いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

キンモクセイ はじまりました 2009

2009年09月29日 18時29分43秒 | 筑波山麓


筑波山麓に来て10年ばかりだが、キンモクセイは10/1プラス/マイナス1週間の時期に開花するような気がする。

そして、冷たい雨とつきものという印象がある。 キンモクセイ はじまりました。 2005 今日、筑波山麓は雨。

なぜ、おいらがキンモクセイが毎年うれしいかというと、キンモクセイは北海道にはないから。仙台は植生域とのうわさもあるが、仙台でのキンモクセイは印象にない。

今日の看猫 20090927

2009年09月27日 22時21分47秒 | ねこ

今日の看猫 20090927

■神社焼き打ちの思い出;

近代日本の空虚さを描く、村上春樹の『羊をめぐる冒険』で、十二滝村の発展のひとつの頂点を描く場面がある;

明治二十五年には四家族、十六人がやってきた。明治二十九年には七家族二十四人がやってきた。
 このように住民は増えつづけた。共同小屋は拡張されて立派な集会所となり、その隣りには小さな神社も作られた。十二滝は十二滝村と改められた。人々の主食はあいかわらずイナビキ飯だったが、時折はそれに白米も混じるようになった。不定期的ではあるにせよ郵便配達夫も姿を見せるようになった。


北海道の開拓の進展を描く上で、神社建立に着目している。なお、神社はゼロから作るわけでなく、どこかのオリジナル神社が分かれて来る。十二滝は津軽の出身なので、その出身の村から来たはず。これは小さな神社の話。

▼この場面を読んで、がきんちょの頃を思い出した。大きな神社の話。大人になるまで「神宮」というのは指折り数えるほどしかない「格式」の高い神社とは知らなかった。つまり、がきんちょの頃から知っている北海道神宮が格式の高い神社とは自覚していなかった。

でも、北海道神宮は大日本帝国の領土拡張の象徴である立派な神社だ (参照:昭南神社)。上記「なお、神社はゼロから作るわけでなく、どこかのオリジナル神社が分かれて来る。」は厳密に言うとウソで、北海道神宮はすめろぎさんの詔で「ゼロ」から発足。いわずもがな、昭南神社もゼロから取って付けた神社である。

そして、1974年焼き打ち (北海道神宮放火事件 wiki)にあった。この事件のことは覚えている。たぶんこの放火は日曜深夜、月曜早朝に行われたのではないだろうか?それというのも、日帝侵略庶民のおいら家族は、おいらの兄弟の七五三に行ってその翌朝テレビのニュースで炎上する神殿を見た。なぜ記憶に残っているかというと家族が、あれ昨日行ったところでしょう、と言っていたからだ。もちろん当時、なぜ神宮が放火されるのか意味がわからなかったし、そもそも1)放火の動機を考えもしなかったし、そもそも2)日帝を呪う彼らの悪意を全く感じることはできなかった。なぜなら、おいらががきんちょだったからだ。今から考えると、「北海道神宮は大日本帝国の領土拡張の象徴」という言い分で左翼/アナーキストがパフォーマンスをやったのだ。"思想"と言えば「思想」ではある。

■しかし一方、訳わからない神社焼き打ちもある。

長じておいらが、仙台に行って、昭和が終ってまもなくの話。この頃は大喪の礼や新帝即位などで新左翼残党の方々が、今から思えば、最後の花火をくすぶらせていた。宮城県内の竹駒神社という古い神社が焼き打ちにあった。これは北海道神宮放火と同様、事件未解決だと思うし、当時犯行声明文が出ていたかも知らない。ただ、"過激派"による放火というのが流布しているうわさではある。

でも、竹駒神社は北海道神宮と違って筋違いもはなはだしいと当時思ったのであった。

●そして何より今日最も重大なことは、上記『羊をめぐる冒険』のイナビキ飯が何だかわからないことである。

↑後記:わかっただよ。ひえ・あわ・いなびき、とかそういう類のものらしい。
Google; いなびき

毎週、さつきみどり2号を撮っています。4

2009年09月26日 07時40分29秒 | 筑波山麓


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They've got to start the task in a caged garbage

2009年09月25日 18時46分49秒 | 日本事情

野良やカラスにやられないように、がんばって!




鉄ちゃん大臣、バカ鉄ちゃん*1のために謝罪。


*1:
先輩後輩の馴れ合い、見返りは鉄道模型やチョロQ 福知山線脱線情報漏洩 (1/3ページ)
2009.9.25 21:27
このニュースのトピックス:鉄道事故
JR福知山線脱線事故の事故調情報漏洩で記者会見中、何度も頭を下げて謝罪する山崎正夫・JR西日本前社長=09年9月25日午後4時24分、大阪市北区のJR西本社(甘利慈撮影)JR福知山線脱線事故の事故調情報漏洩で記者会見中、何度も頭を下げて謝罪する山崎正夫・JR西日本前社長=09年9月25日午後4時24分、大阪市北区のJR西本社(甘利慈撮影)

 JR西日本の福知山線脱線事故調査情報漏洩問題では、航空・鉄道事故調査委員会(当時)の元委員、山口浩一氏(71)は当事者から、鉄道模型やチョロQをもらう一方、調査進展状況を漏らした上に、求めに応じて有利な書き換えまで進言していた。山口氏は国鉄出身で、JR西の山崎正夫前社長(66)と「先輩後輩」の関係。なれ合いが産んだ末の漏洩だった。「何を信じればいいのか…」。関係の深い人物が調査委に名を連ねていた事態に、遺族からも報告書の信頼性に疑問の声が漏れている。

 山崎前社長が山口氏に、最初に接触を図ってきたのは平成18年5月。事実認定を積み重ねている段階だった。その後も、分析に入った19年4月など「時機を見計らい接触してきた」(運輸安全委幹部)という。

 その度に、山口氏は説明し、報告書案の一部コピーを渡していた。要求は面会を重ねるごとにエスカレート。最終報告書に盛り込ませないため、委員会での「有利な書き換え」の発言まで求めた。その見返りは、調査報告書公表後の夕食接待だった。菓子や新幹線「500系」模型、チョロQ3個の手土産も受け取っていた。

 専門的知識が必要な鉄道や航空事故の調査では、鉄道や航空各社の関係者が委員に名を連ね、自らの経歴に関連する事故を担当するケースもある。今回も「別の委員にもJR西側から接触があった」(同)という。調査の信頼・中立性に疑問が生まれ、前原誠司国交相は「今後は密接関係者を審議から外し、再発防止を図る」と話した。

村上春樹、『羊をめぐる冒険』における囚人奴隷労働

2009年09月23日 16時47分19秒 | 日本事情


   今日の筑波山麓

■『羊をめぐる冒険』における囚人道路

村上春樹、『羊をめぐる冒険』に囚人道路(参照拙記事:出藍の誉れ;町村信孝外相 )が出ていると今日初めて気づく(何度も読んでるはずなのに)。

 明治三十五年に村のすぐ近くにある台地が牧草地として適していることがわかり、そこに村営の緬羊牧場が作られた。道庁から役人がやってきて、柵の作り方や水の引き方、牧舎の建築などを指導した。次いで川沿いの道が囚人工夫によって整備され、やがて政府からただ同然の値段で払い下げられた羊の群れがその道を辿ってやってきた。

  『羊をめぐる冒険』、羊をめぐる冒険Ⅲ、1 十二滝町の誕生と発展と転落


うーん、すごい。村上作品は寓話的とか野暮じゃない上品な表現とかが人気で受容されているとされるが、実は過酷な近代日本の現実を"埋め込んで"ある。

囚人工夫による北海道の道路づくりというのは、今でも語り草になる(しつこく上記拙記事参照)ほどの奴隷労働である。たぶん、日本史上(日本人が日本人にしたものとして)証拠として残るものとして、最悪の残酷さであった。その証拠というのは奴隷労働で死んだ囚人の遺骨が数百人規模で現在出る。そしてその遺骨には鉄球・鉄鎖が付いている。→Wikipedia;鎖塚

想像してくれよ!その道端に弊死した囚人を埋めた道を羊の群れがメーメーいいながら行進する! まさに、羊が人を食うではないか。本源的蓄積だ。もっとも十二滝町においては牧用地が農民にあたえられるのであるが...。

そこまでして明治新政府は国策を進め、そんな道を通って、羊の群れがやってくる。近代日本の空虚さを羊を象徴として描くこの『羊をめぐる冒険』、村上春樹はこの囚人奴隷労働を知ってこの物語に織り込んだのだろうか?


榎本守恵、『北海道の歴史』、北海道新聞社、1981年 より転載。


お孫さまの時代;嫌われ芸編

2009年09月22日 10時16分01秒 | 日本事情

      

"真打ち・お孫さま"で壊滅した自民党
 おじいちゃま達は偉かった。

没落しちゃったね。自民党。安倍ちゃんが辞めた時、安倍ちゃんが任務を放棄して逃亡しても、街頭インタビューで憤怒している人がひとりもいないばかりか、誰一人として、あいつは バカ だといわない。ぬっぽんずんは、みんなやさしい。美しいクニ、ぬっぽん。とか言って、おいらは揶揄してしまった。でもホントは、日本人はみんなあきれていたんだね。その結果が今日の自民党壊滅だ。

麻生さんもホント、びっくりするくらいバカだったね。勉強しないのはともかくその理由づけがすごいよね;麻生首相“告白”「ほとんど勉強しなかった」*「勉強ができた人で一番問題になったのはオウム真理教で、みんな高学歴だった。」って、おまいの若い頃(修業時代)の事件じゃないだろう!それをいうなら、勉強してインテリになるとアカになっちまうくらい言えばいいのに。あるいは、勉強ができた人で一番問題になったのは高学歴の官僚たちで、数十年のツケが国の借金800兆円だ!でもいいよ。

平沢勝栄の選挙後の"切れ芸"は圧巻だった。安倍-福田-麻生と自民大バカ時代に冷遇されていた恨みと「ほれみたことか!」という優越感が横溢していた。特に、もう吹っ切れたのか、安倍-福田-麻生の周辺を茶坊主!茶坊主!と罵倒していた。

そうなんだよね。安倍ちゃんも麻生さんも生まれてから、そして政治家になっても茶坊主にばかり囲まれて生きてきたんだろうな。そして、世間の風当たりを今でも了解できない。世間の下種な野郎どもがこの貴種のおれさまの足を引っぱているくらいに思っているんだろう。あういう、バカのくせに、妙な全能感を持っている人格というのもすごいな。

▼それで、鳩山由紀夫。また、お孫さまだぜ。鳩山由紀夫・民主党は鳩山一郎が創った自民党に引導を渡したってわけだ。吉田(麻生)→鳩山転移ってのもすごい。でも、鳩山由紀夫は安倍や麻生と違って、トーダイでてドクターも取るくらいの勉強はできたらしい。何十億も資産も持ってるらしいし。それで、頭の中はけっこうお花畑らしい。ぼっちゃん育ちの特権だ。うらやましい。

◆そんな壊滅自民党の総裁選で吠えまくっているのが、これまたお孫さま。このお孫さまは、安倍や麻生のように政治的魂はともかくただ血統を引いているだけというのと違って、河野一郎の芸風もちゃんと踏襲しているらしい。つまりこういうことだ;

河野(一郎)は強引で直情径行、総裁、総理への野心にあふれていた。それだけに嫌うものや敵が多かった。 (戸川猪佐武、『昭和の宰相・岸信介と保守暗闘』)

●でも、河野太郎の"しばき"風党運営と政策をすると、その支持基盤ってないのじゃないだろうか?今や自民党の議員が高齢の世襲議員が大半で(今回初当選の自民党議員って5人だってさ)、その支持者は"田舎"で"都市"からの仕送り(交付金/公共事業)を当てにする人々であろうから。

構造改革志向のネオ・リベ支持派は自民党をもう支持しないのではないだろうか?一方、民主党を支持するかもわからない。つまり、現行日本の"稼ぎ層"の政治的基盤が流動化している。

◆蛇足ながら、ネオ・リベ志向を表明する中川秀直は河野洋平とは新自由クラブで一緒だった。中川秀直と河野太郎は自民党をそのうち出るのではないだろうか?


*麻生首相“告白”「ほとんど勉強しなかった」
演説を終え、笑顔で聴衆と握手する麻生首相
演説を終え、笑顔で聴衆と握手する麻生首相
Photo By 共同

 自民党の麻生太郎首相(総裁)と民主党の鳩山由紀夫代表が18日までに本紙などのインタビューに応じた。漢字の読み間違いで批判を浴びた麻生氏は少年時代を振り返り「勉強はほとんどしなかった」と明かし、追い風を受ける鳩山氏は「落語を聞きながら寝る」と意外な一面をのぞかせた。

 麻生氏が自らの勉強について言及したのは、日本の若者が現在抱いている閉塞(へいそく)感に関して述べた時だった。

 「勉強ができた人で一番問題になったのはオウム真理教で、みんな高学歴だった。勉強ができるのと立派な人は別問題。私はあまり勉強ができなかったせいか、そう思う」と多様な価値観を強調。その上で「私は自慢じゃないけど、勉強はほとんどしなかった。弟はしないのにできた。子供心に、人間には生まれつき才能の違いがあると思った。(閉塞感打破の)きっかけは射撃で、日本一になったりした。あれが発想の切り替えになった」と説明した。

 しかし、漢字の読み間違いは政権にダメージを与えた。今回の選挙は「政権交代」がテーマとなり、小泉純一郎元首相の口からは「野党を経験するのも悪くない」との言葉も。

 「93年、細川政権が誕生して野党を経験した。予算成立は7月だった。景気は93年を境に悪くなった。予算がこれだけ景気に影響を及ぼすのかと恐ろしかった」と振り返りながら「安易に政権を野党に渡しても悪くないというような評論家のようなことを言うつもりはない」と反発した。

 中日優勝の年は政変が起きるとのジンクスについて問われると「落合監督が好き。彼はおもしろい。でも中日が好きとは言わない」と複雑な笑みを見せた。

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今日の看猫 20090921

2009年09月21日 18時10分11秒 | ねこ
 -- 噴水のまわりをマリゴールドの花壇が丸く取り囲んでいた。町が十年前より遥かにさびれていることは一目でわかった。 --
      『羊をめぐる冒険』、羊をめぐる冒険Ⅲ、2 十二滝町の更なる転落と羊たち 
     ("僕"が十二滝町駅に到着した時の、駅前のロータリーについての描写)


       マリーゴールドとうめちゃん

■物語の意味がつかみきれない『羊をめぐる冒険』についての思いつき;

"システム"の象徴?らしき"羊"を抱え込んで自殺した"鼠"をはじめ、離婚した妻、事務所の相棒、耳女などみんな"僕"から去って行く。

そんな"僕"が最期に向かうのが、ジェイズ・バー。 ジェイズ・バーだけはこの物語、そして村上初期三部作で一貫して安定している。しばしば店の場所はかわるけれども。

このジェイズ・バーは何の象徴なのだろうか?

幻の"共同体"の象徴としてのジェイズ・バー;

例えば、"僕"とジェイはこんな会話をしている。その前に確認すべきは、"僕"というのは外柔に見えても、内剛で徹底した個人主義者、そしてニヒリストを思わせるキャラである。そんな"僕"とジェイの会話;

「子供は作らないの?」とジェイが戻って訊ねた。「もうそろそろ作ってもいい年だろう?」
「欲しくないんだ」
「そう?」
「だって僕みたいな子供が産まれたら、きっとどうしていいのかわかなんないと思うよ」
 ジェイはおかしそうに笑って、僕のグラスにビールを注いだ。「あんたは先に先にと考えすぎるんだ」
「いや、そういう問題じゃないんだ。つまりね、生命を生み出すのが本当に正しいことなのかどうか、それがよくわからないってことさ。子供たちが成長し、世代が交代する。それでどうなる?もっと山が切り崩されてもっと海が埋め立てられる。もっとスピードの出る車が発明されて、もっと多くの猫が轢き殺されれる。それだけのことじゃないか」
「それは物事の暗い面だよ。良いことだって起きているし、良い人だっているさ」


この会話の意味は、個人的なことについてなぞ問答無用風の"僕"は、ジェイならば応答を許すことを示し、さらに子供を作るというのは"人間の再生産"つまりは"共同体"の維持の根幹の問題であり、その問題をジェイならばこの「オレに話かけるなよ!」オーラを放つ"僕"に質問をすることができる。

つまり、ジェイズ・バーは共同体であり、ジェイはニヒルな"僕"の「幼稚???!!!!」な考え、人類は存続する価値があるか? に対するなだめ役である。

やはり、community;

羊をめぐる冒険が終了して、右翼の大物の秘書から多額の小切手を受け取った"僕"は、ジェイズ・バーに行く;

「どうだろう、そのぶん[上記小切手]で僕と鼠をここの共同経営者にしてくれないかな?配当も利子もいらない。ただ名前だけでいいんだよ」
「でもそれじゃ悪いよ」
「いいさ、そのかわり僕と鼠に何か困ったことが起きたらその時はここに迎え入れてほしんだ」


「溜め」の定義に他ならない。

そして、幻聴癖のあるおいらは、この『羊をめぐる冒険』の最後のくだりを読んで、聴こえてきたのでした;

There's a Place - Lennon/McCartney