シンガポール国立博物館、歴史部門、Syonan-To:1942-1945, 日侵時期、の展示より。
今夜も 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無
教育勅語
■将校の生き方
話は全然、変わって、5/6のフジテレビ、報道2001には五百旗頭真センセが中曽根元首相と共に出演。戦後日本論。現在、五百旗頭真センセは米国の保護国なる属領日本の「米」衛隊の幹部将校を養成するガッコの校長センセであることはいうまでもない。
現在に至るまで、「自」衛隊と憲法の齟齬が問題となっているのは、両者とも当時の絶対的統治権力者の矛盾する指示で各々別個に形成されたからに他ならない。
つまりは、昨日まで玉砕白兵戦で素手でも立ち向かってくる日帝皇軍を無化するため、マッカーサー将軍は、国家存立の第一原理である交戦権を禁じたマッカーサー憲法を、すめろぎ・ひろひとさんを以って、公布せしめた。
ところが、「次の日」、朝鮮戦争勃発!せにはらを変えられず、国家存立の第一原理である交戦権を禁じた「平和」憲法に悖る事実上の再軍備を、これまた絶対支配権力者であるマッカーサー将軍は、日本に命じたのであった。
この、権力者による恣意的な矛盾する指示・命令が半世紀以上たった日本をちぢにみだし、国民を以って、絶望と・冷笑癖と・無力感にさらす人生を送ることを強いている源泉に他ならない。
さて、この現状を打破するひとつの方法はクーデターに他ならない。クーデターこそ、民主制など昔から今に至るまで我らがぬっぽんずんに無縁なものもめずらしいのにもかかわらず、なぜかしら、民主制という建前で欺瞞的に生きている今日を打破するものに他ならない。クーデターをやってくれるはずの将校さまはどうしているのだろうか?
上記の五百旗頭センセこそ、戦前日本は将校の下克上で国が滅びたという見識の元、将校養成ガッコの校長センセの任務を遂行されているのである。この日の番組でも、下克上という語彙が繰りかされた。校長センセの任務は、よき「米」衛隊の将校たれ!に他ならない。とにかく、クーデターを起こす将校だけは絶対困るということだ。つまりは、究極の『「魂」なき専門人』の養成に外ならない。
さて、そんな真摯な戦後日本「文明」(大爆笑)のおりこうさん筆頭の五百旗頭校長センセのはしごをはずすがごとき発言を、内閣総理だいずんがすてくれるから、やっぱ、ぬっぽんはわくわく・どきどき、腹腹時計である。
半年ぶり党首討論・参院選の争点、終始探り合い
小沢氏は冒頭、首相が3月の防衛大学校の卒業式で「危機には自らの信念に基づいて的確な判断で行動すべきだ」と訓示したことを取り上げ「危機での判断は首相、政治家がやるべきで、1人ひとりの将校の判断ではない」と迫った。首相は「万が一、外国から侵略された際は判断を彼らがしなければならないこともある」と反論、文民統制とは別問題といなした。(00:06)
思いて学ばざればすなわち殆うし
学びておもわざればすなわちくらし