。生き残っていたのだ。恐るべし、「松島ルメイ・キッズ」。

 

#1

ただいま、松島の空 ブルーインパルスが飛行再開

力強い飛行を披露したブルーインパルス=20日午後3時15分ごろ、東松島市矢本

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県東松島市の中心部で20日、中止になった夏祭りに代わって企画された「“ありがとう”東松島元気フェスタ」が開かれ、航空自衛隊松島基地(東松島市)所属の「ブルーインパルス」が震災後初めて地元で曲芸飛行を披露した。
 松島基地は、津波でF2戦闘機など28機が水没するなど、大きな被害を受けたが、ブルーインパルスは震災前日から芦屋基地(福岡県)に展開していて無事だった。
 この日は6機が午後3時すぎから10分間、会場上空で華麗なフォーメーション飛行を披露。機体を回転させる技を繰り出すと、来場者から盛んに拍手が送られた。
 石巻市の実家に帰省している東京都日野市の主婦増本かおりさん(37)は「ブルーインパルスは東松島のシンボル。飛ぶことで、1日も早い復興につなげられたらいい」と話した。
 焼きそばなどの出店が並んだ会場は家族連れでにぎわった。出店者の売り上げの一部は、被災した子どもへの支援に充てられる。

 

2011年08月21日日曜日

 

 


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 18週目

2011年08月20日 22時14分32秒 | 草花野菜

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ホントだぜ、2年前の話さ、写真をみてくれよ ! 移り変わりの激しい rock'n roll business

2011年08月18日 09時05分55秒 | 日本事情

ホントだぜ、2年前の話さ、写真をみてくれよ !

ホントだぜ、俺達さ、思い出してくれよ、この顔を !
― 

近田春夫、『星くず兄弟の伝説』、1980年

●愚記事;”水は舟を載せ、又舟を覆す” [2009年08月28日 20時18分08秒]より、画像の向きを変えて。(厳密にいうとこの画像は安倍内閣の後の総裁選の時のものなので、この星くず兄弟は必ずしも2年前の話さというわけではないが...。)

~♪~ 全く世間は冷たいもので、いつのまにやら、落ち目の連続ヒット ~♪~

今gooブログの編集モードを開くと、あの年の今頃、何してた? あなたが、2009年08月にアップロードした写真です と表示され、その時に自分が使った画像を御丁寧に提示してくれる。目的のないリマインダーである。2年間の今頃はまだ自民党政権だったのだ。 

ありがとう、かんがえるヒント。 2年前の話しさ ⇒ なんか聞いたことある ⇒ あっ、これだ!

●歌う近田春夫(動画の中の春雄は誤字)を初めて見た。今みて、かっこいいと思う↓

『星くず兄弟の伝説』 近田春夫

(フルバージョンはこちら⇒http://www.youtube.com/watch?v=sB1TDCPIhbQ&feature=related

移り変わりの激しい rock'n roll businessの政局。1年もたなかった鳩山内閣。まさかこれが現実のものになるとは思わなかった⇒これ。鳩山・菅もそのうち忘れられるスターダストブラザーズとして、移り変わりの激しい rock'n roll businessの波間に消えていくのだ。

~♪~ 全く世間は冷たいもので、いつのまにやら、落ち目の連続ヒット ~♪~

移り変わりの激しい rock'n roll businessの政局に司(つかさど)られるぬっぽんは、rolling stone。運命の断崖をまっさかさまに転げ落ちている。わくわくどきどきできる。苔が生えないから、いいだろう()。いつか、奈落に叩きつけられ、砕け散り、細(さざれ)石となる。そして、また堆積、変成して、巌(いわお)となるだろう。そうすれば、苔が生(む)すことも期待できる。

あわてるな、ぬっぽん。 ~苔の生すまで、~ 千代に八千代に~。

■YouTubeに戻って、近田センセの後には、スマイリー小原。指揮をするというより踊っている。おいらは、動くスマイリー小原を、自覚的には、初めてみた。子供の頃見たテレビで目に入っていたのかもしれないが。のち長じて、スマイリー小原の名を知り、おいらの偽毛唐名簿」に掲載されたことはいうまでもない。で、今日wikiで調べた、スマイリー小原。彼も濃厚な昭和の人なのであった; 

1942年、明治大学を繰り上げ卒業。召集され中国戦線へ。
1945年、敗戦時、ソ連軍の捕虜となり収容所へ。収容所で楽劇団を作る。
1947年、帰国。バンドを作り、米軍を演奏して回る。バンド「ブルー・ノート・セブン」を結成。11年間、米軍相手に演奏するが、日本人と思われず、 「スマイリー・オハラ」という”アイルランド人”として活動していた。「スマイリー」はニコニコしていることから、「オハラ」は本名の栗原がアメリカ人に なじまないため「なじみのある苗字」に変えた。

wiki; スマイリー小原

今日も"昭和の成仏"のために、思いもかけず、がんばれた。

ありがとう、ヒットしなかったナツメロがくれた、考えるヒント。 (←ってネタ設定が相当古いね。すびません、ナウい!/うまイ!/ヤングの諸君に贈る、このネタ)

 


スピノザ、 意志の自由、 ルサンチマン

2011年08月16日 10時37分31秒 | ぐち


  アムステルダムにて

― Amsterdam; スピノザや彼が読みこんだデカルトが暮らした街。今でも居住者の半分が単身者。―

■思いて学ばざればすなわちうし; おいらのことだよ。

16歳の時、誰かに直接教わるわけでもなかったのに、気付いた。というか思い込んだ。自由意志は無い。

思いついた内容は、「ラプラスの悪魔 google」とよばれる問題。もちろん当時はラプラスの悪魔なんて言葉も知らない。ようするに決定論の問題。この思いつきは強烈で、精神の"自家中毒"(じかちゅうどく、現在廃名)を激烈に引き起こした。

すなわち、この世の現象はすべて自然法則に則ったものだ。物質でしかない人間も、ただ自然法則の展開である。未来はすべて決定されているのである。そこに何の人間の努力して関与する余地があるのか!ということだ。つまりは、生きる意味なんぞあるのか、という問題(←こう飛躍するのも、おバカだったんだろうけど; 思いて学ばざればすなわちうし)。

今でも2ちゃんねるの哲学板に行くと、残念ながらおいらは読まないのだが、◆決定論:脳は物質だから意識は必然に過ぎない185◆と、何と185順目の堂々巡り。おそらく、「中二病」の典型症状なのだろう。

その決定論 google、自由意志 google 問題は哲学的問題なのだから、しかるべき人や制度の恩恵にあずかって、「学んで」いればどうにかなったのかもしれない。でも、元来「思いて学ばざる」ことがおいらの本性なので、危ういまま、今に至っている。

意志の自由なんてものは無いという思いつきと思いこみによる激烈な精神の自家中毒に罹っていた時、きっかけは覚えてないが、自由意思なんて無いとスピノザという人が言っていると知った。岩波文庫の『エチカ』を買った。上下巻で1000円くらい。だから、買えた。値段は安いが、読んでも全然ピンとこない。今思うと、全然読めてない。数年後、工藤喜作の『スピノザ』を買った。今思うと5%くらいしか読めてない。読んでピンときた記憶がない。

その3冊が四半世紀前においらが持っていたスピノザ関連本の全てであった。

■ところで、今、「スピノザ」でブログ検索すると;

例えば、現在も、3日前にこんなブログ記事が書かれている; ス ピノザの肯定哲学とは要するに、 この世の全ては所詮物質的な作用の連続であり、超自然的なものなんて一つも存在しない。 それは人間の精神も例外ではな く、自由意思なんてものは端からありはしない。   スピノザ哲学を用いて考えると、殺人を犯した者にも罪はないことになります。  ブログ:「僕と世界と日常と」

ん~、やはり若年性スピノザ病ってのが、世代を超えて、あるらしい。

一方、ひどくシュールなのがこれ⇒ブログ「暇人新社会人のスピノザのブログ。」 以上初のブログ記事でした/今後ブログ 書くこともないなー、だって。このひと記事でブログ終了宣言。なんなんだ!?スピノザ。コンパクトな文章でオマージュを捧げているのだろうか? それにしては、Q.E.D.がなかった。

■去年、四半世紀前の愚蔵書を引き取り、開封。御丁寧に棚に並べた。そして3.11の崩壊。かたづけに伴う、再読。

■ここ最近、アムステルダムに行くこともあり、最近買ったスピノザ関連本のページを繰ってみた;

そうしたら、ずぶんを見つけたよ。最近3回目だ。(1回目。 2回目。)

圧政者はそれを成功させるためにひとびとの心の悲しみを必要とし、悲しみに心をとらえられたひとびとはそれを助成しその輪を広げるために圧政者を必要とする。いずれにしても、この両者を結びつけているのは生に対する憎しみ[嫌悪]、生に対する怨念(ルサンチマン)の念なのである。『エチカ』には、あらゆる幸福がその眼には侮辱としてうつり、ただひたすらみじめさや無力感をおのれの情念として生きている怨念の人の肖像が描かれている。「人の心を励まして強めるどころか、それを打ちくじく術に長けたこうしたひとびとは〔他のひとびとにとって不快なだけでなく〕自分でも自分がいやでならないのだ。そういうわけで、多くの者たちが〔性急さや誤った宗教熱から〕人間のあいだより獣たちのあいだで生きる道を選んだのである。それはちょうど、親の叱責を平静な心で耐えることのできない少年や青年たちが、逃避して軍隊にはいり、家庭的にはいり、家庭的な幸福や父親の忠告より戦争の苦難や暴力の権力を選んで、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるのにも似ている」。 
 G.ドゥル―ズ、『スピノザ-実践の哲学-』(鈴木雅大訳)。

赤字部分は、スピノザ・『エチカ』からの引用。

うーん

それはちょうど、親の叱責を平静な心で耐えることのできない少年や青年たちが、逃避して軍隊にはいり、家庭的にはいり、家庭的な幸福や父親の忠告より戦争の苦難や暴力の権力を選んで、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるのにも似ている」。

「ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受ける」って、愚ブログの本義"Across a Death Valley with Distillated Resentment "だっちゃ。今日もおいらは、死の谷で、『役に立つこと』、『お金になること』のためにがんばっている(愚記事;・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけること)。 Across a death valley is the best revenge!

もっとも、おいらは逃避したとは思ってない。追放(=破門)されたんだよ。この点、スピノザさまと暗に共鳴している!?

なにより、つっこみたいのが、生涯独身者であったスピノザさまの「家庭的な幸福や父親の忠告」問題である。

ca.450年前、アムステルダムの運河のほとりで"考える人"であったスピノザさま@ユダヤ人社会から破門・追放。

本当は、おまいもルサンチマンに燃えていたんだ.....(これ以上はいえない)。

21世紀でも、お見かけできてよかった。

 

 


こだまでしょうか?、いいえ、非対称です。

2011年08月14日 17時40分18秒 | 日本事情

 - 浮世絵の 美は西洋人によって発見され世界に紹介されたという話を聞くが、考えてみるとこれはわれわれの恥辱でもなければ、西洋人の卓見でもない。世界に宣伝してく れた西洋人の功績を徳とし深く感謝するものではあるが、正直に言ってしまえば「恋愛」や「人事」でなければ芸術ではないとする彼らには、浮世絵が一番分かりやすかったのである。われわれは恋愛に芸術を認めないわけではないが、うわべはなるべくそ知らぬ風を装うのが社会的礼儀であった。そのわれわれが浮世絵に対して尊敬を払うわけには行かなかったことを、彼らが分からなかっただけに過ぎない。 ― 谷崎潤一郎、『陰翳礼讃』。

   

ゴッホ、『おいらん』 (Courtesan), 1887年、   高橋由一、『鮭図』、1877年

■日本で最初の「洋画家」とされる高橋由一が『鮭図』を描いていた頃には、パリではオランダ人のゴッホが浮世絵を模写していた。

こだまでしょうか?というかと、そうでもない。なぜなら、近代ぬっぽんにおいては、大日本帝国の施政のもと美術も制度として運用された。その帝国美術の主流は「洋画」である。洋画こそ「官画」なのだ。

一方、もちろんヨーロッパで浮世絵が主流になることはない。

そして、近代日本では浮世絵は打ち捨てられた。"日本画"も大日本帝国の施政のもと美術のひとつとして、存続したが、浮世絵はサブカルであった。

そうだよな。極端条件下の思考を好む愚ブログが考えてみる。

戦争画(google 画像)。洋画じゃないと、サマにならないよな。浮世絵の戦争画って、想像すると、何だか....。

▼なお、1943年(昭和18年)には、大日本美術報国会が横山大観を会長として創立。同年12月「第二回大東亜戦争美術展」が開催された[google;戦争画]。でも、「"日本画家"」の横山大観センセの、戦争画を、おいらはまだ確認できていない。全然、"報国"できていなんじゃん!。

絵画に限らず、言語でも、それは表現のmediaである。例えば、イヌイット[エスキモー]は熱帯地方の自然、文物を表現する語彙や文法には貧弱である。一方、同様に、バリ島の人が寒冷極地の自然、文物を表現する語彙や文法には貧弱である。つまりは、認識者は外界を知る時、かけている「メガネ」に依存してのみ外界を知ることができ、そして、表現できる。普遍的で万能な認識メディア・表現メディアはないのだ。

したがって、「"近代"」になじみのないぬっぽん表現mediaが、近代の総殲滅戦である戦争画を上手く描けなく当然なのだ。なぜなら、近代の総殲滅戦に疎い、田舎者であるからだ。問題は、自分がおかれた状況が総殲滅戦を繰り広げる近代であることを自覚できない横山大観センセが全然、報国できていないことだ。そして、藤田嗣治@のちフランス人の報国(ぬっぽん)「偉業」を...。

■それにしても、我らがぬっぽんは、近代の総殲滅戦に疎いとしても、

海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍
大君(おおきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ

というイメージがあるのに、日本画として、水漬(みづ)く屍・草生(くさむ)す屍の絵が無いのは、日本画家の怠慢である。もっと、報国しろ!日本画家! まずは、みづくかばね・くさむすかばね、を描いてね。藤田嗣治@フランス人のかばねをまず見ろゃ。

●さて、浮世絵は打ち捨てられたが、おいらんは"残った"。洋画に;

高橋由一、『花魁』、1872年

後記;ゴッホの鮭図があれば、ビンゴ、となるのではあるが、ゴッホの鮭図はないようだ。鮭の切り身はオランダ絵画のありふれた題材であるのに(⇒オランダ鮭絵)、残念。

後記2;ひょえ~。今、「日欧 非対称」という語でググッて見ると、筆頭に、"江藤淳、日欧文化の対称性と非対称性--美術と文学と"が出た。

知らなかったよ、そんな論文。1989年とのこと。どの単行本に入っているのだろうか?、あるいは入っていないのであろうか?

★それにしても、そもそも、最上段の谷崎の言は相当イカサマである。恋愛でもない人事でもない、風景画、静物画なぞ普通にある。全くもって、ヨタ話ではある。それを承知で引用すますた。 マンセー!サブカル、ぬっぽん!