いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

泣いた赤鬼、あるいは愚民防衛探偵団

2006年02月28日 20時32分01秒 | 日本事情

元・少年探偵団=ふるさとは遠くにありて思うもの。 守れ!ふるさと!愚民党!


現・少年探偵団=青鬼軍団  めざせ!ホントのふるさと!愚民党! 手土産作成完了!


泣いた赤鬼


おじいちゃまのつくった愚民党を守れ!


東大→大蔵省but腰掛
自宅で自爆テロ


「あんた、辞めるのが早いのよ!」


「びくっ!」




商品世界的聖書

2006年02月27日 21時23分53秒 | その他


 「ブルジョア社会では、各人は商品購入者として商品にかんする百科事典的な知識を有するという、法的擬制が支配的に行われている。」

マルクス、『資本論』、第一部・資本の生産過程、第一篇・商品と貨幣、第一章・商品、第一節・商品の二要因--使用価値と価値(価値の実体、価値の大いさ)の第4パラグラフの脚注5より。

昭和19年の二二六事件

2006年02月26日 19時57分37秒 | 日本事情
■昨日の常陸の国、谷田部細川家は幽斎の次男の家系であることは書いた。宗家は熊本54万石であり、現在の当主はあの細川護熙である。護熙の父親は細川護貞であり、近衛文麿の女婿である。従って、護熙は近衛文麿の孫ということになる。

■その護貞は先秋鬼籍に入ったが、その証言として、昭和19年夏に高松宮が「東條首相を暗殺する。だれかやる奴はいないか!」と護貞に言ったと、阿川弘之が文藝春秋2005年、12月号に書いている。

■天皇の弟宮が天皇の股肱の臣を殺す。

一方、護貞自身も東條を自分で殺そうとしたと記しているとのこと。理由は東條が「最早事実上逆賊」だからだそうだ。

護貞は近衛の秘書官をしていた。当の近衛もこの時期東條打倒に動き、皇道派の陸軍大臣への交代を狙っていたとされている(矢部貞治、『近衛文麿』)。さらには、近衛は天皇は木戸のロボットのようだと考えていたとのこと。

■それにしても、高松の宮が本当に東條を殺せ!といったのであろうか?よしんば本当だとしたら、その事実をどうして臣下の細川が口外するのだろうか?

これは、やはりためにするプロパガンダではないだろうか?東條が悪くて自分たち天上人はそれを阻止しようとしたいいこちゃんなのれす、とでも。東條内閣が成立せざるを得ない状況ができたのは、昭和12年という日中関係がむちゃくちゃになり始めたあとの事態収集に内閣を張っていた近衛・細川がなんら実効ある施策をとれなかったからである。

▼ちなみに、細川護貞は東條暗殺などできなかったであろう。なぜなら、口先三寸の長袖のお華族さんだからである。

▲東條由布子さんが、それなりに遠慮がちに世に語っているのに対し、近衛とか細川とか亡国華族は元気でいいな!というのが雑民の感想です。




谷田部細川一万六千石

2006年02月25日 19時24分36秒 | 筑波山麓


【谷田部細川一万六千石】

 ―現在筆者の居住している、つくば市の高層ビルから市を見下ろすと、茫漠たる気分にとらわれる。縹渺(ひょうぼう)たる天空は一線、地につながり、原野のなかに植民都市が空中楼閣のごとくに浮かんでいる。旧「満州国」の「新京」(現、中国長春市)を思わせる大幹道と、稜線にかかる巨大な落陽。―(食と魂魄、古田博司、『東アジアの思想風景』)


このつくば山麓「新京」地区は現在のつくばエクスプレスのつくば駅を中心とする地域にほかならない。もちろんつくば市ではあるが、つくば市役所はそこの「新京」地区にはない。つくば市役所はつくば市の南西のはずれ谷田部にある。つくば市はいくつかの村と町の合併でできた市であり、たぶんおいらの想像では、合併当時一番「格」が高かった谷田部町の町役場がつくば市役所になったのであろう。

なぜ、谷田部の格が高いかと、さらに想像すれば、それは現在のつくば市域で江戸時代に唯一殿様がいたのが谷田部だったからではないだろうか。



幽斎

細川幽斎の長男は忠興、次男が興元。忠興の細川宗家は熊本54万石。そして、次男の興元は、朝鮮出兵の時は兄忠興に従ったが、のち、徳川2代将軍秀忠の直参となり、下野茂木と常陸谷田部に計一万石を与えられ大名となる。(だからガラシャは兄嫁ということになる。)陣屋を谷田部に建て、幕末まで9代で江戸時代を完走。維新後は子爵。

その谷田部細川家の陣屋の玄関(上の写真左)が現在のつくば市役所のそば、陣屋の門(写真右)が、維新後払い下げられ、つくば市北中妻に、共に現存している。今日の姿です。


陣屋玄関に残る細川の紋;九曜紋.

【コスモ星丸;進歩主義が生み出すガラクタ】

さて、コスモ星丸。1985年開催の「つくば万博(科学万博-EXPO’85)」のキャラクターらしい。谷田部の歴史探訪のすがら、先日初めて見た。

 ださいよね。



つくば万博は当時の谷田部町で開催された。ださい、いか@さまロボットにあの世の幽斎もびっくり。

このコスモ星丸なるものを見ておもうことは、そのダサさが当時、時代の最先端を切り開くとされる科学技術の祭典のシンボルになったということに驚くばかりでなく、実はコスモ星丸自身あるいはそれを創造したり受容した神経自身に責任があってそれらが色あせていったのではなく、むしろ、時代の最先端の神経を追い越してそれを古臭くさせることこそ科学技術の使命であると気づくことであり、実にコスモ星丸のだささ、つまり今日現在の神経がコスモ星丸を古色蒼然と認識することこそが、科学技術の祭典の精神、あるいはもっと俗なあさってには打ち捨てられる明日の新しいイベントや商品を必死に作り出す精神の結果に他ならないと気づくことである。


ボクもあさってにはお払い箱。


作っては捨て、作っては捨て、が生業。
今は自分がロボット

↓有識者ロボットのお茶の水博士


刷り込みチラシ

2006年02月23日 21時41分43秒 | 日本事情
ある日の読売新聞;

サラ金 全面広告。
>>新聞に対する特殊指定の見直しは、国民の利益に反していよう。公取委には、再考を促したい。<<
新聞への見直しは、サラ金の敵!



みんな、新聞読んでるのかな? おいらは月にニ三度。 ラーメン屋で「女性自身」とかが他の客に奪われ、すんぶんすか残ってないとき。

むかすは新聞にチラシが折り込まれているものだと思っていたが、いまじゃチラシが全面に刷り込まれている。刷り込みチラシ。

この日の新聞は、全面広告で6面。半分広告とか、1/4広告とかの紙面はざら。面積をざっと見積もったところ、この日の新聞の36面のうち、面積で約半分が広告。

すんぶんって、広告の中に記事があるんじゃん。そもそも内容もないけど。


いつも、どんなときも、デマゴーグ。



2月20日付・読売社説(1)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20060219ig90.htm

 [新聞の特殊指定]「活字文化の維持・振興に欠かせぬ」

 活字文化を維持し、振興するうえで、新聞が果たす重要な役割に着目すべきではないか。

 公正取引委員会が、新聞などに適用している「特殊指定」の見直し作業に着手した。6月までに結論を出すとしている。

 新聞の特殊指定が廃止・縮小された場合、激しい販売競争が起きる可能性がある。同一の新聞なら、全国どこでも同じ価格で購入できる戸別配達システムが、大きく揺らぐ事態も起こり得よう。

 日本新聞協会は、読者に安定的に新聞を届ける宅配制度を維持し、ひいては言論の自由などを守る立場から、見直しに反対している。

 公取委は新聞に対する特殊指定を、現状のまま存続させるべきである。

 独占禁止法に基づいて、特定分野での不公正な取引を防止するのが特殊指定の目的だ。新聞を含め、教科書、海運業など7分野に適用されていた。

 公取委は、このうち5分野の指定を見直す考えを表明し、すでに1分野の廃止を決めた。

 新聞の特殊指定では、教材用などの例外を除いて、相手や地域によって異なる定価をつけることを禁止している。乱売合戦が起き、「社会の公器」である新聞の経営基盤が不安定化するのは望ましくない、との考え方が背景にある。

 新聞や書籍などの著作物については、発行会社が小売価格を指定できる「再販売価格維持制度」もある。

 再販制度と特殊指定は車の両輪だ。一体となって宅配制度を支えている。特殊指定が失われれば、再販制度の維持にも支障が出かねない。

 公取委はかつて、再販制度の廃止を進めようとした。だが、世論の強い反対で方向転換し、当面存続させることで決着したのは5年前だ。

 その時にわき起こった声を、公取委は思い起こしてほしい。「著作物は活字文化を育て、社会の発展や表現の自由になくてはならない」「だからこそ、著作物を支える再販制度は必要だ」、という世論である。

 その傾向は今も変わってはいない。読売新聞が実施した世論調査では、新聞の再販制度や特殊指定を支持する回答が、圧倒的に多かった。

 昨年7月に施行された文字・活字文化振興法は、文字・活字文化の振興は国と地方自治体の責務だ、と定めている。今回の公取委の動きは、法律の趣旨に沿うものとは言い難い。

 新聞に対する特殊指定の見直しは、国民の利益に反していよう。公取委には、再考を促したい。

(2006年2月20日1時26分 読売新聞)

狂気の器


今日はねこの日

2006年02月22日 21時29分47秒 | ねこ


今年も、2月22日、にゃんにゃんにゃんの日が来ました。

今日はくろさんについて書きます。くろさんは2002年の年明けの冬にやってきました。当時、たぶん生後3-6ヶ月ほどの中にゃんでした。拾われた家のまわりをほっつき歩いていたそうですが、くろさんの家族らしき黒猫さんはほかには見当たらなかったそうです。どこからきたのでしょうか?くろさんは。くろさんは長毛種です。プチ虫、つまりダニがよく喰いついています。性格は極めて穏健で決してひとに爪をたてません。いい子です。外が好きです。食べてはあそび、食べてはあそびと出入りが激しいので、戸の開け閉めに、ちょっと、わずらわしくなることがあります。くろさんが来たばかりのころは、メスだと思い込んでチヨボと名づけましたが、その後タマタマが明徴化したので、男の子とわかり、くろさんとなりました。

米英撃滅国民大会; デマゴーグ宣言!朝日新聞

2006年02月20日 20時29分12秒 | 日本事情



言葉は、

扇情的で、

残酷で、

常に無恥だ。

だからこそ、

私たちは信じている、

言葉のチカラを。

  デマゴーグ宣言

     新聞

米英撃滅国民大会(べいえいげきめつこくみんたいかい)とは、1941年12月10日に後楽園球場で開催された大会。真珠湾攻撃からの3日後に、当時戦争に向かって突き進む政府に手を貸し、軍国主義に拍車をかけるために実施された大会であった。  この大会は8社の新聞社、通信社による共催であり、8社は報知新聞社、東京日日新聞社、同盟通信社、中外商業新報社、読売新聞社、国民新聞社、朝日新聞社、都新聞社である。wikipedia

▼ 最近



1/4集合。『東條はヒトラーだ!、国民大会準備会議』


おいらが見た 小皇帝

2006年02月19日 11時04分57秒 | 中国出張/遊興/中国事情


■ウヨよいこであるおいらの日曜の朝は、まず7時からの文化放送の竹村健一の番組の、畳に正座しての拝聴。次にフジテレビのこれまた竹村センセの番組の拝視という流れ。

■文化放送の番組では、「小皇帝」世代の中国 (新潮新書)の著者、 青樹 明子氏が出て、中国での一人っ子政策で続出しつつある小皇帝について。 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106101475/249-8300963-6923518

■そういえば、おいらも北京で見た。小皇帝群を。夕方、北京の街を歩いていると広大な敷地に壮大な近代的な建物とグラントをもつ一画があり、その門には保護者らしき大人が乗用車を連ねて待っていた。その門から出てくる中学生くらいの年代の子供たちには、目をひいた。なぜなら、半分ほどが、伊集院光を中学生にしたようなひとの群れだった。彼らは、屈託がない尊大さと陽気さを放射する雰囲気をもっていた。いうならば、キムジョンイルを中学生にしたような、ただしそう陰険さはない、子供群をおいらは、見た。

■この学校はたぶんエリート校なのであろう。恵まれてますます小皇帝化しているかもしれない(?)お子様たちにおいらは遭遇したのだ。ラジオ番組で、青樹は肥満が小皇帝たちでの問題のひとつだといっていた。上の写真では肥満の子供は半分以下、というか一人だけど、確かにおいらは「プチ伊集院光」小皇帝グループを見たのだ。

▼上記の写真は、プチ伊集院光群の小皇帝を撮ったものではないけれども、雰囲気を感じていただきたい。


青樹によればマクド(麦当労)とケンタッキーが小皇帝のデブの原因とのこと。