いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第424週

2022年12月31日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第424週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実


レモン


鎌倉、長谷寺にて

■ 今週の訃報

磯崎新さん死去 91歳 建築家、プリツカー賞 茨城県のつくばセンタービル、水戸芸術館など設計(google

人の訃報は自分のブログへのアクセス記事でわかることがある。この日、愚記事「楕円の広場に降りることはない」に複数のアクセスが認められた;

「楕円の広場に降りることはない」

■ 今週の「新宿」


神奈川県逗子市新宿

「本当」の新宿2丁目(愚記事

■ 今週の「変」

■ 今週の「舞台」、あるいは、材木座海岸

材木座海岸に行った。帰って、wikipediaを見ると、「夏目漱石の『こころ』に描かれて有名になった」とある。つまり、『こころ』の冒頭で主人公と先生が初めて会った場所である。それにしても、材木座海岸と明記してあったかな?記憶がないなと思い、確認してみる。確かに、鎌倉とは書いてあった。鎌倉は海岸が多いので、どの海岸であるのか書いているのか興味がある。確認すると、冒頭の場面では「材木座海岸」の文字は見つけられなかった。ただ、鎌倉でも「辺鄙な方角」とある。さらに「長谷邊」(=長谷あたり)ともある。したがって、長谷ー材木座海岸付近なのだろう。でも、そうすると、材木座海岸なのか、由比ヶ浜なのか疑問が残る。両者は事実上つながっているので、同でもいいのだろうか? wikiの「由比ヶ浜」の項には、漱石の『こころ』のことは書いていない。


逗子・鎌倉散歩:京急 逗子・葉山駅 ⇒逗子海岸/披露山公園 ⇒材木座海岸 ⇒長谷寺 ⇒江ノ電 長谷駅

2022年12月29日 04時40分15秒 | 散歩

神奈川県、逗子市の京急電鉄、逗子・葉山駅から、鎌倉市の長谷の江ノ電、長谷駅まで散歩した。特に、逗子市と鎌倉市を隔てる新宿-小坪の丘陵地帯を越えていくところ。見晴らしがよい披露山公園が高地にあるが、そこを抜けるための登り、降りの散歩。さらに、この前後は逗子と鎌倉の海岸。そして、長谷寺。これも丘陵の腹にあり、見晴らしがよい。たまたま、御開帳で本尊をみることができた。


1:京急 逗子・葉山駅、2: 逗子海岸、3:披露山公園 、4:小坪漁港、5:小坪隧道、6:材木座海岸 、7:由比ヶ浜、8:長谷寺

■ 京急 逗子・葉山駅

京急 逗子・葉山駅

逗子市役所

■ ⇒ 逗子海岸へ

▼ 逗子海岸

▼ 

シーサイドイタリアンカンティーナ逗子店 でお昼

■ 逗子海岸 ⇒ 披露山公園

逗子海岸(右下)から丘陵の崖を登り、披露山公園にたどり着く。その先は、「披露山邸園住宅敷地(google)」。その中央通りを抜け、丘陵を小坪漁港に崖を降りる。

▼ 披露山公園

披露山公園(ひろやまこうえん)は、神奈川県逗子市新宿の披露山の頂上にある逗子市立の都市公園(風致公園)である。 

披露山の山頂(標高92m)に位置する公園である[2]。眺望がよいことで知られ、三浦半島や相模湾の景色を一望できる。また園内では、ニホンザルや水鳥などの動物を飼育している。

レストハウスが営業し、大崎公園・浪子不動へと向かうハイキングコースも整備されている。

戦時中は海軍の小坪高角砲台として2連装12.7センチ高角砲2基と高射装置(Director)を備えた鉄筋コンクリート製の円形砲座3基と、同じく鉄筋コンクリート製の半地下式の指揮所が存在した。指揮所跡にレストハウスを設け、砲台のすり鉢型の砲座跡を猿舎と展望台、花壇に利用している。   wikipedia

■ ⇒「披露山邸園住宅敷地」 ⇒ 小坪漁港

広告より

披露山邸園住宅敷地: 1968年(昭和43年)に住友建設(現・三井住友建設)がTBS不動産の企画開発の下に造成を担った総面積22ha、215区画の住宅団地で[2]、71年にTBS興発(現・三井不動産)によって分譲が開始された[3][2]。バブル期には日本のビバリーヒルズと一部メディアで評された地域であるが、侵入者を物理的に排除する塀が存在しない点で数ある国内の高級住宅地の中でも一線を画する宅地計画がなされている。 (wikipedia

▼ 丘陵地の端から小坪港へ崖を降りる

▼ 小坪漁港

小坪漁港は、逗子市の西部に位置しています。小坪漁港の歴史は古く、鎌倉時代より存在している本市唯一の地場産業です。昭和27年1月12日に第1種漁港と指定され、昭和30年8月19日漁港管理者として逗子市が指定されました。(逗子市 web site)


1960年代の航空写真  画像左部分にまだ小坪漁港、リビエラ逗子マリーナ(公式 web site)などが無いことがわかる。これは埋め立て地なのだ。中央の現在の「披露山邸園住宅敷地」も開発されていない。  
↓ 1980年頃の航空写真

▼ 小坪漁港から、峠のトンネルを通り、鎌倉市へ抜ける

小坪隧道。この先が鎌倉市。下の地形起伏図の青矢印の「峠」がこの隧道=トンネル。


赤線を辿り、散歩した。

▼ 鎌倉市 材木座海岸

材木座海岸は滑川で遮られる。その先の由比ヶ浜へは、足をぬらさない限り、歩いていけない。

■ 材木座海岸 ⇒ 由比ヶ浜 ⇒ 長谷

由比ヶ浜。

▼ 海岸から内陸部へ入る;

 

■ 長谷寺

▼ アジサイの頃の様子(愚記事

 

全身総開帳を見た。もちろん撮影禁止なので画像はないが、寺のweb siteで見られる。

■ ⇒ 江ノ電 長谷駅

この後、江ノ電で藤沢まで行って、小田急で武相境斜面へ帰った。

▼ まとめ

逗子市:逗子、新宿、小坪

鎌倉市:材木座、由比ヶ浜、長谷


新しい街でもぶどう記録;第423週

2022年12月24日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第423週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の節気的食材

冬至に柚子を発酵乳に載せて食べました。

■ 今週の疑問;なぜに乳酸菌

メーカー web siteを見えても、なぜ乳酸菌なのか書いていなかった。

■ 今週の半額

ミニアンドーナツ 小松製菓(google

■ 今週の中共創始者の1/13;陳公博、あるいは、上海(1921)& 京都(1945)

wikipedia


中国共産党第一次全国代表大会の様子を蝋人形で「再現」した展示物(愚記事

中共創設者のひとりで後に漢奸として処刑される陳公博が、敗戦直後日本に逃亡して来た時、鹿苑寺・金閣に「隠れていた」と知った。知った経緯は、三島由紀夫の『金閣寺』についての本を読んでいたら書いてあった;

(水上勉が『金閣炎上』で金閣を放火した僧侶、林 養賢についての事件に至る状況を検討した中で)とりわけ重視したのが、中国南京政府主席陳公博一行の亡命生活を、外務省の依頼で住職が引き受けたこと、皆が貧窮する中で彼らが飽食や麻雀などの娯楽に興じ、殺生禁止の禅寺であるにも関わらず、鏡湖池の鯉までが食用に提供されたことであり、また時流に身を任せて、そうしたことを容認している住職の事なかれ主義である。このあたりは養賢の放火を馬鹿げた行為、狂気の沙汰とされていくことへの抗議であり、悲憤がが激情となって迸り出ている。 内海健、『金閣を焼かねばならぬ 林養賢と三島由紀夫』

といえば、中国共産党第一次全国代表大会の場にいた中国人13人のうちのひとりだ。漢奸として処刑されたことは知っていた(同上 愚記事)。大日本帝国の「傀儡」政権 [1]を担っていたからである。でも、漢奸裁判の前に、鹿苑寺・金閣に隠れていたとは知らなかった。

[1]  1940年に至って汪兆銘政権が成立すると立法院長を務めると共に上海市長を兼任。1944年3月から政府主席代行、11月に汪が死去すると政府主席・行政院長・軍事委員会委員長を兼任した。(wiki)

蒋介石・国府との事実上の国交断絶後の、日本がいうところの「新興政権」だ(愚記事:1937-1972の大戦略;文麿と角栄の間)。

■ 今週の展示物の差し替え

上記、陳公博が参加した中国共産党第一次全国代表大会が行われた場所は現在中共の聖地である。おいらが訪れたのは、2012年だ(愚記事:上海参り2012)。そのとき下記の再現蝋人形展示を見た。ただし、下の画像は写真の写真である。現物は撮影禁止だった。

この蝋人形展示の特徴は、ひとりひとりの顔は実際に似て作っているが、会議のこの風景は、空想であろうことである。毛沢東がひとり屹立している。頭が高い。

石川 禎浩、「記念と展示に見る中国共産党第一回代表大会」(google)によると2016年に替わったとのこと。

2016年の新しい展示では毛沢東の際立った屹立が影を潜めた。ただし、頭ひとつは高い。

■ 今週のトータル閲覧数

トータル閲覧数が、5,000,000(5百万)を越えた。


東京散歩; 清澄白川 ⇒ 月島:[地下鉄・大江戸線]:汐留 ⇒ 芝増上寺 ⇒ JR田町駅

2022年12月18日 13時06分10秒 | 東京・横浜

1;清澄白川駅 ⇒ 清澄庭園 ⇒ 永代橋 ⇒ 3;新川、酒井古書店 ⇒ 中央大橋 ⇒ 4;月島::地下鉄::5;汐留駅

6;汐留 ⇒ 7;芝、増上寺 ⇒ JR田町駅

■ 1;清澄白川駅 ⇒ 清澄庭園

泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。
この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の藩主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。
明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として 一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を 代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
清澄庭園は、関東大震災で大きな被害を受けましたが、この時図らずも災害時の避難場所としての役割を果たし、多数の人命を救いました。岩崎家では、こう した庭園の持つ防災機能を重視し、翌大正13年破損の少なかった東側半分(現庭園部分)を公園用地として東京市に寄付し、市ではこれを整備して昭和7年7 月に公開しました。(東京都庭園協会)

■ 清澄庭園 ⇒ 永代橋 ⇒ 新川、酒井古書店


振り返って見た、永代橋。

永代橋(えいたいばし)は、隅田川にかかる橋。東京都道・千葉県道10号東京浦安線(永代通り)を通す。西岸は中央区新川一丁目、東岸は江東区佐賀一丁目及び同区永代一丁目。下流側には東京メトロ東西線が通る[1]。日の入りから21時まで青白くライトアップされる[2]。国の重要文化財(建造物、2007年指定)。wiki

 

酒井古書店

■ ⇒ 中央大橋 ⇒ 月島駅

中央大橋。

中央大橋(ちゅうおうおおはし)は、隅田川にかかる橋で、東京都道463号上野月島線中央大橋支線(八重洲通り)を通す橋である。西岸は中央区新川二丁目、東岸は中央区佃一丁目。wiki

 

■ 汐留駅 ⇒ カレッタ汐留

カレッタ汐留=電通本社ビル

電通本社ビル(でんつうほんしゃビル)は、東京都港区東新橋にある超高層ビル。汐留シオサイト(汐留再開発地区)の東側に位置し、南側は浜離宮庭園に面する。大手広告代理店の電通が本社機能を置くほか、低・高層部にはレストランや劇場、博物館などが入る都市型複合施設の「カレッタ汐留」がある。wiki

北の味紀行と地酒 北海道 カレッタ汐留店 (ぐるなび)

下記展望が望める席での「豚丼」=850円。

浜離宮庭園

■ ⇒ イタリア街 ⇒ 芝、増上寺

 

⇒ 芝、増上寺

■ 増上寺

■ ⇒ 田町駅

むさしの森 Diner ムスブ田町店 (web site) 。むさしの森 Diner は、むさしの森珈琲と違う。その違いは、お酒の有無だと思う。むさしの森珈琲が「純喫茶」。

    

渋皮栗のモンブランタルト

オリジナルカスタードクリーム・バナナ・マロンホイップ・キャラメルポップコーン・ワッフルチップ・渋皮栗で仕上げたタルトにキャラメルソース


新しい街でもぶどう記録;第422週

2022年12月17日 18時29分47秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第422週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の黄帽の人たち

■ 今週の東京

銀杏がまだ残っていた

■ 今週の食糧

中村食糧 web site

「食料」と「食料」の違い;

「食料」は「食用にする物。食べ物」(大辞泉)。「食料」は「食料とする物。(中略)特に、米・麦などの主食物をさす」(同)。食料は食べ物全体を指すので「食料品」「生鮮食料」はこちらを使います。食料自給率も農林水産省の表記は「料」です。一方、小麦や米を中心とした場合は「食糧援助」「食糧危機」と表記。日本の戦後の「食糧難」、現在は廃止された「食糧管理制度」も「糧」を使います。ソース

■ 今週の更地

カレッタ汐留の47階から見た築地市場跡地。

■ 今週の古書店

酒井古書店。新書と文庫の専門店。 店のweb site

■ 今週の購書

上記の「酒井古書店」で購入。下の6冊が100円均一。上の4冊が450-600円。

■ 今週のタルト

むさしの森 Diner ムスブ田町店 渋皮栗のモンブランタルト

オリジナルカスタードクリーム・バナナ・マロンホイップ・キャラメルポップコーン・ワッフルチップ・渋皮栗で仕上げたタルトにキャラメルソース

■ 今週の仕上げ度

落ち葉を掃除しているおじさんの右側が、掃除が済んだ場所。とても、きれい。

■ 今週の「変」

■ 今週のわけあり

家庭用りんご 36玉、2450円。青森県産。 桜庭りんご農園

■ 今週の新刊購入

 
Amazon

笠井潔と絓秀実の対談本。この対談を実現させたのが、外山恒一。1970年生まれの外山はふたりの著作群に影響を受けて自分の思考を進化させたとのこと。外山と絓秀実は最近対談を載せた本も出ているので知っていたが、元来、外山は「笠井潔主義者」であったとのこと。この「1968年革命」と絓が呼ぶ政治的激動での活動家。ただし、対称的なところもある。笠井潔は東京生まれ、横浜育ち。高1で学校を辞めて、活動家になった。従って1965年には活動していた。全共闘世代で立川に行っていた人がいると初めて知った。そして、笠井は党派に所属。つまり、セクト活動家。かつ指導的立場。一方、絓は地方出身で左翼的状況はゼロ。高卒後上京、浪人して1969年に学習院大学入学。総員8人の学習院大全共闘の活動家。ノンセクトの活動家。

外山恒一がこの二人の受容のいきさつを書いているので、おいらの例をメモする。おいらが、笠井潔と絓秀実を知ったのは同時期で、1984年頃。下記雑誌を古本屋で買った;

この時、「マルクス葬送派」としての笠井潔を知った。何より、太田龍を知った。『対論 1968』で絓秀実は、太田龍を「ドラゴン」と呼称していた。界隈ではこう呼ぶのか、と思った。笠井を知ってすぐに『テロルの現象学』(1984年刊)を読んだ。この本は今に至るまで全部をよく読めているとはいえないのだが、現在のおいらの考えの基礎となっている/囚われている。すなわち、人間の考えというのはその命題そのものよりもその命題を抱くことになる当人のルサンチマン・あるいは自己保存の目的により発生する。しばしば、その命題は欺瞞的なものである。この考えで、例えば、次のような考えをおいらは持った。欺瞞の典型例が、戦後の日本人の「平和」。これは戦時中に米軍により虫けらのように焼き殺されていた日本人が、もうこれ以上ジェノサイドをされたくないために掲げる命題である。端的にいって、「奴隷」の平和。
 一方、この頃読んだのが、『保守反動に学ぶ本』(1985年刊)[関連愚記事]。絓の単著は専門的文藝評論しか出ていなかった頃。絓がこの『保守反動に学ぶ本』の編集者であったと思われる。対談者としても登場し、縦横無尽に語っている。

今手許にある笠井潔と絓秀実の本。これら以外に笠井の『国家民営化論』があるが、梱包中。

▼ 「あえて」の絓秀実

笠井潔は連合赤軍事件(仲間同士のリンチ、殺し合い)に衝撃を受けて、党派活動、左翼活動を辞めて、『テロルの現象学』を書いた。脱左翼した。さらに、マルクス主義批判を展開した。一方、絓秀実は、脱左翼しなかった。少し前の云い方をすれば、「あえて」、全共闘運動を勝利の運動と評価して、喧伝し続けた。その成果が、上の画像の1968シリーズだ。このことについて、説明している。

 ショックだった、ショックだったと言い合いながら、「なぜ運動をやめたんですか?」と訊かれたら、”連赤ショック”と”内ゲバ”というのがニ大定番だもんね。だからオレはむしろ、そんなことにはショックを受けなかった、ということにしようと思って(笑)、やってきたところもある。

でも、なぜ、ショックを受けなかったについては、説明していない。さらに、最近の見解、すなわちリンチでの死というのは、「企業のセミナーでの”しごき”みたいなもの」との

見解は、ちょっと、おいらには理解できない。

▼ 「反米」という禁忌

絓秀実で気になっていたことは、「反米」を忌避することである。この理由がわからなかった。この「反米」について、この本で唯一、外山恒一ではなく、編集者が質問して、対談が進行していく;

【編集者】60年安保って要はアメリカとの問題じゃないですか。そこから、”戦後民主主義批判”が出てくるというのは、アメリカ的な民主主義への批判のニュアンスもあったんじゃないですか?

 "反米"的な? しかし、"反米"というのはむしろ日共がそうなんで・・・・新左翼にはあんまりなかったんじゃないかなあ。

笠井 "反米"の意識は希薄でしたよ。ベトナム反戦運動の過程で、米軍がベトナムにナパーム弾をバンバン落としてるわけで、アメリカはヒドいじゃないかという感覚は一般的だったにしても、しかし”ヒドいこと”は日本帝国主義もアジア侵略の過程でやっていたんだし、"日本のナショナリズム VS アメリカ帝国主義"みたいな図式にはならない。

 そもそもベ平連も含めて文化的にはアメリカニズムでしょう(笑)

笠井 当時の学生の気分としても"反米"って漢字はなかったよ。

 ないない。もちろん、”アメリカ帝国主義”は悪いし“打倒”の対象でしたけど、"反米"って言うとニュアンスが違う。それに、新左翼は、基本、日帝自立論(戦後日本はアメリカの従属を脱して帝国主義として自立しつつあるという説)で、共産党の反米路線に対立していたわけだ。

笠井 ベースとしてアメリカ的な文化にして親しんでいたということもあるが、何より共産党が”反米”路線だったから。”反・共産党”である以上、"反米"なんて禁句だった(笑)。少なくとも自覚的な新左翼活動家の間ではそうだったと思う 。

よくわからない。反米はいけないとしても、反帝には理があるとしている。そうであるなら、日本人としてではなく「人民」として「帝国」主義の典型的存在である在日米軍、特に、基地外の米兵を「路上襲撃」すればよかったではないか?ここで「襲撃」しなければ、その帝国軍人はベトナムに行くのだ。実際はそういうことを、あれだけのゲバ学生がいて、一人の米兵もしばかれなかったのだ。米軍天国。反米がタブーなのだ。それなのに、笠井は敗戦直後にマッカサー元帥に生タマゴをぶつけなかった日本人、とくに旧軍人はヘタレだと罵倒する。よくわからない。

さらに、何より共産党が”反米”路線だったから。”反・共産党”である以上、"反米"なんて禁句だった、って論理が成り立つならば、何より共産党が”反自民”路線だったから。”反・共産党”である以上、"反自民"なんて禁句だった、ってことになるのではないのか!!!???

対米態度に相当何かあると感じた。

もっとも、素直に「 そもそもベ平連も含めて文化的にはアメリカニズムでしょう」、すなわち、おれたちは 偽毛唐 志願者群だったのだと、あっさり認めてくれれば、簡単に納得できる。

戦後民主主義とは、米軍天国(憲法9条で日本軍の禁止[自衛隊は米軍の補完勢力:米衛隊]、安保で米軍の駐兵権確保)を実現する体制のことに違いない。

「世界革命戦争」を叫んで、駐兵帝国主主義軍になにもしなかったというのは、まさに「世界革命戦争」ごっこだった証左に他ならない。

▼ よみかた

 
『戦略とスタイル』、津村喬(左)、『対論 1968』(右)

十・八は、「ジッパチ」とよむと知る。十・八=第1次羽田闘争は知っていた。眺めにいったこともある(思っていたより小さかった)。でも、「界隈」ではこう呼ぶらしいと知る。

 


座間散歩 2022年;座間駅 ⇒ 座間谷戸山公園 ⇒目久尻川の谷 ⇒中央林間駅

2022年12月11日 14時51分42秒 | 散歩

座間散歩は2度目。1度目は、座間散歩; 座間丘陵、開析谷、台地・段丘、段丘崖。今回は、県立座間谷戸山公園に再度訪問。その後、相武台前駅を通り、目久尻川の谷を横断して、平坦な台地を東へ。大和市に入り、中央林間駅まで散歩。途中、宇都宮記念公園なかよし公園に寄る。

1;小田急 座間駅、2;県立座間谷戸山公園、3;相武台前駅、4;目久尻川、5;イオンモール座間、6;宇都宮公園、7;むさしの森珈琲 中央林間店、8;東急 中央林間駅

■ 1;小田急 座間駅 ⇒ 2;県立座間谷戸山公園

■ 2;県立座間谷戸山公園

 


園内マップ

▼ 野鳥の原っぱ

▼ 里山体験館

▼ 水鳥の池

▼ 伝説の丘

▼ わきみずの谷

▼ 米軍施設へ向かう


米軍施設

▼ 


座間市役所

■ ⇒ 3;相武台駅

■ 3;相武台駅 ⇒ 4;目久尻川、

■ 4;目久尻川 ⇒ 5;イオンモール座間

旧日産座間工場(wikipedia);地図(左)、航空写真:1960年代(中)、1980年頃(右)

1960年代は全くの農地であったとわかる。

■ 5;イオンモール座間 ⇒ 6;宇都宮公園

宇都宮記念 公園仲よし広場 Google

■ 6;宇都宮公園 ⇒ 7;むさしの森珈琲 中央林間店

 

 

■ ⇒ 8;東急 中央林間駅

■ まとめ 通過町
神奈川県
座間市 入谷 明王 緑ヶ丘 相武台 栗原 広野台 小松原
大和市 中央林間西 中央林間


新しい街でもぶどう記録;第421週

2022年12月10日 19時13分55秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第421週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の筑波山

■ 今週の丹沢

座間から

■ 今週の東京

神宮外苑の銀杏並木

■ 今週のフェンスの向こうのアメリカ

座間谷戸山公園

■ 今週の巷の<アメリカ>

茨城県取手市 ヘアサロン リリアン

■ 今週のアクセスページ

融合:東アジアの奇跡におけるアメリカの影;杉原薫、『世界史のなかの東アジアの奇跡』

■ 今週の「中二病」

【出演】関西外国語大学准教授…戸谷洋志

12月のテーマは「哲学」。若手哲学研究者たちが、現代特有の問題をどう考えればよいのか解き明かし、哲学が本来持っている力に迫ります。価値観が多様化・複雑化の一途をたどる現代社会で自分の行為に責任を持つことは、市民として大切な素養ですが、一方で私たちは自分の責任を忘れがちです。第1回目は、関西外国語大学准教授の戸谷洋志さんが、西洋哲学における「責任」の概念の成り立ちを遡り「責任」とは何か考えます。web site

聴き逃し番組をネットで聴く: カルチャーラジオ 日曜カルチャー「人間を考える 今をよりよく生きるための哲学1」

西洋哲学における「責任」の概念」:この講演は、責任を論ずる前に、まず、決定論。この世は原因ー結果の因果律により律せられているはずである、との認識。この世の行方が決定されているのであれば、人間の判断も決定されているので、意志の自由はない。意志の自由がないということは、責任を問うことはできない。しかし、そんなことはなく、人間は自由であり、責任を課せられているということを、ふたりの哲学者、カントとハイデガーを紹介することで、示す。カントは、因果律により律せられているのは現象界であり、人間の意思は「物自体」界に属さないとすれば、人間の意思は因果律により律せられているとはいえず、人間の自由が担保されるのだという。人間の意思は叡智界に属するとカントは主張する。ただし、叡智界という発想は形而上学的で、実証できない。


東京散歩 世田谷 2022: 九品仏、三軒茶屋、松陰神社、豪徳寺、桜新町

2022年12月04日 13時49分31秒 | 東京・横浜

1;九品仏、2;自由が丘駅、⇒バス⇒ 3;三軒茶屋、⇒世田谷線⇒ 4;松陰神社、5;豪徳寺、6;世田谷区桜3丁目 むさしの森珈琲、7;東急桜新町駅

■ 九品仏

■ 九品仏・真浄寺 ⇒ 自由が丘駅

↑「線路敷石の突き固め」(命がけ)。 ↓列車通過のとき。

ピーコック跡地の建て替え工事の状況

■ 自由が丘駅 ⇒バス⇒ 三軒茶屋

キャロットタワーの展望台にのぼった。

■ 三軒茶屋 ⇒ 松陰神社

■ 松陰神社 ⇒ 豪徳寺

松下村塾の門弟ではなかった桂太郎の墓が松陰神社のすぐ近くにある。

掃部(かもん)の道具たる箒(ほうき)が放置されていて、にこにこできた。掃部頭(かもんのかみ)の菩提寺の門にて。

■ 豪徳寺 ⇒ 桜3丁目

むさしの森珈琲(世田谷オークラランド店) ピスタチオショコラケーキ 

■ 桜3丁目 ⇒ 東急桜新町駅

 


新しい街でもぶどう記録;第420週

2022年12月03日 19時25分58秒 | 武相境

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第420週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の東京

三軒茶屋駅のキャロットタワー(wiki)の26階展望台から北(東)の方を眺める

■ 今週の多摩川

■ 今週の言葉:「補完」、あるいは、属領の役割

元米国務副長官のリチャード・アーミテージ氏が1日、東京・内幸町の日本記者クラブで開かれた講演会に登壇した。軍事的覇権拡大を進める中国や、ウクライナ侵攻を続けるロシアを念頭に、「日本は安全保障などの面で米国を補完できる」と主張し、各分野のリーダーとして存在感を発揮すべきだと訴えた。引用元

1986年の本、江藤淳、『日米戦争は終わっていない』に「いま改めて問われる自衛隊の役割ー米軍の補完にすぎないのか?」とある。江藤は自衛隊を「米衛隊」と称している。

さて、今週のアーミテッジさまの言によると、「補完」で充分とこのとらしい。

なお、1986年頃は、北海道の自衛隊のソ連軍の通信傍受基地で得られた情報は、幕僚長や防衛庁長官に報告されず、現場から直接米軍に渡されていたとのこと。小谷賢、『日本インテリジェンス史』(2022年刊)に書いてあった。これが自衛隊の実像に違いない。

■ 今週のコロッケ

松陰コロッケ: 東京都世田谷区若林4丁目 染谷食肉フーズ

じゃがいも主体、ひき肉加味。なぜ、松陰なのかは、不明。

■ 今週のお貴族さまの蕩尽:「シルクハットに嘔吐」

飲食店に行くと新聞があったので、見た。近衛忠輝。当世の近衛家の主だ。皇室と違って、この当主さまは近衛家にとって男系男子ではない。細川家から養子に来たのだ。忠輝の母親が近衛文麿の娘。

それにしても、この記事、近衛文麿については、「第3次(近衛)内閣が進めた日米開戦を回避する交渉が行き詰まり41年10月の総辞職 」、一方、「1941 年12月8日東条英機内閣の下で日米が開戦しました」とある。一見、間違いはないが、これは巧妙な、いつもこの人たちがやる、プロパガンダである。

プロパガンダの目的は、大日本帝国が亡びた原因のかなりが近衛文麿にあるのに、戦争は軍部が起こしたという印象を民にもたせることである。歴史的現実は、近衛文麿は下記のことを実施した;

・国家総動員法成立
・大政翼賛会成立
・日独伊三国同盟
・支那事変&暴支膺懲&国民政府を相手とせず
・仏印進駐;対米戦を不可避にする

そもそも、日米交渉で戦争回避に努力したと、細川ー近衛プロパガンダ喧伝者は主張するが、交渉相手のローズベルト(政権)は松岡洋右を忌避したばかりか、そもそも支那事変を始めた近衛文麿を信用せず、近衛が勝手に希望をもって試みた日米首脳会談は拒否された。つまり、近衛が首相でいるかぎり日米交渉が成り立たなかったのだ。近衛の存在そのものが日米交渉を破談させたのだ。一方、日米交渉が失敗した場合開戦するという決定、1941年9月6日の御前会議は近衛内閣の下で行われたのである。東条内閣は、端から(近衛の存在ゆえ)現実味がなかった日米交渉の失敗と外交交渉失敗時は開戦という条件をもつ状況を与えられた。近衛が内閣を放り投げたからである。もし、近衛が内閣を放り投げていなかったら、上記の予定通り(現実にもそうなった)ように開戦となった。東条は組閣後2か月だけの時間を日米交渉に使うことを昭和天皇に命じられた。しかし、現実は近衛が荒廃させた日米外交交渉はいかんともできず、1941年9月6日の御前会議に従い、開戦。こういう事情を、近衛忠輝は「1941 年12月8日東条英機内閣の下で日米が開戦しました。」と書くのだ。

 この帽子にゲロ

■ 今週のショコラ

むさしの森珈琲(世田谷オークランド店) ピスタチオショコラケーキ 

■ 今週の海外からの購書

『現代中国がわかる最強の45冊』、中川コージで知った。『中国キーワード』。チャイナのネットショッピングサイト、タオバオから買えとあったので、従う。本は1000円、輸送料が1500円、計2500円。

内山書店 で6100円。


梱包。新華書店は知っていた。行ったことがある(上海  大連)。この「新華書店」の毛筆のロゴはマオさんの書であると初めて知った(wikipedia)。

台湾問題;

■ 今週(積読本の中から)読んだ本

とぼけるわけではないが、三島由紀夫についてゴシップ以上をそんなに知らない。作品そのものも10代に、金閣寺、仮面の告白、禁色など読んで以来、30年あまり読んでいない。つまり、あまり趣味ではない。でも、ゴシップ的関心はある。森田必勝については全く知らなかった。今回、以前に購入した、中村彰彦の『三島事件もう一人の主役』を読む。森田の生い立ちからの物語が書いてある。思想的背景とは別に三島が実際に自決を実行できたのは森田がいたせいだと思わせる。悪く言えば、森田は三島の心中相手、あるいは、三島は森田の心中相手というところか。本を持たない男(おそらく、本なんか読まない男)森田必勝というのが三島の心中相手にふさわしいといったところか。大昔に古本として買った事件直後の『諸君』を見直すと、宮崎正弘の森田必勝についての話が書いてあった。中村彰彦の『三島事件もう一人の主役』の主力情報源なのだとわかる。奥野健夫の『三島由紀夫伝説』は、積読であり、これまでとっつきにくかったが、今回、ぐいぐい読めた。境遇が同じ(戦前からの山手階級)でありそれ故友人であった奥野の三島についての話。奥野健夫は、森田必勝とは全く違った立場の人物。三島の生い立ちから作家・三島の形成論が、わかりやすく、わかりやすすぎるように、語られている。ただし、作品論については、おいらが、三島の作品そのものを読み込んでいないので、奥野の論をよく読めるように、三島の作品そのものを読むことにしようと思った。

■ 今週の購書

三島の「豊穣の海」を第1巻目しかもっていなかったので、残りを買う。ブックオフで100円で買えるだろうと思っていたら、すべて500円。定価の7割。根強い需要があるらしい。