いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ぐるっとパス使用記録6; 北区飛鳥山 方面 ; +西ヶ原旧古河邸

2015年05月31日 19時16分36秒 | 東京・横浜

ぐるっとパス使用記録1; 新宿方面
ぐるっとパス使用記録2;目黒方面、  
ぐるっとパス使用記録3; 多摩方面
ぐるっとパス使用記録4; 渋谷・日本橋方面
ぐるっとパス使用記録5; 府中、三鷹方面

に続く第6弾。

▼ 53 紙の博物館

紙がヨーロッパに伝わったのが12世紀。アリストテレス革命と同じ時期か? 羊皮に書かれたアリストテレステキストと紙に書かれたアリストテレステキストはどっちが多いのか?

なお、紙が発祥したとされる支那から西方に伝わった原因は、唐-アッバース朝戦争(タラス川の戦い)。

▼ 54 北区飛鳥山博物館

石神井川は河川争奪が起こったと展示にはあった。

東北本線は武蔵野台地-東京低地の境(海岸段丘)を走っていると知る。

北区は軍需産業関連施設が多かったと知る。それにしては、墨東地区に比較して、空襲の被害密度は高くないのではないか[ソース]。

ルメイは墨東地区の日本庶民虐焼殺の理由を、「やつらの家は軍事工場だ、殲滅せよ!」と言っていた。

本当の軍需施設は案外残っているではないか!

■ ぐるっとパス 以外;

★ 渋沢史料館 (入場料300円)

この日たまたま、88年ぶりの平和の使者「友情人形」歓迎式典というが行われるのだとういう。

関連愚記事; 黒い目のお人形: なんだ、黒幕は、澁澤栄一じゃないか!

さらに、下記愚記事もよろしく!

1867-1877年に、インドが、日本がイギリスと闘って、それぞれ体制が変わっていった頃(大英帝国とい う経験!)、に志士になるはややトウがたった青年が、政治にのめりこまないで、近代産業を興す人といえば、いたなと思いつき、もしかして、同世代?と思い ググると、果たしてひとつ違いだった。 ウィキペディア 渋沢栄一 テロリストくずれ、である。 (愚記事

青淵文庫 (せいえんぶんこ; google

蒋介石が来たことがあるらしい(1927年/昭和2年)。当然、ホストは渋沢栄一である。写真が展示してある。

渋沢栄一は、1938年の近衛文麿内閣の帝国政府は爾後国民政府を相手とせず」を聞かずに済んだのである。

なぜなら、渋沢栄一は昭和6年(1931)に死んだから。

建物の裏にまわると、なんちってロンバルディア装飾 [wiki] を発見。

★ 旧古河邸  (入場料300円)


新しい街でもぶどう記録;第31週

2015年05月30日 20時17分41秒 | 草花野菜

■今週の看猫

■今週の野良猫


東京都北区王子付近


東京都北区王子付近

■今週の草木花実

■今週の”「江戸」しぐさ”;


google

しばらく前から江戸しぐさへのバッシングが激しい。バッシングの理由は、江戸しぐさなんて所詮「捏造」したものであり、そんなものに価値はない!という主張である。そういう虚を突くことに基づく「ペテン物」撲滅運動というのものを、中二病の頃、あるいは今も?、熱心だったので、へぇ~と思い生暖かく見守っている。

防衛にまわる「江戸しぐさ」普及派も弁解してるらしい。「江戸しぐさが現代になって世間に広まった理由」のひとつの "江戸開城の時、「江戸講」のネットワークを恐れた新政府軍が江戸しぐさの伝承を失わせ、江戸しぐさの伝承者である江戸っ子たちを虐殺した。その虐殺たるや凄まじいもので、ソンミ村虐殺、ウンデット・ニーの虐殺に匹敵するほどの血が流れたと越川禮子は述べている" (wiki; 江戸しぐさ)というくだりには、苦笑し、さらには、元来、薩長嫌い、根っからの反動派の佐幕派であるおいらは涙を禁じ得ない。

でも、伝統というのは、捏造されるものなのである。いや、もっといえば、捏造されることこそが伝統の特級の属性なのである。

江戸しぐさ普及の撲滅に躍起の中二病の諸君! もし、皇后陛下の蚕に給桑に目くじらを立てないようでは、諸君の江戸しぐさ撲滅の情熱は薩長クーデター勢力のプロパガンダの一環に過ぎない!と罵倒されることになる。

なぜなら、薩長クーデター勢力により京都から「拉致」されてきた聖家族は、明治になって日本書紀に書いてある皇后による蚕への給桑という儀式を始めたのだ。江戸時代中期まで日本でまともな養蚕業はなかったのだ。当然、朝廷では、蚕への給桑という儀式は行われていなかったに違いないだろう。明治新政府が取ってつけたように始めたのだ。

伝統というのは、捏造されるものということの教科書的記述はこうだ;

いまトリッキーな伝統主義というふうにおしゃったわけだけれども、これはある意味で実にまっとうな伝統主義だと思いますね。つまり、伝統というのは常に失われたものとして想起され、そのようなものとして捏造され、そのようなものとして賞揚されるわけでしょう。伝統が確固として存在していれば、別にそんなこと言う必要はない。必ず、失われた秩序へのノスタルジーという形で出てくるもの。失われているがゆえに今や断片を拾い集めてコラージュをすることしかできないけれでも、少なくともそれこそが我々のなすべきことだという形で出てくるもの。それがまっとうな伝統主義というものだと思うんです。 [西部邁と浅田彰の対談 (「社会科学における求心と遠心 - 伝統の保守と解体」、1985年、雑誌、理想、4月号)における浅田彰の発言]

米(コメ)もそうだ。近代以前の天皇で田植えなぞした者はいない。

今上天皇陛下は日本で第一に重要な農作物をお手植えになる。儀式そのもではないが、儀式に使うコメだ。コメといえば日本と日本人にとって一番重要な物だ。瑞穂の国というではないか!と、普通のへそ曲がりでない日本人は思うべな。

まつがい。柳田国男もいっているように、コメを食べる日本人は多数派ではあったろうが、半数程度。残りの半数は、貧乏で、コメを食えなかったのだ。

日本人が全員コメを食べられるようになったのは戦時中の配給制度の時である、という説もある。すなわち、近代日本でもビンボーな農業従事者は自ら作ったコメを小作料として納めたり、換金して、より安い「雑穀」を買って飢えをしのいでいたのだ。

日本人みんなが記紀時代からコメを食べてきたと認識している日本人は、少なからず、いるだろう。 捏造された伝統が醸し出す雰囲気にやられているのだ。

なお、宮中歌会始というのは、最も新しい「江戸しぐさ」である。 ニュースで、「古式ゆかしく」っていってるのには嗤える。

■今週の紀州の殿様、おクニ入り 実行

3月7日の愚記事では「紀州の殿様、おクニ入り宣言」に言及した。今週、日曜、実行されたらしい。

自民党の正嫡に他ならない; 百の議論より、確かな一歩!

おいらの見立てでは、今後、安倍ちゃんは習近平・中共とうまくやっていこうとするのだと思う。

愚記事; JapanのLDP=liberal democrazy democracy party = 放埓衆愚党 自由民主党の少なからずの要職は、中国への親近感溢れる方々によって占められているのだ!

方針はパワーポリティクスの原理である。

今回の二階訪中もその一環だ。

安倍政権も習政権も現実主義者である。ただし、大前提がそれぞれ自らの社稷を守るということだ。もっとも、わららが安倍ちゃんの守ろうとしている社稷が「主権国家日本」ではなく、対米従属の戦後レジーム体制になりそうだということ。残念。

なお、「日中関係をめぐっては、3月末から5月初めにかけて自民党の谷垣禎一幹事長や高村正彦副総裁、額賀福志郎元財務相ら日本の要人が相次いで訪中し、それぞれ習主席との面会を求めたが実現しなかった」(ソース)というような指摘があるが、これは、谷垣禎一や額賀福志郎に個人的に問題があるわけではない(むしろ、彼らは親中派である)。二階訪中前に日米関係がうまくいくことになった事実を受けた中国側のパワーポリティクスの原理に基づく対応である。日米が中国に対抗してくるという実際の圧力に中国が対応したのだ。中国は実力には真剣対応し、お花畑みたいことしかいわない「親中派」は実際は腹の中で軽蔑し、まともに対応しないのだ。

まあ、米中二極支配にわららがぬっぽんが食いこんで、日米中のGDP1~3位の談合体制ができれば御の字という安倍政権の考えか。合言葉は、カネ持ち喧嘩せず。

・なお、上記の皇后陛下による給桑儀式において、餌の桑が与えられる蚕についての情報;

飼われているのは、家蚕が小石丸と白い繭の「日中(にっちゅう)交雑種」、黄色い繭の「欧中(おうちゅう)交雑種」、野蚕が日本原産の「天蚕」。(ソース)[強調おいら]

「日中(にっちゅう)交雑種」蚕にも餌をやっているってことだ。

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日帝的鬼子、あるいは、父を求めて三千里

2015年05月27日 19時47分33秒 | 中国出張/遊興/中国事情


 - 日 帝鬼 子 -

日本鬼子といえば支那人が我らにくれる 「尊称」 に他ならない。

極右のおいらは、日本鬼子という称号は、案外、好きである。

なぜなら、蛆虫、などという称号よりましな気がするからだ。

ぬんげんたるもの、同じ忌避されるのであれば、バカにされるより、恐れられる方がマシなのだ!と極右のおいらは思う。


―日帝鬼子: 身に余る御尊顔像 (愚記事より)―

そして、支那人どもは我らがぬっぽんへの称号として、「偽毛唐」(関連愚記事群)だの、「米奴」 (=米国に従属した奴隷)だの、「米尻穴舐め野郎」、などとは言わないのだ。

もっとも、、「米国」(ぬっぽんご)は、現代支那語では「美国」であるので、 「米奴」 (=米国に従属したアメリアの奴隷)は「美奴」となる。

いうまでもなく、われらが倭人が「米帝」というアメリカに向ける罵倒語も、かの国では、「美帝」である。 だから、「打倒! 美帝」となる。 こんな風だ;

 

もし、支那人どもが、我らがぬっぽんへの称号として、美奴 と言えば、うっかり者のわれらがぬっぽんずんは、美しい奴隷とまつがってしまうかもしれない。

而して(しこうして)、現代支那語に従うと、米尻穴舐め野郎は、美尻穴舐め野郎となる。美尻穴舐め野郎と聞いて、うっかり者のわれらが身過ぎ世過ぎの俗流ぬっぽんずんは、美人のケツの穴舐めて生きていければそれでいいではないか!と思うべな。

さて、鬼子に戻る。

日本鬼子と言えば、われわれぬっぽんずんではあるが、日帝的鬼子といえばやつらの「尊師たち」である。

日帝鬼子とは、日帝の鬼子という意味。 日帝の鬼子とは日帝が産み出した鬼子のこと。

現在の日本の「保守」勢力は、支那事変が侵略であるか!?否か!?に御執心である。

でも、われらが大日本帝国の最大の「失敗」は、奴らを出来(しゅったい)させたことである。

つまり、大日本帝国の最大の「負」の遺産は、支那大陸の中国共産党による支配を実現させたことである。

近衛文麿内閣が支那事変を起こした時、奴らはきわめてマイナー(少数派)であった。

それを育てたのが、われらが大日本帝国に他ならない。 育てたどころか、親かもしれない。

当の毛沢東は言っているそうじゃないか;

昭和39(1964)年、日本社会党委員長の佐々木更三は、人民大会堂で毛沢東と会った際、無知にも、次のようなことをほざいてしまった。 「今日、毛主席からひじょうに寛大なお話をうかがいました。過去、日本の軍国主義が中国を侵略してみなさんに大へんご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思います」 

それに対して毛沢東は以下のように答えた。

なにもあやまることはありません。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。おかげで、中国人民は権力を奪取しました。日本の皇軍なしには、わたくしたちが権力を奪取することは不可能だったのです。この点で、わたしとあなたの間には、意見の相違と矛盾がありますね」 (コピぺ元

この毛沢東の発言は有名ではある。 この解釈は、嫌味だ!皮肉だ!というものが主流である。

でも、これは文字通りに受け止めるべきなのだ。 日帝が上海事変の後、支那大陸に深入りした/ひきずりこまれた結果、日帝的鬼子はすくすくと育ったのだ。 近衛文麿が実は、歴史的狡知により日帝的鬼子=中国共産党の出現を待ちわびていたことは既に愚ブログで言及した(帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立発展を期待)、 日本政府 内閣官邸にコミンテルンがいた日々、 国が亡びたのだから、目先の正邪ではなく、挑発にのったことが まぬけ なのだ

さて、現世ぬっぽんの「保守」勢力の最大関心事は、日本の謝罪問題であり、結局のところ、「ボクちゃん、ちっとも悪くない!」といいたいのだ。だから、支那大陸に中国共産党が出来させたことには何ら責任を持とうしないのだ。すなわち、大躍進だの、文化大革命だの、日帝よりよっぽど支那人を殺しまくっている集団=中国共産党を見ても、我らが大日本帝国が戦争に勝って支那大陸を統治さえしていれば、大躍進だの、文化大革命だのもなかったのだ!

多くのいたいけな支那人も大量に死ぬこともなかったのだ!

八紘一宇の実現の失敗だ!

と絶望して壁にアタマをぶつけて死んじゃう「保守」勢力は戦後日本にはいなかったのだ。

■  大日本帝国の最大の「失敗」作=日帝的鬼子=中国共産党は、闘争が本業である。 

struggle for recognition ! = 認知闘争。 人間たる本質である。

日帝的鬼子は、とうちゃんに会いたかったのだ。

  (アタマがいか@レテイルおいらが思うに、毛沢東って、日帝が大好きだったんだょ。 まつがいない。

中国共産党の長征こそ、父を求めて三千里の一里塚に過ぎなかったのだ。


 - 日帝的鬼子、父との再会 - (でも、ぬっぽん父は役者不足ではないか!)

最近のやんちゃっ子(日帝的鬼子孫)のキム・ジョンウンの側近粛清は、支那風ではない。毛沢東とは正反対である。どういう意味かというと、キム・ジョンウンの側近粛清は、権力の消費、なのである。その粛清によって権力は増大しない。

一方、毛沢東の闘争は「敵」をうまく選ぶ。その敵を選ぶ条件は、その敵との長期的闘争で自らの権力を増加させる、自分への求心力を高めることにある。

文革をみればわかるように、毛沢東は政敵の劉少奇を瞬殺しなかった。むしろ、わざと殺さず、元々味方でなかった者どもを劉少奇討伐に向かわせる動員を実現させた。

この毛沢東の闘争の基本は対日戦争からそうであり、当時マイナーでしかなかったセクト=中国共産党を、日帝を敵として、闘争のため全中国を動員していったのだ。

われらが大日本帝国こそいい面の皮で、中共出来の出汁にされたのだ。


▼ 父を求めて三千里

ネットで拾った画像。 日帝最後の皇帝に会ったのは、さんでした。

 


ぐるっとパス使用記録5; 府中、三鷹方面

2015年05月24日 19時09分35秒 | 東京・横浜

ぐるっとパス使用記録1; 新宿方面
ぐるっとパス使用記録2;目黒方面、  
ぐるっとパス使用記録3; 多摩方面
ぐるっとパス使用記録4; 渋谷・日本橋方面

に続く第5弾。

▼ 70; 神代植物公園

薔薇地獄絵10枚貼ります;

以上、薔薇地獄でした。

森もいいです。つくば洞峰公園より樹木密度高いです。

▼ 68; 三鷹市山本有三記念館

設計者不明、設計費用不明と案内の人に聞きました。発注者は清田龍之助で、1926年建築(web site;山本有三記念館より)。昭和恐慌直前です。昭和恐慌で没落した清田龍之助が手放し、山本有三が購入。購入価格不明。これも案内の人に聞きました。

▼ 66; 井の頭自然文化園




新しい街でもぶどう記録;第30週

2015年05月23日 21時17分53秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

丘陵地である近所にも田んぼがある。初めて見にいった。

■ 今週の subject to ; あるいは、従属よい子

われらが安倍ちゃんが、ポツダム宣言関係でなんかあったんだってね。ニュースを見ないので、知らない。お相手は、日帝陸軍将軍さまのお孫さまとのこと。

でも、現在、ポツダム宣言の主旨を忠実に実行し、対米従属を深めているのが、われらがなんちってウヨの安倍ちゃん政権ではないだろうか?

むしろ、安倍ちゃんをウヨよばわりしている「バカサヨ」こそが、「やっぱり安倍政権は、大国主義で、世界に存在感を示しているのだ」という「保守」勢力の認識を手助けしている。 すなわち、左に批判されるといいことは、本当に右なんだ、ってことだ。

もっといえば、偽右翼に過ぎない安倍政権を、右翼政権だと左翼が喧伝しているのだ。 つまり、安倍政権の偽右翼性を左翼が隠蔽しているのだ。

おいらのポツダム宣言に関する記憶は以前に愚記事に書いた。小学生の頃みた映画「日本のいちばん長い日」での記憶;

それで、畑中少佐を 演じていたのが黒沢年男。畑中少佐は終戦に反対。映画では、阿南陸相にポツダム宣言をめぐって、文章に 「subject toとあります!」と叫んでいたシーンが印象的。しかし、別の本によれば、「畑中少佐はあの黒沢年男のように熱情的な男ではなく、冷静・知的な軍人だっ た」とのこと。畑中は終戦に反対し、最後はビラをつくって、市井に撒いて、最後の最後は自決。ビラを撒く軍人というのもなにか皮肉なものだ。 (愚記事; 岡本喜八 日本のいちばん長い日  )

もちろん、小学生の時に「subject to」を聞き取れたわけではなく、映画の状況からポツダム宣言の文言に何か受け入れがたい恐ろしいことが書いてあるのだなぁ、とは分かった。この映画を2度めに見た20代後半に、改めて、そのシーンをみて、記憶し、今に至っている。

(なお、本土決戦派という戦後的価値観で一番のキチガイをこの映画で見て、おいらがキチガイになったことは以前書いた⇒愚記事、佐々木大尉=天本英世おいらが自分の中にキチガイが入った瞬間のことを覚えている。


 subject to

おいらは、日本が再び戦争ができる国になることを希っている。 

なぜなら、戦争する権利=戦争しない権利を有し、「つまり共同体の運命の主人公として、滅びるのも栄えるのもすべてそれを自分の意志に由来するものとして引き受けるという覚悟」(江藤淳、「 「ごっこ」の世界が終ったとき」、『一九四六年憲法―その拘束』に収録)を持って生きた方がいいと信じるからである。

カナダだって、スエーデンだって、どこの国だって、そうだろう。

だから、自国の戦争は自己本位でやるべきだ。集団的自衛権も、自国のために必要なら、行使すればよい。でも、まずは、自国の本土を守るための軍事力と法整備(日本が再び戦争ができる国になること=交戦権の保有明記とその権利の制限の法的明記)が必要だ。

今、日本国自衛隊は、米衛隊だ。

官軍は、在日米軍である。

 もちろん、自衛隊は賊軍ではない。ただ、官軍たる在日米軍より、格下扱いなのだ。

その証拠に、勲章。 戦後在日米軍の司令官で勲一等旭日大綬章(現在日本の最高の勲章)をもらったのが200名を超えているとのこと。そして、何よりびっくりしたのが、自衛隊関係者は誰ももらっていないとのこと。自衛隊関係者が貰うのは、瑞宝章という階位。公務員がこのカテゴリーに入るとの理由で 自衛隊関係者は瑞宝章をもらう。でも、瑞宝章は旭日大綬章より「格下」なのだ。愚記事) [1]

自衛隊が米軍に従属し、主権国家たる本質の交戦権を制限されている状況は、ポツダム宣言の忠実なる実施の結果である。

「戦後レジーム」に他ならない。 これまでは、自衛隊の従属性は、つまりは米衛隊の活動範囲は日本に限られていたが、こんどは日本以外にも及ぶのだ。極右のおいらは日本軍が海外でがんばってくれるのは大歓迎だ。でも、米軍支援なんて、情けないじゃないか。

まずは、自国軍を創設し、自国を自己本位で防衛しないといけない。当然、外国軍隊にはお引き取り願う。一国防衛はコスト上、あるいは、重武装になるので問題なら、自国軍を創設した上で集団的防衛ができる条約を締結すべきだ。

 [1] 勲章の責任者は天皇陛下。そのひろひとさんが、東京大空襲の責任司令官のルメイに勲一等旭日大綬章を授けたり、勲章問題ではないが、「廣島原爆はやむを得ない」と言ったり[証拠動画]、そもそもマッカーサー憲法を発布したり、つまりは、「戦後レジーム」の守護神なわけであり、尊王極右をいじめる絶好の死角なのであるが、”左翼”のみなさんは、やさしいのか、そこを突かないよね。

ってか、”左翼”のみなさんは、本当は、天皇陛下大好きなんだよね。

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ある戦争画: 藤田嗣治の肖像素描画;「戦場の女」@最初

2015年05月21日 20時11分58秒 | 日本事情

2度魯迅に会っている林芙美子は、魯迅が死んでまもなくの頃、藤田嗣治 (愚ブログ関連記事群) に肖像素描画(ポートレイト・スケッチ)を描いてもらっていると、おいらは、今週知った。

昭和13年、漢口攻略戦のときである。

従軍作家たる林芙美子が、従軍画家たる藤田嗣治とすれちがったのだ。

大日本帝国のありし日のひとこまではある。

藤田嗣治による林芙美子の肖像素描画は、林芙美子、『戦線』 (昭和13年刊行、朝日新聞社)で見つけた。

古本屋から通販で買ったのだ。 

林芙美子が漢口攻略戦に参加して、漢口に「一番乗り」した話の本があると知って、求めた。

でも、朝日新聞社刊、とは知らなかった。

朝日新聞といえば、時流のおためごかし的大義を唱えては、商売してきたやつらだ。

宗主国米国が嘯く"民主主義"の体制下では 、民主主義を! (← 今です。)

大日本帝国後期の大衆社会では、戦争翼賛を! (← 戦前です。)

朝日をはじめとする近代大手新聞社は戦争で発行部数を伸ばした。 特に「15年戦争」で。軍隊は日本国内各地 方で部隊化され中国だの南方だのに出征する。つまりは郷土の部隊だ。 あの部隊はどこそこを占領した。この部隊は玉砕した。仙台の部隊は快進撃だ!、札幌 の部隊はアッツ島で玉砕した!。なんとか少尉は千人切りした軍人の鏡だ!、なんとか二等兵は戦争がいやになって仙人になった国賊だ!などと報道するのであ る。息子や夫を戦地に送っている家族は必死に消息を知ろうとするから新聞を購読する。郷土の部隊の消息を知り、応援するために。 愚記事より)

林芙美子、『戦線』は、朝日新聞社 漢口 刊行物なのだ。

われらが極右の諸君! 朝日を消せ!(google)というではないょ。

半位相ずらせば、朝日は、宣戦大詔謹解、朝日新聞社刊シンガポール陥落を祝い、何より、米英撃滅国民大会を主催した、そして、戦線(当愚記事)を出版する、本質的に、お調子者なのだ。

汎日朝日と反日朝日は、sinとcosみたいものだ。π/2の位相差しかないのだ。

そして、お調子者のおいらが買う本は、やはり、朝日新聞社刊だったのだ。 うかつだったよ。


朝日のような夕陽、夕陽のような朝日;

きれいはきたない、きれいはきたない;

さぁ、朝日のような夕陽を連れて、飛んでいこう;

世の中のイロハではないか!

さて、林芙美子。

朝日新聞社の仕立てた無線発信設備を備えたトラック(アジア號、という名前)で南京陥落の後、漢口へ逃げる蒋介石軍を追撃する皇軍に追従。

 薔薇色の澄んだ夕焼がの兵隊たちの顔を赤く染めています。私はここへ今夜は露営するのかと思っていましたところ、渡辺さんは「もっと前進するんだ!新州まで飛ばせ!」と寺田君に命令をしています。暗い凸凹道を、一つになったフット・ライトでアジア號はぐんぐん進んで行きます。ダウンと、何かに乗りあげては突き進んでいますが、この狭い道では、何度となく支那兵の死體の上を乗り超えて行きました。

支那兵の屍を乗り越えて、漢口に乗り込んだんだよ、林芙美子。

林芙美子は、戦争の使命を語る;

 ねえ、この戦争の使命は、老いたる大陸に一つの新しいバイブレイションを捲きおこすのですよ。兵隊は実に元気です。

そして、漢口で、林芙美子は藤田嗣治に肖像素描画を描いてもらったのだ。

なお、藤田嗣治は、漢口陥落後、船で、「のんびり」来たらしい。

林芙美子、『戦線』、朝日新聞社、昭和13年刊行、にある、藤田を写した写真。

そして、林芙美子は、自画像も描いて、『戦線』に載せている;

■ 藤田嗣治の描画;「戦場の女」たち@最後

藤田嗣治の「サイパン島同胞臣節を全うす」は、彼の最後の戦争画とされている。

戦場の女たちが描かれている。

1938年の最初の「戦場の女」は牧歌的作家ではあった。

「サイパン島同胞臣節を全うす」の戦場の女たちは、みんな、死ぬのだ。

もっとも、「サイパン島同胞臣節を全うす」は内地で、描かれた;


google 画像 藤田嗣治 サイパン島同胞臣節を全うす。 この絵は、東京国立近代美術館に常設展示。いつでもみれる。「アッツ玉砕」と同じブースにある。

関連愚記事; ♪~♪~ 夏休みには二人してサイパンへ行ったわ~♪~

 

 


新しい街でもぶどう記録;第29週

2015年05月16日 17時53分10秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相斜面&草木花

武相斜面でもジャガイモの花を見た。 これからなるであろうイモの実に土地代を加味すると、筑波山麓の数倍だ。

■ 今週の「なんで女性画家はみな眼鏡美人なのだろう」

いやいや、違うだろう。 篠田桃紅さんがいるではないか! 裸眼の美人女性画家。

でも、のち、眼鏡。 老眼なんだよ。 

眼鏡美人には、近視眼鏡美人と遠視眼鏡美人の2種類いるのだ。

■ 今週の国宝、重文

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朝香宮邸1
朝香宮邸2
朝香宮邸3

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pseudo birds / 偽鳥

2015年05月14日 19時55分39秒 | その他


-都内、目黒区にて-

■ 今日知ったこと;

林芙美子は2度魯迅に会っている。二度とも、上海にてである。

知った理由は、平林たい子、『林芙美子』に書いてあった;

尚この旅行の終わりに、「巴里日記」にはないが彼女は上海で魯迅と会見した。

この「巴里日記」とはフィクション作品としての林芙美子の1931年ー1932年のパリ滞在記。これとは別に、「一九三二年の日記」という"ノンフィクション"がある。作品ではなく日記で生前は非公開。現在は読むことができる(「林芙美子 巴里の恋―巴里の小遣ひ帳、一九三二年の日記、夫への手紙 」[Amazon])。その「一九三二年の日記」にも魯迅との会見の記述はない。というか、魯迅と2回目に会った1932年6月の日記は欠落(4/25~6/30の部分が破り取られている)。

つまり、林芙美子はパリの帰りの1932年6月に上海で魯迅と会うのであるが、この1932年6月という時期は既に上海事変(関連愚キーワード)が起きた後ではないかと、おいらは、気づく。 ネット探すと有ったよ。 林芙美子の魯迅会見の思い出(雑誌「改造」1937年4月号、魯迅追憶。魯迅は1936年(昭和11年)10月に死んだので、その追悼だ http://web.fukuyama-u.ac.jp/rcosr/suishin/report/09/pj5/pj5-1-3_2.pdf)。「魯迅氏は上海事件の後のせいか非常に疲れたような顔をしておられた」と林芙美子は書いている。

こう書いた1937年4月から半年後、林芙美子は南京陥落に乗り込むのである。

林芙美子が南京入城の際、ある男性に肩車されていたそうだ。そして、その後、その男性との面会を謝絶している。 公知だが、おいらは、現在、詳細を調査中。

■ なお、魯迅との会見の1度目は1930年(昭和5年)。稼いだ金での最初の海外旅行でのことだ。

愚ブログ; 魯迅関連記事

 


廃名を掲げる看板

2015年05月12日 20時30分03秒 | 東京・横浜


  -東京都新宿区下落合にて-

おいらが生まれた札幌にもヨドバシカメラはあるらしい。マルチメディア札幌というのだそうだ。じゃー、札幌っ子にヨドバシカメラってどこの会社か(どこが発祥か)?って聞くと、東京!と即答できるか不明。おそらく、大阪との回答が多そうなきがする。淀屋橋と勘違いしているに違いない。

ヨドバシ=淀橋って歴(れっき)とした東京の地名。でも、今じゃ、東京人でも知らないかもしれない。

淀橋って、戦前じゃ区名にもなっていた。淀橋区。

淀橋、廃名。 今じゃ地名に全く残っていないようだ。

その点、荏原区だった荏原は町名としては残っている。