いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第9週

2024年05月25日 18時08分52秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第9週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の花

■ 今週のクラシカル:クロネコ・ヤマトのキャラクター図案

クロネコ・ヤマトのマークが変わった。2021年らしい(クロネコヤマトがロゴマークを変更した理由とは?担当者が語る真意)。さて、1983年のクロネコ・ヤマトのキャラクター図案を今週見つけた。

 

1983年の広告。筑波学生新聞より https://t.co/cs5M8FWC1N

■ 今週の卒業:「お武家さま」

以前からお米はいただいていたので、買う必要がなかった。ある農家からお米を、 おいらがお武家さま然としているからか、献上してもらっています  。筑波山が見える田圃で育った稲のお米をもらって生きてきた。つくば在住の頃は伺ってもらった。横浜に引っ越してからは、宅配便で送ってもらっていた。この横浜の頃から輸送料金を考えると、いただくまでもないという状況になりつつあった。そして、九州への引越し。ついに、お米をいただくのを止めた。なお、「お武家さま」とは、昔の武士というのは農民のつくった米をもらって(「収奪」して)いた。つまり、武士とは武装しているとか武士のエートスを持っていて「立派」だとかそういう美属性より、他人から食べ物を恵んでもらっている(収奪している)ヤツらということだ。これを明治新政府は、「 武士ト称シ抗顔坐食シ」といった。

今週からおいらも自腹でお米を食べるのだ。「お武家さま」=座食からの卒業だ。

福岡のお米めし丸夢つくしは、
おいしさで定評のあるコシヒカリを父に、
丈夫で栽培しやすいキヌヒカリを母に、
両方のいいところだけを受け継いで生まれました (web site

■ 今週知ったこと;北九州市には「庚申塔」が少ない


https://www.google.com/maps/search/%E5%BA%9A%E7%94%B3%E5%A1%94/@33.9025196,130.5136726,10.42z?authuser=0&entry=ttu

庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多い。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれる。wiki

■ 今週の落とし物、あるいは、遺棄物

モーリーファンタジー ⇒ web site

■ 今週の二色、半葉

柏餅。ふつうのお餅と草餅。

柏の葉は半分だった。

■ 今週読んだ本

積読35年。1989年に新品として購入した(らしい)。当時の価格800円。現在、2,090円(Amazon)。この講談社文芸文庫は1989年に刊行。この刊行直後、消費税が始まる。だから、上記奥書の定価のところにシールが貼ってある。なお、カバーには消費税込みの価格が記載されている。消費税実施後、カバーを取り換えたに違いない。

『万延元年のフットボール』という題だけでイメージ湧出で、読まずに、おなかいっぱいならぬ、アタマいっぱいになりそうだった(?)。そもそもなぜ、フットボールというのが2重に謎。第一がこのスポーツが出てくる理由、そして、なぜサッカーでなく、フットボール? おいらは、このイメージがフットボール/サッカーの競技中に見えることかと処理してきた;

もちろん、井伊直弼の首級を獲って、奪い去るなら、ラグビーボールだろうという考えはあった(安政7年のラグビーボール !)。

『万延元年のフットボール』を読んで、全体的な主旨は、正直わからない。むしろ、個別の「アイテム」、「プロット」に目を奪われてしまった。何より、村上春樹アイテムが続々出てくる。穴の底に籠る、地下室、森、隠遁者ギー(羊男、高知の兵役拒否者)、徴兵されて戦地での蛮行、その兄弟、アメリカ、外車...。

もちろん、村上春樹が大江健三郎の影響下にあるのだ。そもそも、「1973年のピンボール」だ。ただし、「ピンボール」には、森、穴の底、兵役、虐殺は出ておらず、その後の作品ででてくるのだが。

そして、予言性。1967年1月から連載が始まったこの作品。青年の暴力が書かれているが、この年の10月に羽田事件となる。スーパーマーケットの天皇。復員兵であり日常生活の「豊かさ」を実現しようとした中内功がダイエーを急成長させていた頃だ。大江は1967年に「主婦の店」を知っていたとのこと。そして、テレビと壊されていく江戸時代建築の大規模建築の蔵屋敷。

物語の最後に、気づかなかった扉が見つかり、その扉を開けることで、これまでの了解、つまり物語が改訂される。見つかるものは自由民権運動関連の資料である。

さて、五日市憲法が多摩の蔵を開けて、発見されたのが1968年。

▼ なぜ、玉音放送のすぐあとに進駐軍が来たと了解するのか?

物語というは現実の了解だ。「事実」と物語での相違を詮索するのは興味深い。

『万延元年のフットボール』には日本の敗戦後、舞台となる森に進駐軍が来るくだりが、喩だが、出てくる;

9 追放された者の自由

ー古い話を持ちだすなあ、逃散は万延元年の一揆よりもなお以前の話じゃないか。
ーいや、いや、私は逃散を見ましたが!戦争に敗けて進駐軍がジープで来た時、年寄りや動けないものはみな谷間に置いて、村じゅうの元気な者が森へ逃げ込みましたろうが!

ここには、進駐の時期の情報はないが、下記にはある。この下りは米進駐軍を比喩として、スーパー・マーケットの天皇が来る情景である。両者は勝ち誇った者同士である;

13 再審 

僕は進駐軍のジープが最初に谷間へ入って来た日の光景を明瞭に思い出す。スーパー・マーケットの天皇の一行は、あの真夏の朝の穏やかに勝ち誇った異邦人たちに似ている。

「あの真夏の朝」とある。この物語では、作者の大江健三郎は、ジープの進駐軍は真夏に来たと了解している。この物語では四国であり、高知の森を越えた地域、7万石の藩の地域と書かれている。端的に、大江の出身地の愛媛県と目されてる。もし、そうであるなら、進駐軍が愛媛県に来たのは10月末である。日本で最も遅く米軍に占領されたのが愛媛県なのだ(大江健三郎に会うことになる進駐軍はかなり彼を待たせたのだ)。

進駐軍による日本全国への兵力展開は極めて迅速に行われ、9月末にはほぼ内地進駐を終え、10月には北海道の進駐(旭川・10月6日)を完了した。最も遅いのは松山で、10月22日である  (引用元)(愚記事

▼ シエトロン

出てくる車がシエトロン。想像もつかなかったのでググってみた。種類がいろいろあるのだろうけど、例えばこういう車らしい。

▼ 舞台 ここらしい [google];


Google map

大江健三郎の出身は愛媛の「森」とだけ知っていた。内子町を初めて認識。大洲の近くと知る。大洲は行ったことがある(愚記事:大洲参り)。この時、駅前に「中村修二誕生の街」と碑があった。もちろん、それまで知らなかった。そして、今さら気づくが、この辺 N賞 多産地域だ。

■ 今週のお支那さま;東夷の倭人=民衆への伝言

中国の呉江浩駐日大使が台湾との関係を巡り、日本政府が中国の分裂に加担すれば「日本の民衆が火の中に連れ込まれる」と発言したgoogle

核保有国が「日本の民衆が火の中に連れ込まれる」という意味は核攻撃して一般人を大量虐殺するということである。恫喝だ。興味深いのが鳩山由紀夫と福島みずほが同席し、鳩山は積極的に容認していることだ。福島も同様だろう。

もし日本国政府が自衛隊を以て中共ー台湾紛争に参加しても、中共にとっては「侵略戦争」だとしても、一般日本人が大量虐殺される筋合いはない。せめて。呉大使は、中国の分裂に加担すれば、自衛隊は無慈悲に打ち砕かれるであろう、くらいにしておけばよいものを。民衆を持ち出してしまった。今、呉大使を望ましからざる外交官として追放する動きがある。しかし、むしろ、中共の本音を引き出すことができてよかったのではないか?

鳩山由紀夫と福島みずほばかりでなく、高野孟がいたと知りにこにこできる。


春のバラフェア 2024:北九州市立響灘[ひびきなだ]緑地

2024年05月20日 17時48分38秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

横浜在住の時は、神代植物公園の春のバラフェスタに毎年行っていた(2015年2016年2017年2018年2019年2022年2023年)。もう行けない。九州に来たからだ。でも、当地でも春のバラフェスタはやっていると知る。

北九州市立響灘[ひびきなだ]緑地、春のバラフェア。2024年5月11日(土)~6月9日(日)に、「春のバラフェア 2024」を開催します‼公式 web site

そもそも、「響灘」って読めなかった。北九州市の若松区にあるのだ。沿岸部。


1.JR鹿児島本線 折尾駅、2.北九州市立響灘[ひびきなだ]緑地/グリーンパーク、3.JR筑豊本線(若松

線) 二島駅

北九州市立響灘[ひびきなだ]緑地のある若松区の位置は下記;

1.北門ゲート、2.大芝生広場、3.バラ園、4.林の中の道、5.そよ風橋、6.東屋、7.でこぼこ広場、8.熱帯生態園

■ 折尾駅

JR鹿児島本線の折尾駅からバスで行く。バラフェアの開催中の土日は直通臨時バスが出ている。

若松区の緑地に行く途中、お屋敷/豪族の家を見る。「豪族の家」鑑賞趣味のおいらにとってうれしかった。

■ 北門ゲート

ものすごい行列。10-20分ほど並ぶ。行列の原因は券売機が2台。繁忙期なのだから人を出して、どんどん処理していけばいいのに。

■ 2.大芝生広場

■ バラ園

■ ⇒ 4.林の中の道

■ 5.そよ風橋、6.東屋

■ 8.熱帯生態園

ガジュマルやトックリヤシなど熱帯を代表する大きな樹木や色とりどりの花々。ここでは、熱帯の爬虫類や鳥、魚をはじめ、優雅に舞う日本最大の蝶・オオゴマダラの姿を観察することができます。公式 web site

⇒ パンフレット

■ ⇒ 再び大芝生広場を通り、北門ゲートから園の外に出る。

 

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第8週

2024年05月18日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第8週

■ 今週の筑豊境

■ 今週の花蝶

■ 今週の昭和の成仏のために

民営化を前に国鉄はコンテナを民間に払い下げた。巷に国鉄コンテナが目に付くようになった。そして国鉄民営化=国鉄消滅、JR発足の後も、「国鉄」の名前、文字は巷に残ることとなったのだ。

新品の国鉄コンテナの画像が見られる⇒ web site

■ 今週見た伝統、103年目


JR鹿児島本線、折尾駅

JR鹿児島本線、折尾駅の駅弁立ち売り@声出し。

 

折尾駅ホームに残る、古き良き時代の心温まる情景

99年続く「駅弁の立ち売り」を引き受けた53歳の新人の来歴

■ 今週の「ひっかかり」

愚記事で「1980年代初頭の日本で、ガウディーは知られていなかったという説」がある。2013年、11年前だ。その記事で「田澤耕、『カタルーニャを知る辞典』 の巻末には、「本書では数多くの参考文献を用いた。ここでは、日本語で手軽に読めるものだけを挙げておく」と但し書きで、日本語参考文献が23点挙げられている。 樺山紘一、『カタロニアへの眼』はない。 中公文庫にもなっていたし、最近、刀水書房から再販されたのに。」と書いた。

そして、今週見つけた。2018年の田澤耕の文章。

学士会アーカイブス いま、カタルーニャで何が起こっているのか 田澤 耕 (法政大学国際文化学部教授)

その「おわりに」に書かれていることに、おいらは、ひっかかった。

カタルーニャと関わりを持つようになって三十年以上になる。カタルーニャに関する私の最初の著書は、『カタルーニャ50のQ&A』(新潮選書)で、樺山紘一先生が推薦文を寄せてくださった。それまで日本には先生の『カタロニアへの眼』(現在、中公文庫)しかカタルーニャ関係の本はなかった。その先生が推薦してくださったのだから大いに感激した。そして今また、先生が私の『學士會会報』への執筆を後押ししてくださったと聞いている。ありがたいことだ。期待に反しないよう、今後もカタルーニャ一筋で勉強していきたい。(上リンク)

田澤耕は自著『カタルーニャを知る辞典』で、樺山紘一の本を挙げていないのに、このようなことをいうのだ。「それまで日本には先生の『カタロニアへの眼』(現在、中公文庫)しかカタルーニャ関係の本はなかった」、つまり「唯一」のカタロニア/カタルーニャの樺山の本を「無視」したのに、このようなことをいうのだ。おいらは、ひっかかった。

 Amazon

示された参考文献


樺山紘一の本は認められない

■ 今週の誤字;基本編

星亮一という作家がいる [wiki公式サイトプロフィール]。幕末・維新関連の書籍が多い。東北人であり、奥羽越藩同盟に肩入れしている。大学時代の指導教官は石井孝[wiki]であったと本人がどこかで書いていたとおいらは記憶している。

さて、誤字。「先立つ不幸」。誤字鑑賞での初級編だ。この誤字の趣深いのは、この誤用には実社会の影響があること。戦後、「孝」の概念は衰退した。一方、自分の「幸せを追求する」イデオロギーが瀰漫した。「幸せを追求」したが実現しなかった場合、不幸となる。自分の幸福を追求し、しかし、叶わず、(なぜかしら)死を選んだ時、当人たちは「先立つ不幸」と認識するのである。つまり、自分のことが第一なのだ。孝の人は自分より親を第一に考える。必ずしも自分の「幸せを追求する」ばかりではなかった昔の時代、不運にも死を選んだ時、当人たちは親に対し申し訳なく思い、親より長生きして十分親孝行ができない結果となる「先立つ不孝」を詫びながら死んだ。これは、「先立つ不幸」と自ら考え自己憐憫の中で死んでいく身勝手な人とは違うのだ。

この「先立つ不幸」誤字問題を指摘したのは、もちろん、呉智英だ(『封建主義 その論理と情熱』1981年 [google])。

星亮一の誤字に戻って、この文章では吉田松陰が親を思う歌を詠んだことを引いて、親思いの松陰という文脈なのに、「先立つ不幸」と来た。松陰は本来忠孝の人であらねばならないのに、まるで、自己憐憫の中で死んでいく身勝手な自己中心的な人のごとく書いてしまっている。かなり松陰を貶めている。これは、やはり、「消えない"怨念"」のなせるわざ?

■ 今週の思い出したこと:北京の飲むヨーグルト

 Amazon

市立図書館で立ち読みしていたら、下記写真が目に入ってきた。見たことがある。

これは瓶入りの飲むヨーグルトであり、北京の街頭で売っていた。2013年の北京参りの時だ。このストローが差してある瓶は飲み終わったものである。飲み終わった後このように回収して集め、なぜかしら店頭に並べてあった。この写真の通りであった。

この瓶入りの飲むヨーグルトは、北京酸奶 [google]というらしい。立ち読みした本『ヨーグルトの歴史』にはナイラオ(奶酪 [google])=北京ヨーグルトと呼ばれると書いてある。さらには、老北京酸奶(google  画像)がこの瓶入り飲むヨーグルトのことに違いない。

飲む前の老北京酸奶の姿体。ガラス瓶入り。


ソース 黒色中国BLOG

 どうやら今ではガラス瓶入りも時代遅れとなり、プラカップ入りとなったらしい(メーカー web site)。でも、そもそもは陶器だったとのこと:「白い焼きものの瓶に入っていて、上にかぶせた紙にストローを突き刺して吸って飲みます」(工藝素材研究所 様、老酸奶 写真多数)。1989年のこと。

■ 今週の電車:架線式蓄電池電車「DENCHA」: JR九州BEC819系電車


JR九州、若松線、折尾駅にて

架線式蓄電池電車「DENCHA」, JR九州BEC819系電車(wiki

マンガン酸リチウムイオン二次電池CH75-6形(日立化成製)を搭載」(上wiki)

蓄電池電車はディーゼル機関車(気動車 [wiki])を代替する。電化されていない「田舎」の路線に適しているのだ。

気動車よりも航続距離が短く、(現時点では)高速化や長距離の路線での運行には適さない。このため2023年現在で日本国内で実用化されている路線は、JR東日本の男鹿線と烏山線、JR九州の若松線(筑豊本線)、香椎線といった蓄電池走行での運用距離が片道20〜30kmの短距離に限られている。wiki

■ 今週初めて見た実物:参政党

折尾駅前で参政党の人がいて、パンフレットをもらった。参政党といえば、いわゆる「陰謀論」。なにより、反グローバリズムだ。グローバリズムにより日本が隷属化されとの主張。ワクチン、米国、日本マスコミ。「右派」的感覚で現体制に超違和感をもつ「草の根」の人たちに指示があるのだろう。反エリート主義的感覚・趣向が強いとおいらには見える。

パンフレットをみて、意外だったこと。「五日市憲法」を名指しで、「憧憬」。これは興味深い。「右派」は当然現行のマッカーサー憲法を否定する。そこで志向する方針は「大日本帝国憲法(明治憲法)」的憲法の再建。極端な右派はマ元憲法廃棄、明治憲法復活だ。

でも、参政党は違うようだ。本当の意味で立憲主義。マ元憲法は「押しつけ」であることはいうまでもないが、「大日本帝国憲法(明治憲法)」だって「薩長憲法」である。日本人というのは自ら憲法を制定したことがないのだ。日本人初の憲法制定をする!というのはまともである。そして、引き合いにだされたのが「五日市憲法」だ。上野千鶴子様の旦那様であらせられた色川大吉もびっくりである。

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第7週

2024年05月11日 18時05分36秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第7週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の草木花実

■ 今週のメタセコイア、しかも、実も

■ 今週の半額

ネット(X)で拾った見解。別に、おいらは、涙には無関係だが。

ちまき。関東でスーパーで売っているのを見たことがなかった。

餡が入っているわけではないと確認した。

■ 今週の町中華

町中華でランチの酢豚定食。酢豚は超濃い味で甘く酸っぱくしょっぱい。900円。汁が皿に残ったので、御飯にかけていただいた。

■ 今週の久しぶり@朝日新聞

町中華で朝日新聞があった。朝日新聞を最後に手に取ったのはいつだろう?ファミレス系店舗では読売新聞(この時の読売にも近衛が出てた。おいらは新聞でよく近衛に出会う)がよくある。そして、今週見た朝日新聞で目についたものは何ら期待を裏切るものではなく、愚ブログの「受容体」へ嵌りたいかのごとき広告や書評であった;

▼広告

 

近衞忠煇 [wiki]。文麿の外孫(文麿の娘温子細川護貞の間の子。兄、細川護煕は朝日新聞記者)だが、近衛家の嫡流断絶で細川家から近衛家に養子入りする。大日本帝国を亡ぼした男の孫だ。

▼ 書評

西崎文子の『アメリカ外交の歴史的文脈』の書評を三牧聖子が書いていた。

この書評はここで見られる。

全米の大学キャンパスでイスラエルの軍事行動への抗議デモが広がる今、二重写しのように見えてくるのがベトナム戦争の章だ。学生の姿に「アメリカの民主主義も死んでいない」と安心や希望を見いだす人は多いだろう。私もその一人だ。しかし著者は、「健全な民主主義国であるアメリカは、道を誤っても、必ず社会からの批判で修正される」という「復元力」への過信こそが、アメリカが単独行動主義や軍事力への傾倒を根本から改めることを妨げてきたと鋭く指摘する。ベトナムからの撤退や冷戦の終焉(しゅうえん)。アメリカが戦争体質を見直す契機となりえた局面には、常に新たな脅威が見いだされ、その体質は温存された。
 アメリカの虐殺への加担を批判する若者たちへの弾圧は激しさを増す。アメリカは戦争や人権侵害に加担しない国に変われるのか。読後は、アメリカと世界平和の未来が自分ごとになっているはずだ。

これは重要な問題で、かつ、「アメリカは戦争や人権侵害に加担しない国に変われるのか」という問いに、おいらは「否」としか答えようがない。

三牧は「抗議デモの学生の姿に「アメリカの民主主義も死んでいない」と安心や希望を見いだす」という。こういうことがいけない。なんと西崎は「「健全な民主主義国であるアメリカは、道を誤っても、必ず社会からの批判で修正される」という「復元力」への過信こそが、アメリカが単独行動主義や軍事力への傾倒を根本から改めることを妨げてきた」といっているとのこと。そうだよ。おいらはずっと思ってきた:「アメリカ真理教」の信者は、これを「理念国家アメリカを見誤るな」と称し、理念のみ見て、実際にやっていることを無視する。あるいは、せいぜいそれらの「蛮行」をみたら、「そんなことは理念からはずれたことだ」といっていれば「論理的」に片付くのである(愚記事:三牧の本への感想)。でも実際の米国とは、人権とか、民主とか、自由とか奴隷制やジェノサイドを否定するお題目を掲げた奴隷主と先住民虐殺者が肇[はじ]めた国であること(愚記事:堀田江理の『1961 アメリカと見た夢』への感想)。今、イスラエルのシオニストとパレスチナ支持の米国人が論理的に討議すると、シオニストがアメリカ・リベラルを論破するに違いない。なぜなら、これまで武装農民として先住民を駆逐、ジェノサイドをして入植し安全確保のため領土を広げ現在の権利を得ている米国人は、現在のシオニストと同じこと、いやそれ以上のことをした。つまり、パレスチナ人を駆逐、そしてガザでのジェノサイドを行い入植、入植地拡大により安全を確保しているシオニストと同様だ。だから米国人はシオニスト=イスラエルを非難できないはずである。違いは米国ではネイティブが駆逐、虐殺され白人への脅威とならないようになった(事実上完了)のに対し、イスラエルではパレスチナ人が抵抗中であること。上記、全米の大学キャンパスでイスラエルの軍事行動への抗議デモをする米国人学生は「成功したガザ」=アメリカ、先住民を十分虐殺、駆逐した米国で安心して既得権に基づき行動しているのだ。つまり、成功した殺人強盗集団が、まだ成功しておらず「奮闘中」の殺人強盗集団を非難しているのである。こういう抗議を、「道を誤っても、必ず社会からの批判で修正される」という「復元力」とみなす欺瞞が米国の力の源泉である。

■ 先週の閉店

仙台の老舗書店「金港堂」、本店を4月30日に閉店google
一番町2丁目のサンモール一番町商店街

▼ TBCニュース。金港堂ばかりでなく丸善、高山書店のことも出てくる;

2年前にその安否を確認した。横浜の話なのに発端は仙台の本屋。仙台の古くて有名な書店の金港堂はまだあるのかな?と確認した。2022年7月)。先週、(一番町の本店は)閉店した。

■ 今週の噴出:蕁麻疹(じんましん)

生まれて初めてだと思うが、蕁麻疹(じんましん)が噴出した。連休最終日。脇腹からはじまり、腹部、胸部、手に赤い疹が発した。ややかゆい。かきむしるほどではない。これは「アトピー噴出(2009年)」を経験している者からすれば、見た目のすごさにしては、しのげるものであった。アトピーの時とはかゆみの質が違った。湿疹系ではない。蕁麻疹は皮膚の下が「腫れる」もので皮膚表面そのものは関係ないらしい。噴出した場所も今回の蕁麻疹は顔、頭部には出なかった。ただし、アトピーが出たことがなかった手の甲、手のひらに発疹が認められ、かつ痒かった。胸部も同様。ただし、かゆみはがまんできる程度。

 その日は病院が休みなので通院できず。ネット情報で、蕁麻疹は原因不明で、1日で鎮静するとの情報を得る。果たして、そんな感じで鎮静化。ただし、翌日も斑点が全身赤色として残る。翌日夕方、ロート製薬の「ジンマート錠」(1500円くらい)を購入、服用。その翌日には完全鎮静化。

2009年アトピー噴出箇所

 


散歩:福岡県田川市;大藪駅⇒チロルチョコアウトレット⇒田川市美術館⇒石炭記念公園⇒田川伊田駅

2024年05月06日 17時16分55秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

愚ブログで2022年4月9日にチロルチョコレートの工場について興味をもち、その場所を調べた。福岡県田川市。知らなかった、田川市。今春福岡県に越してきたので、行ってみることにした。

1;平成筑豊鉄道糸田線大藪駅、2;チロルチョコアウトレットショップ、3;資さんうどん、4;田川市美術館、5;田川市石炭・歴史博物館、6;風治八幡宮、7;平成筑豊鉄道伊田線田川伊田駅

■ 1;平成筑豊鉄道糸田線大藪駅

平成筑豊鉄道糸田線 [wiki]の大藪駅 [wiki]。福岡県 田川市 [wiki]。

日本耐酸壜工業(株)

▼ 国道201号線、田川バイパス

■ 2;チロルチョコアウトレットショップ

トラベルjp 福岡「チロルチョコ アウトレットショップ」人気の秘密と購入のコツ

日本で初めて開業した工場直販店が「チロルチョコ アウトレットショップ」。きっかけは、“工場で作られた余剰な商品や、少しだけ傷がある商品を上手に活用出来ないか?”、と考えたことが始まり。ちなみに工場(松尾製菓株式会社)は、アウトレット店の裏手にあります。

■ ⇒ 3;資さんうどん

■ ⇒ 4;田川市美術館

■ 4;田川市美術館

阿部直昭(google

田川市美術館 生誕70周年記念 阿部直昭展 大地に芽吹く

このたび田川市美術館では、画家・阿部直昭の生誕70周年を記念した展覧会を開催いたします。筑豊を代表する画家の阿部平臣の後を継ぎ、自身も中学校の美術教師や阿部絵画教室の講師として地域の美術振興に貢献し続けてきました。
本展では、卒業制作から最新作まで幅広い年代の作品を通じて画業を振り返ります。創作の原動力となっている自然物(流木や荷馬車)、さらには画家自身が生み出した不思議なオブジェとともに、阿部直昭の力強い制作に迫ります。公式 web site

筑豊情報マガジンでの解説(【田川】70年にわたる画業を振り返る。田川市美術館にて「生誕70周年記念 阿部直昭展 大地に芽吹く」開催中);

中央展示室の中心には堂々たる存在感の荷馬車がありました。
子どもの頃に荷馬車が家を訪れていた経験が忘れられず、教職に就いていた頃にご縁があり購入したものだそうです。
アトリエに置いてあったものを解体して、美術館に搬入後組み立てたそうですが、それほどまでに大きな質量を持ちエネルギーに満ち溢れたオブジェ。ぜひ間近で感じていただきたいです。

 

■ ⇒ 5;田川市石炭・歴史博物館

田川市石炭・歴史博物館 web site


田川市石炭・歴史博物館は、かつて筑豊随一の規模を誇った三井田川鉱業所伊田竪坑の跡地に所在します。

昭和58(1983)年に「田川市石炭資料館」として開館以来、石炭を主テーマとするユニークな館として注目されてきました。資料の収集・展示・保管、教育普及、調査研究などの活動を積極的に行い、平成17(2005)年、博物館法に基づく登録博物館となって「田川市石炭・歴史博物館」と改称しました。所蔵資料のうち約1万5千点が石炭関連資料です。

1969年に閉山(wiki)。

■ ⇒ 6;風治八幡宮

■ 7;平成筑豊鉄道伊田線田川伊田駅

■ ⇒ 直方駅

▼ 直方駅

 

 


長州散歩:長府;下関市立歴史博物館、功山寺

2024年05月05日 18時08分18秒 | 日本事情

長州参り。長府という街を知らなかった。そもそも、長州は4藩から成るとも知らなかった。萩藩(本藩)、長府藩、清末藩、徳山藩。でも、かつて、このブログを始める前の2002年に2-3か月間山口県で過ごしたことがある。その時に自覚的に行った「長州参り」は萩。もちろん松下村塾にもお参り。その時の画像はこの記事(西のグル、北のグル)で使った。

今回、下関市立歴史博物館というのがあり、何か幕末維新の展示をやっていると知り、調べて長府を認識する。あー、功山寺は聞いたことがある。高杉晋作の解説本にはあの馬上の高杉晋作の像がよく出てくる。

北九州市からは小倉から山陽本線で下関駅までJRで行く。下関駅からはサンデンバスで長府へ。そこは「城下町長府」といって城下町が付くのだ。JR駅の長府とは違う場所と認識する。

1.城下町長府バス停、2.長府藩侍屋敷長屋、3.下関市立歴史博物館、4.茶屋 祥、5.功山寺

■ JR下関駅 → サンデンバス ⇒城下町長府

関門海峡

■ 城下町長府バス停

 

長府の歴史とともに流れている川で、桜並木に縁取られ、初夏はホタルが舞う静かな川です。侍屋敷は約100m南にあった建物を保存のために移築。仲間部屋の格子窓の造りなど、当時の上級藩士の屋敷の趣をよくとどめています(市指定有形文化財)。(壇具川と長府藩侍屋敷長屋 [google])

■ 

下関市立歴史博物館 web site  海峡に育まれた下関の歴史と文化 -海峡の歴史に未来が見える​-

▼ 企画展、幕末群雄伝 ー下関に集まった志士たちー

展示は次の4章に分けられ、時代ごと、維新の過程ごとに、下関に集まった志士の主に書いたもの(書状、揮毫など)を中心に展示。現物そのもの(1次史料)。

1章 立ち上がる志士たちー欧米列強の脅威と日本
2章 逆境に立ち向かうー長州藩の失墜ー
3章 提携を目指してー長州同盟ー
4章 それぞれの志ー大政奉還と新政府の成立ー

大村益次郎、西郷隆盛、平野國臣、楫取泰彦、福田侠平、吉田松陰、三吉慎蔵、木戸孝允、土方久元、坂本龍馬、中岡慎太郎、山縣有朋、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、中山忠光、有川恒縋、福原和勝、熊野直介

〇 中山忠光 [wiki]

東夷という言葉は愚ブログにも出てくる→東夷。でも使用法はお支那さまがわれらを視る目を擬したものだ。つまり、支那人→日本人。今回、初めて東夷という言葉を日本人→日本人で使っていることを知った。

そして、中山忠光は顔だけ知っていて、その生涯は知らなかった。知った。維新後侯爵となる中山家の子。でも、七男。攘夷から担がれ頭となる。まだティーンエイジャーなのに。公家のバカ息子。癇癪持ちだったらしい。よくいえば、スナノヲ的人間か。人格〇常者。まわりの者はもてあました。長州の白石家の日記では「むずかる」(だったとおもう)など気性が幼稚で手に負えない主旨のことが記録されている。そのことが展示されていて、知った。こういう気性なので、最後はなんと長州藩士に殺害される。はたち。攘夷派の内ゲバ、すごいね。

でも、字はうまいんだよね、中山忠光。

中山忠光の「道行」(みちゆき)
道行(みちゆき)、つまり外出の時に着物を汚さない目的で着るコートです。(google

中山忠光は、1963年の攘夷期限直後の米国船への砲撃に参加していると知る。攻撃を実施した光明寺党の頭。久坂玄瑞が実担当。

〇 山縣有朋

この幟に書かれている文言やその意味などの解説はなかった。どうやら、櫻山神社から最近寄贈されて、研究が進んでないのではないかと感じた。おいらは「霜」しかわからなかった。

過去の展示の図録などを贖う;

■ ⇒ 茶屋 祥

お料理は12品目!
どれから食べょぅー?お行儀悪い迷い箸をしちゃいそぅーでしたょー (まいぷれ下関)

湯豆腐がついていました。御飯がとてもおいしかったです。値段は、1,500円でした。

■ ⇒ 功山寺

先帝祭を知らなかった。先帝=昭和天皇、4/29の昭和の日の祭事かと思った。全然違った。安徳天皇のためのお祭りだった。赤間神社。

青い郵便ポスト。しかも、フグ付き。

■ 功山寺

功山寺(こうざんじ)は、山口県下関市長府にある曹洞宗の寺。長府毛利家の菩提寺。山号は金山(きんざん)。中国三十三観音霊場第十九番札所、山陽花の寺二十四か寺第九番。

仏殿は、善福院釈迦堂とともに鎌倉時代の禅宗様建築を代表するもので、国宝に指定されている。 

幕末の文久3年(1863年)、七卿落ちで京を逃れた7名の公卿のうち5名が滞在。高杉晋作は当寺で挙兵した(回天義挙)。wiki

■ 檀具川に沿って、来た道を戻る。

檀具川:周辺の流れを集めて大唐楯山の北側で長府野久留米町などを東北方向に下り、長府川端付近で東に流れを変え、下関市街を経て周防灘に達する。神功皇后が仲哀天皇9年(200年)の三韓征伐の際に壇を築いて祭祀を行ない、使用した道具等をこの川に流したことからこの名がつけられたと伝わる。江戸時代には川岸に多くの米倉が建てられて藩の年貢米を運ぶ船が行き来したと言う。wiki

▼ 下関駅


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第6週

2024年05月04日 19時25分52秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第6週

■ 今週の筑豊境

■ 今週の鉄橋

平成筑豊鉄道伊田線、遠賀川

■ 今週の「実際に行ってみた」

2023年1月にチロルチョコ(20円で有名)の工場はどこにあるのだろう?と思いつき、調べた。

興味深く思ったのが、20円のチョコレートをどこで作っているのだろう?ということ。こういう単価の低い製品の生産状況を知りたかった。包装に工場の住所があった。福岡県田川市。

この時、まさか「将来」、福岡県に引っ越すとは思いもしなかった。そして「将来」となった今、「近所」なので行ってみた。松尾製菓、チロルチョコ アウトレットショップ。

店舗は小さい。10人も入れない。

ひと袋500円。6袋、計3,000円分購入。


Map

■ 今週の2回目:資さんうどん

資さんうどんデビューしたのが今年2月だ。今週、2回目。上の航空写真の最左上。


カツカレーぶっかけうどん

カレー=汁が濃く、麺を箸ですくって食べるときも「抵抗」感がある。汁がはねて服につかないように慎重に食べる。味、濃い。とんかつ、さくさく。

■ 今週読んだ本、あるいは、「近代」日本 xenophobia の嚆矢、はたまた、有朋のみ参加。

xenophobia: ゼノフォビア:: 外国人嫌悪(wiki)

 

長州藩と英米仏蘭が戦った下関戦争での壇之浦砲台と前田砲台を先週散歩した。家に帰って知った。壇之浦砲台の防衛責任者が山縣有朋で、前田砲台は赤禰武人であったと。1864年9月の四国連合艦隊との戦い。


壇之浦砲台(左)と前田砲台 [関門海峡両岸散歩]

文久3年5月10日(1863年6月25日)は幕府が朝廷に約束した攘夷の期限。幕府は攘夷を実際にはやりたくもなく、朝廷が期限なぞ気にしてくれなければいいとくらいに思っていたのだろう。


歴史を変えた xenophobist Ggggle[孝明天皇 外国嫌い]。孝明天皇[wiki]の名前(諱)はおさひと(統仁)さんと知る。キ〇ガイを使嗾し外国船に砲撃せしむる。

でも、キ〇チガイ長州は外国船に砲撃。その文久3年5月10日(1863年6月25日)の関門海峡にたまたまいたのが米国商船、ペムブローク号。災難だ。その後、キ〇チガイ長州はフランス艦、オランダ艦に次々砲撃。もっともこのキ〇チガイの所業はすめろぎさまの叡慮、叡断、そして幕府も確約したもので、全く「合法的」なものである。

なおこの翌月薩英戦争。すなわち、英国艦艇はすべて揃って薩摩成敗のため薩摩方面に出動していた。ただし、1864年9月の四国連合艦隊では「被害者の会」ではない英国が最大数の軍艦を出して長州/日本に報復。ちなみに、米国はわずか1隻(艦船、ワイオミング)のみ(南北戦争で忙しかった)。なお、米艦船ワイオミングが参加した「下関海峡の戦闘(Battle of Shimonoseki Straits)」についてのwikipediaは英語のみだ。

▼ 勝ち上がった元勲@長州勢で攘夷戦争参加者は山縣有朋のみ


むつひとさんと奪玉成功の人々(この後、仲間割れ)

明治維新の大義は尊皇攘夷であったはずだが、実際に攘夷に参加した明治の元勲は少ない。山縣有朋と黒田清隆くらいか?

長州でなぜ山縣有朋、ただ一人か? 山縣有朋は奇兵隊として下関攘夷戦争に参加した。その奇兵隊を創った高杉晋作は下関攘夷戦争を前に暇を得て、戦争に不参加。戦後の講和交渉に呼び出され実行。伊藤博文は英国に密航中。この戦争のことをロンドンで聞き急遽帰国。戦争に不参加。講和交渉に参加。騎兵隊の指導者は山縣と赤禰武人。赤禰武人はのち内ゲバで死ぬ。さらに、今回この古川薫『幕末長州藩の攘夷戦争』で知ったこと。(薩長新政府からみて)裏切り者として死んだ赤禰武人の名誉回復が明治期以降行われたが、山縣有朋が激しく反対し、名誉回復はなされなかった。山縣は赤禰武人が敵前逃亡したと主張。さらには、事実関係が記録されている奇兵隊の記録における下関攘夷戦争、前田砲台での赤禰武人の記録部分が欠落している。その奇兵隊の記録の管理者は山縣有朋であった時期もあるとのこと。さらには、別途資料(白石)には赤禰武人の活躍が伝えられているとのこと。敵前逃亡したとは思われない。

赤禰武人は高杉晋作から土百姓と罵倒された。士民問わず参加するのがうたい文句の奇兵隊の「真実」だ。

■ 今週も「正直者」


BBC Google [バイデン 日本は外国人嫌い]

あんたはいつだって正直者さ。日本の憲法は米国が書いたし、最近の日本の防衛費増額もあんたの要請に違いないんだろう。そして、日本はガイジン嫌いだって。そうだよ、あんたたちが嫌いなんだよ。

なお、xenophobiaはギリシャ語のξένοςφόβοςの合成語。を見ると、外国人、ひいては夷敵とかそういう意味ばかりでなく、客の意味がある(of parties giving or receiving hospitality: host and much more commonly guest)。receiving hospitalityっておもいやりってことにも通じるだろう。日本政府は在日米軍に毎年数千億円の「思いやり予算」を払っているのに、残念だね。

▼ オリエンタリズム

この発言は移民を使って米国経済が隆興しているとの説を主張するために、対照として日本を挙げた。すなわち、移民を制限しているので経済が興隆しないと。そして、移民制限で経済が興隆しない国々に中露印日を挙げているのだ。これは俗流のオリエンタリズムだ。わかりやすすぎる。

■ 今週のグル:テロリスト養成師匠

グル:グルとは英語のguruで日本語訳は「導師」が当てられる。普通の教師とは違うと思う。
吉田松陰、松下村塾。幕末のテロリスト学校。生き残ったテロリストたちは後に宰相などになる。

吉田松陰のポテトチップ [google]

 

 
英米猶人から見たら区別つかないよね。

ヤシン師: 1987年、イスラエル軍の車両が起こした交通事故により4人のパレスチナ人が死亡した事件が起こると、ムスリム同胞団パレスチナ支部の行動組織として、アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィーと共同でハマースを創設した。ヤースィーンは、第1次インティファーダにおいて重要な役割を果たした。wiki

■ 今週の「本場で」

今年2月に福岡県福岡に来た時、ピヨピヨフライを見つけて横浜に買って帰った。下関の産と知った。北九州市に引っ越してきたらまた会えると思っていた。でも、北九州市でピヨピヨフライを売っているのを見ていない。今週、下関に行ったので、買って帰って来た。

■ 今週の親藩:福岡県 小倉

この店のオーナーは「お上」北九州市によって、名と住まいを晒されたらしい;

【福岡】北九州市は30日、昨年12月施行の市客引き行為適正化条例に基づき、勧告や命令に従わず、禁止区域で繰り返し客引きをさせたとして、発注側の「個室居酒屋家康」代表の男性=古賀市=の氏名や住所の一部を市ホームページで公表した。条例に基づく違反者の公表は初めて。

 条例では、客引きをさせた側も罰則の対象となる。市によると、7月末までに勧告が出された事案は28件、命令は11件。勧告や命令時に虚偽報告をしたとして、過料を科された事案も2件もあったが、未成年だったため公表しなかったという。引用元

■ 今週の塩:抹茶塩

ガストで抹茶パフェを食べたら、抹茶塩がついてきた。