いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

【訂正】 林達夫:あの戦争に協力したことが、間違っていたとは思わない

2009年07月30日 19時02分00秒 | 日本事情

南の島、さとうきび畑、空と雲

林達夫V
拙記事:歴史の暮方の後で 、「そして、戦後はそのことについて一切口を拭ったまま死んでいった。」と林達夫の自身の戦争協力についての戦後の態度を書きましたが、まちがいです。 ゆるしてください。

拙記事:海において、■林達夫の軍へのプロパガンダ協力の件;と下記書きました。

:::戦時中の、対外宣伝誌『FRONT』の解明は、当事者の証言も含め、1980年代中頃以降に行われたようだ。これは林達夫の死を合図にはじまったがごとくである。

調べてみると、林達夫の対外宣伝誌『FRONT』を創っていたことは、少なくとも、1955年(昭和30年)には公知であった。本多顕彰、『指導者 ―この人々を見よ』に下記書かれている。 {なお、下記引用は渡部昇一の『続知的生活の方法』(1979年)の'知的独立について'という章の"恒産と変節"という節からのもので、財産を持っていないと非常時に「魂を売る」ことになるぞ!という論旨の展開の中での例示。

ちょうどそのころ、『英語研究』の編集長をやっていた山屋三郎君が・・・参謀本部直営の英字宣伝誌 "The Front" が東方社というところから出ており、そこの理事は林達夫氏と中島健蔵氏であるということをも語った。 

『続知的生活の方法』は1979年出版でありこの本は売れたらしいので(『知的生活の方法』は現在も刷っている)、林達夫="The Front"は広く公知となっていたと言える。しかし、林達夫自身が生前"The Front"について語った記録はない、あるいは公開されていない。:::

これを受けて、週刊誌が取材記事を出したらしく、その取材で林は口頭で下記答えたとのこと:

戦争に協力することと、軍閥に協力することを本多氏は混同しているようだ。僕などは明治人だから、あの戦争に協力したことが、間違っていたとは思わない。あのような異常な情勢の中にあって、できるだけ、いい仕事をしたいと考えてやったことだ。

渡邊一民、『林達夫とその時代』、第五章 隠れた「戦後」。

戦争協力、上等だぜ!、問題はいい仕事かどうかだ!とおこたいあそばされたらしい。

そうなのだ、いい仕事かどうか、らしい。もしそうであるなら、『FRONT』がいい仕事であったかどうかが検討されなければならない。

そうであるなら、『FRONT』の復刻版が1989-1990年に刊行されたことは、その検討ができることを可能にしたと言えるし、1989-1990年までは事実上できなかったとも言える。

さらには、いい仕事かどうかはたかだか画報製造技術の観点からのみ考察されるだけで( 多川精一 Amazon:戦争のグラフィズム―『FRONT』を創った人々 (平凡社ライブラリー) (単行本(ソフトカバー)))、プロパガンダという観点から、協力という言葉に「恥じない」ほど戦争への貢献の実効性があったかの検討を見たことがない。

一方、戦争に協力することは正しい(間違っていない)という林の論理,さらに戦場なんかいかずに"隠れ家"で"才能"にあったいい仕事をすることが重要だという論理を展開すると、例えば、丸山真男二等兵(一等兵?)は、近衛文麿なんかの取り巻きだった矢部貞治東大法学部教授のお手伝いなんかをして、つまりはいい仕事をすればよかったのに!兵隊にもとられずに!ということなのだろうか?

●蛇足: なぜ60代と30代?  60代はともかく、30代ってのは?

林達夫のブログ評判

それにしても、林達夫のブログでの評判、よい!が100%、ということは、このブログがいかに歯牙にかけられていないかを示す証左にほかならない。




軍用地 専門

2009年07月29日 21時40分28秒 | 国内出張・旅行
 
南の島の新聞広告

そんな軍用地なのですが、最近はかげりが見えてきています。 というのも、2015年までに米軍基地を全面返還するという 県の返還実行計画(アクション・プログラム)というものがあり、 軍用地主も戦々恐々としているのです。

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1200万円の軍用地が年間50万円の軍用地料を生み出す。しかも軍用地料は毎年値上がりするのだ。これほどリスクのない投資はないだろう。

ブログ・ある旅人の〇×な日々: 癒しから投資の場へ

▼~♪~ ハイサイおじさん  ハイサイおじさん
      おじさんカンパチ まぎさよい
        みーみじカンパチ 台湾はぎ  ~♪~

(やまとことば訳)
ハイサイおじさん  ハイサイおじさん
おじさんの頭のハゲは大きいねぇ
ミミズのようなハゲだけど 台湾ハゲって言うんだろう



~♪~辻、中島、渡地とぅ
     おじさんやあまぬ 株主ど
        あんせんおじさん毎日(めーなち)あまにくまとーて
           我(わ)んねー貧乏(ひんすー)や たきちきゆみ ~♪~

(やまとことば訳)
おじさんは辻、中島、渡地(いずれも遊郭地)の株主なんだよ。
それはおじさん。毎日遊郭に籠もって
俺に貧乏しろと言っているのかい?

ハイサイおじさん 喜納昌吉&チャンプルーズ



林達夫 IV

2009年07月28日 19時38分32秒 | 

南の島で見た虹

■ 今となっては誰も見向きもしない林達夫。

拙記事:
林達夫 I: 歴史の暮方の後で
林達夫 II: 栗の実、はじまりました。
林達夫 III: 海

▼ 例えばこのような文章:<文壇こぼれ話⑩> 取れなかった原稿⑦ 林 達夫さん 常務理事  岡崎 満義には、

そこは50坪くらいあったろうか、庭というより畑だった。戦時中、軍部や警察からにらまれて、まともな執筆活動ができない時期に、林さんは園芸雑誌に「鶏を飼う」「作庭記」など、いわゆる“思想”的論文からはなれた文章を書いて糊口を凌いでいたのだが、そのおおもとがこの庭だった。

これは、林達夫 I: 歴史の暮方の後で に書いてあるように、「事実」と異なることが1984年の林の死後、特に1980年代後半、には明らかとなっている。

陸軍参謀本部の注文を受けて対外情宣画報会社・東方社の制作のトップが林達夫であったことは、戦後必ずしも広く知られたことではなく、さらに当事者が長い間特に公表しなかったこともあり、徐徐に解明されたのは1980年代以降であった。山口昌男がこの東方社-林達夫を知った経緯は、林達夫 III: 海に書いた。

■今日は、渡辺一民が1988年に出した『林達夫とその時代』に書いてある、渡辺の「東方社-林達夫」問題の認識の仕方をコピペする。Amazon: 林達夫とその時代

 わたしはつい最近、八方手をつくしたすえやっと『FRONT』を五冊だけ手にとって見る機会に恵まれた。「1~2」と記されている「海軍」号、「3~4」の「陸軍」号二冊、「5~6」の「満州国建設」号、「8~9」号の「空軍」号で、「海軍」号はドイツ語版、「陸軍」号は中国語版と英語版、「満州建設」号は英語版、「空軍」号は中国語版という内訳である。A3判というが、これほど大判の雑誌には、一八九八年四ヶ月だけつづいたフランスの諷刺週刊誌『ル・シフレ』の合本以外わたしもこれまでお目にかかったことはなく、それを見るのに大きなテーブルのうえに拡げて地図をまえにしたように覗きこまなければならなかった。いまでこそその一冊、中国語版「陸軍」号をとりあげて、この「幻のグラビア雑誌」の性格をこの眼でたしかめてみたい。
 雑誌は左開きで、表紙はすでに聞きおよんでいた小西録の《さくら天然色フィルム》の最初の使用によるものであろう、色は全体として青みがかかり、軍刀を手にパイロットが飛行機の昇降口から出てくるところが正面から写されている。表紙うらの見かえし左ページのまんなかに金色の星印がおかれて「亜細亜的礎石―日本陸軍」と大きな文字が印刷され、右ページにはお濠端からとった二重橋の写真だ。次をめくると見ひらきページで、左上段に横にゴチで「一九四〇年的亜細亜風景」と大書きされ、そのしたに左から帯状に三列、右ページまで食いこんで一三枚の小さな写真がならべられ、その一枚一枚に雲崗石窟、万里の長城、ゴビ沙漠、蒙古の草原、上海市街など占領地域がうつり、右ページには写真の帯を中断して中国の地図が拡がり、その中国大陸と向かいあうかたちで、防寒具に身を固め銃剣をもって立つ歩哨の上半身が配されている。つづいて「一八四〇年鴉片戦争」と印刷されて当時の中国地図と絵四葉がならんでいる見ひらきページ、頭に「再請問:日本是不是亜細亜的侵略者?」と活字がならび日本を含めた極東地図で埋められたおなじく見ひらきページ、そのあとの「日露戦争」という大見出しで、大山元帥の法典入城から乃木・ステッセル会見の場面までの六葉の絵と、ロシアからのびた黒い魔手が日本を囲んでいる極東地図を収め、細かな文字で日露戦争の原因を説明した片側びらきで都合三ページの見ひらきがくる。 (略)

 こうして五冊のグラビア雑誌を丹念に見おわったあと、わたしはあらためて『FRONT』という刊行物の意味について考え込まされてしまった。これが海外向けのものであって日本国内ではほとんど流布されなかったということが、その刊行に軍がかならずしも協力的でなかったということが、あるいは本格的で芸術性の高い作品によって編集されていたということが、それが戦争遂行のための有効な手段のひとつだったという事実の重みにたいして、いったいどれほどの関係を持つことなのだろうか。そんなことはまったくかかわりなく、『FRONT』は芸術的にすぐれたものだっただけに、いやそうであればあるほどますます完全に、その担わされた使命を期待どおりにはたしたにちがいないのだ。とすれば、いかなる事情があったにせよ、それを企画し制作した人々にはやはりそれなりの大きな責任が生じるのではなかろうか。そしてわたしの脳裏に反射的に浮かんできたのは、執筆停止命令をうけて東京市社会調査課千駄ヶ谷分室の臨時雇となり、四二年の《日本文学報国会》には恥をしのんで入会を申請し、敗戦直前には世田谷船橋で圧延伸張工として働かねばならなかった中野重治のことであり、脱獄して訪ねてきた旧知の高倉輝に外套を貸したただそれだけの理由で投獄され、敗戦の一ヶ月半後疥癬と栄養失調で獄死しなければならなかった三木清のことであった。その三木清の死後林達夫はこう語っている―「私が多少とも交渉をもった非合法時代の共産党員は、野呂栄太郎にしろ、島誠にしろ、亡妹にしろ、そしてTにしろ、何度もつかまりながら、つひに一度も私に累の及ぶやうな口供をしたことはなかった。これは逆にいえば、私はこれなら信頼するに足ると確信することのできない人々には、一切どんな因縁があっても心を許そうとしなかったためでもある。三木の寛宏な温かさと私の狭量な冷たさはこんなところにもあらわれているといえるだろう。―だが、それにしても、やはり運であった。」(「三木清の思い出」) もちろん《東方社》理事長であった林達夫は、中野重治のように恥をしのんで《日本文学報国会》への入会願を書く必要はまったくなかったのである。
 
 (意略: 林は東方社・『FRONT』刊行と同時に岩波の雑誌『思想』の編集もしていた。林は『思想』について”日本のジャーナリズムで、戦争中レジスタンスを事実上やっていた雑誌があったとれば、それはほかならぬ『思想』であったであろう”と自賛。  )

ともあれ林達夫はみずから選択したポリティックによって、みずからの砦を死守し、たとえ装われたものにせよ奴隷の言葉をいっさい語ることなく、戦時下のきびしい時代をみごとにくぐり抜けたのだった。


なぜ、林達夫?
渡辺一民がなぜ『林達夫とその時代』を書いたかの一端が"あとがき"にある;

それでも林達夫に焦点をあてて昭和の精神史を振りかってみよう

林達夫を見ると、昭和の精神がわかるらしい。そういえば、日本の軍国主義に対する批判の姿勢を一貫してくずさずに生きた林達夫。その思想はどこから来たか。戦前と戦後を通して「声低く」語った政治的・社会的発言の数々。 という神話が今でも流布しているが (これは上記:戦時下のきびしい時代をみごとにくぐり抜けた:ばかりでなく、戦後も死ぬまで事実上ばれず今に至っていることを示す)、実は陸軍参謀本部御用達の宣伝屋さんであり、戦後は全く口をつぐんで、文化人稼業を続けた林達夫の生き方について、渡辺一民は上記引用のごとく、中野重治と三木清を対照させ、林達夫の行き方・精神を浮かび上がらせている。

おいらとしては、林達夫の行き方・精神の参照として、どうしても、大元帥→ファミリー・グランパを思い出さずはいられない。やはり、まさに昭和の精神なのだ。

さらに、渡辺は、わたしにとっての林達夫の問題は、まさに西洋と日本ということにあった。そしてわたしは林達夫を取りあげることによって、十月革命以後一国の枠のなかで考えられる文学史も思想史もなくなったという私見を、日本の精神史のうえで立証してみようと企てたわけだった。と理由を書く。

文学史も思想史ではなく、政治・軍事問題の点なのだが;

林達夫はソヴィエト信仰は強く持っていたらしい。戦後の『共産主義的人間』に至るまでは。

林達夫問題とは直接関係ないのだけれども、参謀本部―ソビエトというラインは、今もって謎のライン。ゾルゲ事件で今でも未解明なのは、参謀本部の誰かが情報提供者であることは間違いないが、その情報提供者が誰であるか。

東方社は、参謀本部―ソビエトというラインの何かなのである。




宇宙人からのメッセージ

2009年07月27日 20時18分16秒 | 日本事情

南の島の新聞の広告

■調べたら、別に南の島だけの話ではないのだった;

Amazon: 宇宙人からのメッセージ

Wiki: ラエリアン・ムーブメント

・エリアンというくらいだから、この"ムーブメント"はフランス人由来らしいのだが(発起人のサイト)、我々にとって唯一重大な問題は、ただ、この創始者のこのヘアスタイルはちょんまげなんだべか?といことである。 これで今夜も正義は守られる???



民主党からのメッセージ

毎週、ぶどうの写真を撮っています。4

2009年07月25日 08時45分08秒 | 筑波山麓



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石ころの半分は酸素であり、残りで最多の元素がシリコンだ

2009年07月24日 18時42分20秒 | その他


南の島でみた、「竜安寺海岸」

■今朝のラジオで、住信基礎研究所主席研究員の伊藤洋一さんが、「シリコンはレアメタルだ!」といっていた。

ぎょっとした。そんなことはないはず。シリコンは地殻において、酸素についで存在度の高い元素。つまり、元素記号Siのシリコン=珪素は、酸素についで最もありふれた元素。

構成元素の観点から見ると、石ころの半分は実は酸素原子。シリコンと結びついて、珪酸塩を形成している。

もっともレアメタルという言葉の定義次第といも言えるので調べた。
  Wiki: レアメタル

レアメタル(希少金属)は非鉄金属のうち、様々な理由から産業界での流通量・使用量が少なく希少な金属のこと。

レアメタルは非鉄金属全体を呼ぶ場合もあるが、狭義では、鉄、銅、亜鉛、アルミニウム等のベースメタル(コモンメタルやメジャーメタルとも呼ばれる)や金、銀等の貴金属以外で、産業に利用されている非鉄金属を指す。 


一覧にもシリコンは入っていない。 やっぱり、シリコンはレアメタルではないのだ。あたりまえだが。

■でも、なぜ伊藤洋一さんが、「シリコンはレアメタルだ!」と言ったか考える。その発言は、太陽電池関連のニュースの解説の中でなされた。つまり、太陽光発電が普及しないのは、材料のシリコンパネルのコストがかかるからという文脈。「シリコンは中国で取れて、シリコンはレアメタルだ!」という発言となった。

一方、「シリコン、レアメタル」という語でググると、シリコン・レアメタルという連結語でシリコンの販売のサイトが羅列される。そうなのだ。レアメタルを扱っている業者がシリコンも扱っているのだ。そして、最近は中国製のシリコンが増加しているらしい。背景は、シリコンを製造するにはシリコンの酸化物である岩、砂である珪砂を還元する。それには多量の電力を使う。中国では電力コストが低いので、最近中国におけるシリコン生産量が増大してきているらしい。かつ、中国政府は国内需要を確保するためシリコンの輸出を規制しはじめた。レアメタルの輸出制限と合わせてである。

こういう背景で、伊藤洋一さんは、中国―レアメタル―生産不足―シリコン―政府が規制するレアもの、という連想で、「シリコンはレアメタルだ!」という発言になったと推定できる。

■つまり、シリコンがこの世での存在度と実際に利用できる量にギャップがありすぎるのである。なぜか?それは、シリコンは酸素と結びついて酸化物として地球に存在しているのに、人間様は酸素を取った金属(正確にはシリコンは半導体)が欲しいから。(今気づいたが、シリコンはレアメタルという命題はそもそも成り立たない。なぜなら、シリコンはそもそもメタルではないからだ。シリコンはレアセミコンダクターという言い方ならまだ検討の余地がある。もっとも、圧力をかけるとSiは半導体→金属転移をするのだが.....。)

■太陽光発電のコストを低くするためにはシリコンの材料価格を下げなければいけない。そのためにはシリコンの製造コスト、つまりは酸化ケイ素を還元するために使う電力コストをさげなければいけない。そして、太陽光発電を普及させるには多量のシリコン生産が必要。つまり、クリーンエネルギー開発のために、火力発電か原子力発電か多量の電力供給を必要とする。エネルギーの消費!さらには、シリコン純化・還元には炭素を使う。炭素を使って二酸化珪素の酸素を奪ってやることで、シリコンを純化する。二酸化炭素の発生! もっともこれは生成したシリコンが発電する電力量と生産に必要であったエネルギーとの兼ね合いで、太陽光発電が本当にクリーンエネルギーであるのか判断される。

【でも、やっぱり、シリコンはレアメタルだ!】

ぬんげんが必死に酸化物を還元させて作るシリコン単体元素。本当に地球上にないのであろうか? 調べた。あった。

mineral silicon

どうやら、金 (native gold) の中でのみ安定に存在するそうだ。 贅沢なやつだ、シリコン単体元素@半導体。

▼急いで書き加えなければならないことは (W !);


南の島の珊瑚礁のなれの果て、石灰岩

石ころの半分は酸素であり、残りの半分以上はシリコンじゃないレア物もあるよ。
CaCO3 石灰岩


ポーク玉子 (ポーク卵)

2009年07月22日 19時45分35秒 | 国内出張・旅行



南の島の居酒屋に行った。メニューの郷土料理の欄に「ポーク玉子」というのがあった。南の島は豚肉料理、特に角煮が有名なので、豚の角煮に一緒に煮込んだ煮玉子という組み合わせの料理だろうと思い、注文した。

来たのが、上記画像。

オムレツとランチョンミートにケチャップだ。

期待していたものは、こういったもの↓

 ソース


一瞬、ぎょっとしたが、すぐわかった。 占領・統治時代の産物だ。それが郷土料理

たぶん、沖縄県はランチョンミートの一人当たりの消費量が日本一なんだろう。おいらは、ここ10年ランチョンミートのあの缶詰を買って食べた記憶はない。でも、カナダで暮らしていたころはよくたべた。ごはんに合う。漬物がないので、瓶詰ピクルスと合わせてよく食べた。もちろん、ランチョンミートにはケチャップやあやしげなソースをかけてたべた。北米なら牛肉でも豚肉でも安いはずだろう。なぜ、ランチョンミートをよく食べた?という素朴な疑問があるかもしれない。おこたいすると、北米のスーパーでは、日本人が好むような、あの薄切り肉というのがないのだ。少なくともおいらが行っていたスーパーにはなかった。肉といえば塊かステーキ用。だから、どんなに牛肉が安くとも、すき焼きが作れない。もっとも、頼めば肉屋は薄切りにしてくらしいといううわさも聞いたが、おいらそこまで動かなかった。ランチョンミートで、なんくるないさ~! と考えたたからに他ならないからだ。

 
果たして、土産物屋に行くと、典型的おみやげと並んで、ランチョンミートが売っていたのであった。

Wiki: ポーク卵