いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 37週目

2011年12月31日 08時08分54秒 | 草花野菜

ぶどうの木; パノラマ画像

 夏みかん→ 

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10000件まで表示されます。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.12.30(金) 1849 PV 186 IP 5292 位  / 1667723ブログ
2011.12.29(木) 1803 PV 162 IP 7155 位  / 1667469ブログ
2011.12.28(水) 1324 PV 157 IP 7870 位  / 1667222ブログ
2011.12.27(火) 1385 PV 169 IP 7262 位  / 1666969ブログ
2011.12.26(月) 1356 PV 160 IP 8356 位  / 1666637ブログ
2011.12.25(日) 1523 PV 175 IP 6285 位  / 1666312ブログ
2011.12.24(土) 1680 PV 158 IP 7790 位  / 1666013ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.12.18 ~ 2011.12.24 10404 PV 1144 IP 7749 位  / 1666013ブログ
2011.12.11 ~ 2011.12.17 9439 PV 1174 IP 7133 位  / 1664214ブログ
2011.12.04 ~ 2011.12.10 9894 PV 1268 IP 6937 位  / 1662189ブログ

2011年回顧

2011年12月29日 17時28分33秒 | プロフィール

■2011年回顧 ―キチガイ篇―

【1月】

1/9の記事、小谷野敦さんに関する思いつきメモ、を猫々センセにいじっていただいて、1502 IPを記録。そして、何よりうれしかったのが「キチガイ」の称号。"多分"と留保されているのが、少し残念。 そして、おいらのキチガイずんせい・2011年篇が始まった。

【3月】

ブログのいい点は実況報告性。地震前に書いといてよかった。
私はもっと崩れろ、もっと崩れろ、と念じられずにはいられない。

夷(えびす)を焼く弾(たま);焼夷弾。 炎に焼かれ、水に溺れ、風に飛ばされる、ぬんげんたちの運命を、キチガイなので、いつも考える。

 3.10, 1945, Tokyo

そして、3.11;

おいらの部屋もちょっぴり崩れた。 愚記事; 筑波山麓で受けたM8.8の地の波の結果について、おいらの見たこと

今回日本で崩れたものをカテゴリー分けすると;

1.天災で直接崩れたもの、
2.原発、
3.そして、日本の政府などえすたぶりっしゅめんと層( 愚記事;泣いたり、入院したりすれば済むと思っている

3は別に今回震災で崩れたわけでもなく、そもそも前から腐っていたという真実が露わになったのだ。特に、科学者の安全デマには大嗤い。

"御用学者"考、あるいは、遊ぶ金欲しさ、そして、ぼくたちの"おもちゃ"は危なくないんだぞ!

地震で壊れたもの II; 硝子細工、あるいは、悪意なき"悪行"のもたらすものは...続、「御用」学者考

「基礎」物理学者原発認識あれこれ;あるいは、物理帝国主義と科学技術バブルの完全終焉、そして残党は..

・ わらっちゃうこと、露わになること;そして、「猫400号」は不死身だ。

「何て、土人の国なんだ」

一方、大新聞のデマもすごかった;(避難なぞせずに) 「冷静に事態を見守ろう」、がんばれ東電


堂々たる狂人宣言

今年出版された本で、野依大尊師の『事実は真実の敵なり』がある。内容は2008年の日本経済新聞における私の履歴書である。ただ、今年単行本化するにあたり、キチガイ宣言を、野依大尊師は、なされたのだ。『事実は真実の敵なり』!

事実は、  真実の、なり!

『事実は真実の敵なり』とは、野暮な解説をするまでもなく、ドンキホーテの言葉だ (google) 。ドンキホーテは、もちろん、狂人(キチガイ)物語である。騎士道の「理念」でもって、「事実」を、すべて当人の都合にあわせて、騎士道物語を生きるのだ。例えば、風車(事実)が敵である巨人(真実)に見える。

今回の原発事故を過少評価の方向へ判断した科学者たちこそ、真実(原発はメルトダウンはしないし、放射性物質も大量に撒き散らかさない)という理念=自分の夢で、「事実」(愚記事;福島第一原発から放出された放射能が 77京ベクレル になった)に向かい合うことができなかったのだ。まさに、『事実は真実の敵なり』!

さて、野依大尊師は今年晩秋、ある講演会で、政府ダメ!、大学ダメ!、産業界ダメ!、ぬっぽんみんなダメ!これを化学(ひいては科学)で克服しよう!みたい演説をぶったそうだ(口さがない京童からの伝聞)。そうなのだ、野依大尊師は果てしない、騎士道物語ならぬ科学物語の夢でこのまぬけなぬっぽんの科学状況(⇒日本総体の科学技術水準はそれほど高くない)をぐちったらしいのだ。

「一番憎むべき狂気とは, あるがままの人生に折り合いをつけて, あるべき姿のために戦わないことだ。」(ラマンチャの男)なのだろう。 がんばっている、野依大尊師。

   

■ 事実は真実の敵なり、again

    
あるがままのぬっぽん           あるべき姿のぬっぽん

 

【5月】 ◆スペイン参り  <コルドバ>


 ― クワダル・キビール川、コルドバ ―

今年、生まれて3度目のスペイン参り。ありがとう、おいらの運命。

コルドバに行く(愚記事;スペイン行った、2011)。

コルドバをも流れるクワダル・キビール川の源流に天本英世さんの遺骨は散(ま)かれたらしい(google)。

おいらが自分の中にキチガイが入った瞬間のことを覚えている。10歳くらいの頃の夜。映画『日本のいちばん長い日』(wiki)を見ていた最中だ。

それは、停戦に反対し、本土決戦を実行しようとする職業軍人と"唆(そそのか)された"学生たちの決起シーン。この佐々木大尉を演じているのが、天本英世。

おいらはこの映像に衝撃を受け、以来キチガイがおいらの中に棲むようになったと思う。

決して他人には言わなかったが、小さいころから、おいらは日本は本土決戦をしなかったからダメになったんだと思っていた。断固、本土決戦をするべきだった!と、ソファーで綿あめをほおばりながら、考えていたのだ。そして、本土決戦で日本人が屍だけを残している光景を妄想していた。もちろん、おいらは敗戦後20年以上経って生まれたのではあるが、こういう観念に憑(と)り付かれていた。 今、このブログで生まれて初めて言った。 これが匿名性の利点。卑怯者のキモイ告白。

このことをずーっと他人には言えなかった(他人に言うととキチガイ扱いで収監されちゃう気がしていた)。ただ、のちに、村上龍の「五分後の世界」(wiki)などが発表され、おいらのこの"妄想"はおいらだけの「びょーき」ではないのではないかとわかってきた。最近は;

全滅すればよかったということを、孫引き、ひ孫引きしながら長谷川三千子センセは書く;  なかで、もっとも感心したのは児玉誉士夫の話で、米軍が日本に侵攻してきた時に日本人はみんな死んでいて焦土にひゅうひゅうと風が吹き渡っているのを見たら連中はどうおもっただろう(笑)、と発言して、ああいいことをいうなと僕は感心して聞きましたと吉本隆明の文章を引用している。 最近は;(愚記事;極右、あるいは偽毛唐、そして何より、狂気

と長谷川三千子センセも言っていることに気付き、30年前に言っていてくれたら、自分のキチガイにそれほど悩むこともなかったんだべ、と思う。

◆ スペイン参り  <アルカラ・デ・エレーナス>

アルカラ・デ・エナーレス(wiki)はマドリッドから近郊電車で40分ほど。『英知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の作者セルバンテスの生まれた街。当時から大学がある。スペイン典型のギリシア語-アラビア語-ラテン語相互関係の文明的成果なんだろう。12-15世紀には、「大司教の館を中心に、キリスト教徒街、ユダヤ人街、アラブ人街が形成された」。トレドと同じだ(愚記事; 十二世紀のスペインは、まさに学者の楽園だった)。大学の展示にはギリシア語-アラビア語-ラテン語が並んだ本があった。セルバンテスの生家は観光名所で、人がたくさん。でも、おいらは到着が夕方で間に合わず、中に入れなかった。

■2011年回顧 ―death valley篇―

・今年はプロジェクト決算の年。昨年末から今年年明けがいちばんきつかった。すなわち、夏前にひと成果を挙げて、このプロジェクトを次年度も新生プロジェクトとして継続させることが会社さまの意向であったからだ。もし、ひと成果挙げられなければ、R&Dはバイトまかせの会社さまは何ら困ることなくこのプロジェクトが解散し、おいらどもは路頭に放り出るだけである。

ひと成果とは、・<役に立つこと> ・<お金になること> ・において実を挙げることであり、それがひいてはおいらの<職にありつけること>につながるのだ。これだ↓;

:::今年はある課題がある。今年の課題というより、3年のプロジェクトの総決算課題。その課題を達成して、「大きく強くする」 (愚記事⇒ 今日の看猫 20091210)ことができれば、1回で高給車1台分の価値がある製品できる。正確には、ある買い手が、その「大きくて強い」製品ができれば、高給車1台分の値段で買いますよ、と2010年末に言った。言った当人も、まさかそんな急にできることもないだろうから、高給車1台分の値段で買いますよ、と大きく言ったのかもしれない。それをうけて<ブルジョアさま>が、「おまい(⇒いか@バイト)、やれ!」と命じているのだ。 (愚記事;おいらの任務。その「大きくて強い」製品を作る技術開発。):::

結論を言ううと、何だかうまくいった。理屈はよくわからないのだが、技術は開発できた。いきあたりばったりやったら、できた。 あの3.11の大震災の時にはむしろ峠を越えてひと段落といった状態だった。もし、3.11でも技術開発が達成されていなかったら、震災処理と技術開発の両立はできなかったであろう。ありがとう!偶然。ありがとう!おいらの行き当たりばったり力!

愚記事; 来週の面接は"後ろ"の方。<灘高>→<東大>→<メーカー筆頭研究者>という経歴のお偉いさまとのお見合いだ。

書いた。 Writing is the best Revenge;

特許2つ、論文3つ。特許の方が少なくてごめんなさい、ブルジョアさま。

■2011年回顧 ―アートシーン(笑い)篇―

・  想像されたものと出来(しゅったい)したもの; あるいは、「死の勝利」

サン・フェルナンド王立美術アカデミーのスルバランブース。

プラド美術館のベラスケス門は、夜開く...    

磯江毅=グスタボ・イソエ 「マドリード・リアリズムの異才」のため練馬に行く

アムステルダム、ゴッホ美術館に行った。

「榎戸庄衛展」・茨城県つくば美術館

A piece from Tehran; ジャクソン・ポロック展   

 

■2011年回顧 ―微熱 篇―

昨年は、ハイデガー熱が出た。その後ずっとちびちび読み続けている。それで、今年はスピノザ微熱だ。

 「人 の心を励まして強めるどころか、それを打ちくじく術に長けたこうしたひとびとは〔他のひとびとにとって不快なだけでなく〕自分でも自分がいやでならないの だ。そういうわけで、多くの者たちが〔性急さや誤った宗教熱から〕人間のあいだより獣たちのあいだで生きる道を選んだのである。それはちょうど、親の叱責 を平静な心で耐えることのできない少年や青年たちが、逃避して軍隊にはいり、家庭的にはいり、家庭的な幸福や父親の忠告より戦争の苦難や暴力の権力を選ん で、ただ両親に復讐したいがためにどんな労苦も甘んじて受けるのにも似ている」。 

とおいらが17歳に買った本には書いてあったのだ。今年、気付いた。やはり、本は読むべきなのだ。

愚記事; スピノザ、 意志の自由、 ルサンチマン  


せめて、もっと人殺しの顔をして、「なんて土人の国なんだ!」といってみた

2011年12月27日 21時12分51秒 | 日本事情


 ―原発推進鬼畜大宴会への招待状―

慢性中二病のおいらは、せめて、もっと人殺しの顔をしろ!とかいう物言いにしびれる。

今じゃ原発容認は鬼畜扱いだ。 そんな鬼畜宴会の末席へすら堂上することもできず、バイトでがんばっているおいらに鬼畜大宴会への招待状が届いていた。数年前のことだ。別に隠すわけでもないが、おいらは、ひそかに、我がぬっぽんがおフランスさまのように核武装さすて、自らを恃むところすこぶる厚いりっぱなおクニにさなってくださるのを、それこそ自ら秘かに期していた。ここで「自ら秘かに」が肝心である。原発がなくなると核武装ができなくなるんだゾ!と声高に叫び、あまつさえ、愚?娘を東電に押し込む某代議士とは違うのだ。

ぬほんずんの原発運営は鬼畜ではなく、まぬけなのだ。

そして、泡のように消えたよ。野望。

やっぱり、まぬけだったょ、ぬっぽん。

残躯天の赦すところではなく、残躯天の赦さざるところ、地獄が待っているんだっちゃ。

・今じゃ原発容認は鬼畜扱いのぬっぽん社会で、無視されている、あるいは、見て見ぬ振りされているのが、吉本隆明だ。

今日現在、明確に原発容認を主張している数少ない御仁である。「原発をやめる、という選択は考えられない」:科学に後戻りはない:原発 完璧な安全装置を

吉本"教組"(?)はおっしゃっているようです;

「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬いものを透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてし まった、という点にある。燃料としては桁違いに安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を後戻りさせると いう選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。
だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防禦装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」

今回の福島第一の事故は、原発第一世代の発電装置の事故です。別に原理的に難しいことをやっているわけではありません。ただし、原理的に簡単なことを安全に行うことはむしろ相当難しいかもしれません。でも、「文明人」というのはそういうことをやってあたりまえなのです。

やってあたりまえ。誤ると鬼畜扱い。つらい稼業です。原発管理。 

今回の東日本大震災で新幹線はすべて止まり、死傷者ゼロです。でも、誰も特には誉めてくれません。

やってあたりまえ。誤ると鬼畜扱い。つらい稼業です。

でも、やはり、やってあたりまえです、原発管理。 

今回の事故は、地震・津波などそもそもぬっぽんで原発を運転するとはどういうことかという「自分の置かれた前提の環境を不断に批判的に検証することなく」、のんべんだらりんと「原子力ムラ」の惰性に漬かっていた結果です。マスコミなどを買収して「素人」をだます策を講じても、原発安全の実は挙がっていなかったのです。

原発もろくに扱えなんて、 「なんて土人の国なんだ!」

ちなみに、上記の鬼畜大宴会への招待状ですが、おいらは、幸か不幸か、別に原子力ムラの周辺にいるわけではありません。

在京の各国大使館は、当然、intelligence活動をしています。intelligence活動といったって公然のものが大半です。すなわち、各国の在京大使館のintelligence部門には科学技術担当という部署があります。各国のintelligence部門は日本の科学技術の動向を常に本国にレポートしているのです。当然のことです。一方、おいらはブラックベンチャーのintelligence活動をしていました。ラボで実験するわ、インドの顧客に納品とプラント運転に行くわ、intelligence活動をするわ、頭数の少ないブラックベンチャーならではの生活でした。今から思えばこの記事は a day in the lifeです。

そして、そういう交流で名刺をばらまいた結果、上記フランス大使館からの招待状が来ました。ちなみに、フランス大使館原子力部の原子力部というのは原子力だけを専門に扱っているわけではなく、科学技術一般を扱っていると思われます。原子力がフランス語では科学技術の象徴となっているからでしょう。

繰り返すと、おいらは、幸か不幸か、別に原子力ムラの周辺にいるわけではありません。特に堂上したいわけでもありません(~♪~ 堂上を欲した時に、すべてを失うだろう ~♪~)。残念ながら行けなかった2008年おフランス大使館は、思いもかけず、2010年に行けることとなりました。

さて、こういうのはどうでしょう?

http://fewmonths.exblog.jp/6814083/

原子力発電所が爆発して廣島原爆の何十~何百発分の放射性物質を撒き散らした2011年3月の約3年前にガンで死んだ物理学者の訴えです。ガンで死ななければノーベル賞をもらっていただろうと認定されている著名な物理学者サマであらせられるようです。

ノーベル賞もらえるまで長生きした方がよかったのか、廣島原爆の何十~百発分の放射性物質を撒き散らした2011年3月を上記の発言を抱えて迎えた方がよかったのか? 

おいらが指摘したいのは、この物理学者、いやこれに順ずるあまたの物理学者の「単細胞」です。原発⇒E=mc^2と単純化するその神経です。

なにより土人なのは、こういう神経なのかもしれません。 「なんて土人の国なんだ!」

原発⇒E=mc^2は別に間違っているわけではありません。ただ、原子力発電の実態を全然把握しきれていないということです。

田舎に危険な原子力発電所を押しつけ、底辺の人たちに危険な原発での労働を押しつけないと動かないのが原子力発電所」とかいう認識は、この約3年前にガンで死んだノーベル賞候補の物理学者にはないわけです。

省エネで不愉快な生活を強制するより、温暖化ガスを出さない発電をもっと充実させるべきです。私は原発に賛成ですので、どんどん推進してほしいと思います。

とおっしゃる。

まさに、E=mc^2しかアタマにない、大物理学者サマでございまする。  「なんて土人の国なんだ!」

もちろん、これらのおいらがはっする嫌味は、難しい物理ができず、物理帝国主義が、最終期とは言え、権勢を誇っていた20世紀末期、昭和末期に、帝国の二流市民として修業していたおいらのルサンチマンに基づくものだ。

●それにしても、今回の原発事故の一連騒動の中で、何度思い出しても大嗤いできるのが、がっつり花崗岩

今から思えば、福島第一原子力発電所が爆発して多量の放射性物質が空中に巻き散らかされ、風にのって関東甲信越地方を襲った。とくに流れの一部は一度太平洋に出て、その後鹿島沖から霞ヶ浦上空を通過、関東―東京方面に流れた。この際多量の放射性物質が千葉県柏市に降下した。たまたま東京大学の柏地区の常時放射線観測器がこの放射性降下物質を感受し、データとして公表された。

この放射性の異常な観測値を、反物質という素粒子物理学の先端?を研究している?教授さまが、その放射性の異常な観測値は周囲の建築材料の花崗岩から発する、いわば準自然放射線量と判断し、世間に流布した。それが、がっつり花崗岩。 

 「なんて土人の国なんだ!」

今から思えば、この関東甲信越地方への多量の放射性物質をきちんと認識、対処していれば、埼玉県で製造された粉ミルクのセシウム濃縮は避けられたのだ。

さらには、

どんだけ、嗤わせてくれるんだ、食税KEK教授さま。

小学生の時、理科の実験で、沸騰石って使ったべさ。ゼオライト。それだよ。

 「なんて土人の国なんだ!」

まぁ、素粒子以下の「世俗物」なんか知らない方が、って業界なんだろうね。

そうなら、素粒子館ですっこんでいればいいのだ。

 


バカは何でも知っている

2011年12月25日 16時04分12秒 | ぐち


 ―昔のコダックカメラの広告 [1] ―

「知らざるを知らずと為す是知るなり」 論語

 「化学工学」を誤解していた村上陽一郎さん

どうでもいい話です。

化学工学という分野があります。化学工学は応用化学や工業化学とは異なる学術分野です。お互いの分野は隣接していたり、重複している部分もありますが、disciplineが違います。disciplineってわざわざ原語で書くのは訳語が誤解を与えるからです。disciplineの日本語の意味は「学問の分野」というのがこの場合一番ふさわしいように思えます。ただし、disciplineの「訓練、訓練法」という意味合いが落ちてしまいます。disciplineというのは学問の専門分野が扱う対象ばかりではなく、その専門分野の専門家となる訓練方法および訓練で習得する内容も含まれます。

そこで、化学工学という専門分野は、実は、かなり明瞭なdiscipline(研究対象と訓練内容)を持った分野です。これは隣接の応用化学とは極めて異なることです。応用化学という分野のdisciplineは事実上ないのも同然です。大学の学科にはありますが。つまり、応用化学という分野にいる研究者に共通の基盤は基礎化学以外ほとんどありません。化学を基にしてれば何でもありという分野です。例えば、応用化学という看板を出している学科に属する研究室はやっていることはばらばらであるばかりでなく、研究のための学習(訓練)内容もばらばらです。有機化学と無機化学の壁もあるので、共通の訓練法も極めて限られたものです。一般基礎化学くらいと思われます。そもそも応用化学科の教官で、学部時代の出身が化学系ではない人もいます。

さらに工業化学というのもあります。これも化学工学とは違うものです。応用化学や工業化学というのは役に立つ化学物質を開発したり、合成方法の最適化などを研究する分野です。一方、化学工学というのは、実際に量産するためのプロセスを決めて、そのプロセスを実現する実装を決めることです。端的に言って、プロセスエンジニアリング、プラントの設計と具現化のためのエンジニアリングのことです。これは米国で発生し、事実上第二次世界大戦後の石油化学産業の興隆に伴い発展したものです。端的に言ってこういうものです↓(きれいですね。おいらのdeath valleyでの仕事場はこんなの

化学工学の明瞭なdisciplineは、プロセス計算やプロセス設計です。そのプロセスにはいろいろな機能があります。その機能を単位操作というサブプロセスに分けて、各々機能を検討し、各々の単位操作を繋げ、全体のプロセスを作り上げる方法です。ですから、化学工学のdiscipline=訓練は、化学ばかりでなく数学や熱力学、流体力学のような物理、機械工学が主となります。化学工学とはこういう学問分野です。

こういう定義で次の村上陽一郎さんの文章を読んでみましょう。

 例えば日本における工部大学校のもう一人の秀才下瀬雅ちか(1859-1911)を考えてみよう。彼は安芸藩の藩士の息子として生まれ、明治十年(1877)年に上京して工部大学校に入学、化学課程を専攻した.貧困のなかで、学業を中断したりしながら明治十七年(1884)年に卒業、直ちに大蔵省印刷局に奉職して、印刷用のインキの改良に努めたが、明治二十(1888)年海軍省に転じ、火薬の研究を命じられ、努力の末に明治二十一(1888)年にはある程度の成果を得た.彼の着想は当時は軍事機密として内容が明らかにされなかったが、結局ピクリン酸を主剤にしたものであった.これは改良を重ねて、明治二十六(1893)年に日本海軍の制式火薬として採用されることになった.ピクリン酸を爆薬に使うことは、必ずしも彼の独創ではなく、すでにフランスやイギリスの軍隊で試用されていた.下瀬はこれを弾丸や水雷に充填する方法に工夫を凝らし、世界に先駆けてこれに成功したものである。これを充填した魚雷は、日露戦争の際に非常に効果を発揮し、ロシアを恐れさせたが、やがてトリニトロトルエン(TNT)に取って代わられることになる.

 この実例だけでも、化学工学が、軍事と直接関わることは理解できるし、電信もまた軍事用に重要な意味を持つものであった. (強調、いか@)
「工学の歴史と技術の倫理」、p170-171、村上陽一郎、岩波書店、2006年

化学工学という言葉の用法を間違えています。爆薬の開発に化学を応用したこの例の場合、化学工学という言葉の代わりに工業化学を用いるべきです。

この間違いは「理解」はできます。村上さんは化学を工業に利用するための分野を化学工学と思い込んでいるのでしょう。しかし、上述したように化学工学とは明瞭な定義をもつ分野で、村上さんの上記の文脈にはふさわしくありません。

ここでわかることは、村上さんが化学工学という言葉の定義の内容に立ち入ることなく、つまりは化学工学のdisciplineの詳細を調べることもしていないことです。雰囲気で化学を工業に利用するための分野を化学工学と思い込んでいることがわかります。経済史学と経済学史が全然違うように、化学工学と工業化学だって違うんです。

以上のことは1年ばかり前に気付いたのですが[2]、まぬけだなぁくらいに思っていました。もちろん、ひがみ根性旺盛なおいらは、有名な元東大教授さまの瑕疵をつついては、どうも頭が悪いぢゃないかとつぶやいて、豚のように眠ったのでした。

しかし、今年、このまぬけさが大変な事態の原因を彩る片々のひとつであるとわかりました。

すなわち、村上陽一郎さんは、経済産業省総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会の部会長であったのです。

おいらは、驚愕しました。

なぜ、化学工学を知らなかったことが原発事故に関して問題かというと、原子力発電を担うのは原子力工学と思われています。間違いではないです。でも、その原子力工学の原理、プロセスを設計し、実装を機械工学で実現するという本義は、化学工学から派生したものです。原子力発電所のことを所詮は湯沸かし器、とい言う人がいます。そういう観点は重要です。ただ熱源に核分裂反応を用いているだけで、その熱源の制御、ポンプ、配管、冷却装置などは化学工学の知見を基にしています。ちなみに、かの班目春樹さんは、原子力工学や核物理の出ではなく、機械工学の出です。この機械工学は上記のプロセスを実現するための実装を研究する分野です。原子力発電所の安全管理をする場合重要なのは核分裂そのものばかりでなく、発電=蒸気の発生、制御のプロセスの安定運転の維持が重要です。今回のメルトダウンも冷却プロセスの不全が直接の原因でした。

つまり、村上陽一郎さんは原子力発電の実際がどのような学術内容、あるいは技術内容であるかの詳細を知らないうえに、さらには原子力発電に携わっている技術者や工学者が各々どのようなdisciplineを持ちながら参加しているのかを知らなかったのではないでしょうか?

安楽椅子にすわり、だいたいこんなもんだろうぐらいに各disciplineを想像しながら(バカは何でもしっている)、右から左に会議を流していたのではないでしょうか? まさに、盲人、蛇に怖じず、おバカ、原発、ばかりではなく科学と技術あるいは知識一般を恐れず、です。つまり、知らざるを知らずと為すことへの査定の欠如です。これまた、「自己の狭隘なイデオロギーや日常的意識を不断に反省する努力(西部邁)」をせずにこれまできたのかという典型例です。

村上陽一郎さんは科学と技術に関する"権威"として原子力安全・保安部会の部会長に政府によって祭り上げられたのだろう。そしてあんまりものを知らないのに原子力安全・保安部会の部会長になった。その権威さまの科学や工学や技術に関する理解は観念的、抽象的とういうばかりでなく、しばしば寓意的、比喩的なもので、とても安全などを考察する力量はないように見える。こういう部会長が原子力の安全を担ってきたのだから、日本の原子力安全政策の実際、つまりは「お猿の運転手」が原発の安全を導いてきたことが、今回の原発事故により、露わになった(真理=アレーテイア=隠されたものが露わになる)のだ。


[1] 今年初夏飛行機で、座席の雑誌にコダックの最盛期の広告が特集されていた。

[2] もちろんおいらが村上さんの本を読んで気付いたわけではなく、雑誌「現代化学2008年12月号」の読者投稿欄にあった川井利長氏の指摘で気付いたのである。


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 36週目

2011年12月24日 10時43分08秒 | 草花野菜

 

枝が伸び放題だったので、刈り込みました。

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10000件まで表示されます。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.12.23(金) 1272 PV 139 IP -  位  / 1665793ブログ
2011.12.22(木) 1648 PV 178 IP 6784 位  / 1665515ブログ
2011.12.21(水) 1414 PV 146 IP 9764 位  / 1665215ブログ
2011.12.20(火) 1541 PV 181 IP 6459 位  / 1664968ブログ
2011.12.19(月) 1268 PV 168 IP 7536 位  / 1664724ブログ
2011.12.18(日) 1581 PV 174 IP 6492 位  / 1664467ブログ
2011.12.17(土) 1561 PV 186 IP 5374 位  / 1664214ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.12.11 ~ 2011.12.17 9439 PV 1174 IP 7133 位  / 1664214ブログ
2011.12.04 ~ 2011.12.10 9894 PV 1268 IP 6937 位  / 1662189ブログ
2011.11.27 ~ 2011.12.03 10008 PV 1242 IP 6955 位  / 1660225ブログ

A piece from Tehran; ジャクソン・ポロック展

2011年12月22日 19時49分07秒 | その他


ジャクソン・ポロック作、インディアンレッドの地の壁画
(Mural on a Red Indian Ground), 1950, テヘラン現代美術館蔵

■ 北朝鮮から将軍さまが去り、
     イラクから米軍が去った今、
なぜかしら、近いうちに核武装するだろうとみなされているイランから、
   キャンバスに塗料を滴らせて描いた絵画がテヘランから来ている。

と奇を衒って書くまでもなく、ジャクソン・ポラック展が日本で開かれているのだ。

そのうちのポロックの代表作が「インディアンレッドの地の壁画」。なぜかしら、テヘランの美術館にある。

ちなみに、ポロックの"代表作"は絵画史上最高値の1億4000万ドル(168億円)を付けた、No5です。

今回は集められていません。

こういう絵をアクションペインティングと分類します。できた造形よりも創作手法に着目する見方です。

おいらは、形そのもが好きです。ポラック以降のとにかく肉体でもなんでも使ってアクションペインティング。そしてできた絵図はグロテスクっていうのは好みではありません。

ポラックの絵の 非対称性 ある種のランダムさ、そして流線性が好きです。日本人好みのような気がします。書にも通じそうだし。尾形光琳っぽいところもあります。梅の具象の横の意味不明な抽象画像だけど、うれしい図柄に注目!

▼テヘラン現代美術館蔵と聞いて、にこにこしてしまうことがあります。

イラン・ペルシャ文明はイスラムの文明です。図柄として非常に対称性を重んじます。アラベスク模様っていうやつです(google画像)。
(イランはアラブ人ではないのですが、イスラム文明の影響なんでしょう)。イスラム庭園とか、樹木を刈り込んで、対称的に配置しています。

そういう対称性を重んじる視線から見て、こういうポラック流の線が非線形に丸く流れるように走るというのは、ぎょっと、するに違いないのです。

■ 読売アンデパンダン展

知らなかったょ、そんな展示会。1951年というのだからまだ占領下ではないか。とびかん(東京都美術館)で開催。

ポロックの作品が初めて日本で披露されたのが、この1951年に東京都美術館で開かれた読売アンデパンダン展。

読売アンデパンダン展というのは、文字通り無所属(independent)の作家の展覧会(wiki)。

The piece in Tehran

●生誕100年 ジャクソン ポロック展、現在、名古屋の愛知県美術館で開催中。

  

この後、2月から5月までは、東京国立近代美術館へ。


*なぜかしら、テヘランの美術館にある。

おそらく、パーレビ時代に、すなわちイスラム原理主義革命によるホメイニ政権樹立の前に、西洋流に世俗化し、かつオイルマネーを持った好事家がポロック作品を購入したのだろう。イラン革命の時、それが私物で、没収されたからテヘラン現代美術館なる所に保有されているのかは不明。

 


昭和の成仏のために;尾張名古屋編、そして将軍様は成仏できるのだろうか...

2011年12月20日 22時15分30秒 | 国内出張・旅行


   -名古屋駅・太閤通り口付近-

■ 西へ東へ、A day in my life at death valley ;

すほんかさまにこずかれてがんばっているおいらは、西へ東へ、御用聞きに出かけている。

今度、すほんかさまが言うには、「death valleyを渡るには彼岸のお客様は、天下の ずどうしゃ 産業だろう」、(←今ごろ、気づいたのかよ!) 「おまい、行って来い!」。

行って来ましたよ。近世ぬほんの故郷(ふるさと)、駿河・三河・尾張

筑波山麓の土浦(譜代・土屋さま)だって、お武家さまはみんな、三河武士だ。 

日本近世を統括した三河武士さま、戦後日本のドル箱だったT社さま、

みんな三河ものに他ならない; と、半端者のおいらがいってみた。

行きましたよ、モータウン・サウンズの聴こえない、モータウンへ。

▼今画像貼った時気付いた。残存する昭和の街並みを背後から睥睨しているのは、"将軍様"系ビルではないか!(?)

いい薬を献上できなかったんだろうか?

そして、「大衆食堂の人々」はどこへ消えたのだろう? (この看板に呉センセ御用達って書いてあったらどんなに素敵だったでしょう


 


Amazon

 

 


磯江毅へのオマージュか?、そして、はやぶさ・川口淳一郎尊師の妄言; 自分のヒステリーで考えよう。

2011年12月18日 12時16分05秒 | ぐち

磯江毅へのオマージュか?

15日、スペインのバルセロナで、皿に「盛り付け」られた裸の女性…芸術作品ではありません。食肉用として動物を殺すことに抗議する動物愛護団体の過激なパフォーマンスです。一糸まとわぬ姿は、寒そう。

http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2011/12/12barcelona/

新聞記事より; ちなみに、磯江毅の年譜の1981年の部には、「バルセロナ伯爵夫人展(当時スペイン最大のコンクール)にて名誉賞受賞」とある。

    
磯江毅:「新聞紙の上の裸婦」、と「鰯」。

■ はやぶさ・川口淳一郎尊師の妄言; 子宮はないけど自分のヒステリーで考えよう。

真理に至りたいならば自分のあたまで考えるまでもないだろう。真理は普遍なんだろうから唯一に違いない。つまり誰が考えても同じってことだ。そういうことにわざわざ自分のあたまを差し出すこともなかんべ。

つまり、「普遍の真理はひとつであるが、誤りは多様である」ってことだ。 ずぶんのアタマは誤りに差し出してみよう。

一匹(普遍の真理)と、九十九匹のなかの一匹(多様な非真理の中の一例)と、である。 こりゃ、ややこしい。

そして、せっかくだから、多様な誤りの中のひとつであるずぶんを記述してみよう、と散歩先の竹林(ちくりん)で賢人が教えてくれた。

自分のヒステリーで考えよう。

竹林(ちくりん)で賢人が、お面を着けていたかはナイショ。

普遍の真理へ至る手段は理性であり、多様な誤りの彩りをささえるのは情念である。

愚ブログはルサンチマンという情念を駆動力として、みずからのヒステリーを追い風にぐちを書き綴っている。

ところで、おいらには「子宮はないけど自分のヒステリーで考えよう」 とはこれいかに?、という疑問はフェミナチの餌食になるだろう。

■さて、おいらがヒステリー状態になるのことの中で、惑星探査機・はやぶさ問題もひとつである。

世間的には大人気で、大成功!という風評に対しておいらはぐちを言ってきた;

試料採取目的惑星探査機『はやぶさ』の残念について

Re; 惑星探査機『はやぶさ』の残念について 、あるいは1粒じゃNASAの取り分がないよ

塵(ちり)で筑波山がわかるのか?イトカワって筑波山より小さいのね、知らなかったわ。

セシウムで汚れちまった梅を干す、そして、「宇宙村」の滅亡を希求する。

ラストオーサーは私に; Science のはやぶさ試料6論文を読んだょ 

こういうぐちの効果絶大で(のわけないが)、実は世間的には大人気で、大成功!のはやぶさ後継プロジェクトの予算獲得が難航しているらしい。

その状況に危機感をもった、川口淳一郎尊師が所感を表明した。

その表明文の内容が超まぬけすぎて、びっくりした。まるで、おいらのつっこみのための文章ではないか。

でたらめと説得力のないことばかり書いてある。

1.

川口淳一郎尊師曰く; 「小惑星を探査することは、地球を理解することつながる。実は、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム、その理解にも通ずる。また地球の温 暖化の鍵となる二酸化炭素の起源を理解すること、生命の進化を育んできた環境を理解することに通ずる。だが、イトカワの探査は後者にはまったく答えてくれ ない。我々の水と有機物に覆われた環境の起源と進化を探ることが、はやぶさ-2の目的である。」

地球の形成と進化、ましてや上記「大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム」の理解に「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」は貢献するはずがない。

地震予知なぞ論外であるどころか、地震の発生機構、そもそも地震規模の見積もりなど現在の地震学そのものができていない。そのできていないことをできるようにすることが科学の進歩、発展の目的である。ただし難題である。たぶん50-100年たっても解決していないだろう。そうであるならば、どのように「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」はその難題に貢献するのか?全く不明である。

まぁ、おいらもいい人だから、忖度するに、地球は惑星の中でも水をもつ惑星である。その水の役割というのは地球の形成と進化と現在の状況を決定的に支配している。そもそもプレート運動が成り立つのもプレート生成場が水に覆われたせいである。水が無いと、プレートのわき出しでの冷却、さらには海溝での沈み込みが生じえない。その水の起源を知ることは重要だ。その水の起源は地球の母材となった小惑星に違いない。だから、小惑星を探査することは地球を理解することつながる、という言い分なのだろう。

でも、それは尊師、あるいはプロジェクト賛同者の脳内でつながっているだけだ。たしかに45億年前の小惑星の水がなかったら地球の水はない。あるいは他の起源を検討しなければいけない。でも、現実に今水はあるのだから、起源を調べたって、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズムの理解には貢献するはずがない。

こういう、「つながっている」思考をする人は実は研究者に多い。何か重要なこと、もっと下世話に言えば研究予算がつきやすいホットなテーマにつながっていると主張する。

1’. そもそも今回のはやぶさのサンプルリターンでわかったことのことの中の数少ないheuristicな結果は、小惑星がやせ衰えていることの時間を含めた定量的把握である。つまり、46億年前の表層物質は惑星から散逸している。今の小惑星の表面は46億年前の母体の中の方がやせ衰えてむき出しになったものだ。そうであるなら、炭素質隕石的物質で構成される小惑星だって熱変成し、昔の中心部の試料しか得られない。その部分は数百度まで熱変成したのであろう。ならば、有機物も期待できない。水もあり得ない。ただ含水鉱物の有無が焦点か?そんなの惑星科学的意義があるのか?

2.

川口淳一郎尊師曰く;はやぶさを担当した者として、強調したい、その最も大きな意義は、この計画が、すべて我々日本の独創性、創造性に発しているという点に ある。我が国のこれまでの産業・経済成長は、製造の国であることに依っていた。しかし、それが幻想で、いつか限界に来ることはうすうすと予見されていたは ずである。近隣諸国は、かつての我が国と同様に、比較的低廉な労働力で高品質の製造技術を手にし、大きな経済成長を遂げている。しかるに、我が国では生活 水準の向上、福祉レベルも上昇しているため、かつてと同じ方針で競争力が得られるはずはない。創造の国に脱皮し、転換していかなくてはならないのだ。新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。

問題の認識はいい点を突いている。日本は製造業さえできなくなっているのだ。製造業立国としての日本は存続が難しい。そこでだ。10-20年前から始まった「科学技術創造立国」の路線は失敗している。高度な技術を創り出せば付加価値の製品を製造できて、進化した製造業立国としてやっていけるという策は破綻している。例の、技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか、の問題だ。

いくら技術を磨いても、社会や市場に無頓着では意味はない。なぜなら、技術とは手段なのだから。

このはやぶさプロジェクトも技術磨きを極めているように見える。イオンエンジンっていうんですか?そして、目的を小惑星探査でごまかしている。その惑星探査の目的も上記1に書いたように虚ろなのだ。

あと、日本発、日本独自という発想も嫌だ。日本の現状は大国という範疇の末席にいるのであり、「ただの国」への「転落」も時間の問題だ。おいらは「転落」なぞ大歓迎であるが、縮減した日本のやることは国際協力と分担である。 ネットでみる<はやぶさマニア>の少なからずが偏狭な排外主義者であることもあわせて、嫌な点だ。

本当に惑星探査がしたいなら、イオンエンジン技術を信じているのであれば、興隆の国に売り込めばいいのだ。日本政府も「はやぶさ後継機のはやぶさ-2」に予算を出さないなら、そして「世界が評価し、NASA もこの5月、NASA 版はやぶさ計画の実施を発表し、欧州版はやぶさ計画がたちあがらんとしている」のであれば、技術と人材ともども割譲してあげればいいのだ。

川口淳一郎尊師曰く;  新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。

あほ。日本が停滞している理由のひとつは食税研究者がまぬけであるからだ。税金使ってろくなことをしていないからだ(愚記事;シロアリ研究者としての日本食税研究者)。そういうセクターのおまえが偉そうなこというな。おまえが、どんなビジネスイノベーションを考えついたっていうんだ。おまいら食税研究者どもの大半は、どれだけ「新しい技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信して」きたっていうんだ!と、つい言いつのってみたくなる。

もっとも本当はそんな必要(新しい技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを!)はないんだけどね。だから予算請求しなさんなって。アタマ使え、頭。

おまいらは、職人じゃないんだょ。職人はそう簡単になれるものじゃないんだょ。わかったかな?食税とっちゃん坊やたち。

おまいらは、坊主なんだよ。坊主。でも、どっちでも半端もんなんだけどね、実態は。 「坊主か?職人か?」。

それにしても、いつも、最近は、金出せ!金出せ!の予算乞食行脚ばかりだろう。ぼけ。

●川口淳一郎尊師ははやぶさ後継プロジェクトに予算が出ないかもしれない状況を愚痴っている。でも、そんな尊師においらは伝えたい;

日本社会は、自分に研究を続けさせるべきある といううぬぼれた感じを持ってはいけない。(中略)自分のために社会があるのではなく、社会のために自分がある。それが不満ならば、自分の能 力一つで社会にたち向かえばよい。それが不満ならば、自分の能力一つで社会にたち向かえばよい。) 川口淳一郎尊師なら一人ではなく多くの優秀な御仁の能力を結集できるのであろう。それならば、なおさら、能力一つで(税金なぞあてにせず)社会にたち向かえばよい。 I hope someday you'll join me, And the world will be Capitalism!


 -東証で鐘を打つ川口淳一郎-

2010年の年末は、ぬほんブルジョアさまの巣窟、東京証券取引市場で鐘を打った。

これは、シュールである。食税のお役人様、つまり自らを何ら投機したことのない御仁が、すなわち税金でプロジェクトをやってきた御仁が、「投資という果敢な挑戦が未来を開く」と述べたというのだ。税金使っての果敢な挑戦だろう。

大丈夫か? ぬほんすほんしゅぎ! 

もちろん、以上の暴言はおいらのヒステリーから発したものだ。毎日、役に立って、お金になるものをつくれと資本家さまからこづきまわされ、精神的にテンパッテいるのだ(関連愚記事; ・役に立つこと ・お金になること ・職にありつけること)

おいらは人生そのものがdeath valleyで投機されているのだ。役に立って、お金になるものをつくれないので何度もdeath valleyでたらいまわしに遭っている(職にありつけることに苦労している)。

そこで、優雅な食税研究者さまが資本家に上から目線で訓示を垂れているのを目の当たりにして、資本家さまからこづきまわされる運命と資本家に上から目線で訓示を垂れている運命の落差に愕然として、発作がおきたのだ。

以上、自分のヒステリーで考えてみました。

 


元「はやぶさ」プロジェクトマネージャ、川口淳一郎 http://image.itmedia.co.jp/l/im/nl/articles/1112/12/l_wk_111212hayabusa01.jpg

はやぶさ後継機(はやぶさ-2)への政府・与党の考え方が報道されている。大幅 に縮小すべきだという信じがたい評価を受けていることに驚きを禁じ得ない。

はやぶさ初代の代表として、発言しておきたい。

はやぶさは、史上初めて、地球圏外の天体に着陸し、その試料を往復の宇宙飛行で地上に持ち帰った。イトカワに滞在した近傍観測の成果、また帰還させた試料の分析の成果は、サイエンス誌に2度にわたって特集されその表紙を飾った。
世界が評価し、NASA もこの5月、NASA 版はやぶさ計画の実施を発表し、欧州版はやぶさ計画がたちあがらんとしている。我が国の科学技術が、世界から追われるフロントランナーの立場にある、その代表例と言ってよいはずである。

はやぶさ後継機のはやぶさ-2 という名称が誤解を生んでいるかもしれない。私は、この後継機プロジェクトの名称を変えるべきだと主張したのだが、多数の関係者の意見を受け入れて、やむを得ずこの名称に同意した。
はやぶさ-2 は、実は、これが本番の1号機なのである。はやぶさでできたじゃないか、という声も聞く。否。はやぶさ初号機はあくまで、往復の宇宙飛行で試料を持ち帰る ことができるという技術が、我々の手の届く範囲にあるということを実証しようとしたもので、あくまで実験機だったのである。
小惑星を探査することは、地球を理解することつながる。実は、大地震を起こすプレートの運動をドライブするメカニズム、その理解にも通ずる。また地球の温 暖化の鍵となる二酸化炭素の起源を理解すること、生命の進化を育んできた環境を理解することに通ずる。だが、イトカワの探査は後者にはまったく答えてくれ ない。我々の水と有機物に覆われた環境の起源と進化を探ることが、はやぶさ-2の目的である。まったく異なる天体(C型小惑星)を探査し、試料を持ち帰ろ うという計画なのである。小惑星ちは小さな天体の総称。C型小惑星はまさに未知の天体なのである。政府・与党の意見には、はやぶさ-2 に科学的な意義を見いだせないというものまであったという。まことに信じがたいことである。

はやぶさを担当した者として、強調したい、その最も大きな意義は、この計画が、すべて我々日本の独創性、創造性に発しているという点に ある。我が国のこれまでの産業・経済成長は、製造の国であることに依っていた。しかし、それが幻想で、いつか限界に来ることはうすうすと予見されていたは ずである。近隣諸国は、かつての我が国と同様に、比較的低廉な労働力で高品質の製造技術を手にし、大きな経済成長を遂げている。しかるに、我が国では生活 水準の向上、福祉レベルも上昇しているため、かつてと同じ方針で競争力が得られるはずはない。創造の国に脱皮し、転換していかなくてはならないのだ。新し い技術、新しい製品、そして新しいビジネスイノベーションを発信していかなくては、この国に競争力の復活はおろか、未来も展望できまい。その創造性を担っ ていくためのインセンティブをどのようにして得るのか、そして次世代を担っていく人材をどう育んでいくのかこそが問われている。

はやぶさ初代が示した最大の成果は、国民と世界に対して、我々は単なる製造の国だったのではなく、創造できる国だという自信と希望を具体的に呈示したことだと思う。
自信や希望で、産業が栄え、飯が食えるのか、という議論がある。しかし、はやぶさで刺激を受けた中高生が社会に出るのはもうまもなくのこと。けっして宇宙 だけを指しているのではない。これまで閉塞して未来しか見ることができなかった彼らの一部であっても、新たな科学技術で、エネルギー、環境をはじめ広範な 領域で、インスピレーションを発揮し、イノベーション(変革)を目指して取り組む世代が出現することが、我が国の未来をどれほど牽引することになるのかに 注目すべきである。こうした人材をとぎれることなく、持続的に育成されていかなくてはならない。
震災の復興が叫ばれている、その通りだ。即効的な経済対策にむすびつかない予算は削減されがちである。しかし、耐え忍んで閉塞をうち破れるわけではない。
なでしこジャパンのワールドカップでの優勝、それは耐え忍んだから勝てたのか?
そうではない。それは、やれるという自信が彼女らにあったからだ。震災からの復興を目指す方々に示すべき、もっとも大きな励ましは、この国が創造できる能力がある国だという自信と希望なはずなのだ。

日本は、お手本と格付けがないと生きていけないかのようだ。はやぶさでこの分野で世界の最前線、トップに立ったが、トップに立つとどうしてよいかわからなくなるのだろう。NASA も欧州も、我々を目指しているのに、なにか安定しない。
進んでトップの位置を明け渡し、後方集団にうもれようとしているかのようだ。
どうして2番ではだめなのか、この国の政府は、またも、この考えを露呈したかのようだ。トップの位置を維持し、独走して差を開いて行こうという決断を行う ことに躊躇してしまう。世界の2番手にいて、海外からの評価と格付けに神経をとがらせるばかり。堪え忍べと叫び、自らの将来を舵取りするポリシーに欠け る。
なんとなさけないことか。次世代を支える若者が、この国の国民でよかったと感じられなくなるようでは、将来はない。

私は、はやぶさ後継機のプロジェクトからは身を引いている。
しかし、アドバイザとしては残らなくてはいけないと考えている。それは、人材育成のためである。完全に身をひいては、技術と経験面で完全なリセットが起こ るだけに終わり、それは初期化することで、はやぶさの成果はなかったことにもどるだけになる。新たに初代はやぶさを開発することにもどったのでは進歩はな い。それどころか、現状から後退するだけである。初代に重ねて、上乗せして、はじめて進歩となるはず。だから、退職時になってようやく身を引いたのでは、 科学・技術のコミュニティは突然死をむかえてしまうのだ。
いうまでもない。私の自己のために、私がさらにもう1つプロジェクトを行おうとして、はやぶさ後継機を進めよというのではない。もう身を引いている。それは、そうしなければ、後進が育っていく土壌そのものを崩壊させてしまうからである。
宇宙探査プロジェクトには時間がかかる。はやぶさ初代は、プロジェクトが始まってから15年を要した。飛行時間が長いのが宇宙探査プロジェクトを長くする
特徴でもある。しかし、このことは、人材育成の難しさを明示している。15年毎にしかプロジェクトの機会がなかったとしたら、科学と技術両面で、継承・育 成などかなうわけがない。今、はやぶさ後継機(はやぶさ-2)を立ち上げることができなければ、日本は、コミュニティに技術や経験が継承されるどころか、 はやぶさ初代の成果をふりだしにもどしてしまうのだ。

はやぶさ後継機(はやぶさ-2)を進めることに政府・与党の理解を期待したい。
この文章をお読みになった方々から、草の根的であっても、それぞれの方法であってでも、政府・与党にメッセージを出していただければと思うものです。

                            (元「はやぶさ」プロジェクトマネージャ、川口淳一郎)

 

 


毎週、ぶどうの木の画像を撮っています; 35週目

2011年12月17日 12時30分04秒 | 筑波山麓

 

↑ハナミズキの実; ↓今日の筑波山麓

■ 「数字をさらして、自己満足にひたっているとは、まだまだ人間が出来ていない」おいらは、今週も「ブログ閲覧数による自画像を描い」て、報告するょ。

【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10000件まで表示されます。

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.12.16(金) 1558 PV 163 IP 7376 位  / 1663995ブログ
2011.12.15(木) 1471 PV 169 IP 6838 位  / 1663713ブログ
2011.12.14(水) 1050 PV 169 IP 7289 位  / 1663383ブログ
2011.12.13(火) 1436 PV 169 IP 6756 位  / 1663083ブログ
2011.12.12(月) 1002 PV 145 IP 9683 位  / 1662689ブログ
2011.12.11(日) 1361 PV 173 IP 7016 位  / 1662442ブログ
2011.12.10(土) 1274 PV 161 IP 7487 位  / 1662189ブログ

過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)

日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2011.12.04 ~ 2011.12.10 9894 PV 1268 IP 6937 位  / 1662189ブログ
2011.11.27 ~ 2011.12.03 10008 PV 1242 IP 6955 位  / 1660225ブログ
2011.11.20 ~ 2011.11.26 9931 PV 1225 IP 6857 位  / 1658040ブログ

 


今日もつくばで; 「外国人」が訪れる日本の名所は、

2011年12月15日 20時26分25秒 | 筑波山麓

今朝の筑波山麓

■ つくばで、「外国人」が訪れる日本の名所は;

つくばにはいろいろな政府関連機関の施設がある。JICAもそのうちのひとつ。JICAとは、独立行政法人国際協力機構。

何をやっているかわはよく知らないけれど、税金を使って、国際協力をしているんだろう。

JRひたち野うしく駅にはしばしばアフリカ系の人たち、しかも人品卑しからざる人たちが、常磐線に乗っている。

グループで。

時折、そういうグループに、車中で、巻き込まれる。一度隣に座った、話したのち分かったエチオピアから来た御仁は、都心を中心として鉄道マップを手に、停車する駅を地図に探してした。残念ながらその手にしている地図は北千住を地図の右上に示す都心用の地図だ。

隣のおいらに、停車した駅のホームの英字表記を見つけ、彼の手中の地図において駅のホームの英字表記であるUshikuだのTorideなどがないぞ!という。

事実は真実の敵である!?

ここはこの地図の外なんだょ、とおいらは教えてあげた。

アフリカ系のグループの場合、多くは農業系の研修に来ている。そして、「人品卑しからざる」彼らは本国ではお役人さまなのだ。あるいは国際公務員である。だから、英語やフランス語なぞ普通の日本”エリート”さまたちよりよっぽど話す。

そして、彼らは、利根川に感嘆するのであった。

さて、そんなJICAのある筑波山麓。

ユニクロ関連の店に行くと、外国からのゲストさまが、ご堪能。

Enjoy your Japanese days! と祈るばかりだ。

▼gu ジーユーとユニクロの違い

ジーユー guは、まあまあの品質でオシャレな服を安く、流行の衣料を毎週少量ずつ投入しする。短期間とは、約2週間程度で、これで売り切るというのが、ジーユー guの方針だ。
一方のユニクロは、ナショナルブランドに匹敵する品質で、定番、ベーシックな商品を提供する・・である。
流行の服を、まあまあの品質で安く買いたければgu ジーユーへ。
ナショナルブランドに匹敵する品質の定番商品であれば、ユニクロへ。

http://uniqlogu.columio.net/