いか@ 武相境斜面寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distillted Resentment

2013年 回顧

2013年12月29日 16時59分22秒 | プロフィール

【1月】 大雪の日があった。歩くのが大変なほど雪が積もった。


・関東人みんなの雪道

 

【3月】 全くうけなかった記事

茨城県北部の古い土蔵から政宗の密書が見つかった件;
 梟雄が放った盲の鶺鴒が、400年の後、大地震で崩れた土蔵で、古の教唆煽動を囀る

  

きょうゆうはなっためくらせきれいが、400ねんのちだいじしんくずれたどぞうで、いにしえきょうさせんどうさえず

この話は面白いなぁと一生懸命ブログ記事を書いた。でも、今年1年、ほとんど見られていないページ。 残念。

5月に実物の展示会に行った。

【4月】


銭理群って知らなかった。北京大学の「名物」教授なのだそうだ。
天安門広場のツァラトゥストラ、1960年


 愚記事: ポルノ三昧; キャリアポルノ編

 今年は春に銭理群、『毛沢東と中国』に遭遇。読む。年末にいたるまで数度繰り返し読んでいる。何度読んでもわからないからだ。訳の日本語はとてもよい。だから、いかに内容が難しいかわかる。その難しさは銭理群の理論が難しいのではなく、中国に関する自分の知識がないからである。本は歴史的事件の詳細というよりその事件の意味づけである。例えば、文化大革命の章では宋彬彬はもちろん聶元梓の名も本文には出てこない。銭理群は魯迅など作家研究の文学者なのに老舎もでてこない。事件史ではなく意味づけを考えたいらしい。かといって抽象的な思想史ではない。でも、銭理群、『毛沢東と中国』から目がはなせないのは、その視線である。

 また毛沢東思想を単純に「正しい」か「間違っている」かで見てしまうと、単なる全肯定か全否定しか生まれないのである。「正しくなければ即誤り」という二元論では、毛沢東思想と毛沢東時代の複雑さや豊かさは隠されてしまい、毛沢東の遺産を美化するのか呪うかだけになってしまうだろう。我々は今でもこのような両極の間で揺れ動いているのだ。 (銭理群、『毛沢東と中国』、第十二章 ポスト毛沢東時代(上))

 今年は、春は中国経済の最近20年の経済発展史(だから、渡辺利夫の本をいく冊か読んだ、その派生愚記事が; 1)何が書かれていないのか?、 2)「オーバーコート」の意味;昭和の成仏のために、超些細 = 「様々なる衣装」編   )、遠藤誉の中国政治現状分析の本をいく冊か読み、さらに文化大革命の本を読んでいる。あまりの濫読のため (← ちゃんと、カネ儲けの仕事しろよ!) 「毎朝、中国共産党の革命歌を歌う変わったおじさんの父」の娘の本にもぶち当たってしまった(愚記事; 唱紅は、野心喚起の響き)。余華、『ほんとうの中国の話をしよう』は読みやすい。初心者への中国入門としてはよいと思う。文化大革命の本はこれまでもっていた本の再読と新たな本を読んでいる。文化大革命は読めば読むほど謎がでてくる。そして、これら中国現在史(中国には現代史しかない、なぜなら中国が発足したのが1949年だからだ)を読んで、少しは銭理群、『毛沢東と中国』の理解がすすんだ。

   

 この銭理群、『毛沢東と中国』をきっかけに、今の防衛大学校の校長センセは中国屋さんだと知る。国分良成 校長センセだ [wiki]。五百旗頭真校長センセ(愚記事:用もないのにコーチョーセンセが.... )は退官していたのだ。 その中国の超専門家が「評者が近年読んだ中国書の中で最も心を揺さぶられた一冊である」と書評する本だったのだ(銭理群、『毛沢東と中国』の書評、防衛大学校長 国分良成#1)。素人には難しいのだ。

【5月】

仙台参り

my sentimental journey; 虫瞰・鳥瞰 仙台2013 

ポーランド出張

『勧進帳』を読み上げるヤルゼルスキ、でも、21世紀、『立ち往生』は免れる。

【6月】

  

映画『兵隊やくざ』シリーズ全部をみた。

兵隊やくざシリーズ (1965-1968....1972); 造反時代への準備教材

【7月】

モスクワ出張

モスクワっ子は、犬派が多いのか?

【9月】

横浜中華街参り


中華街 中共派

 【10月】

「中華街」参り


 王府井、北京

北京参り 2013

【11月】

秋のつくばは美しい;

 

【12月】 

愚ブログの「読み」が外れる;


愚記事; 2006年06月04日 11時40分52秒

2012年12月26日(中華人民共和国初代主席の毛沢東さんの119回目の誕生日)に発足した第二次安倍晋三内閣の総理大臣は、2013年12月26日の内閣発足1周年の日に靖国神社に参拝。

おまい、あやまれよ!と電波が来る。

なぜなら、今まで、さんざんおちょくって来たからだ。


愚記事;  動かざる ボンクラだから動けなかったこと山のごとし。

ごめんなさい。 ゆるしてください。

今回の靖国参拝で顕わになったのは、親米保守 「アメリカ真理教」教徒の まぬけさ の暴露である。

米国は日本の基本的生存権を否定しているのだ。

米国はじめ戦勝国の戦略目標は「日本が二度と米国の脅威にならず、世界平和の脅威にもならないようにすること」に他ならない。この点中国と米国は戦略的目標が合致しているのだ。日本は戦勝国の「喜び組」としてカネと領土だけを出しいればいいのだ。(おとろしいことにいまだに対中ODAというのは続いているらしい [了解しかねる対中ODA継続] ) こういう背景なのに、日米「同盟」などといってきた親米保守の まぬけ さが顕わになったのだ。


■ そして、ヤルタ―ポツダム体制の守護者となった中国共産党

 

■2013年回顧 ―アートシーン(笑い)篇―

エル・グレコ展、上野、東京都美術館 

プーシキン美術館

トレチャコフ美術館本館

トレチャコフ美術館新館

だれもいなかった。5人も人を見なかった。

トレチャコフ新館近くの通り。 少しはパリっぽい?

地下鉄の駅に近くなるとコンクリートの高層住宅街となり殺風景となる。

モスクワの地下鉄では携帯やiPhoneやっている人より本読んでる人の方が多い気がした。

 

「プーシキン美術展」、 横浜美術館

 

アートアクアリウム、東京日本橋


・ 798芸術区、北京

 

 

■ まとめ

おいらの脳内:: 赤色と支那文字はシナプスを活性化させる???!!!

それは、実は、正しく、道ることは実現しがたく、造反がその実現をなしうることであると、わかっていたのだ。

 造反戦争としての1941年の対米英宣戦布告


  - 支那文字だけがメッセージ -

 

 

 


#1

毛沢東と中国(上・下) 銭理群著 自身の経験を踏まえて描く現代史

2013/2/24付
  本書は、評者が近年読んだ中国書の中で最も心を揺さぶられた一冊である。それは、学者そして人間として対象に真摯に向き合う著者の姿勢がこの大著の中に溢(あふ)れているからである。

  本書が見事なのは、著者が生きた毛沢東時代から今日までの中華人民共和国の歴史を、自身の経験とその時々の思いを絡ませながら立体的に描き出している点に ある。著者は、毛沢東時代に形成された政治体制の根本的病理を、自身の過去の精神的彷徨(ほうこう)に正面から向き合うことで解明している。

  本書の注目すべき論点は次の三つに集約できる。第一に、「五七体制」を中華人民共和国の最大の画期として位置付ける点である。一九五七年、毛沢東の指示に より共産党外から共産党を批判させる運動を始めたが、予想外の大批判に直面し、慌てて発言者を摘発することに切り替えた。これが反右派闘争である。著者に よれば、この闘争こそが今日に至る一党専政の出発点であり、その後の大躍進、文化大革命へと続く継続革命の起点となった。著者は反右派闘争の際、北京大学 の学友を陥れてしまった顛末(てんまつ)を正直に懺悔(ざんげ)している。

 第二に、トウ小平体制は「五七体制」で確立された毛沢東時代の一党専政をむしろ維持・強化したとの指摘である。それをここでは天安門事件を指す「六四体制」と呼ぶ。毛沢東とトウ小平は方法論こそ違えどともに生産力主義者であり、本質は富国強兵論者であるという。

  第三に、著者は毛沢東からトウ小平へと続く一党専政の中で「民間」の空間が生まれ、維持され、拡大されてきたという。「民間」とは、「五七体制」に対する 疑問や批判を展開することで正史から否定・抹消されつつも、その言論空間を広げてきたリベラルな思想家や活動家を指している。

 著者の描く中国のあるべき姿は、一党専政を排し、民主的で狭小な民族主義を脱した政治体制である。「偉大な中華民族の復興」を声高に唱える今の中国で、その可能性は低い。しかし、著者らが先導してきた「民間」の空間が着実に広がりつつあることもまた事実である。

(防衛大学校長 国分良成)

[日本経済新聞朝刊2013年2月24日付]

 

コメント

2012年 回顧

2012年12月30日 10時31分40秒 | プロフィール

■ 3月: 札幌に行った。


近郊の藻岩山から札幌の街を見下ろした (元画像)。

やはり、道産子は雪にたいし傘をささないと再確認した(愚記事; やはり、道産子は雪では傘をささない)。

■ 4月: 愚ブログ縁起;  精神科医へものを書くとき

■ 5月: ピレネーを越えてみた。

           中公新書
緑の印が、サン・ファン・デ・ラ・ペーニャ 修道院
赤(A)の印が、カスティーリョ・デ・ロアレ 砦

ピレネーに行った原因は、『スペイン・ロマネスクへの旅』である。本に載っているところをなぞっただけなのだ。

見どころは、耶蘇《尖兵》の軌跡だ。このカスティーリョ・デ・ロアレ、スペイン語での意味はカスティーリョ城。1492年の完闘することになる耶蘇・ヨーロッパ人によるレコンキスタ(領地回復闘争)の11世紀の時点での最前線の砦がこのカスティーリョ・デ・ロアレ。耶蘇・ヨーロッパ人のアラゴン王国は都をハカ→ウエスカ、そしてサラゴサ(愚記事: アル・アル、アラビアンのスペインと移し、イスラム勢を駆逐しながらピレネーの山の中から平野部へ南下した。


カスティーリョ・デ・ロアレ 砦
あいにくこの日はくもり時々雨で、景色が悪かった。残念。


カスティーリョ・デ・ロアレ 砦からの眺望。 当時は最前線。イスラム勢と対峙してはずだ。
地平の果てのイスラム領地を奪おうと日々眺めていたのだ。

 

■ 駅舎篇

今年見た駅舎の画像を並べる;


 東京駅 (愚元記事; 新装東京駅の"えくぼ"、もしくは、"あばた"?


 
カンフランク駅 (愚元記事; 廃舎。20世紀前半はパリ―マドリッドの鉄道で栄えたらしいです。


 
バレンシア駅


 
アムステルダム駅 (関連愚記事; アムステルダム再訪; スピノザ像参拝


   
         東京             カンフランク             アムステルダム

■2012年回顧 ―death valley篇―

      Publication and Production

publish or perish という言い回しが米国のアカデミアではあるとされる。論文を書いて出せよ、さもなくば、アカデミシャンとしては消えろ!という意味だ。pの音とsh  の音がかけてある。

もっとも日本では、論文を書かなくても安穏と税金使って生きている人もいるし(関連愚記事;  シロアリ研究者としての日本食税研究者)、そういう tax eatersより重要な論文を書いているのにアカデミアに職を得られず消えていくポスドクもいる。もっとも、こういう認識、そして何より自分が"消えたポスドク" (関連愚記事;消えたポスドクの残したものは...) となった事由について、まぬけぬっぽんのアカデミア風土に起因するのだ!、と考えていることは、ねたみ・そねみ・ひがみの賜物にちげぇ-ねぇ-。  Across a Death Valley with my own Distillated Resentment

この観点から、今年を振り返る。《前世、すなわちポスドク任期切れで足を洗った業界で出版した論文の引用状況と現世、すなわち、現在の death valley稼業で出版した論文の引用状況の確認である。今年の結果の前に去年の状況;


出典:愚記事、 この「子」の50のお祝いに、あるいは、死んだ子の年を数える。 

《前世の論文の被引用数は50以上のもの、現世の論文の被引用数は20以上のものを示してある。

今年の集計 ↓

《前世の論文は今でも引用され続けている。一方、現世の論文は今年被引用数が20を超える水準に達したものが4件増えた。

おいらは《野金儲け》のために働いているので、論文出版は業務の成果として評価されることは(ほぼ)ない。ただ人事評価で、英語が書けるんですねぇ、と言われるくらいだ。それより、特許を出すこと、とることが最優先だ。今年は2本の論文が出版された。そして、出荷を開始した。これが本業だ。 Publication and Production ! 金儲け》のために働かなければならないのだ。これまでは小さなビーカーでつくっていた (愚記事: 40過ぎてビーカーを洗っている。 実験する人生)。 ・役に立つこと ・お金になること が任務だ。そして今年、売りもの、すなわち、大量につくるため少し大きなビーカーを扱いはじめた。7千万円程度の売り上げ。もっとも、《大手町-丸の内界隈》のブルジョア《参謀本部の方々の事業目標は、50億円 ! である。果てしない野望へ向かって極微小な一歩が踏まれたにすぎないのである。つらいよ、death valley。

 

■2012年回顧 ―アートシーン(笑い)篇―

・ ルーブル


『トマス・アクイナスの勝利』 (部分)[1]、ベノッツォ・ゴッツォリ Benozzo Gozzoli
元記事

・ バレンシア県立美術館 (Museo de Bellas Artes de Valencia; web site


ベラスケス、ゴヤ、グレコ、ムリーリョなど、ざっくざっく ! リベラは少し。


バレンシア県立美術館 中庭=パティオ


 バレンシア; ステレオタイプ的イメージそのもので逆に驚きました。


なにより、パエリア=パエジャの故郷、バレンシア。
この地方は地球上で一番、単位面積当たりの米収穫量が高い(高かった)ところ。
おコメは亜熱帯の穀物なんです、元来。 それなのに...、偉いぞ、蝦夷っ子!(ゆめぴりか)。

・ MNAC(カタロニア県立美術館 web site) バルセロナ
      ロマネスクから、モダンまで。

ロマネスク


元記事; 受難; 耶蘇の真実、あるいは、i SAW her standing there! 

▼ モダン

   

・ モンドリアン再見; 四半世紀ののちに



・ ベストセレクション 日本近代美術の100年

東京国立近代美術館で2012年10月16日から2013年1月14日までの開期で行われている展示会に12月に行った。特にお目当ては、藤田嗣治、『アッツ玉砕』、宮本三郎、『山下、パーシバル両司令官会見図』、そして、鶴田吾朗、『神兵パレンバンに降下す』が展示してあるはずの「3F展示8 戦争の世紀に 2」である。

行った

そして、見た


 『アッツ玉砕』 極部分


 藤田嗣治、『アッツ玉砕』

館員が解説で、" 「芸術か?、プロパガンダか?」問題があるところです" 、と言っていた。

おいらは、プロパガンダこそ最高のアートだと思っている。全然、ひとさまを扇動 (先導)できないおいらは芸術的能力が低いのだ。悩んでいる。⇒関連愚記事; すなわち、originalityとはどれだけ他人さまにパクられたか、まねされたか、の度合いである。


 宮本三郎、『山下、パーシバル両司令官会見図』
   関連愚記事:  ① パーシバルぬほんに降参する。 ② 山下・パーシバル会談写真   

残念なことに、鶴田吾朗、『神兵パレンバンに降下す』は時期限定展示で、見ることあたわず、残念。

見そこなった、鶴田吾朗、『神兵パレンバンに降下す』
関連愚記事; パレンバン 「空の神兵」の稽古場 





コメント

精神科医へものを書くとき

2012年04月01日 12時35分47秒 | プロフィール

 ―わかりすぎるカラクリの中で、おいらはけたたましく狂っていった―

 

先生、お久しぶりです。

先週の先生の最終講義は、講堂の隅にて聴かせていただきました。

おいらに関する実践症例、「ネットによる キチガイ の遠隔管理の試みの事例」をわずか数分ではありましが、報告されました。

先生の偉大なる症例業績においては極めて些細な事例ではありますが、紹介していただいたおいらにとってはうれしかったです。

当該患者の説明の、出世しそこなった出世主義者、人生を棒に振った、社会に対する怨念、過剰なる表現衝動などなど、いたみいりました。

さて、先生が御紹介されたように、このブログは社会に対する怨念を持つ潜在的に反社会的行動を起こしうる キチガイ の管理の一策の試みです。

すなわち、ずっと収監するわけにもいかないキチガイをいかに管理するか?という問題です。

先生は発案されました。

猫を看させよう。猫を看て、自分を看病しなさい!

そして、その報告をブログでさせて、監視する。最初は毎日更新させる。更新しないと、収監する。

それが、筑波山麓、『看猫録』の縁起。

ただし、それではキチガイの精神の発露がない。へたにルサンチマンを抑圧してはこじらせて、さらに悪化した状態で発露してしまう恐れがある。

ここで、取引だ。著しく逸脱しない程度で社会への呪詛は看過しよう。ただし、そのルサンチマンをできるだけわかりやすく説明することで発散させなさい。

ただし、その分量と同じだけ、猫の画像、そしてお花の画像を掲載しなさい。解毒のために!

そして、あなたの近況を報告しなさい。

そういうことでしたね、先生。

2004年に始まって、はや8年。

この8年での最大の肉体的病理の危機は、アトピー噴出

略) 「アトピーは自己破壊疾病だ」といわれる一面がたしかにありそうに思えた。彼はその後、皮膚科の治療を再開し、多少の改善があったが、家族への無理難題と 暴力、社会へのいやがらせは止まなかった。彼はある時いった、「身体のアトピーは治っても心のアトピーは治りません」。名セリフである。彼はまさに自分の 過去の心の傷のかさぶたを日々ひんめくりかきむしっているのだ。私も彼の「心のアトピー」は治せなかった。 (愚記事)。

このあとあっけなくアトピーはひいてしまいました。もう少し進行すれば、神と話ができたかもしれませんでした。おしいことをしました。

「神と話したと称する男の症例」というネタを提供できましたのに。

先生もついに退官のお歳。

これからも学外での医療に御活躍ください。 でもセンセだけですよ、キチガイっていうのは。


●ちきりんの還暦もApril foolネタだろう。 最初、えっ!ホントはそんな年だったの?といたいけなおいらは思ってしまった。でも、April foolネタにちがいない、とやっと気付いたょ。

そうだとしたら、還暦ってなんの隠喩なんだ。

けれど一方で、60歳までこうやって元気で楽しくやってこられたことに、ちきりんは心から感謝もしています。18歳で東京に出て来て以来、42年間、やり たいことはすべてやり、これ以上できないというくらい楽しんで生きてきました。恵まれた環境にいたと思うし、幸運でもあったと思います。

 

後述;

還暦ってなんの隠喩なんだ。  サンフランシスコ講和から60年。つまり、日本「独立」60年、ということか?

 

 

 

 

コメント

2011年回顧

2011年12月29日 17時28分33秒 | プロフィール

■2011年回顧 ―キチガイ篇―

【1月】

1/9の記事、小谷野敦さんに関する思いつきメモ、を猫々センセにいじっていただいて、1502 IPを記録。そして、何よりうれしかったのが「キチガイ」の称号。"多分"と留保されているのが、少し残念。 そして、おいらのキチガイずんせい・2011年篇が始まった。

【3月】

ブログのいい点は実況報告性。地震前に書いといてよかった。
私はもっと崩れろ、もっと崩れろ、と念じられずにはいられない。

夷(えびす)を焼く弾(たま);焼夷弾。 炎に焼かれ、水に溺れ、風に飛ばされる、ぬんげんたちの運命を、キチガイなので、いつも考える。

 3.10, 1945, Tokyo

そして、3.11;

おいらの部屋もちょっぴり崩れた。 愚記事; 筑波山麓で受けたM8.8の地の波の結果について、おいらの見たこと

今回日本で崩れたものをカテゴリー分けすると;

1.天災で直接崩れたもの、
2.原発、
3.そして、日本の政府などえすたぶりっしゅめんと層( 愚記事;泣いたり、入院したりすれば済むと思っている

3は別に今回震災で崩れたわけでもなく、そもそも前から腐っていたという真実が露わになったのだ。特に、科学者の安全デマには大嗤い。

"御用学者"考、あるいは、遊ぶ金欲しさ、そして、ぼくたちの"おもちゃ"は危なくないんだぞ!

地震で壊れたもの II; 硝子細工、あるいは、悪意なき"悪行"のもたらすものは...続、「御用」学者考

「基礎」物理学者原発認識あれこれ;あるいは、物理帝国主義と科学技術バブルの完全終焉、そして残党は..

・ わらっちゃうこと、露わになること;そして、「猫400号」は不死身だ。

「何て、土人の国なんだ」

一方、大新聞のデマもすごかった;(避難なぞせずに) 「冷静に事態を見守ろう」、がんばれ東電


堂々たる狂人宣言

今年出版された本で、野依大尊師の『事実は真実の敵なり』がある。内容は2008年の日本経済新聞における私の履歴書である。ただ、今年単行本化するにあたり、キチガイ宣言を、野依大尊師は、なされたのだ。『事実は真実の敵なり』!

事実は、  真実の、なり!

『事実は真実の敵なり』とは、野暮な解説をするまでもなく、ドンキホーテの言葉だ (google) 。ドンキホーテは、もちろん、狂人(キチガイ)物語である。騎士道の「理念」でもって、「事実」を、すべて当人の都合にあわせて、騎士道物語を生きるのだ。例えば、風車(事実)が敵である巨人(真実)に見える。

今回の原発事故を過少評価の方向へ判断した科学者たちこそ、真実(原発はメルトダウンはしないし、放射性物質も大量に撒き散らかさない)という理念=自分の夢で、「事実」(愚記事;福島第一原発から放出された放射能が 77京ベクレル になった)に向かい合うことができなかったのだ。まさに、『事実は真実の敵なり』!

さて、野依大尊師は今年晩秋、ある講演会で、政府ダメ!、大学ダメ!、産業界ダメ!、ぬっぽんみんなダメ!これを化学(ひいては科学)で克服しよう!みたい演説をぶったそうだ(口さがない京童からの伝聞)。そうなのだ、野依大尊師は果てしない、騎士道物語ならぬ科学物語の夢でこのまぬけなぬっぽんの科学状況(⇒日本総体の科学技術水準はそれほど高くない)をぐちったらしいのだ。

「一番憎むべき狂気とは, あるがままの人生に折り合いをつけて, あるべき姿のために戦わないことだ。」(ラマンチャの男)なのだろう。 がんばっている、野依大尊師。

   

■ 事実は真実の敵なり、again

    
あるがままのぬっぽん           あるべき姿のぬっぽん

 

【5月】 ◆スペイン参り  <コルドバ>


 ― クワダル・キビール川、コルドバ ―

今年、生まれて3度目のスペイン参り。ありがとう、おいらの運命。

コルドバに行く(愚記事;スペイン行った、2011)。

コルドバをも流れるクワダル・キビール川の源流に天本英世さんの遺骨は散(ま)かれたらしい(google)。

おいらが自分の中にキチガイが入った瞬間のことを覚えている。10歳くらいの頃の夜。映画『日本のいちばん長い日』(wiki)を見ていた最中だ。

それは、停戦に反対し、本土決戦を実行しようとする職業軍人と"唆(そそのか)された"学生たちの決起シーン。この佐々木大尉を演じているのが、天本英世。

おいらはこの映像に衝撃を受け、以来キチガイがおいらの中に棲むようになったと思う。

決して他人には言わなかったが、小さいころから、おいらは日本は本土決戦をしなかったからダメになったんだと思っていた。断固、本土決戦をするべきだった!と、ソファーで綿あめをほおばりながら、考えていたのだ。そして、本土決戦で日本人が屍だけを残している光景を妄想していた。もちろん、おいらは敗戦後20年以上経って生まれたのではあるが、こういう観念に憑(と)り付かれていた。 今、このブログで生まれて初めて言った。 これが匿名性の利点。卑怯者のキモイ告白。

このことをずーっと他人には言えなかった(他人に言うととキチガイ扱いで収監されちゃう気がしていた)。ただ、のちに、村上龍の「五分後の世界」(wiki)などが発表され、おいらのこの"妄想"はおいらだけの「びょーき」ではないのではないかとわかってきた。最近は;

全滅すればよかったということを、孫引き、ひ孫引きしながら長谷川三千子センセは書く;  なかで、もっとも感心したのは児玉誉士夫の話で、米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみんな死んでいて焦土にひゅうひゅうと風が吹き渡っているのを見たら連中はどうおもっただろう(笑)、と発言して、ああいいことをいうなと僕は感心して聞きましたと吉本隆明の文章を引用している。 最近は;(愚記事;極右、あるいは偽毛唐、そして何より、狂気

と長谷川三千子センセも言っていることに気付き、30年前に言っていてくれたら、自分のキチガイにそれほど悩むこともなかったんだべ、と思う。

◆ スペイン参り  <アルカラ・デ・エレーナス>

アルカラ・デ・エナーレス(wiki)はマドリッドから近郊電車で40分ほど。『英知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者セルバンテスの生まれた街。当時から大学がある。スペイン典型のギリシア語-アラビア語-ラテン語相互関係の文明的成果なんだろう。12-15世紀には、「大司教の館を中心に、キリスト教徒街、ユダヤ人街、アラブ人街が形成された」。トレドと同じだ(愚記事; 十二世紀のスペインは、まさに学者の楽園だった)。大学の展示にはギリシア語-アラビア語-ラテン語が並んだ本があった。セルバンテスの生家は観光名所で、人がたくさん。でも、おいらは到着が夕方で間に合わず、中に入れなかった。

■2011年回顧 ―death valley篇―

・今年はプロジェクト決算の年。昨年末から今年年明けがいちばんきつかった。すなわち、夏前にひと成果を挙げて、このプロジェクトを次年度も新生プロジェクトとして継続させることが会社さまの意向であったからだ。もし、ひと成果挙げられなければ、R&Dはバイトまかせの会社さまは何ら困ることなくこのプロジェクトが解散し、おいらどもは路頭に放り出るだけである。

ひと成果とは、・<役に立つこと> ・<お金になること> ・において実を挙げることであり、それがひいてはおいらの<職にありつけること>につながるのだ。これだ↓;

:::今年はある課題がある。今年の課題というより、3年のプロジェクトの総決算課題。その課題を達成して、「大きく強くする」 (愚記事⇒ 今日の看猫 20091210)ことができれば、1回で高給車1台分の価値がある製品できる。正確には、ある買い手が、その「大きくて強い」製品ができれば、高給車1台分の値段で買いますよ、と2010年末に言った。言った当人も、まさかそんな急にできることもないだろうから、高給車1台分の値段で買いますよ、と大きく言ったのかもしれない。それをうけて<ブルジョアさま>が、「おまい(⇒いか@バイト)、やれ!」と命じているのだ。 (愚記事;おいらの任務。その「大きくて強い」製品を作る技術開発。):::

結論を言ううと、何だかうまくいった。理屈はよくわからないのだが、技術は開発できた。いきあたりばったりやったら、できた。 あの3.11の大震災の時にはむしろ峠を越えてひと段落といった状態だった。もし、3.11でも技術開発が達成されていなかったら、震災処理と技術開発の両立はできなかったであろう。ありがとう!偶然。ありがとう!おいらの行き当たりばったり力!

愚記事; 来週の面接は"後ろ"の方。<灘高>→<東大>→<メーカー筆頭研究者>という経歴のお偉いさまとのお見合いだ。

書いた。 Writing is the best Revenge;

特許2つ、論文3つ。特許の方が少なくてごめんなさい、ブルジョアさま。

■2011年回顧 ―アートシーン(笑い)篇―

・  想像されたものと出来(しゅったい)したもの; あるいは、「死の勝利」

サン・フェルナンド王立美術アカデミーのスルバランブース。

プラド美術館のベラスケス門は、夜開く...    

磯江毅=グスタボ・イソエ 「マドリード・リアリズムの異才」のため練馬に行く

アムステルダム、ゴッホ美術館に行った。

「榎戸庄衛展」・茨城県つくば美術館

A piece from Tehran; ジャクソン・ポロック展   

 

■2011年回顧 ―微熱 篇―

昨年は、ハイデガー熱が出た。その後ずっとちびちび読み続けている。それで、今年はスピノザ微熱だ。

 「人 の心を励まして強めるどころか、それを打ちくじく術に長けたこうしたひとびとは〔他のひとびとにとって不快なだけでなく〕自分でも自分がいやでならないの だ。そういうわけで、多くの者たちが〔性急さや誤った宗教熱から〕人間のあいだより獣たちのあいだで生きる道を選んだのである。それはちょうど、親の叱責 を平静な心で耐えることのできない少年や青年たちが、逃避して軍隊にはいり、家庭的にはいり、家庭的な幸福や父親の忠告より戦争の苦難や暴力の権力を選ん で、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるのにも似ている」。 

とおいらが17歳に買った本には書いてあったのだ。今年、気付いた。やはり、本は読むべきなのだ。

愚記事; スピノザ、 意志の自由、 ルサンチマン  

コメント

2010年回顧

2010年12月30日 08時31分29秒 | プロフィール
■2010年回顧 

―総論―

65年目の敗残国での日々。ロシアとアメリカに行った。冷戦終了20年、ヤルタ・ポツダム体制がヤルタ・ポツダム・ペキン体制になったことを悟る2010年;

―地下生活者もお土産屋―
 

ロシアに観光に行った。その時サンクトぺテルブルクで見た"ドストエフスキー"という名のお土産屋。地下にある。冷戦が終了して20年。ロシアはすっかり穏健になって外国人観光客向けに、自らの貧しい?文化遺産を用いて商売をやっているのかと思いきや、ボルシェビキ・赤旗が復活し再帝国化の兆しを見せていた。



而して、その政治的象徴は対ファシスト戦争勝利65年周年記念式典である。ご丁寧に中国の胡錦濤国家主席をロシアに招き、共同で祝祭。認識はドイツ同様日本はファシスト集団であり、撃滅したことが現在の中露の国家的存立意義ということだ。

プーチン氏は「われわれ両国は、大戦での(ドイツの)ファシズムと日本の軍国主義に対する勝利に大きく貢献した」とし、胡主席が9日の対ドイツ戦勝記念日行事に出席すること自体が、中ロの緊密な関係の証しだと謝意を表した。ポスターは多種類あるから、どれも見逃さないように!

果たして、秋には尖閣諸島事件で北京政府は尖閣(・魚釣)諸島は中国民族固有のものと宣言。さらには中国"在野"では琉球も中国領という主張。一方、ロシアはメドベーチェフ大統領自らが北方領土の土を踏んだ。彼らは戦勝国として当然だと思っているのだろう。これらに対し、日本は65年も経っているのだから、"敗戦"国とか戦勝国であるとかいうことは、世界政治を動かす理念としては重要であることなど気にもとめていないようだ。

そして、残された唯一の道が 対米すがりつき しかない現実に、この65年日本政府は現(うつつ)をぬかしてきたことを改めて知る。

この1年の愚記事群を読みなおして、民主党政権への言及はほとんどない。これは、金星探査機・あかつき、つまり金星の軌道投入に失敗した探査機を謗らないことと同じ動機に基づく。すなわち、あまりにも哀れで、<ねたみ>の対象には程遠い。<ねたみ・そねみ・ひがみ>を駆動力としている本ブログにはそぐわないのである。

でも、日本瓦解の駒が進んでいるので、わくわく・どきどきの胸のときめきは隠せない。21世紀の琵琶法師として、壇ノ浦まで付いていけるようがんばりたい。そして、見届けて、ぬっぽん衰亡紀をうたうのだ。まずは、今のおいらの衰亡紀・「いか@ 筑波山麓 『看猫録』」をがんばっている。

―各論― (小さい画像はクリックで拡大されるでしょう)

【1-3月】
解体前のフランス大使館旧庁舎を訪れる唯一のチャンスに便乗。


男性の地球でない
昔はここで、ひそひそ話し
昔はここで、像を現していた

■death valley稼業;実験室建設・装置設置進む。

夭折に関する取り決め

【4-6月】
■ロシアに観光旅行に行った。


猫たちが食い尽された街へ;サンクトペテルブルグ参拝

■ギリシアに行きそこねる。
ギリシアに行きそこねた; 2010年の思い出I

■東京都庭園美術館で催された『―ロシア構成主義のまなざし―』、ロトチェンコ&ステパーノワ展に行く。

アール・デコの館でロシア構成主義


■毛唐さん饗応役に出仕

毛唐さん饗応役に出仕; 2010年の思い出II

■ハイデガー熱出る。ハイデガー熱が出た背景はR.E. ルーベンスタインの『中世の覚醒』を読んだこと(・ R.E. ルーベンスタイン、 『中世の覚醒』、小沢千重子 訳 )。ヨーロッパがギリシアの正嫡と自称する例の問題について考えたから。ハイデガーこそ、ギリシアの正嫡意識が高いんだろうなぁと考えたから。そして、ヨーロッパ=毛唐文明の"精華"に違いないファシズムの問題。ハイデガーはどのようにファシストであったのかという問題。ここ20年の間に刊行された伝記を集めてみてみた。

やはり、ハイデガーはナチスに巻き込まれたというものではなく、ある種の社会・文明を企てようとした。それが理念としてナチズムと同一であったというわけでもないが、ある種の強烈な社会・文明思想だったらしい。

こういうこの哲学者の世俗での行動のことはハイデガーの哲学の論理そのものとは一線を画するものという考えがある。哲学は哲学として扱えるし、扱うべきであるという立場。でも、ハイデガーの思想は、キリスト教の神学が信仰という実践の前提がなければそもそも無意味であるのと同様に、ハイデガーの思想はファシストととしての実践がないと理解も運用もできないものであるとは考えないのだろうか?



吸血の後で
デリー化する東京で、松丸本舗参拝
ハイデガーのルサンチマン、あるいは、ハイデガーは"理系"だった!

そうしたら、日本経済新聞の"私の履歴書"にハイデガー屋さんの木田元さんの自伝を発見; 日帝海軍最年少の復員兵、あるいは日帝廃棄物; 木田元さん私の履歴書

木田元さんは1983年の時点で"嘘"はついていないが、海軍兵学校に在籍したことを"隠蔽"し、あるいはあえて言わず、読み手に対する"情報操作"を行っていたことを指摘した。

【7-9月】
■くろさん死去。ブログ開設以来最大の不幸。

■シャガール展に行く。

屠(ほふ)られる獣(けもの)の声を聞くシャガール、あるいは、Daseinは獣も含みうる


【10-12月】
■米国特許の通知が来る。バイト先は特許の本状が現場に来る。現場で管理しなければいけないのだ。以前のバイト先では特許部が管理していたのだろう。初めて、US特許の本状を見る。過剰包装にびっくり。ノーベル賞かと思った(おもわねーよ)。この米国特許は闘争5年?くらい。長かった。2-3回審査官とのやりとりがあった。やっと、通った。審査官の名前がインド系だった。米国の特許業界事情の一端を覗いた気がした。たぶん、日系とかコリアン系、そして中国系の特許審査官は少ないのではないのではないだろうか?インド人に英語と科学のバックグラウンドがあることが理由なのだろう。



■米国出張。
アメリカ勘定旅行

■甲種危険物試験受験。
バイト先から甲種危険物取扱者の資格取得命令。約20年ぶりくらいで受験勉強。落ちると恥なので、結構びびった。



暗記と論理という観点で、法学と数学を比べた(ヨタ)話をどっかで読んだ。すなわち、数学は論理の学問とされているが実は事例の記憶が重要であること、一方、法律というのは暗記(記憶)の学問と思われているが実は一貫した論理があることが指摘されていた。今回、危険物の法令の勉強で、確かにそうだべな、と思った。法令はバカ暗記で切り抜ける人がほとんどだと思うが、法令の理由や根拠って結構論理的一貫性がある。そしてその論理的一貫性を成し遂げようとする"思想"が透けて見える。よい経験でした。

■われらが有馬朗人センセが、文化勲章。祝! 「ゆとり教育」、「ポスドク一万人計画」や「国立大学独法化」で日本の文化状況の革新に重大な貢献をしました。一将功成りて万骨枯る。草場の陰から"消えたポスドク"もお祝いしていることでしょう。それにしても"ノーベル賞を目指せ!"と、はしたない言葉で日本科学者を励ましてきた有馬センセ。文化勲章伝授式には、急遽受賞が決まったノーベル賞組の二人が。ノーベル賞を取れば、文化勲章は自動的についてくるからだ。日本国文化勲章はノルウエー王国のノーベル賞の"おしゃれ小鉢"なのである。どんな心境で有馬センセは同席されたのでしょうか?やっぱり、"ノーベル賞を目指せ!"だったのでしょうか。それにしても有馬朗人センセの大臣在任中に、巷の工場(こうば)でバケツで作業してたら"青い光"がでたんですよね。もう、昔のことだ、みんなは忘れちゃったかな。世も末で、博士が大臣だ。

■サンクチュアリーにしてもらった愚ブログ;いか@ 筑波山麓 『看猫録』。 惑星探査機・はやぶさに批判的記事を書いた。そうしたら、あるツイッターに"突撃禁止"と保護されて言及された(@SubaruTakeshimaさん)。

 ←クリックで全文見えます。

試料採取目的惑星探査機『はやぶさ』の残念について
コメント

2009年回顧

2009年12月31日 09時22分39秒 | プロフィール
 
老舗と新参の便所比較(今年行ったスペインにて)
左、プラド美術館(マドリー); 右、グッゲンハイム美術館(ビルバオ)

■2009年回顧  ねたんで、ひがんで、嗤って、転げまわった一年。苔が生えないことだけが幸いです。

【5月】
スペインに遊びに行った。 初めての海外観光旅行

【6月】
・9日、愚記事、床次正精 福山城にアクセス多し。のち、この夜(2009/6/9)、"開運 なんでも鑑定団"に床次正精作品が出たらしいと推測がつく。こういう誰も言及していない些細なネタがある日突然陽の目をみるというのがうれしい。それにしても、がんばってるな、吉田真由子。在職期間があきひと天皇陛下に次ぐくらいの立派さだ。苔が生すまでがんばって、人間国宝を目指しているんだろうかと思った。

・仙台に州之内コレクション展を見に行く。

3年ぶりに札幌に行く。

【8月】
自民党壊滅。 下種なおいらはざまぁみろ!と思った。この日以来、おいらは毎晩豚のようにぐっすり眠ることができるようになり、体が快適だ。街頭で落ち武者を見かけたら罵倒でもしてやろうと思っていたのに、全く姿を見ない。冬となった今、民主政権がまぬけなのに自民党の存在感が全くないのに驚く。つまり、自民だろうと民主だろうとおクニのふぁんだめんたるが重篤なので、小手先のことではどうしょうもない。自民に戻したからといって悪化こそすれ、改善はしないだろうという国民の感覚なのだろう。

・生まれて2番目に高額の買い物をする。スライド書棚(3重式)、33万円。ちなみに1番目は20年あまり前に買った車。本棚の収納力は冊数で示すより、「長さ」であらわした方が有益。これは22メートル。写真ではまだ棚を入れてない。6(-7)段入る。1段の高さは約25センチメートル。普通の単行本が入るサイズ。22メートルなので、本の厚さを1冊2センチとすると、1100冊、1冊4センチとすると550冊収納できる。
  

・読んだ。書いた、『羊をめぐる冒険』。今回これら一連の読みで気付いたことは、読む度に新発見があること。さらには、引用のために書き写す最中で新発見に気付いたこと。このことは本当に読むには、写経しないといけないのか!と驚く。"読むこと"に際限はないことを改めて気付いた。"読むことのアリャマー"。

【9月】
おいらのお花畑が踏みにじられる

【10月】
レヴィ・ストロース死去。
愚ブログのこの与太記事"冷たい社会と熱い社会"は検索経由で来訪者がコンスタントにある。レヴィ・ストロースの悲惨さは、その業績が、構造主義ではなく、陳腐な素人向けの"構図"主義に堕してしまったことだろう。「中心と周辺」とか。構造をはっきりさせるには抽象的数学の"開発"が必要だったのに、あのあきれるほど発展し、開発された新古典派経済学の"つまらない"数学による形式化に比べて、レヴィ・ストロースの業績の発展が数学的、つまりは理論的、形式的に発展しなかったのは、これがわかっていながら、なぜかしら遂行しなかった。西部邁のせいである(?)。そして、なにより、構造主義の新しい数学・人工言語で形式化をしないで、旅の先を急ぐポスト構造主義が一番、レヴィ・ストロースを悲惨にしたのではないだろうか。(以上、このパラグラフは与太です、すみません)

【11月】
・科学者がお花畑を踏みにじられて、発狂。 この(一部?大部?)科学者や研究者の発狂には ぎょっ とした。仕分け人の責任者が「野依氏は非科学的」と指摘したのは当然。ところで、ポスドクなど任期付き"若手"研究員ら数万人が発狂するのは理解できる。なぜなら、地獄行きの列車に乗っているのだから。その列車から抜け出せるのは高々20-30%程度だろう。しかしながら、その博士多産多死システムと今回の事業仕分けとは関係ない。事実、事業仕分けの提言にもかかわらず予算が減らなかったが、ポスドクら数万人が地獄行き列車に乗って、30歳後半無職という破局に向かっていることは解決されない。この博士多産多死システムは15年以上前の自民党政権によって大学院重点化という政策ではじまった。立案者の固有名は今いち不詳。一方、実行時代のひとりが有馬郎人文部大臣、(地獄への道はよき意図をもって舗装されている)。民主党や今回の政権交代は関係ない。むしろ、血のかよった生身の人間のヤンバダム問題である。恐ろしい話ではある。政権交代で改めて明らかになったこと。戦略なき無駄なダム!戦略なき無駄な地方空港!戦略なき無駄な博士・数万人!すべて自民党政権の責任である。自民党こそ何ら戦略性などなく、いきあたりばったりでやったのに、今回の事業仕分けで発狂した科学者たち(一部?)は「民主党には科学技術戦略がない、ビジョンが見えない」とかいう。ただ、カネさえもらってれば何でもいいくせに(事実、自民党の戦略なき政策には発狂していなかった・カネが出てたから)、何殊勝ぶってのかね。事実、今回予算がついたら、文句言わなくなった。ヤンバダム中止で工事がなくなって騒いだ土建屋と同じメンタリティだね、科学者様たち。これで、国民の 「"やっぱり、バカにしてもいい"リスト」 に自民党、官僚、土建屋に続いて科学者集団は晴れて登録された。これまで躊躇していたけれども、タガがはずれた。あの野依氏や益川氏を見て、庶民は「やっぱ、アタマおかしい」と心中含むところができた。これはあの自民大敗へと結果した静かな庶民の認識革命なのだ。もちろん、科学者は単細胞なので、気付かないし、絶対認めない。
 それにしてもブログはあまたあれど、30歳後半無職博士の職探しブログってのはないよね。30歳後半無職博士が、いかに社会(private section/ tax-payer section)から用がないかという恐ろしい地獄絵が報告されてない。そして、学生が、知ってか知らずか、その地獄行き列車に乗り続けている。"生活保護"という表現はひどいが、学振の採用数を減らすというのは一種の親心だと思う。なぜなら、地獄行き列車の座席数を減らすからだ。

【仕事】
・特許2つ出した
・出張
南の島(7月)
瀬戸内地域(すなわち、おいらががきんちょの頃当時興隆真っ盛りとしてガッコで習った"瀬戸内海工業地帯"、だけど現在さびつき真っ盛りのお仕事場)(2月、3月、4月4月-2、
・プロジェクトの状況は良くない。不況のせいにしてごまかしている。
依然、おいらの不安定度、大。


コメント

2008年回顧

2008年12月31日 20時35分04秒 | プロフィール
今年も終わり。って全然一区切りの実感はないのですが、一応回顧。

去年の大晦日、今の状況を全く予想できなかったし、来年の大晦日もどうなっているのかわからない。

2008年回顧のため自分のブログの今年分を通覧してみると、2月のインド出張なぞ遥か昔という印象。長いぞ1年。

来年の大晦日もどうなっているのかわからないので、来年もまめにブログでおいらの極私的状況とぐちやねたみやひがみを書くよ。



■内定取り消しの後、転職した。

それに伴い11年暮らしたアパートから引っ越した。

■出張った

2月 インド
12月 オランダ

■リアル世界で、おいらは今年、過去官僚(中央政府)の人と、元役人(地方政府)の子供から、別々の場面&似たようなシチュエーションで、「そういうこと言うのは、君の ひがみ だ」と公然と御指摘を受ける。

リアル社会でも、ねたみ・ひがみを出しまくりらしい。

■ブログを律儀?に更新

366日中、325日更新。 (内容は問わないでね。)

いろいろ頭に浮かんで、書きたいことがあったが、頭脳怠慢でまとまらず、指手怠慢で文章化できなかった。

■世界が進むのが速すぎ。

たとえば夏前に水野和夫の『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』に触り始めたが、読み進められないうちに、「世界恐慌」になっちまった。

今年まとまって読んだのが、これまでその人物に関心がなく読んだことがなかった森嶋通夫(ウヨ的ステレオタイプでは、冷戦さ中、ソ連軍が侵攻してきたら白旗を上げて降参せよ!と主張した最悪のバカ サヨ。<but 文化勲章を授かっていた{いうまでもなく、文化勲章は天皇陛下から授かります} & 福田恒存から詫びを取った 経済学者&旧日帝海軍将校>) の素人向けの諸本。おいらも、バカサヨだろうと思って読んだら、大違い。吉田松陰(- - 武士の恥をしらざること今日に至り極まれり - - 「講孟箚記」)に肉薄する憂国の士にて亡国の徒なり。恐るべし。

自伝と日本没落論でとても考えることが多い。たとえば;

- - (ある大きい経済団体の)会長は、これからの日本の危機まど考えるような気がないような、楽観論だけを述べ続けた。日本で成功して高い地位についている人は、どうしてこんなに自己満足しているのだろう! - -  森嶋通夫 『なぜ日本は没落するか』1999年

そうなのだ、どうしてこんなに自己満足しているのだろう!というフレーズこそ、おいらが、愚民党や ぬっぽん・えすたぶりっしゅめんと へ向けてきた呪いのフレーズに他ならない。(上記、君のひがみだ、はこの 呪い への応答です。) さしずめ、「あなたとは違うんです!」と勝手に、かつ無根拠に、思い込んでいるから満足してんだろうけど。

 ニュース源

●まとめ; 来年こそ、愚劣ぬっぽんが亡びますように。 お月さまにそっとお願いしました。
コメント

The day in a life; 嗤っちゃう、おいらの ずんせい

2008年04月01日 18時30分44秒 | プロフィール
- - それというのも、野宿は自分を鍛えるための、うってつけの試練であり、こうした試練を乗り越えるたびに、自分が騎士道の修行をそれだけつんだことになる、と考えていたからである。 - -

セルバンテス、牛島訳、『(狂人伝記)ドン・キホーテ』



エイプリルフールのねたではありません。

おいらのきびすい人生です。



まだまだ続く、おいらの ノラ 人生。

▼BGMは;
YouTube; And though the news was rather sad, "A day in the life"
コメント

2007年回顧

2007年12月31日 15時08分56秒 | プロフィール
■書いた

  ←書いては直しの1年分(全部じゃないけど)
10の稿を投げ、現在5つが受け入れられ、2つが討ち死に、3つがお取り調べ中。

■出張った

2月 南の島
3月 インド、シンガポール
7月 スペイン、ドイツ
10月 今年2回目のインド

■ブログを律儀に更新

365日中、338日更新。 (内容は問わないでね。)
コメント

プロフィール

2005年07月03日 11時43分18秒 | プロフィール
 いか@ 筑波山麓 『看猫録』 のお品書き。

2004年6月30日に、「いか@ インドで働いたこと」をはじめる。

2005年6月30日、いか@ 筑波山麓 『看猫録』 に改称して開始。

■いか@、とは?


がきんちょの頃、概念による世界掌握を野望。 (ヘーゲルのばか!)
野望のため、故郷喪失者となり、精神的にも地理的にも、流浪の生活。
功名 いささか また みずから ひそかに 期す (功名聊復自私期)、も 
すっぱい! あたまもこわす。

すっぱいの失意の中、天狗党蜂起に加わろうと筑波山に参上。(←アタマこわれてた証拠)
当然、天狗に会えず。 
それ以来筑波山麓に住みつく。

そして、ねこ と出会う。 ねこに救われる。 こわれたアタマも最近うごきはずめますた! マンセー!

賃金労働者&非正規労働者
政府定義ではフリーターは35歳以下なので、「フリーター」とも称せない。
めぐまれていると思うべきと最近考える。寝食できてるわけだし、ネットもできるし、
兵隊にもとられないし、空爆もされない。
それに、ねこに週に一度は かんづめ餌 をあげられる。

偏愛マップ, 偏憎マップを。


コメント (4)