いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

やっぱり、おいらは、高踏派

2010年09月30日 07時05分58秒 | ぐち
 

■ああ、もう9月も終わる。年度の半分が過ぎた。<死谷渡世>はろくに進展しない。関係ないが、朝、彼岸花が咲いていた#2。以前、おいらは、絶対、高踏派 で書いたが、よんじゅう過ぎてバイトのおいらの日常はリスクに満ちている。

■今年度はさらに天井の高い仕事場で(も)働いている。天井までの高さは5メートルくらいかな。これまで長らく使われてなかった部屋だったので、使い始めると次々と蛍光灯が切れる。取り換えるのが大変だ。脚立では用が済まず、やぐらを組まないといけない。

■気持ちは3月の年度末にある。昨年度後半はは実用スケール用の装置の設置に必死だった。200平米の部屋を割り当てられた。装置費用総額は約5000万円。設計仕様から発注、製作監督、検収まで、実際は、おいらの一存である。バイトなのに。上司は正社員さまで、仏さまのようだ。何でも承認してくれる。やっとのことで3月末の年度末に設置した(年度内に予算を使い切ることの苦労!)。4月以降はこれらを立ち上げて、モノを作らなければならない。うまくいってない。

■社長さまが「ポスドク」経験者だ。

社長さまが「ポスドク」経験者って、ベンチャー企業じゃ珍しくないだろうと思われるだろう。でも、今のおいらのバイト先は売り上げ何兆円、従業員数何万人のメーカーさまだ。ベンチャー企業ではないのだ。ただ、R&D(#1)をバイトにまかしているだけなのだ。

バイト先のこの会社でドクター持ちは珍しくないが、ほとんどが論博である。旧帝大を中心としたマスター出の秀才ちゃんたちが入社後、自分の出身の研究室や派遣先の研究室(会社との共同研究先)で論文を提出して、博士号を取得した人たちだ。論博=士。みんないい人たちである。社長さまの話にもどって、彼は、なんと!、課程博士だ。珍しい!と思いませんか!!!。しかも、「ポスドク」までやっていたらしい。その後入社。ただし、誰も彼が"偉いこと"と"ドクター持ち"であること、それもコースドクター(課程博士)であることに関係があるという認識は持っていないに違いない。つまり誰も彼がドクターだから出世したとは思っていない。彼は仕事ができたから出世したのだ。以前、彼が一般新聞紙上に出たとき、経歴として、「Z大、院卒」とだけ書いてあった。『○X産業社長、山田太郎、工学博士』とか書いてなかった。博士無用!の日本産業界。

■<木村摂津>との別れ;

<木村摂津>も旧帝大のマスターを出て入社。論博。団塊の世代だ。オイルショック直前の高度経済成長末期にこのメーカーに入社。社歴40年近くである。部長クラス。彼と話していると会社は、ほとんど"自分ち"である。社歴ca.40年ということで、会社のことは何でも知っている。のびのびしている。重役クラスに対し物おじしない。定年を過ぎているが、社歴40年近くのお貴族さま筆頭であるからにして、社籍を確保しているのだ。その<木村摂津>が3年前においらが属していた"ベンチャー"を買った。彼の一存で買ったのだろう。買収に際し、彼が自由にした会社の資金は2億円くらい。人選も彼がやった。

なんで彼を<木村摂津>というかは、福沢諭吉を米国に連れっていってくれたあの軍艦奉行の木村摂津守からのもの。(諭吉センセとおいらを相同化して恐縮ですが。もっとも、おいらは<木村摂津>に雇ってくれ!とは頼んでいない。)幕臣でもなんでもない諭吉が、幕府が出す米国行きの船に乗り込むため、木村摂津守に頼む。『福翁自伝』にある;

案ずるに、その時の世態人情において、外国航海など言えば、開闢以来の珍事と言おうか、むしろ恐ろしい命がけのことで、木村は勿論軍艦奉行であるから家来はある、あるけれどもその家来という者も余り行く気はないところに、かりそめにも自分から進んで行きたいという言うのであるから、実はあっちでも妙なやつだ、幸いというくらいなことであったろうと思う。すぐに許されて私はお供をすることになった。 

<従業員何万人のメーカー>の部長級の<木村摂津>なのに、R&Dをやる人材を割けない。会社が手下を配属してくれないのだ(#3)。バイトでやれ!と。この<従業員何万人のメーカー>は典型的高度成長期の産業。<木村摂津>の世代でさえ入社時に会社の売上げの大部を叩きだす"ドル箱"大工場は、ルーチンで稼働。<従業員何万人のメーカー>のお貴族正社員さまたちは、出来上がったルーチン産業機構を滞りなく回すことが最大の責務だった。し、今でもそうなのである(恐ろしいことに!!!)。あやしいR&Dなんかいやなのだろう。

ちなみに、<木村摂津>とは一度、ふたりで仕事で、オランダに行き、アムステルダムで運河の遊覧船に乗った。彼は<従業員何万人のメーカー>の<遊覧船奉行>だったようだ⇒愚記事;普通のアムステルダムの風景

<木村摂津>は買収後もこのグループの運営を統括した。前述"仏様上司"を従えて。この"仏様上司"は<木村摂津>の元部下。この買収時に、急きょ呼び出されて、<木村摂津>を補佐。現在、責任者。でも1-2年ではめざましい成果というわけにはいかなかった。このめざましい成果とは、売上として数十億円立つ見通しといった基準。<木村摂津>は今年春、別の部署に移動となった。<木村摂津>との別れ。

■<木村摂津>との別れの後もプロジェクトは進み、上記設備投資も計画通り昨年度内になされた。でも、今聞くに、<従業員何万人のメーカー>の経営陣は、買収後1年ほどで、このプロジェクトが"嫌になって"、また転売しようとしていたらしい(それにしても判断早すぎだろう~)。その際、巻き返しが功を奏し今の存続にいたっているとのこと。バイトのおいらには知るよしもない話だが、おいらの運命も風前のともしびなのである。せめて、高い天井の蛍光灯を取り換える時は気をつけようと思う。転落してアタマ打って死なないように。高踏派は、つらいのだ。

  


#1 R&D;research and development=研究開発

#2


#3; ちなみにこの会社、正社員のお貴族さまたちは配置移動願いを出す権利をもつ。つまり、手さえあげれば正社員さまは誰でも参加できるのだ。もっとも、そもそも、このプロジェクトの社内公募してないと思うが。それは<木村摂津>の判断だ










今日の看猫 2010/9/28

2010年09月28日 13時42分35秒 | ねこ


紫衣うめちゃん(もちろん勅許なし)。

小室直樹が死んだ。

"夜店"とか"本店"(含む、週刊プレイボーイ人生相談)とか"私塾"とか、さらには"家庭教師"とか、"公然活動"、"非公然活動"あわせて"多彩"な御仁だったらしい。

おいらは、1980年代前半、つまりは四六時中勃起していたリビドー最盛期に、知った。TV番組、「トゥナイト」。当然、おねぇーちゃんのおっぱいやお尻目当てで見ていた。でも、司会者は、「小林秀雄が死にました」とか、世界が終ったかの言動を弄するし、はたまた、四畳半に住む"キチガイ"学者の画像も"垂れ流し"ていた。今のようにネットなぞない時代で、情報に飢えたリビドー餓鬼んちょのおいら。

その四畳半に住む"キチガイ"学者こそ、小室直樹であった。おいらはみただよ、いまでは、wikiで、語り草になる""小室の家を訪問リポートした。四畳半アパート

一方、私塾の弟子は多いらしい。橋爪大三郎・宮台真司・副島隆彦らがいる(wiki、同上)。小室ファミリー!

・今回、おいらが初めて認識したのが、一時期、小室は、"高田保馬-森嶋通夫"圏内にいたこと。丸山眞男との縁は知っていた。かの中川八洋センセも丸山眞男には縁があるので、驚くにあたらない。もっとも、小室が会津⇒京大、つまりは会津小鉄一派だったとは知らんかった。龍馬を殺したのも案外小室直樹かもよ。

・今思うに、小室直樹さんはどのように偉かったのだろうか?
1980年代に日本は米国の属国であると言明していた。でも、その語句たるや"米衛隊"とか江藤淳の造語の"パクリ"だった。

・今思うに(2度目)、小室直樹さんは、日常行動が奇抜だけど偉大なる学習者(ガッコ秀才)であり、非凡さに複雑な気持ちを持たざるをえない「タダの秀才ちゃんたち」(@but 知的好奇心あふれる)の喝采を受けていたということではないのだろうか?

・もちろん、小室さんや"弟子たち"は、"学問"によるこの世の掌握を目指していたのだろう。ただ、学問は専門化しているのでその総合化は難しいという古くて今も解決されていないあの問題に陥る。おためごかしとしての相関社会科学!一方、勉強したって世の中を把握できないので、扇動者となる、あるいは、ぐれて奇人となるというのは、案外、凡庸ではある。例えば、あげくのはてに、年食って子供つくって、父として考える、である。そんなこと学問しなくたって庶民は誰だってやっていることじゃないか! ああ~、かくも長き遠回り!



―屋台本と本店本― 『ソビエト帝国の崩壊』以来のカッパ新書シリーズでおいらなど俗人に知られていた頃、"まともな"学術本?で手に入るのは、『危機の構造』、Amazonくらいのものだった。今、4250円だよ。でも、『危機の構造』を今読むと一文一文が異常に短く、実はカッパシリーズとそんなに雰囲気は変わらない。




毎週、ロシアかぼちゃの画像を撮っています; 17週目

2010年09月25日 08時59分45秒 | 筑波山麓


これまでで最多?三輪咲きました。今頃どうしたのでしょう?



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来訪者

2010年09月23日 13時15分03秒 | 筑波山麓
筑波山麓『看蛙録(かんろく)』


筑波山麓ブログを自称しながら、7年目で初めての登場の、カエルさん。

先日、庭のきゅうりの葉の上にいた。朝から半日くらいじっとしていた。

今から思えば、鏡でカエルさんに自分の御姿を見ていただいて、その様子を撮影すればよかったと思う。

でも、このカエルさんはきれいなので、油汗は流さなかったとおもう。



御存知、井の中の蛙;
井蛙不可以語於海者、拘於虚也

(うわさ;"井の蛙、大海を知らず、而して、天の深さを知る"というのがあるらしい。誰の言葉なのだろう?)

では、葉の上の蛙は?;
今日のお題です。貴殿の冴えたところをコメント欄にどうぞ。

おいら;葉上蛙は以って、ベジタリズムを語るべからず、葉っぱを食ってこの先生きていけるわけもなし。


無意味だった小沢氏の媚中外交、ってむしろ、逆だったりして; 

すなわち、尖閣・お中国サマ特殊船特攻⇒日中関係険悪化⇒経済優先主義者が騒ぐ⇒菅直人政権のぐらつき⇒日中関係改善待望論⇒小沢の復帰⇒小沢、中国サマと何らかの妥協で手打ち⇒日中関係正常化⇒経済関係者安堵・ユニクロ安堵・イトーヨーカドー安堵⇒・・・・・⇒(十年後)⇒・・・⇒琉球は、やっぱり、中国領.....

・・・・⇒ひさひとちゃん柵封・・・・・

・・・⇒守礼門、丸の内に建築⇒倭も礼を守るようになったナと北京政府に褒められる......⇒西園寺関白時代となる....

⇒キャッチボール、ブームへ.....

▼9/25朝記す;
ひょえ~、なんて展開だ!もうすでに官邸には守礼門ができていたのか!おみそれしました。

検察と官邸の間で、厚生官僚デッチあげ事件の検察処分の寛大化を、船長解放という対中服従を検察の判断でしたということで図る、ということか。








a Vulcar Volcanist

2010年09月21日 04時22分30秒 | ぐち


■週刊「東洋経済」で連載されている"鎌田浩穀、一生モノの古典"の最新号はオルデガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』だった。

Amazon;

週刊東洋経済の読者であろうビジネスパースン(@含む、"がっついた")への要約・教訓3か条はかくのごとき;

  

■でもさぁ、オルテガ、『大衆の反逆』で唯一名指しで野蛮人・原始人扱いされているのは、科学者なんだよね。京大人気 No1 科学者が読み解くってのに、軽くスル―かよ(でも、京大人気 No1 科学者ってことは、かの山中センセより人気者ってことかぁ~、すごいにゃ~)。

― ところが、その結果、現代の科学者は大衆的人間の原型だということになる。しかも、科学者が大衆的人間であるのは、偶然の結果ではなく、またひとりひとりの科学者の欠陥によるものでもなくて、科学―つまり、文明の基盤―自体がかれらを自動的に大衆的人間に変えてしまうからである。いわば、科学者を原始人に、現代の野蛮人に変えてしまうのである。― オルテガ、『大衆の反逆』、12 専門化の野蛮性

本書でオルテガは「大衆人」(mass-man)の起源をたどり、社会における大衆の権力と行動へと向けた勃興を記述する途中で、自分の気質を分析している。オルテガは大衆とそれを構成する大衆人の両方に対して本書を通してきわめて批判的で、「高貴な生と下等な生」を対比し、彼が大衆人の中に見出した野蛮性と原始性を非難している。 しかし、英語圏では通例そのように誤解されてきたが、彼は特定の社会階級、すなわち、一般に大衆として考えられる多数の労働者階級を指して批判しているのではない。むしろ、近代化に伴い新たにエリート層として台頭し始めた専門家層、とくに「科学者」に対し、「近代の原始人、近代の野蛮人」と激しい批判を加えている。 これは、彼がエリートと非エリートの区別を、その社会関係ではなく内面的、精神的な態度に求めていたことに関係がある。 Wiki

■鎌田センセは、オルテガ、『大衆の反逆』を読んで、申しております;

 現代社会では統治者が大衆を「世論に反して支配することはできない」。しかし、大衆と目標の一致をとり、進むべき方向性の統一を図ることは可能である。具体的に達成すべき共通の課題を示し、それに向けて助言することはできる。もし、これができなければ「人間の共存は混乱におわるであろう。(中略)誰か命令を下す者がいない場合は、それが欠ける度合いに比例して、人類は混乱の支配下に下ることになる」。
 現実問題として出現してしまった大衆には、何らかの指導が必要なのである。公共に利する目標を示すリーダーが出たとき、大衆はそちらへ向かって動き出す。過去にはファシズムや貧困との闘いが共通の課題となった。現在では地球温暖化や食料危機が目標となりうるだろう。指導者は闘うべき敵を大衆に明示し、具体的な方法を提案し、きちんと理解してもらうことである。オルテガは大衆によっていつでも起きうる反逆を慎重に注視しつつ、わかりやすい共通の目標を掲げ、正しい方向へ導くことの重要性を説く。


「現在では地球温暖化や食料危機が目標となりうるだろう。」って、そうかねぇ。みなさんはどう思いなさる? ところで、このセンセの講義は、学生さんでいっぱいではないのかなぁ?

■目標が何だかわからない !

鎌田センセはその昔、筑波山麓は、"梅園界隈"にいらしたそうです。その古巣の人たちと御近所の人たちは、御立派な"指導者"を欠き、闘うべき敵を大衆に明示し、具体的な方法を提案し、きちんと理解してもらうことができないらしく、望むこと=目的さえわからないけど、とりあえず税金使っちゃおうってことらしいです。うらやますい。



日本国政府が巨額の税金を投入して行うナノテク研究の解説web siteより;

現在日本政府が成長戦略とやらの一環でこんなこと↓やってるけど、こんなことこそ、いくらやったて経済成長とは何ら関係ないょ。
第一回つくばイノベーションアリーナ(TIA)公開シンポジウム開催
おためごかしの税金の無駄使い。なんてたって、目的がわからないんだから。10年前にあの加藤紘一(今、どうしてるんだ!?)が、"ナノテクで経済成長"とかしたり顔で言ってたなぁ(遠~い目)。

何が目標だかわかんないから、その目標自体も税金使って研究しましょう、ということらしい。 うらやますい。 

大衆は民主主義の豊かさが生んだ「甘やかされた子供」!

食税研究者の、食税研究者のための、食税研究者による、 道楽 研究! うらやますい。

おいらなんか、市場への出口期限と売上額まで決められてるんだっちゃ。全然量産技術が出来てないょ。未達成だとまたプロジェクト解散。Sorry that position is no longer available だっちゃ。 Across a Death Valley with Distillated Resentment !  
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関連愚記事;
1. 大衆の一滴、反逆す! ホセ・オルテガ・イ・ガセット通り、へ

2. 砂漠こそ慢心したお坊ちゃんの試練と鍛錬には最適だ。

3. 石油、民主、自由、アメリカ万歳!

屠(ほふ)られる獣(けもの)の声を聞くシャガール、あるいは、Daseinは獣も含みうる

2010年09月19日 16時32分14秒 | 東京・横浜

■みんな大好き、シャガール。プリミティブな形と鮮やかな色は、通俗的

こっちの方が多彩⇒Googleの画像検索、シャガール



■おいらは自分の好みの感覚で生きている。これはある種のニヒリズムというらしい(⇒関連愚記事;おのれのべろ)。こういう生き方と違って、目先の食いもののまずさに耐え、ご立派な目的のために勝利するというのが、えげれす様の生き方らしく、そういう理由で英国の食事はまずいらしい。つまりは食いもののうまさに振り回されていては、七つの海は支配できなぃぞ!と。

そんなのやだねぇ~。ともかく、ベロにせよ、おめめにせよ、おいらはおいらの感覚のみを頼りとします。

■さて、能書きはともかく、先週平日、上野は芸大美術館のシャガール展を参拝。もう、絶対行きたかったけど、猛暑がおさまるまでまってた。 俗物バンザイ!展示のコンセプトがあって、唯のシャガールではなくて、ロシア・アバンギャルドがつきものらしい。ロシア・アバンギャルド!、今年あっただよ;愚記事⇒アール・デコの館でロシア構成主義。おいら的にはロシア年だよ⇒愚記事⇒猫たちが食い尽された街へ;サンクトペテルブルグ参拝



■みんな大好き、シャガール。プリミティブな形と鮮やかな色は、通俗的。でも、よくみると、そのモティーフはきついかも。人物の胴体と頭は離れているし、なぜかしらいつも獣か鳥がいる。そして、十字架のキリスト像の頻発。でも、誰なんだ!?、シャガールって。

シャガール=幻想的、じゃんじゃん、で終わらせるのはしゃくなので、ヨタを書く;

●今回のユーレカ!(気づいたこと);シャガールは子供の頃、絵を教わりたくて塾を探す。その際、おじの許可が必要だったようだ。自分の才能が認められるか不安なシャガール。そんな彼の耳には、屠殺される家畜の鳴き声が届く。そう、回想している。おじの職業は肉屋だった。

パリに出てきてからのこと。モンパルナスの芸術家志願者の群居に住む。近くには屠殺場があり、屠殺される家畜の鳴き声が聞こえたと回想している。

屠(ほふ)られる獣の声を聞くシャガール。

⇒Google; シャガール 屠殺

この時点でロシアではユダヤ人へに襲撃、すなわちポグロムが生じていた。ただ、シャガールがどれほど、自分がユダヤ人であることなど、事態を認識していたか不明。そして、ゲルマン民族主導で、かつフランス人やポーランド人が協力する、"ユダヤ人大屠殺"時代の幕が明けていく。

●シャガールは当時の帝政ロシアのユダヤ人都市ヴィテブスクの生まれ。イーディッシュ語が母語らしい。生粋のユダヤ人。旧イスラエルから、東方に逃れて生き延びたアシュケナージにほかならない。(一方、スペインなど西方に逃れ生き延びたユダヤ人たちは セファルディ [⇒愚記事]といい、アシュケナージとセファルディは第二次世界大戦のユダヤ人迫害でニューヨークに集合した。最下部にリンクしたYouTube:イーディ・ゴーメはセファルディらしい。)シャガールは第二次世界大戦勃発でドイツのフランス侵攻によるユダヤ人狩りを、米国に逃れることで免れた。ニューヨーク近代美術館の招聘があったからだ。

・今回のユーレカ!2.
おいらは以前書いた;ヨーロッパはあれだけ戦争したのだから、破壊されたキリスト像をネットで探したが、今のところ見つかっていない(愚記事、処女からヒバクかぁちゃんへの1945年 )。 知っただよ。シャガールの『妄執』という作品。瓦礫の中のキリスト像。

・今回のユーレカ!3.
見ちゃった、カンディンスキーの風景画。全然、アバンギャルドでない。

▼::そして、ユダヤ人たちは大屠殺されていったのだった。::



・なぞ。シャガールはキリスト像を頻繁にモティーフにする。その意味はなんだ?彼はユダヤ教徒なのか?キリスト教徒なのか? それとも、キリストとユダヤ教を、ミシンと傘なみのシュールレアリズム扱いしているのか?

■再び、誰なんだ!?、シャガール。

突然ですが、ハイデガーを参照として年譜を。両者とも通俗的で、みんなに大人気!という共通点があります(←強引すぎるだろうw!)。ふたりとも80歳過ぎまで生きたお達者コンビだし。そして、シャガールはロシアのユダヤ人都市にうまれたユダヤ人で、ボルシェビキ政権にも多少お付き合い。ユダヤ人大屠殺時代をロシア-フランス-米国-フランスと西へ東へ。エルサレム参拝に涙するヘブライニスト。一方のハイデガーは、ファシストでドイツに定住すること80余年。故郷喪失者と都市生活者を"憎み"、農業を崇拝する。ちなみに、ユダヤ人に最も縁遠い職業が農業である。そして何より、ハイデガーは、ギリシアに涙するヘレニズミスト。



あるいは、Daseinは獣も含みうる

ハイデガーは、自説の展開で、「人間」とか「理性」とか言わない。デカルトとかカントとかと大違い。そんで、Dasein=現存在。よくハイデガーの解説書で、現存在=人間とか書いてあるんだけど、ホントなんだべか?ハイデガーが現存在=人間、ってどっかでいったのだろうか? カントのいう理性を持たないなら、うちの猫やひいては獣たちだって、存在(者/物)を感じて、自分たちのを構成しているなんだから、現存在でいいべさ。ただ、猫とおいらでは構成しているが違うだけ。

ウソかホントか知らないけれど、"キリスト教の最大の問題は人間と人間以外の動物の間に太い線を引くということ"(*1)といううわさがある。なんとなくそうだよなぁという印象をおいらも持っていた。つまり、神=イエス・キリストを祀りあげる人間が実に偉そうだ。そして、キリスト教文明から蒸留された近代哲学も、かえってより一層、理性!理性!という観点で、人間を特権化している。

それに対し、シャガールやハイデガーは人・獣非分割路線なのかなぁと感じた次第。啓蒙屋さんから、非理性主義、神秘主義となじられるゆえんではある。

■NY,難民文化村の成果;The Gift! = Das Gift ! = 御承知の毒/贈物だぜ!

    
das Gift        the gift

Eydie Gorme The Gift!(Recado Bossa Nova)


*1; http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20100828


毎週、ロシアかぼちゃの画像を撮っています; 16週目

2010年09月18日 06時24分48秒 | 筑波山麓

ロシアかぼちゃ、本当に、しぶとく花を咲かせています。
涼しくなったので、むしろ、寿命が延びたのでしょうか?

↓いま生っているのはピーマンときゅうりのみ;


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くろさん、四十九日

2010年09月16日 19時49分26秒 | ねこ



くろさんは生まれ故郷の柿の木のたもとに眠っています。
先日、四十九日のお参りにいきました。


くろさん;2002-2010、享年9歳

■(今から思うと下の「2002年の年明けの冬に」は"2002年の年末の冬に"のあやまり)

くろさんについて;
今日はくろさんについて書きます。くろさんは2002年の年明けの冬にやってきました。当時、たぶん生後 3-6ヶ月ほどの中にゃんでした。拾われた家のまわりをほっつき歩いていたそうですが、くろさんの家族らしき黒猫さんはほかには見当たらなかったそうです。どこからきたのでしょうか?くろさんは。くろさんは長毛種です。プチ虫、つまりダニがよく喰いついています。性格は極めて穏健で決してひとに爪をたてません。いい子です。外が好きです。食べてはあそび、食べてはあそびと出入りが激しいので、戸の開け閉めに、ちょっと、わずらわしくなることがあります。くろさんが来たばかりのころは、メスだと思い込んでチヨボと名づけましたが、その後タマタマが明徴化したので、男の子とわかり、くろさんとなりました。


日帝海軍最年少の復員兵、あるいは日帝廃棄物; 木田元さん私の履歴書

2010年09月14日 19時14分50秒 | 日本事情



― ハイデッガーについて聞いた話では、彼はある版を気に入ったそうなのです。「日本語がわからないのに、どうやって確認したのか?」。ハイデッガーは答えました、担当したのは神風特攻隊に志願した元兵士だから、わけがわかっているはずだと。彼らは利口な手に出ました。この翻訳者に連絡し、彼を問いつめたのです。「ちょっと待て。もしカミカゼだったならば、死んだはずではないか」。すると、彼は実に滑稽な言い訳をしました。近眼だったので、船に突撃する際に違う眼鏡をかけてしまい、標的を逃してしまったのだと。 ―  
スラヴォイ・ジジェックのインタビューでの発言;『人権と国家―世界の本質をめぐる考察』

― ハイデガーはソ連戦線が終局を迎えるころになっても、なおも、東部戦線にいた弟子のカール・ウルマーに宛てて「今日、ドイツ人のとって唯一ふさわしい現存在は前線にあります」と書き送っている。(中略)「前線」はハイデガーにとって、つねに「危険の最も外側の硝所」であった。学長演説のなかで軍事的雰囲気をもつことば―危険、苦境、極度の困窮、力、権力、訓育、淘汰、徹底徹尾の突撃、きわめて厳しい明晰さ、といった語彙をよく見てほしい。―
フーゴ・オット、『マルティン・ハイデガー、伝記の途上で』




もちろんおいらは新聞を読まない。先週ある日、仕事で常磐線に乗った。他人の見ている新聞の裏が見えた。廣島原爆のキノコ雲写真があった。こんな古典写真を何度も載せるって新聞ってやっぱりバカなんだなぁと思いつつ、何の記事だんべと覗くと、木田元さんの回顧録だった。すなわち、日本経済新聞でいつもやっている著名人の「私の履歴書」に木田元さんが登場したのだった。なぜ、木田元さんはおいらを呼ぶのだろう。前回は等身大御本尊画像であったのでわかりやすかったのだが(愚記事;日帝の手切れ金)。もちろん、木田元さんはおいらなぞ呼んではいない。あちこち首を突っ込み、キョロキョロしているおいらのセンサーに「木田元さん」が反応しているのだ。対象は認識する者のセンサーに応じて立ち現われるのだ。

週末に公立図書館に行って、日本経済新聞の木田元さんの「私の履歴書」をみた。ただし、”なめるように”は読んでいない。積年の疑問であるなぜ海軍兵学校に進学したのか?を説明しているか確かめたかったからだ。

― なぜ、木田元さんは闇屋ぶるのか?、あるいは、海軍兵学校在籍であったことを”隠して”いた1983年 ―

木田元さんは1990年代以降の回顧では自分は海軍兵学校に在籍していたこと、すなわち大日本帝国海軍に軍籍があったことを普通に書いている。そして、今回の日経での回顧録ではいかに死と直面していたか書いている。しかし、1983年は違った。おいらの知るかぎり木田元さんの最初の身の上話は生松敬三との対談(1979年)であるが(現在、『木田元対談集、哲学を話そう』に収録)、1983年刊の『20世紀思想家文庫、ハイデガー』に詳しくある;

妙な身の上話をはじめることになるが、第二次世界大戦の直後、父がシベリアに抑留されていたので、その頃は十七、八歳だった私が満州から引き揚げてきた四人の家族を養わねばならぬ羽目になり、山形県の日本海岸の小さな町で表向きは市役所の臨時雇やら小学校の代用教員やらをしながら、実質的には闇屋をやって暮らしを立てていた。

と今ではおなじみの木田元物語が披露されている。そして、彼に関する情報が増えた今から見ても"嘘"はかかれていない。でも、普通に読むと自身も家族と一緒に満州から引き揚げてきたように思ってしまう。なにより、木田元さんが、嘘をつかず済む書き方で、そう思わせるように書いたのだ。1983年に書かれた回顧では、闇屋でひともうけして農林の学校に入ったこと。ドストエフスキー、キルケゴールを読み、ついにはハイデガーという哲学者が『存在と時間』という本のなかで、キルケゴールが自己と呼び精神と呼んでいる人間存在のその存在構造を時間性としてとらえ、時間を生きるそのさまざまな仕方を分析しているらしいということを知るに至る。そしてこれは大学の哲学科に入って哲学書を読む特別の訓練を受けなければ読めない本にちがいない、と思い込む(強調、いか@)。

今からこの1983年の文章を読んで不思議なのは、ハイデガーの『存在と時間』を読みたくて哲学を始め、大学に行った、というのはいいとして、なぜ、ハイデガーの『存在と時間』を読みたくなったのか?ということの分析がないことである。

ハイデガーの『存在と時間』では現存在=人間は、「死へ臨む存在」であることがその顕著な属性であるとうたっている本らしい。とすれば、木田元さんの戦争と終戦直後の経験、すなわち、1)将来戦死することを想定した生業に身を投じたこと、そしてその訓練を受けたこと、廣島原爆を目撃したこと;2)終戦直後、原爆でやられた広島を出発に、西は九州から、東は東京までの山陽線、東海道線を列車で彷徨しなければいけなかった日帝の廃棄物であり(参考愚記事;This happens once before, 余計者たちの叛乱)、そして帰るあてのない故郷喪失者であったこと。無蓋の列車から廃墟の街並みを目の当たりにしたこと。これらの死を身近にした経験こそが、木田元さんをハイデガーの『存在と時間』にしびれさせた原因に他ならない、とおいらは思う。なぜかこのことを、1983年には語っていない。

ハイデガーの『存在と時間』は、死へ先駆する決意を充満させていたが、死にそこなった高級 復員兵を呼んでいたのだ。

今度の日経の連載では”成績が悪いと回天等の特攻部隊に配属”などと努力していい成績を取らないと死に近づくという現実に直面していたことを書いている。「死へ臨む存在」!

確かに、木田元さんがハイデガーの『存在と時間』と出会ったのは闇屋時代、あるいは直後かもしれないが、木田元さんと『存在と時間』の出会いを準備したのは、海軍兵学校の経験だろう。それなのに、― なぜ、木田元さんは闇屋ぶるのか?

木田元さんには『闇屋になりそこなった哲学者』という本があるらしい。おいらは未読。文庫本の表紙写真は兵学校時代のものに違いない。ならば、なぜ、『海軍大将になりそこなった哲学者』、あるいは『靖国の英霊になりそこなった哲学者』ではないのだろうか?

▼そして、面白いのは、訓練。ハイデガーは造語と言葉遣いに定評、悪評があるらしい。木田元さんのこの「哲学書を読む特別の訓練」という言葉使いは、お里が知れて、にこにこできる。上記の画像、猛烈訓練にも注目。

なお、のちの木田元さんの猛烈講読訓練の話は、上野俊哉、『思想家の自伝を読む』にある;

ちなみにわたしは大学院の修士課程を木田のもとで学んだが、ゼミ中の木田は本当に怖かった。勉学の態度から語学の能力まで、万事、頭から雷が降ってくる調子の教え方だった。

哲学徒たちは、江田島仕込とは気づかず、"雷撃"を受けていたのかぁ。恐るべし帝国海軍の伝統!