いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

毎週、ロシアかぼちゃの画像を撮っています; 9週目

2010年07月31日 08時45分35秒 | 筑波山麓

ロシアかぼちゃ。いつもとは違う株の画像。花が散発的に咲いてます。朝4時頃咲きます。8時半にはもうしぼんでしまいます。

ぶとうさん;かなり色づきました。


キンカンの花が咲いてます;



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若栗

2010年07月29日 06時15分52秒 | 筑波山麓


ひとんちの栗畑。

借金900兆円 踏み倒せばいい

とかいうけど、だめだろう。

他の国から借金した外国債ならば踏み倒せば国際紛争になるが、日本の場合は95%が内国債なので安心です。と言っている。

だからこそ、中国は日本国債を買い集めれば、日本の債権者となって日本を買収できる。今国債を持っている日本人は中国に売り払って、カナダとかオーストラリアとかに国外逃亡。貧乏日本人が残され中国の属領民になる。

日本が米国債をいくら買っても米国は全然上記のような不安にかられないのは軍事力があるから。やくざに取り立てにいく債権者はいない。これから半世紀後に日本におきることは、やくざが債権者として日本に取り立てにくる。

もっとも、「貧乏日本人が残され中国の属領民」にあるよりは米国の属領の方がましだ、というのが現在日本国民の大勢なんだろう。でも、借金を増やし続けると、中国以外に債権を買ってくれないよ。そうすると、やっぱり、貧乏日本人が残され中国の属領民となる。



さて、何の拡大画像でしょう? 

2010年07月25日 19時44分36秒 | その他

さて、何でしょう? ある食材の拡大画像です。
口に入るときの形態がちょっぴり残っています。














おこたい;



かつおぶしの切削断面です。





昨日の記事でかぼちゃがちっちゃくしかならなかったと書いた。
あの後スーパーに行ったら、ちびカボチャが売っていた。
もしかして、あのカボチャはそもそもこの種のものだったのかもしれない。

▼(ベタな)ツッコミ;

Chikirinブログ;縄文人の勝ち

「そんな状態でもオレは幸せだった。」と各時代の人が言うんだけど、根拠なし。”オレの時代に比べて、今の若者は幸せのありがたみがわからないバカ野郎だ!”という愚痴は根拠ある。よく聞くから。ちなみに、目の前にある現象が過去の時代も生じていたはずだという思考方法を斉一説という(wiki)。

江戸時代より前の前近代の人たちは自分の経験の範囲内での世代間格差がなかったので、”オレの時代に比べて、今の若者は幸せのありがたみがわからないバカ野郎だ!”と思わなかったのだろう。さらには歴史的知識もないのだから、過去と現在の自分の生活状況をそもそも比べられない。

(この時代ごとスライスというのも、みんなが抵抗なく受けい入れるが、実は根拠なしの観点だよね。経済・社会的条件(物質的・快楽主義的条件)は人間の幸・不幸に大きな影響を及ぼすのだろう。一方、実存的観点での、幸・不幸という問題もある。いつの時代にもヨブはいるんだろうし。

全然関係ないけど、おいらなんか耶蘇・猶太でもないのにひどい皮膚病に襲われちまったぜ。これも、サタンの仕業なんだべか。それにしても、おいらはがきんちょの頃から天を呪っていたのに今さらなすてサタンさまがいらしたか謎ではある。)

一方、「今の若い者はなっとらん」とメソポタミアだかどっかだかの文明の石碑に書いてあったらしいので、若者が幸か不幸かという観点ではなく、若者へのぐちはいつの時代もあったのだろう。

おいらの極私的感想としては、今の若者かわいそう、である。なぜなら経済成長がないせいで、窮屈を強いられているからだ。今の若者のかわいそうな点は与えられた愚行権があまりに少ないこと。みんな愚行という遠回りなどせず、一直線だ。就活なんて単なる椅子取りゲーム。時間・労力・根気の消耗合戦。自分が充実するわけでもなかんべ。愚にもつかないことを強いられている、愚行権もないのに。

でも、世間知らずの是正、"偉くなれる"最低権限、(非正規こき使っていい給料の)正社員という"貴族"身分などを確保できる。喪失と成熟!。でも現代日本の(非正規こき使っていい給料の)正社員って全然"成熟"してないと、おいらはぐちりたい。

バブル(という言葉は当時なかったが)の頃学生だったおいらが幸せだったのは就職なんて(簡単すぎて)考えなくてよかった。安心して"貧乏"ができた。世の中が"豊か"だったからだ。景気がよかったからだ。世の中をなめていた、今もなめている。世間知らずだ。ちょっとその気になれば職なんてすぐ就けると考えていた(し、事実そうだった)。ちょっとその気になれば"貧乏"なんていつでもやめられると考えていた。

でも今、40過ぎてバイトでびっくりだ。罰が当たったのであろう。でも、別にバイトでもいいけど。


毎週、ロシアかぼちゃの画像を撮っています; 8週目

2010年07月24日 09時04分13秒 | 筑波山麓

今週、花が咲きました。第二波です。


近所のホームセンターで買った苗からできたカボチャ。
大きくならないないで終了。収穫しました。
食べられません。観賞用です。縮尺のインゲン豆は10cm。

ぶどうさん;少し色づいてきました。


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第一に、生を呪うため。

2010年07月22日 06時03分21秒 | 草花野菜
 
  ―名を知らぬ花―

■先日来福田恒存全集(1987年刊行)をbrowseしている。一方、ネット情報により、恒存には昭和24年(1949年)に刊行され上記全集には収録されていない『否定の精神』という著作があると知る。⇒wiki:福田恒存

自らを赤裸々に語った批評集とか説明してあるので、さっそく購う。

いきなりこれだ;

     なぜ生きるか

一番答えにくい質問だというが、ぼくにははっきりわかっている―

第一に、生を呪うため。

第二に、生が呪いにあたいするものだということを証明するため―

(以下略)
 from 麗澤大学出版会、『否定の精神』(amazon

いいね、恒存。それにしても1987年になぜこれを"隠した"?

ゲルマン人の"武智鉄二"っているのかな? that is my question

2010年07月18日 12時03分04秒 | その他

 ― 昨日から夏になった。昨日の筑波山麓 ―

懸案だった、闘いうどん氏の『福田恒存 VS 武智鉄二 ―西洋か伝統か、それが問題だ!』を読むことにするということを先週木曜日に書いた。読むこととオマージュをささげることは大違いなので、苦労する。今回闘いうどん氏作品を読んで、福田恒存全集をひっぱりだそうとしたことが収穫。『近代の宿命』、『芸術とは何か』などをbrowseする。それで、思いついたことを書くことで、闘いうどん氏作品オマージュとしてささげるかわりとする。各段落に論理的流れはない。あくまでも、思い付き。

ゲルマン人の"武智鉄二"っているのかな? that is my question

『福田恒存 VS 武智鉄二 ―西洋か伝統か、それが問題だ!』の要点は、現行演劇における主要素を「西洋」に求めるのと「伝統」に求めるのとどちらに価値があるかとういうことをめぐる論争についての議論。ところで、演劇という芸術は言語的要素(せりふ)と非言語的要素(音楽、舞台装飾)から構成される総合芸術である。福田恒存 と 武智鉄二は「西洋」対「伝統」という対立軸とあわせて「言語」か「非言語」という対立軸もある。

なぜ、福田恒存が「西洋」・「言語(せりふ)」を重視するのかという闘いうどん氏の説明が福田が近代の確立を図りたかったからだというものだ。つまり、この論文はもう演劇論などに収まるものではなく19世紀以降の日本の芸術を含む文明状況における「西洋」対「伝統」について語ることを意図しているものととれる。もうおいらの手に負えない。さらには、物部氏蘇我氏の争いにもつうじているというのだから、何も近代日本の運命ということばかりでもなく、列島における外来と土着の抗争史に一般化される仁義なき試みと知るや、ただ恐れ入るばかりである。

そこで、福田恒存の『近代の宿命』をbrowseすることと闘いうどん氏論文への思いつきを書くこととする。

・ここで驚くことは『近代の宿命』における福田恒存と『福田恒存 VS 武智鉄二 ―西洋か伝統か、それが問題だ!』における闘いうどん氏の相同性である。すなわち、イエス・キリスト、キリスト教、中世、トマス・アクイナスなど前近代から掘り起こして西洋近代を語る福田の動機の説明が"小説を、読みあさる一介の常識人にすぎぬ。ただ明治以来の近代日本文学にとって古典となった十九世紀末葉のヨーロッパ文学に源泉をたづねようとするこころみが、おのづとルネサンス以後の近代ヨーロッパ精神史へとぼくの関心をそそったまでである"と自称している。この積極的な超事大主義。いや、実は違うのだ。小説は福田にとっては入口の口実にすぎないことは明らかだ。一方、現行日本演劇を入口とする闘いうどん氏はどうなのだろうか?

・突然だが最近読んだ本に「ヨーロッパは哲学文明」だと書いてあった(『天使はなぜ堕落するのか―中世哲学の興亡』)。そうかもしれない。伝統的なヨーロッパ文明の基盤はキリスト教とギリシア哲学と言われる。別にヨーロッパを構成する主民族であるゲルマン民族の民族性は考慮されていない。つまり、ソクラテスの時代にも、イエス・キリストの時代にも、アウグスティヌスの時代にも、ニーチェやハイデガーやヒトラーの御先祖さまたちはどこかにいたんだろう。けれども、ヨーロッパ文明には寄与していないし、そもそも関係ない。"蛮族"だった彼らはローマ帝国に押し入って、キリスト教に調教、馴化されたのだ。この時、ゲルマンの土俗性の大部分が失われたのだろう。つまり、ゲルマン民族だって、キリスト教、ギリシア文化は外来文化のはずだ。

・でも調教、馴化された"蛮族"はキリスト教を信じ、ギリシア哲学を読み継いできたとされる。もっとも、ギリシア哲学の読み継ぎは連綿したものではないことは以前、書いた。このキリスト教・ギリシア哲学も2つ相携えてというわけではなく、むしろ、キリスト教が論理的なこと、現実(自然)を無視していることの哲学からの挑戦だった。そしてこの哲学からの挑戦に応戦したのが中世神学者たちで、トマス・アクイナスたちらは"蛮族"の出であった。中世に至って、"蛮族"はすっかりキリスト教プレーヤーになったのだ。福田恒存が、演劇はなかったが、神という絶対者の元で生活者であることをほめそやす時代、演劇など不要な幸せな世界、中世である。ここに至ってゲルマン人の西洋(ヘブライズム・ヘレニズム)同化の伝統が根付きはじめる。闘いうどん氏は"福田の手足となり血肉となったのは、「伝統」ではなく「西洋」だったのだ"と書くが、正確には「伝統」ある「西洋」である。闘いうどん氏の指摘する五節問題は日本の伝統。そもそも、西洋か伝統か、それが問題だという軸が問題だ。問題は、西洋か伝統かという軸と、土着かトランス民族文明(あえて普遍とは言わない)という軸と、2つ以上の分解軸が必要。

「伝統」ある「西洋」を実践する恒存;"蛮族"が古典ギリシア語文献を必死にラテン語に翻訳した(愚記事;12世紀ルネッサンス、アリストテレス翻訳事情 )。普遍的文明の継承である。伝統の遂行!一方、福田恒存はシェークスピアを翻訳することに注力した。100年後の日本語文明において(もしまだ存続していたらの話だが)注目される福田の業績はシェークスピアの翻訳集に違いない。そのころは、「進歩的文化人」とか「正統かなずづかい」とか何の事だかわからなかくなっているだろう。さらには、福田はギリシア劇の翻訳もしている。まさに、ギリシアから連綿とした西欧文明という「捏造された」伝統を信じている(演技をしてる?)。福田は日本人もがんばれば伝統ある西洋文明に連なれると考えていたのだろうか?

・闘いうどん氏は書く;

しかるに日本はどうか。福田の下す結論はつぎもようなものだ。<<いまや、ぼくたちはぼくたちの立っている位置をはっきりと見きわめている。神と理想人間像なくして、個人の確立もその超克もありえぬことを。また肯定すべき、あるいは否定すべきなにものもありえぬことを。そして獲得すべき、あるいは擲棄すべき、いかなる夢もありえぬことを。(中略)>>
 この言葉を正確に理解するのは六ヶ敷い。いや不可能といったほうがいいかもしれない。日本は西洋ではないから、個人の確立なぞ絶対永久にありえないというのか。それとも西洋が通過した道を忠実になぞって、もっと西洋化を推し進めて、なんとしても個人を確立せよというのか。いますこし福田の思想の跡をたどってみよう。


たどられた福田の思想とは、「演戯とはありのままの自分からあるべき自分になること」だそうだ。そしてギリシア人というのはありのままの自分を自覚しながら、本来の自分はこんなはずではないという考えから、よごされた人間を演戯した、とのこと。一方、キリスト教の時代では神を司る教会に身をゆだね、演戯をやめ自らすすんで演出権を放棄する、とのこと。

この福田によるポンチ絵的解説はヨタではないだろうか。なぜなら、ゲルマン人は古典ギリシア時代にどんな踊りや芝居していたかはわからない。ゲルマン人はキリスト教に洗脳されて演戯はしなかったとしても、「自らすすんで演出権を放棄」という事実は証明されていない。福田によるポンチ絵的解説の原因は簡単に推測がつく。近代ゲルマン人の図書館の棚にギリシア文化・キリスト教の本が並んでいるからだ。後世捏造した系譜を本物と思い込んでいるのだ。

芝居と生活術
福田のポンチ絵も結果的にはそうずれていないかもしれない。なぜなら、時代が経るにつれ、あるいは戦乱などの非常時には、人間社会は伝統的な行動、ステレオタイプ的、紋切型行動様式の必然性が薄れ、恣意的な行動、他人の意表をつく行動の必要性が高まったと推定される。例えば、戦国武将、あるいは江戸初期の徳川将軍は能に耽溺した。それは唯美的動機からではなく、自らが芝居としての政治をしていたからだ。自分の演戯の稽古をしていたのだ。能のやり過ぎで(出費が激しい)周囲が困ったのが伊達政宗、徳川綱吉。彼らは演技派の武将だった。みぶり、せりふという狭い意味だけではなく、戦争、和議、交渉などに筋書きを作り、自己演出していった。なぜここで、こんな例を持ち出したかというと、福田恒存の言う、演戯は絶対者としての神と人間の関係におけるなんちゃらかんちゃらってヨタなんじゃないのかと感じたからである。

おしゃれなカラス
おしゃれなカラスという題の寓話がイソップ童話にあったと思う。話は、鳥の世界で誰が一番美しいかというコンテストをやることになった。白鳥か?孔雀か?当日会場には見たこともない鮮やかで麗しい鳥が現れた。優勝だ。でも、ある鳥が「この羽のひとつは私の羽根だわ」と気付く。みんなが私の羽根、私の羽根と麗しい羽根の一本、一本を抜いていくと、そこには真っ黒なカラスが残ったという話だ。黒いカラスが美しくないのか?というPC(political corerctness)問題は置いといて、ヨーロッパからさかんに文化・文物をぱくってきた近代日本こそこのおしゃれなカラスに他ならない(おいらはかつて、「文明」乞食使節団なんて言ってるね、まぁ、お上品なこと)。

そして何より、実はゲルマン民族こそ、おしゃれなカラスにほかならない。なぜなら、ギリシア文化だって、キリスト教だって本来関係ない。ゲルマン民族から自生したものではないからだ。このことに気づき、わめいたのがニーチェだと思う。キリスト教批判。ハイデガーもその系譜だ。西洋哲学の系譜を暴露する。そして、残った真っ黒なカラスというのが、ヒトラー・ナチズムだ。おいらの妄想は膨らむ。ニーチェとナチズムは理論上は結びつかないとされているが、この麗しい羽根の一本、一本を抜いていくという実践の点で結びついているとおいらは睨んでいる。ここで重要なのは、ニーチェは自分で自らの取って付けた麗しい羽根を抜いていったのである。これは、イソップ童話のおしゃれなカラスとは違う。自生した自己否定!ニーチェが「この羽のひとつは私の羽根だわ」と気付いたのは、ニーチェが古典文献学者だったからだ。やはり、学問は必要だ。破壊のために。なお、ナチズムというのはイギリス、アメリカにも生じたグローバル現象である。ただし、このイギリス、アメリカでのナチズムの参加者がゲルマン人中心(元来好戦的)であった(のだろう、たぶん)ことは、おいらは未確認。ゲルマン人の悪魔(耶蘇)払い!

そして、武智鉄二
自らは何を自生しているのか?と尋ねるのが伝統派ということであろうか?武智鉄二ってよく知らないんだけど、がきんちょの頃の思い出がひとつあった。それは彼の作品で、被曝者の女性が異常な性能力(性欲)を持ち、いろいろくりひげるという話だったらしい。それが、被曝者団体から抗議されたという事件。抗議にも屈せず上演され、たぶん、被曝者団体を圧政弾圧者よばわりしたよな記憶がある。結構いっちゃってる御仁らしい、なにしろ、太田龍とも交流があるらしいから。つまりは伝統派というより、土着派か。それも、闘いうどん氏が解説するように、必死に勉強して、探索して土着を発掘、採集していたと。つまりは、闘いうどん氏のいう「西洋」派も「伝統」派も元来自らに自生していない文化・文物を必死に勉強・探索して摂取するという点で同一である。余裕がないんだ。

それにしてもゲルマン人の土着芝居は復古しないのだろうか?
ゲルマン人の"武智鉄二"っていないのかな? that is my question

 いささか走り書きにもほどがあるだろうというできになってしまったが、もう能力が尽きる。人マネ子ザル・偽毛唐国家にのこされた部分は今後の課題として、本記事を閉じよう。

"思いつきとは竟に己の夢を自己翼賛的に語る事ではないか!"ということになってしまったことをお詫びする。






毎週、ロシアかぼちゃの画像を撮っています; 7週目

2010年07月17日 07時56分27秒 | 筑波山麓

実がなりません。実のためのツルが伸びません。

ぶどうさん;大きくなりました。


トマトさん。夏ですから。


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今日の看猫 2010/7/15

2010年07月15日 05時05分00秒 | ねこ


■今日出張。6時前に出かけなければいけない。バイト先から1000km以上の遠隔地へのおつかいに派遣される。乗り物に6時間以上のるので、懸案だった、闘いうどん氏の『福田恒存 VS 武智鉄二 ―西洋か伝統か、それが問題だ!』を読むことにする。⇒私の評論が『群像』六月号に掲載されました。ぜひお読みください。新人賞受賞作です。 演劇とか全然なじみがないし、歌舞伎は一回しか観たことがない。(竹雀マニアのおいらが観たのは当然"銘木先代萩"である。)それに、予察的読みで、"西洋"とか"伝統"とかtoo big conceptにビビっている。ということで、ブログで言っとけばちゃんと読むだろうという自分への約束を書きこんでみました。こんな宣言はじめてだ!