今、庭にはきゅうりの黄色い花が咲いている。
そこに、三毛猫来訪。
『トマス・アクイナスの勝利』 (部分)[1]、ベノッツォ・ゴッツォリ Benozzo Gozzoli
1471年作、 ルーヴル美術館
■
竹下節子、 『キリスト教の真実: 西洋近代をもたらした宗教思想 』(ちくま新書) Amazon
筑摩書房の喧伝ページ⇒「本書から学ぶべきことは たくさんある。」 『ふしぎなキリスト教』共著者 橋爪大三郎氏、推奨!
竹下節子、『キリスト教の真実』について、すこしつっこみ。 この本の意図はよくわからない。ただ、世間に流布しているある種の説というのは間違いであると訴えたいのらしい。そして、その間違いの説というのを愚ブログでもさかんに流布しているものだ。つまり、耶蘇・ヨーロッパ文明はアリストテレス全集をもっていたわけではなく、別に古代ギリシア文明の「正嫡」ではないのないか?というつっこみである。そして、アラブ・ペルシアなどイスラム文明から思想哲学を継承したことを隠蔽していると指摘してきた。例えば;
・この建物は、イスラム教のモスクの上にキリスト教の大聖堂を作ったもの。つまりは、この地における、キリスト教のイスラム教征服の象徴。
・過去一〇〇〇年近くも西ヨーロッパから姿を消していたアリストテレスの一連の著作を再発見したことを知ったのだ。新たに発見された古代の知識は、西ヨーロッパの知の歴史上、他に例を見ない衝撃を与えた。
という説。
竹下節子さんはこういう流布された俗説を一掃したいらしい。
でも、「あー、もしもし」と指摘する「エビデンス」があると、おいらは思う。
(ちなみに、エビデンスとはこの本『キリスト教の真実』で不自然に出現する"キーターム"である)
たとえば、竹下さんはいう;
前述したように、古代ギリシャ・ローマに蓄積されていた合理性を重んじる知性を、ローマ帝国の版図に広まったキリスト教が継承し、大規模な図書館を各地につくってきた。「キリスト教世界で失われたアリストテレスをアラビア語の翻訳のおかげで発見した」という「近代西洋史観」は明らかに誤っている。
五五五年に設立されたヴィヴァリウム図書館には、アウグスティヌスの神学書と共にプラトンやアリストテレスの著作があった。プトレマイオスも収められていた。 (『キリスト教の真実』、p104-105)
間違いというより、不正確、あるいは意味をなさない記述である。プラトンやアリストテレスの著作があったが問題ではなく、アリストテレスのどの著作があり、そのあった著作がどれだけヨーロッパの神学者に影響を与えたかである。
現在アリストテレス全集と纏められている著作群において、12世紀以前にヨーロッパ人、つまりはラテン語人が知っていたアリストテレスの著作群は、『範疇論』、『命題論』(ボエティウス[480-524]がギリシア語からラテン語に訳した)。これらのラテン語翻訳に基づいて、ラテン語圏の神学者は活動したはずだ。一方、ヴェネティアのヤコブはアリストテレスの著作群のうち、『分析論』、『トピカ』、『詭弁論駁論』をギリシア語からラテン語に訳した。 ([2]ネタ元、「一 スコラ学における「アリストテレス文献」の翻訳の状況」、"4 スコラ哲学の意味"、山本耕平、新・岩波講座 哲学14、1985年)
だから、12世紀以前にヨーロッパ人、つまりはラテン語人はアリストテレスの全著作を知っていたわけではないのだ。竹下さんも五五五年に設立されたヴィヴァリウム図書館にというなら、どんな著作があったか調べて書いておけばよかったのだ。数行で済む。新書の制約などいうものはない。かように、この本はすべてにわたっておおざっぱである。 筑摩書房の真実!
やはり、のちラテン語に訳されたアリストテレスの著作群の一部はアラビア語から翻訳されたのだ。『自然学』、『天地論』、『気象論』など。そして、アヴェロエスの『二コマコス倫理学』、『修辞学』、『詩学』の註釈書もアラビア語からラテン語に翻訳した[2]。
「キリスト教世界で失われたアリストテレスをアラビア語の翻訳のおかげで発見した」というのは、あながち間違ってはいない。
ただし、おいらもわからないのだが、そもそもローマ時代のキリスト教(ローマンカトリックの世界)にアリストテレスのギリシア語の全著作がすべてラテン語に訳されたわけではなさそうだ。そうであるならば、キリスト教世界で失われたという言い方そのものが論理的になりたたない。
やはり、ローマンカトリックの神学者など知識人は12世紀以降初めて、アリストテレスの全貌を知ったのだ。
したがって、竹下節子、『キリスト教の真実』はおかしい。
▼トマス・アクイナスについての視点で考えてみよう。
もし、アリストテレスがキリスト教世界で読み継がれ註釈され続けてきたとするならば、13世紀になって突如として、トマス・アクイナスのような現在でもローマンアトリックの歴史に残る第一の神学者が現れるはずがない。トマス・アクイナスの出現は、アリストテレスの全著作のラテン語世界への流入の結果なのだ。アラビア語⇒ラテン語の翻訳センターがトレド。
そして、ラテン語人がアリストテレスを読解するためには、先駆のアラブ哲学者アヴェロエスなどの註釈書が必要だったのだ。でも、その後ローマンカトリックの神学はこのアリストテレスのアラブ経由の受容を「闘争」と考えたらしい。勝ち負けの話にした。それが、上記の『トマス・アクイナスの勝利』 だ。 トマス・アクイナスの前で倒れこんでいるのが、「打ち倒された東方賢者、アヴェロエス」ということらしい。
-「打ち倒された東方賢者」、 『トマス・アクイナスの勝利』 (部分)―
(尚武 [勝負] にこだわる耶蘇をよく表している。) キリスト教の真実 !
ただし、ラテン語人がアリストテレスの全著作をラテン語に訳したのは確かに12世紀以降であるが、すべてがアラビア語からの翻訳ではないらしい。上記トレドとは別にシシリーにおいて、アリストテレスの著作群のうち、『自然学』、『生成消滅論』、『霊魂論』、『形而上学』、『二コマコス倫理学』などが、ギリシア語⇒ラテン語へと翻訳された。12世紀以降。
(参考;アリストテレス文献のギリシア語原典からのラテン語への翻訳はロバート・グロステスト(Robert Grosseteste, 1175-1253)とメルベケのギヨーム(Guillaume de Moerbeke, 1215?-1286)によって完成された。[2]
とある。木田元のいう、”トマス・アクィナスはフランドル出身のムールベーケのギヨームという友人のつくったラテン語訳でアリストテレスを読んでいるんですね。ギリシア語の原文は読んでいません”のムールベーケのギヨームだ。)
これを読むと、トマス・アクイナスのアリストテレス読解はムールベーケのギヨームのギリシア語⇒ラテン語翻訳に依存しているととれる。
ただし、もし、トマス・アクイナスのアリストテレス読解にトレドルート、つまりアラビア語⇒ラテン語の翻訳が関係なくとも、"「キリスト教世界」がずっとアリストテレスを失わず保持していた"という見解は成り立たない。なぜなら、ムールベーケのギヨームのギリシア語原典の写本は12世紀以降にラテン語圏に入ってきたものだから。
▼この12世紀のアラブ経由のアリストテレス著作群のヨーロッパへの流入で、神学と教会には軋轢があり、その原因はアリストテレスの哲学だったらしい。アリストテレスの思想の影響で自然や論理を無視できないと悟った神学者と教会の軋轢。特にパリ大学。
しばしば、大学におけるアリストテレスの講義が禁止された。教会によるアリストテレス思想の排除。
▼ そして、痴人の愛
でもそんなアリストテレスもこうなっちゃうのだ。女性によるアリストテレス馴育。
ハンス・バルドゥング、『フュリスとアリストテレス』、ルーヴル。
1503年作。
それにしてもこれが谷崎の元ネタなんだべか?
彼は、限りなく美しさがましてゆくナオミの肉体の、奴隷として生きていく。
今夜のまとめ⇒ 哲学は神学の婢である!
谷崎・『痴人の愛』とは、アリストテレスへの註釈(オマージュ)だったのだ。
アヴェロエスも真っ青だ。
恐るべし、谷崎!
[1]
『トマス・アクイナスの勝利』 (全体)、ルーヴル。
[2] 「一 スコラ学における「アリストテレス文献」の翻訳の状況」、"4 スコラ哲学の意味"、山本耕平、新・岩波講座 哲学14、1985年
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― 天壽 夭折が悲しいというのはあさはかだ。老衰して死んでゆくはうが、ずつとずつと悲しい――五十年も生きのびてゐながら、なほ声明のはかなさを証明すること以外になにもできなかつたのだから。― [誰の言葉だと思う? ただし証の字は新字。おこたいは最下段、 ヒント::50前ですんだ三島由紀夫では、ない]
金環蝕の朝に夭折; 「中二病」臭ふんぷん。
■ 金環蝕の朝に溶接
おとといの朝、つまりは金環日食の朝、おいらは仕事先に向けてちゃりで7:20頃出かけた。
出かけてすぐ、近所のいつもは儀礼的にあいさつするおばさんが、公共の広場で、金環日食観察用のメガネで天を仰いでいた。
おいらは、金環日食観察の準備もしていなかったので、「見えますか~!?」とか言って、ちゃりを降り、おばちゃんの金環日食観察用のメガネを 奪い 借りて、見た。見えた。まだ金環ではなかったが、4分の3位欠けていた。日食がみれたのだ。
金冠の瞬間をこの眼で見よう!という前もった決意もなかったので、これでラッキーくらいに思い、再びチャリにまたがった。
10分くらいちゃりで走る。あたりはほのかに薄暗くなっている。太陽は大きな雲の布の端っこあたり、かなり雲は薄い。
そうすると、道端の工務店の前で、家族がわいわいやっていた。
溶接面を持っているのだ。
おばあさんと息子夫婦らしき家族。おばあさんが溶接面を持ちさわいでいた。
おいらは、溶接面で太陽の日食を見るという、これはその本義に照らして、道具と目的がばっちり一致!に感動し、
全然知らない人たちなのに、入っていて、溶接面を貸してもらった。
これだ↓
まだ、金冠ステージには早い。4/5くらいか。
結局、おいらは金冠は見なかったが、溶接面で太陽の日食を見るということの方に感激し、仕事先に向かった。
「人はだれもがようせつの幸運に恵まれているわけではないんですよ」とかシオラン センセはおっしゃる。
でも、溶接面に恵まれたおいらのずんせい! ありがとう! おいらのずんせい!
そんなその日の夜、溶接面で太陽の日食を見るが話題になっていた。これらの作品を見ると、
おいらの溶接面で太陽の日食を見るのつっこみが足りなかったと反省している。
かわいすぎる おばあちゃん なのにようせつとはこれいかに?
ようせつ しないでね.
― 天壽 夭折が悲しいというのはあさはかだ。老衰して死んでゆくはうが、ずつとずつと悲しい――五十年も生きのびてゐながら、なほ声明のはかなさを証明すること以外になにもできなかつたのだから。― [誰の言葉だと思う? ただし証の字は新字。おこたいは最下段]
福田恒存、『否定の精神』 (福田恒存評論集 第十六巻、麗澤大学出版会)
『否定の精神』って、中二病の精神で、おもしろい。
■関連愚記事; 夭折に関する取り決め
-Martyrdom of Saint Julitta with a saw-
(聖ジュリッタ(母=her)の のこぎり引き による殉教)[部分]
ジュリッタとクイリコ母子の殉教を描く絵画(全体↓)
―『Altar frontal of Saint Quiricus and Saint Julitta from Durro』
(ドゥーロの礼拝堂の祭壇板絵- 聖キルクと聖ジュリッタの殉教)
バルセロナ、カタルーニャ博物館、ロマネスクアートのブースにて―
確かに、耶蘇は受難を核とする宗教だ。
例えば、われらがヤマトタケルは、剣を握り、鎧で腹部を護り、闘い、征服する。
それとは対照的に、イエス・キリストは腹部を晒し、無抵抗に殺され、そして追随者は受難する。
▼この絵((ドゥーロの礼拝堂の祭壇板絵- 聖キルクと聖ジュリッタの殉教)で、ジュリッタとクイリコ(キルク)母子はのこぎり引き、釜ゆで、斬殺、くぎ打ちを受ける。
ジュリッタは一体どうやって殺されたか?、むしろ分からない。
wikipedia; Quiricus and Julietta
・母ジュリッタは、 息子が最年少の殉教者の冠を得たことで神に感謝し、自分も信仰を最後まで捨てず、首をはねられ殉教するというお話です。(紀元304)
でも、正岡ってこれに近いかも???
それにしても、やはり世界史で最も人を殺したの「類」は、耶蘇類に違いない。
授難; 耶蘇の真実。 (バチカンとナチス)
そして、授受難マリア。 恐るべし!耶蘇。 (一般のイスラム教徒への無差別攻撃容認 米軍大学、原爆が「前例」と講義)
与太ネタ
I saw her standing there !
I SAW HER STANDING THERE by The Beatles [IN MONO]
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■ 今日5月19日は、つくば記念日。
―常磐線利根川鉄橋. JR常磐線取手-天王台間. 先頭車両の乗客室から運転席越しの視線.―
■ 業務連絡;
-都内地下鉄のホームにて.-
「ああ、思い出した、あの鮭だ。」(google)
関連愚記事;
・高橋由一、『鮭図』。あるいは、ヤン坊とマー坊を取り違える
・こだまでしょうか?、いいえ、非対称です。
・デパ地下の鮭図
・なぜ、旧幕臣は洋画を
おふらんすで、見つけたもの;
ヴォルヴィック [ボルヴィック] いちご風味@逆子生まれ;下記画像参照↓
おふらんすにあった。自販機にあった。
でも、自販機だけではないのだ。おふらんすのカフェで「ミネラルウヲーター」を頼むと、
"シロップ"を入れるか?、と聞いてくる。 びっくり。 スペインではないことだ。
なお、日本では、ボルヴィック レモン はある、と今ネット検索で知る。
ただし、ほのかな甘みとレモンの香りが楽しめるらしいのだ。
かなり香りの強い"ヴォルヴィック [ボルヴィック] いちご風味"とは違うのだろう。
恐るべし、おふらんす。
■関連しない愚記事;
・おふらんすをめぐるアホども
・昔はここで、ひそひそ話し
・ 逆上する おふらんす語 教師
・せめて、もっと人殺しの顔をして、「なんて土人の国なんだ!」といってみた
・一握のクスクス
・ アメリ:労働力の再生産
今日のお勧めブログ記事;
大学院に進学しても研究者と呼べる程の力を身につけていないから
企業も採用に踏み込んでこないのが今の現状だそうである。
かくして、就職は理系の場合
修士>学士>博士の図式 が成り立つ。
そして、美しき誤解;
なにせ彼らは、語学力においても、
英語で書かれた文献を相当数読み読解能力が高い。
また、英語で論文を書いたり、英語で発表したりと
語学力には特筆すべき点が多々。
超・優秀なのである。
↑ まつがい;
■さらにおいらも不思議に思うのが、読み書きできない博士。英語ができないのはザラとしても、日本語もろくに 書けない御仁も結構多い。論文書けない!報告書書けない!特許書けない!。どうやら背景には、上記マスター全入と同じく、ろくに選抜もせず、そしてまとも な教育もせず、しまいには実験だけさせて、教官が論文を書くということをやって博士をとっている人たちが少なからずいるらしい。公然の秘密なのだろう。勇 気をもって実態を書いているブログ⇒博士号、の意味。 (愚記事より)
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ピレネーを越えてみた、【その1】で、ハカにたどり着いたおいらは、5日後にペルピニャンにいた。ペルピニャンはフランスの地中海の街。
理由は、ピレネーを越えてみた、【その2】 を実行するためだ。
ペルピニャン
ペルピニャン
そのペルピニャンから、ヴィルフランシュ=ド=コンフランへはこの赤い列車でいった。
ヴィルフランシュ=ド=コンフランで黄色い列車へ乗り換えだ。セルダーニュ線。
「セルダーニュ線は標高差が大きい山岳路線である。標高427mのヴィルフランシュ=ド=コンフランから標高1592mのペルシュ峠を越え、標高1143mのブール・マダム駅を経由し標高1230mのラトゥール=ド=カロル駅に到達する。ペルシュ峠の前後の区間の勾配は55パーミルと60パーミルに達する。Bolquère-Eyne駅は標高1592.78mのところに位置しておりフランス国鉄で最も高いところにある駅である。また途中に存在するフォンペドルス高架橋(セジュルネ高架橋)とカサーニュ橋(ジスカール橋)は歴史的建造物に指定されている。そのほか約20のトンネルがある。 」(wiki)
そして、ピレネーです;
黄色い列車の終点は、ラトゥール ド キャロル駅です。まだ、フランスです。
標高1200メートルの高原の盆地です。
ここまで乗って来たのはおいらども以外二人でした。
ラトゥール ド キャロル駅
まわりには何のお店もない。
20分歩いて、飯屋にたどり着く。その1同様その店の女主人も愛想がよかった。
デザート食べる暇なし。再び歩いて、ラトゥール ド キャロル駅へ戻る。
renfe(スペイン国鉄) とSNFC(フランス国鉄)が並ぶラトゥール ド キャロル駅。ここからトゥールーズへ行ける。そのための立派な列車(図右)。
左のレンフェの赤帽列車はバルセロナ行き。これに乗る。
ラトゥール ド キャロル駅を出たあと仏西国境を超える。そして、プチセルダ駅に着く。その駅ではスペインのpoliciaが列車に乗り込んできた(下図の立っている左からの二人)。おいらどもは”見た目”が外国人なのであろうからかパスポートの提示を求められた。
この後、バルセロナに直行せずに、リポールという街で途中下車。
この後、バルセロナへ、19:30には着いた。