先日買った本を読んだり、参照したりしている。
『ちょっとだけ、考える-思想という劇薬-』
『東アジア・イデオロギーを越えて』
『韓国学のすべて』
■『ちょっとだけ、考える-思想という劇薬-』
思想好き万人向け。アニメ、勉強、国際化、教養、平等、愛、女性、大衆、哲学思想、アングロサクソンなどの一般的項目について、古田氏のこれまでの知識、学識でコメント。アマゾンの中古で300円なのに、先日来まだ残っている。
彼から知った視点は、「中華と事大」。「事大」という言葉の意味を観念的に認識していた。おいらの辞書には、事大的:物事のよしあしを自分で考えるのではなく、力の強いものにしたがって、自分の安全を守る考え方、とある。つまり、こういうことだ。
[脱線]岡崎研究所のおにいちゃんが、名前忘れた、国家の独立と国家の安全を天秤にかけなければならないとき、国家の安全が優先する、とテレビでいっとった。やっぱ、いのつあってのものだね、だべさ。そんなら、鷹は群れず!!とかかっこつけないで、寄らば大樹!とか、長いものに巻かれろ!とか言えばいいんでねーべか?[脱線終了]
さて、戻って事大。事大は大に事(つか)えること。こういうと即物的にわかる。つまり、「事」には仕えるという意味もあって、それをおいらが知らなかったのね。近代朝鮮の事大党もこの「事大」。反対党は独立党。朝鮮事大党は清の影響下で、柵封を受けて李朝の安全維持を志向。
この「事大」概念は、現在の日本の米国への従属体制を考えるうえで、イメージ喚起的。
朝鮮事大党は清の影響下で、柵封を受けて、李朝の安全維持を志向。
↓
「日本」自民党は米国の影響下で、交戦権放棄憲法を遵守し、「日本」の安全維持を志向。
■『東アジア・イデオロギーを越えて』
東アジア「儒教文化圏」の混乱化の説明。from Confucian to confusion!
いろいろおもしろいことが書いてあるが、今日は1点。
第二章 優越と連帯 ---東アジア中華思想共有圏における日本アジア主義の軌跡
ポイント:各々が中華意識を持ち(中華思想の分有)、自己完結的な国家である中国、韓国、日本、そしてベトナムが、各々が盟主意識を持っているが故に他国といかに「連帯」できないかについて。特に、日本が盟主となった近代をケーススタディとして、明治から大戦時のアジアをめぐる思想、特にアジア主義、の整理。
脱亜入欧とか大アジア主義とかスローガンが耳についている各思想の比較整理。本で言及されているのは、福澤諭吉、北一輝、尾崎秀実。
近代日本、特に先の大戦時に、日本は自国を「皇国」自己認識し、つまりアジア諸国にその所を得るように差配する、つまり「所得」分配をするほどえらいと思うようになった。皇国思想。
上記3人は「皇国思想」外の思想家。その位置付け。3成分分解。日本優位、アジアとの連帯、欧化(当時欧米文明・近代文明が圧倒的だったので、欧米文明を摂取することは、上記の定義より、事大となる)事大、の3軸を設定。 例えば福澤諭吉(後期)はアジアとの連帯をやめ欧化し、かつ日本の優位をも主張。一方極端なのが尾崎秀実。マルクス主義をアジアに適用、アジア共産圏を夢想。その夢想では日本はそのアジア共産圏に奉仕する一地域となる。故にその夢想のなかでは日本「国家は死滅する」。売国奴。
(このパラグラフ尻切れ。いつか追記する。)
↓古田が言及した福澤と尾崎をプロット。大川はおいらが追加。21世紀の売国奴について考察。
■上の図をつくりながら思いついたのが、最近の資本のグローバル化で資本や企業の国籍とか国民文化を問わなくなると、アメリカ覇権下での国際資本のアジア支配というシナリオがありうるのではないかということ。アメラジアンとはAmerica と Asiaの複合語である。このアメリカ覇権下での国際資本のアジア支配下で国籍なしのは資本と国籍なしの賃金労働者が資本制で存在する剥き出しの資本主義が生じるシナリオである。このとき、中国人もコリアンも日本人もなくなる、つまり国民国家や国民文化がなくなる。文化はアメラジアン文化である。今のシンガポールみたい。「日本」の知識人もリークワンユーやマハティールのように「ちゃんと」英語で発信せねばならない。