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いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第61週

2025年05月24日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

はてなブログ  いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第61週

■ 今週のよその猫

■ 今週の花

■ 今週の円形

丸い切手をみた。

■ 今週の南蛮菓子

ぼうろ=ポルトガル語の「bolo(ケーキ)」。まるぼうろ(木村製菓):やさしい甘みとふわりとした独特の 食感が人気のスイーツです。丸ボーロはもともと南蛮菓子で今から300年前の寛文年間(1661年~1672年)に、長崎在住のオランダ人から、佐賀藩御用菓子司の横尾市郎右衛門が小麦粉に琉球糖を合わせて練り、天火で焼く製法を習ったことがはじまりと言われています。

■ 今週の街角の

街角のポスター。google (平野啓一郎との対話 三島由紀夫「金閣寺」をめぐって)

ポスターの三島の横の「緑ヶ丘2323平岡」の看板が見える。これは自宅用の土地を購入した時の写真らしい。おいらは散歩で行ったことがある:このあたりに三島は住んでいたらしい。

■ 今週返した本


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第60週

2025年05月17日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

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▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第60週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の花

■ 今週の半額、かつ、初物

びわ収穫量日本一は「長崎県」(google

■ 今週の丼:チキンかつ丼@資さんうどん

■ 今週の「初めて見た」:ケンコーマヨネーズ

生まれて初めて見た。ケンコーマヨネーズ。横浜にいたころは、毎朝7時にニッポン放送のCMで聞いていた。以前は何のCMかわからなかった。サラダというので、野菜販売促進組織によるものかと思った。ケンコーマヨネーズという商品名を知らなかった。キューピーマヨネーズしか知らなかった。

■ 今週の「怨望」に基づく「資さんうどん」通い(?)、KO出のYouTuber

YouTubeのおすすめに現れた。みた。やはり、「ビッグ・ブラザー」をおいらの素性を知っているらしい。KOや諭吉については、たびたび、言及している(「福沢諭吉が今の日本を見たら」「三田評論」のある待合室で)。

怨望についても語っている。おいらは、出世しそこなった出世主義者である(愚ブログ)。

そして、このYouTube、小学校(幼稚舎)からKOで、 高校では2年留年し(どうやら、阿川尚之のように病弱であったためではく)、自称KOの非主流派とのこと。自己認識は富裕層の子弟。親は「エリート」サラリーマン。自称KOの非主流派とは、主流派が「キラキラ」人生まっしぐら、というイメージ。その「キラキラ」人生の典型として岸谷蘭丸がこのYouTubeでは語られている。

今日、このYouTUbeお取り上げた理由は、「キラキラ」人生ではない人生、それが「何も成し遂げない」人生について。その「何も成し遂げない」人生をおくる人は、資さんうどんに行くというのだ。。

まとめ:ここ2週連続で資さんにうどんに行き、「KO」や諭吉に含むところがあるおいらに(ネット・スフェアーの)「ビッグ・ブラザー」がこのYouTuberを教えてくれたのだ。


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第59週

2025年05月10日 18時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

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▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第59週

■ 今週のよその猫

■ 今週の筑豊境

■ 今週の花

■ 今週の初めて食べた

おきゅうととは、福岡県福岡市を中心に食べられている海藻加工食品。「お救人」、「浮太」、「沖独活」とも表記される。

成分の内訳は96.5パーセント (%) が水分、残りのうちタンパク質が0.4%、炭水化物が3%、灰分が0.2%である。すなわち栄養は高くないが、独特の食感などが評価されている。  wiki

5ミリから1センチの短冊状に切り、鰹節のうえに薬味としておろし生姜またはきざみねぎをのせ生醤油、芥子醤油、ポン酢醤油、ゴマ醤油などで食す。もっぱら朝食の際に食す。wiki

酢で味付けして食べるらしい。味付け前は特に味はせず、潮の香といった海っぽい風味もしなかった。ところてんに食感が似ている。

■ 今週のすかいらーくグループ:「資さんうどん」

九州に部屋を決めるために初めて来たのが2024年2月。その時なぜかしら出発前から資さんうどんに行くことにしていた。理由は忘れた。ただ、宿から近いだけだったかもしれない。当然、資さんうどんは、まだ、すかいらーくグループ傘下ではなかった。

最近、資さんうどんは、すかいらーくグループ傘下に入り、かつ、株主優待が使える店となった。株主の<荊の簪を挿した御方さま>に奢ってもらった。かつカレーぶっかけうどん(上)。<荊の簪を挿した御方さま>はおでん(下)。カレーうどんは汁の粘度が高い。汁はねに気をつけてゆっくり食べる。粘性が高く、汁はねが抑えられると感じる。

資さんうどんデビュー(愚記事

帰りには、持ち帰り用のぼた餅を買ってもらった。

お米の撞きの程度は低く、お餅度合いが低い。粒が結構残っている。

■ 今週の子供の頃食べたことがなかったもの:ちまき

北海道 ちまき 食べない(google

がきんちょの頃、歌わされた;

~♪~柱の傷は、一昨年の~♪ ~五月五日の背比べ~ ♪~ちまき~たべたべ~♪~兄さんが~測ってくれた背いの丈~♪~と歌ってはいたが、実は、ちまきを見たこともなかったのである。

これは、さざんか問題に次ぐ道産子問題である。

がきんちょの頃、歌わされた; 

~♪~ サザンカ、サザンカ咲いた道、 ~♪~ たき火だ、たき火だ、おちばたき、~♪~

今日気づいたのだが、道産子は、サザンカ、サザンカ咲いた道なぞ、産まれてこのがたみだこだね(=見たことがない)のに、歌っていたのだ。 (愚記事:さざんか が咲かない街に生まれて

■ 今週のお米調達::ついに外米

アメリカ産カルローズ 5kg 4,250円

■ 今週の「つぎつぎと死にゆくいきおい」、あるいは、内ゲバさなかの遺言

先月死んだアーミテッジ(左)と今週死んだジョセフ・ナイ
ジョセフ・ナイ氏死去 88歳(google

1週間ほど前、唐突に、ジョセフ・ナイインタビューがあった。今思えば、死期を悟った遺言か?メッセージの中心がトランプ・アメリカは「一過性」だ!。4年間待て! 死ぬまでプロパガンダを発し続けた「ソフトパワー」の祖の最期だ。

ジョセフ・ナイのうさんくささは、米国の圧倒的覇権という現実を前提に、「ソフトパワー」などと喧伝することである。今回トランプ政権を「ソフトパワー」を減ずるものと批判して、トランプ政権は本当のアメリカではないかのごとく云っている。それはそれでよい。とするなら、ネオコン時代:ブッシュのイラク戦争の時代にジョセフ・ナイは、ブッシュ政権は本当のアメリカではないかのごとく云ったか? トランプ政権は、関税攻勢はかけるが、大軍拡による想定敵国への競争はけしかけていない。レーガン政権との違いだ。貿易「戦争」の方が本当の戦争よりましだろう。

あるいは、冷戦後、日米安保の見直し際し、ジョセフ・ナイは冷戦時代同様の日米安保の維持を推進した。これは、占領軍がそのままいる安保体制のさらなる継続である。その結果、日本は対米通商交渉の土壇場でいつも安保問題を暗にちらつかされ、妥協、屈服するしかなかったのであると指摘されている。

▼ 「ソフトパワー」が惹起した?MAGA派

敗戦後の日本人の少なからずが、アメリカ人のように暮らしたいと願い、実現させたのが高度成長を経た戦後日本なのだろう。日本人をして、「アメリカ人のように暮らしたいと願」わせしめたのはこういうイメージを見せつけられたからであるに違いない。(愚記事


American way of life (google)

アメリカの「ソフトパワー」の影響が地球上で一番大きいのは戦後日本だろう。敗戦後、日本人の多くは、アメリカをありがたがった。アメリカ博覧会。1950年開催;

アメリカ博覧会(アメリカはくらんかい)は、1950年3月18日から6月11日まで兵庫県西宮市の阪急西宮球場周辺で開催された地方博覧会である。  (wikipedia

博覧では展示物としてジオラマ、パノラマが用いられ、ホワイト・ハウスが会場に建てられた。その中に独立宣言のジオラマというのもあって、ワシントン像があった;

 ホワイト・ハウス館内ではワシントン大統領が独立宣言書を作成する様子を伝えるジオラマが置かれた。台上の胸像には「善人中の最も偉大な人、偉人中の最も善き人」という文字を電光で浮かび出させる。電光もまた人びとの視覚を刺激するために用いられてきた。

さらには、会場には、アメリカを「旅する」ことができた。アメリカ各所の名所が再現された。その中のラシュモア山。

戦後日本人は、American way of lifeの中心構成物(上記画像)である、自動車、冷蔵庫、テレビなどをありがたり、造り始めたのであった。そして、集中豪雨的輸出。

そのメリケン・ソフトパワーの日本への普及で、のちのち今にいたって、迷惑を蒙ったのは、現在米国でトランプ大統領を支持するMAGA (make America great again)派の没落白人たちであろう。黄金時代[1]のアメリカのような生活を享受できない白人たちだ。没落白人。かつてのgreat America時代、1950-1960年代の米国生活、American way of lifeを、豊かでない諸外国を横目に暮していた時代を、没落白人たちは夢見ているのだ。

没落白人たちは、自動車、冷蔵庫、テレビなど家電を製造して輸出してきた国々にアメリカは搾取されたのだと考えている。トランプ大統領は云った:「(日本は)この国を搾取してきた。年間、何百万もの車を我々に売ったが、我々は日本に一切売っていない。我々は車を売ることを認められていなかった」ソース)。つまりは、American way of lifeの宣伝を真に受け、その「神器」を製造し、本国・米国に輸出、販売することで富を得て自らもAmerican way of lifeを実現しようとした日本人(など)の行動のおかげで、競争力を失った米国勤労者、そしてのその中核の白人中産階級の一部が没落した。成功した白人は裕福になり民主党を支持している。没落白人たちの少なからずが、MAGA派となったのだ(そんな折に登場したのがドナルド・トランプ氏です。「あんたたちは何も悪くない。悪いのは都会のインテリたちと、職を奪った外国人だ!」とけしかけて見事に大統領の座を射止めました)。

[1] 今週知ったこと。今週はサイゴン陥落から50年ということで、討論YouTubeなどをやっていた。どこで知ったか忘れたが、今週初めて知ったこと:ベトナム戦争の戦死米兵の半分以上が黒人兵/アフリカ系アメリカ人であったとのこと。American way of lifeの一属性が、戦争には「二流の市民」を行かせる、危ない目に遭わせてるだ。もちろん、その前駆は日系人部隊の話だ。っていうか、「奴隷制」の20世紀的形態である。1950-1960年代の米国「黄金」時代は公民権運動前で人種差別が公然としていた。

▼ 1995年から云われていた、「内ゲバは米国没落の元(分裂すれば、我々は没落する [α])[Divided We Fall]」

この本を見直してみると、Dinesh D'Souza(➡wiki 邦訳)に言及してあった。人種問題、ジェンダー問題でのポリティカル・コレクトネス推進により、むしろ、現場(教育、大学)は分断され、結果、米国は弱体化していくという指摘。今でいう(過激・独善)リベラル批判。30年前から云っているのだ。そして、今では、リベラル派にしょうりしたMAGA派のオピニオン・リーダーだ。

 X

[α] Divided We Fall こういうのをXで拾った;



https://x.com/TaraRoss/status/1920910127579763181

でも、アメリカは、分裂するとしたら、2分割に違いない。なんでもかんでも思考が善悪、正邪・・・の2分割。

we VS they

■ 今週の干戈、あるいは、ブリカス[1]の残留火薬の爆発

インド政府は7日早朝、パキスタン国内および同国と領有権を争うカシミール地方のパキスタン支配地域の計9カ所を攻撃したと発表した。google

[1] イギリスは親英的な藩王国およびパキスタンを通じて国民会議派が率いるヒンドゥー教徒の勢力を牽制し、インドに影響力を残そうとした。これに対してイギリスの影響力を排した中央集権的な独立国家を求める国民会議派が反発したのである。(wiki インド・パキスタン分離独立)

さて、印パ紛争で、このゲートは今日どうなっているのだろうか?

■ 今週の購書:江戸時代が無かった街から来た日本思想研究者の本、大場一央、『戦う江戸思想』

 ミネルヴァ書房

この著者、大場一央さんを知ったのは下記YouTubeによって。島義勇(しま よしたけ)を語っているYouTubeは数えるほどだ。あとは、佐賀の人だ。この大場一央さんは札幌出身とある。江戸時代がない街だ。札幌出身の著名な日本思想研究者、日本史研究者、国文学者って誰がいるだろう?もちろん、おいらが知らないだけなのだろうが。

おいらは、あわれなことに、古文盲 [1]である。これはいけない言葉を含むが、おいらは、古文、漢文が読めない。理系だったから仕方がないと言い訳しているが、これでは、日本を語れない、語ってはいけない。偽毛唐を嫌うおいらが、偽日本人ではなさけない。

江戸時代の思想は別として、江戸幻想をここ10年夢想するようになった。今の産業社会で疲れているからだろう。

江戸時代について羨望の眼差しをそれは幻想だとわかっていて向けてしまう動機というのは、①江戸時代において初期の対バテレン戦争(島原の乱)と北方ソバージュ民との戦争(コシャマイン、シャクシャインの乱など)に限られ、主地域では事実上戦争がなかったこと、②ましてや大規模な対外制服戦争がなかったこと、そして、③化石燃料を使わず、経済(物質の循環)の持続可能性が極めて高かったことである。もちろん、この江戸時代の経済の生活水準を今の生活になれた日本人が耐えられることはないだろう。したがって、現在日本人の江戸時代評価は、欺瞞的なものである。すなわち、近代「文明」がもたらした暖衣飽食の安楽生活にひたって、都合のよい江戸時代を夢想してしているのだ。でも、なぜ、近代日本人(の一部)はつい夢の江戸時代を希求してしまうかというと、それは近代社会の基調であるパラノイアに疲れているからだ。パラノイアの典型が経済の拡大(経済成長)と戦争による「秩序」の確立=資本主義体制の世界化(植民地支配と帝国主義間戦争)である。

と、2023年11月に書いた。経済史学の江戸時代の話(勤勉革命)と合わせて、思想についてもこの本から見てみたい。

[1] 「もんもう➡文盲」はパソコンで変換しない。本書118にあった。荻生徂徠と新井白石との関係;

 長い不遇生活を経ての政治参画、そして卓越した政治的見識という点で、徂徠は白石と重なる。しかも、徂徠の献策には幕府官位制や軍制改革など、白石と重なるものも多い。にもかかわらず徂徠は白石を「無学」「文盲」と罵倒し、両者は偶然、同じ場所に居合わせても、口もきかずに避けて通るほど、険悪な仲であった。大場一央、『戦う江戸思想』

 


太宰府散歩:太宰府天満宮、九州国立博物館、大佐野、向佐野、水城駅

2025年05月07日 06時23分49秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

大宰府に行った。大宰府天満宮に行ったことがなかったので、初めて行った。隣に九州国立博物館があるので、寄った。はにわ展をやっていた。一方、大宰府にはむさしの森珈琲がある。福岡県には2店しかないうちの1店だ。大宰府天満宮からは離れていて、電車を乗り換え、都府楼前駅に行き、そこから、歩いて行った。


1.西鉄大宰府駅、2.太宰府天満宮、3.九州国立博物館、4.西鉄二日市駅、5.都府楼駅、6.太宰府市大佐野、7.太宰府市向佐野:むさしの森珈琲 太宰府向佐野店、8.JR水城駅

■ 1.西鉄大宰府駅

■ 2.太宰府天満宮

■ 3.九州国立博物館

特別展 はにわ web site

▼ 文化交流展示

文化交流展示室では、日本とアジア、ヨーロッパとの文化交流の歴史を紹介しています。旧石器時代から江戸時代までを5テーマに分け、それぞれの文化交流を物語る作品を展示しています。web site

■ ➡ 西鉄大宰府駅

大宰府天満宮の境内で行列。なんだろう?と思い、先頭を見てみた;

菅原道真公は丑年の生まれであることや、御本殿は道真公の亡骸を運んだ牛車が動かなくなったことで定まったことから、牛は道真公に縁の深い動物とされ、境内に牛の像が奉納されているんだ。web site

■ 4.西鉄二日市駅

西鉄二日市駅で乗り換え。画像なし。

■ 5.都府楼駅

4

6.太宰府市大佐野

お昼は「魚べい」でした。

このあたりは大きな通りに「チェーン店」が並ぶ地域。車社会のための店舗群とわかる。歩きでは不便。

7.太宰府市向佐野:むさしの森珈琲 太宰府向佐野店


むさしの森珈琲、福岡県、太宰府向佐野店(web site

福岡県内には、「むさしの森珈琲が2件ある。もう一軒は、北九州市にある(北九州青山店)。チェーン店なので、セントラルキッチン方式でやっていると思うのだが、この2店のセントラルキッチは首都圏にあって、まとめて輸送してくるのだろうか?おそらく、ガスト、バーミアンなどの料理と合わせてまとめて福岡に来るのではないだろうか?

8.JR水城駅


水城城:水城の堤防は、大城山麓(おおきさんろく)から下大利(しもおおり)に至り、全長約1.2キロメートル、幅80メートル、高さ13メートルの人工の盛土(もりつち)による土塁(どるい)で、博多側には幅60メートルの濠(ほり)がありました。大野城市 web site

水城駅から鹿児島本線で博多を経由し北九州市に帰る。博多駅でクルーズトレインななつぼしを見た。

お客さまはスタッフから手を振って見送られる。

 


久留米散歩:城址、水天宮、坂本繫二郎生家、市美術館、石橋バラ園

2025年05月06日 07時00分00秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

久留米(福岡県@分水嶺では有明海側)に行った。久留米市美術館で行われている「響きあう絵画 宮城県美術館コレクション」を見に行くためだ。惹句に「少し遠いところから名画たちがやって来る!」とある。宮城県美術館は、当然宮城県は、仙台(せんだい)市の川内(かわうち)というところにある。九州(薩摩)の人にはややこやしいかもしれない。


1.JR久留米駅、2.久留米城址、3、水天宮、4.坂本繫二郎生家、5.西鉄久留米駅、6.久留米市美術館、バラ園

1.JR久留米駅


小倉駅

北九州市・小倉から新幹線で30分ほど。すぐ着いた。約4000円。安くはない。昔、「薩摩サービス」に従事していた頃、新幹線なぞなかった。

▼ 久留米駅

■ ➡ ブリジストン通り、久留米城址

大きな通り(ブリジストン通り!)から工場構内が見えて、タイヤを運んでいた。エグゼビジョンかと思った。

■ 久留米城址

●久留米城跡
 元和7年(1621)、有馬豊氏の久留米入封に始まり、11代頼咸代の廃藩置県まで続いた有馬氏の居城跡で、久留米藩の政治の中心でした。有馬氏以前は小早川(毛利)秀包(ひでかね)の居城、その後、柳川に本城を構えた田中氏の支城でしたが、有馬氏代になり、大規模な改修が行われ、南に向かって伸びる連郭式の城となりました。本丸は天守閣を持たない多聞造りで、要所に櫓が設けられていました。現在は、本丸の石垣と、内堀に当時の面影を残します。明治の廃城後、全ての施設が壊されましたが、後に有馬豊氏などを祭神とした篠山神社が鎮座することとなりました。本丸内には、久留米の歴史を偲ぶ記念碑が多くあり、桜や紅葉の時期など四季折々、市民の憩いの場となっています。ソース

▼ 久留米城主 有馬家

●展示
 江戸時代久留米藩を250年間治めた有馬家や久留米藩ゆかりの歴史資料や美術工芸品を中心に公開しています。第10代藩主有馬頼永(よりとお)・11代藩主頼咸(よりしげ)の甲胄や武具、陣羽織、輿入れした姫君たちの薙刀・雛人形・化粧道具を中心に展示しており、久留米や旧久留米藩主有馬家を知る格好のものとなっています。有馬記念館

久留米を江戸時代に治めていたのは、有馬家。有馬の殿様の末裔については、愚記事で書いた(貴族と庶民に挟撃されるインテリ;有馬頼義『兵隊やくざ』、昭和の成仏のために)。

原作の有馬頼義、『兵隊やくざ』では有田上等兵は大学を出ていない。そして、原作者の有馬頼義もそうだ。戦前なので、そもそも大学出がその世代の3%であったらしい。ただし、有馬頼義は伯爵の息子なのだ。しかも、後継ぎ。次の当主、伯爵である。 有馬頼義の経歴(wikipedia)。

有馬頼義は15代当主であった。16代当主・頼央さんは、今年亡くなられたらしい(wiki)。その頼央さんの父、頼義との思いでがネットにあった。

有馬家は明治以降、3世代続けて宮家と婚姻しました。祖母は北白川宮家から嫁入りしています。そこにも親父は矛盾を感じていたのでしょう。「皇族から嫁をもらって、妾を囲って、カネをじゃぶじゃぶ使って、何が社会運動か」と祖父に言い放ったこともあったほどです。

 一番の反発は、芸者と結婚したことでしょう。私の母です。親父が見初(みそ)めて、一方的なラブレターをたくさん送ったという話です。でもそこは文筆家だから、心動かされる手紙だったみたいですよ(笑)。

なお、頼義の祖母は岩倉具視の五女なので、「皇族」ではない(岩倉は皇族ではない)と思う。あと、華族と芸者の結婚であるが、西園寺公爵家の公一の妻は芸者であり、息子が一晃である(wiki)。

▼ 顕彰碑

▶ 戊辰戦争

碑文の解説 ➡ リンク

▶ 対米英戦

コタバル戦については先日書いた:今週の対米英戦争一番槍:久留米の連隊=菊歩兵(菊兵団) 第56歩兵連隊

■ ➡ 筑後川、水天宮

 

■ ➡ 坂本繫二郎生家

■ 坂本繫二郎生家

➡ 島谷裕太郎 様、史跡写真集、坂本繁二郎生家

繁二郎の父である8代金三郎は1867(慶応3)年に幕府の海軍操練所に入り勝海舟の指導を受けた

■ ➡ 久留米駅

▼ お昼ごはん

お昼は駅ビルにした。

やきとり六角道:食べログ


チキン南蛮


焼き鳥丼

■ ➡ 西鉄久留米駅、久留米市美術館

JR久留米駅からバスに乗って、西鉄久留米駅まで行った。そこから歩いて、久留米市美術館がある石橋文化センターへ向かった。

■ 久留米市美術館

響きあう絵画 宮城県美術館コレクション カンディンスキー、高橋由一から具体まで 2025.2.8(土)‐2025.5.11(日) 

日本の近現代美術、ドイツ近代美術、そしてエッセイ「気まぐれ美術館」で知られるコレクター洲之内徹が最後まで手放さなかった「洲之内コレクション」など、7,000点に及ぶ国内有数の優れたコレクションで知られる宮城県美術館。同館のリニューアル工事に伴う休館を機に実現することとなった本展では、特色ある作品群の中からハイライトとなる74点の作品を紹介します。

「響きあう絵画」というタイトルは、宮城県美術館コレクションの顔の一人である画家、ヴァシリー・カンディンスキーが芸術の本質と考えた「内なる響き」からとっています。色や形が持つ「響き」が連なって一つの絵画を作り上げるように、個性豊かな作品群が、遠く離れた久留米の地で織りなす交響をお楽しみください。 (久留米市美術館 web site

 

■ 石橋文化センターバラ園(google

■ 坂本繫二郎のアトリエ

参考➡ 川上信也 様 坂本繫二郎 アトリエ公開

■ 天神へ

■ 福岡市 天神

警固神社

福岡市の中心部、西鉄福岡(天神)駅のすぐ近くにある警固神社。「警固」の地名は、古代の迎賓館である「鴻臚館」の近くに置かれた大宰府の防衛施「警固所」に由来します。もとは福岡城本丸があった福崎(福岡の旧地名)の丘陵にありましたが、福岡城築城の際に移築。福岡城の鎮守として、歴代藩主に篤く崇敬されました。毎年10月19日には例祭が行われます。2022年12月には9階建ての社務所ビルが完成しました。web site

 

 


筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第58週

2025年05月03日 18時54分10秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

▲ 今週のみけちゃん
▼ 筑紫洲 (つくしのしま) でもぶどう記録;第58週

■ 今週の筑豊境

■ 今週のよその猫

■ 今週の花

■ 今週のケーキ


絞りたて抹茶モンブランパンケーキ(google)。
<荊の簪を挿した御方様>の株主優待を以ての奢り。

 

イタリア産栗100%と静岡抹茶のハーモニー
十勝あん・抹茶わらび餅

チーズ香るしっとりパンケーキに、バニラアイスとホイップクリームをのせ、風味豊かで濃厚な甘さが特徴の抹茶クリームをたっぷりと絞りました。
※国産発芽挽き玄米のカリッと食感をお楽しみください。

<ひんやりしっとりパンケーキ>  すからーくweb site

むさしの森珈琲、福岡県、太宰府向佐野店(web site

■ 今週のお宮さま:太宰府天満宮

太宰府天満宮へ行く。もちろん、生まれて始めて。

福岡県太宰府市にある太宰府天満宮は2023年5月12日、同年5月23日から開始する124年ぶりの「御本殿」大改修に先立ち、3年間限定で使用する「仮殿」が完成したと発表した。国の重要文化財である御本殿の大改修は約3年をかけて実施する計画で、改修期間中は御本殿前に建設した仮殿で参拝者を迎える。大改修は26年ごろに工事を完了する予定だ。web site

大宰府 ひょうたん なぜ? (google

太宰府天満宮で授与される「厄晴れひょうたん」は、天神様が愛された梅の木の下で「ひょうたん酒」を飲むと難を逃れるという言い伝えに由来します。このひょうたんに願い事を書いた紙を納め、自宅に飾ることで災厄を除き、厄除けを祈るためのものです。

■ 今週のお餅

 

お饅頭ではなく、文字通り「餅」。外のパリっとした餅皮と中の柔らかいお餅と餡が合わさって、独特の食感と味。よかった。

梅ヶ枝餅は、福岡県太宰府市で販売されている餅菓子で、小豆餡を薄い餅生地で包み、梅の刻印が入った鉄板で焼き上げたものです。名前の由来は、菅原道真を助けた老婆が、道真に餅を梅の枝に添えて差し入れたという伝説からきています。google

■ 今週の展示@歴史もの

国立九州博物館 特別展 はにわ (web site

埴輪 挂甲武人(はにわ けいこうぶじん)(wiki


埴輪 踊る人々(はにわ おどるひとびと)(wiki

■ 今週の機関車:DD200 @漆黒


JR貨物DD200形ディーゼル機関車 (wiki)

博多駅でみた。

➡ 黒い!DD200形が川崎重工業を出場、行き先はJR九州 熊本車両センターへ!鉄ちゃんブログ
➡ 漆黒のJR九州デーデーを初撮影【DD200-701】

■ 今週の城下町:久留米:天守閣なき企業城下町

久留米城址に歩いていく途中、工場の脇を通ったが、タイヤを運んでいる作業が通りから見えた。
エグゼビジョン?かと思った。

久留米城址。天守閣は残って/再建されていない。
ありし日の久留米城↓


久留米市 web site

発祥の地・久留米

久留米市生まれの創業者・石橋正二郎は、1930年に第1号タイヤを産み出しました。その後、ブリヂストンの国内で最初のタイヤ工場として、タイヤの国産化を使命に1931年3月、操業を開始しました。
筑後川に沿って建てられた久留米工場は、ブリヂストンの歴史そのものであり、現在でもブリヂストングループを支える生産拠点に位置付けられています。web site

■ 今週の展示@美術もの

久留米市美術館の「宮城県美術館コレクション展」を見に行く。目玉はやはり、洲之内コレクションだ。今回の展示のポスターでは、海老原喜之助《ポアソニエール》であった。2009年に仙台でみた洲之内コレクションでは、長谷川潾太郎《猫》が示されていた。この両者は、洲之内コレクションでの有名作品だ。そして、現地、久留米市美術館に行くと、《ポアソニエール》ばかりでなく、《猫》の看板もあった。やはり、看板猫なのだ。


仙台参り【2009】 川内・宮城県立美術館

響きあう絵画 宮城県美術館コレクション カンディンスキー、高橋由一から具体まで 2025.2.8(土)‐2025.5.11(日)

日本の近現代美術、ドイツ近代美術、そしてエッセイ「気まぐれ美術館」で知られるコレクター洲之内徹が最後まで手放さなかった「洲之内コレクション」など、7,000点に及ぶ国内有数の優れたコレクションで知られる宮城県美術館。同館のリニューアル工事に伴う休館を機に実現することとなった本展では、特色ある作品群の中からハイライトとなる74点の作品を紹介します。

「響きあう絵画」というタイトルは、宮城県美術館コレクションの顔の一人である画家、ヴァシリー・カンディンスキーが芸術の本質と考えた「内なる響き」からとっています。色や形が持つ「響き」が連なって一つの絵画を作り上げるように、個性豊かな作品群が、遠く離れた久留米の地で織りなす交響をお楽しみください。 (久留米市美術館)

▼ 印象深かった作品、作家を2つ、ふたり。ふたりとも若くして死去。矢崎は戦死。


大沼かねよ 《3人》 1931年

➡ 激動の1930年代を駆けぬけた大沼かねよ


矢崎博信 《街頭の殺意》 1937年

➡ -シュールレアリズムの先駆者- 矢﨑博信展

■ 今週の定食:チキン南蛮

久留米、やき鳥六角道(食べログ)。チキン南蛮定食、850円。鶏肉がとてもやわらかい。いい意味で、衣がパリっとしていない。しっとり。今まで食べたことのない食感。

■ 今週の武家屋敷

久留米市出身の洋画家、坂本繁(はん)二郎(じろう)が生まれ育った家で、繁二郎は20歳で上京するまでここで暮らしていました。坂本家は代々久留米藩に仕(つか)えていた武士の家系で、敷地面積は450坪(約1500㎡)もあります。建物は茅葺(かやぶき)と瓦葺(かわらぶき)とが結合した屋根を持つ、木造一部2階建てで、久留米市に唯一残る武家屋敷でもあり、市の有形文化財に指定されています。久留米市 web site

久留米市出身 坂本繁二郎(wikipedia


坂本繁二郎《松間馬》 昭和13年(1938)

▼ 青木繁と同期


青木繁 《海の幸》 1904年

青木繁と坂本繁二郎は、同じ年に久留米で生まれ、しかも久留米高等小学校でも同級という親しい関係にありました。そしてふたりとも幼少の頃から絵を描くのが好きで、京都絵画専門学校で学んだ久留米唯一の洋画家・森三美(もり みよし、1872-1913)の画塾にも通っていたのです。
 その後、青木が画家を志して上京、東京美術学校に入学する(1900年)と、翌々年には坂本も上京し、本郷駒込追分町の下宿に、青木とともに同宿したといいます。坂本は、ここから小山正太郎の画塾・不同舎に入門、その後太平洋画会研究所でも学びました。(京都国立近代美術館 特集:青木繁と坂本繁二郎―忘れがたき友情)

■ 今週返した本

◆ 柴田寿子、『リベラル・デモクラシーと神権政治 -スピノザからレオ・シュトラウスまで-』



https://www.utp.or.jp/book/b305969.html

リベラル・デモクラシーとは、何か守旧的なものからの解放(liberate)のはずだ。封建的制度とか。そのリベラリズムが知事する制度、政治が神権政治。今、神権政治って、イランくらいしか思い浮かばない。でも、事実上の宗教国家、過剰な信条に駆られて尋常ではない行動をする国家が思い浮かぶ。イスラエル。ハマスの侵略に対応するための、本来は自衛的なはずの軍事行動が、過剰となりガザは壊滅している。事実上のジェノサイドと云ってもよい。そのイスラエルのガザ壊滅を容認、支持、軍事支援しているのは米国であり、民主党のバイデン政権からそうだ。全米的にイスラエル支持だ。この事実上のジェノサイドと云ってよい大量殺害の動機と根拠づけは理性による合法化の説明というより、何か「啓示」としかいいようのない信念に基づくパレスチナ、従来住民への大量殺害だ。この「啓示」とは何か?それはイスラエルと米国の共通する建国の意志である。イスラエルの建国運動にはシオニズムという語が与えられている。米国にもある。米国民はアメリカ大陸は自分たちキリスト教徒に約束されたという勝手な信念をもち、先住民を駆逐、迫害、虐殺して、国をつくり、暮している。「シオニズム」と似たような信念だ。神が自分たちにこの地を与えた。そこに住んでいる奴らは駆逐されるべきだ。そして、おいらが興味深く思うのは、ヨーロッパから迫害されてきたユダヤ人知識人のハンナ・アーレントはアメリカ革命を賛美する。彼女が先住民に言及しているのかは知らない(勉強不足で調査中だがおいらは見つけてない)。そして、ネオコンの教祖とされたレオ・シュトラウスは下記云っていると知る;

  (前略)シュトラウスによれば、アメリカは「マキャヴェリ的諸原理に明白に相反して」創設された、兄弟殺しの罪を免れた世界で唯一の国である、と言われる可能性をもつ国である。トマス・ペインは、旧世界のすべての政府は征服と専制に起源をもつが、アメリカの独立は自由と正義のなかで達せられたと述べ、(後略) p13

 シュトラウスは、近代市民社会が疎外の支配する圏域であるというルソーやマルクスの見解には同意するが、普遍主義的な共同体の成立というマルクスの理想には反対する。シュトラウスは(中略)人間社会やコミュニティとは本質的に排他的、敵対的であると考えた。そして人間は、他者から区別された固有性をもつ一定のグループのメンバーとして深い絆を結び合うのであり、すべての人間を普遍的な属性として、あるいはだれもがもっている本性として考えることは不可能であり、正義は、人間によらない人間を超越した支えとそれに係ろうとする高貴な人間によって、初めて保証される。つまり先祖伝来の宗教のように「本物のもの、高貴なもの」への欲求と理想をもつある「社会」に固有な形態としてし存在しない。 p44

シオニズム?

 マルクス リベラル・デモクラシー 政教分離 「私的領域では、物質的な要素としての私的所有と精神的な要素としての宗教が本質的要素とな」る。

「北アメリカのような「無神論的国家、民主的国家こそが完成されたキリスト教国家」である。

◆ 島内景二、『三島由紀夫』

 島内は自ら、三島と同じく、東大法学部に入ったが、国文学者になったらしい。三島について、おいらが関心がある諸点について見解を述べていて、勉強になった。諸点とは、西洋と日本、三島の家、三島にとっての日本伝統、三島の知的背景、履歴、戦災、趣味(血)、一高問題など。結論や論の運びはついていけないものが多かったが、興味深かった。しかし、ディズニーランド問題への言及はなかった。

▼ 伊東静雄から「俗人」と切られる。三島、19歳。

 知らなかった。三島についての本での三島の経歴では蓮田善明のことはいつも出てくる。でも、日本浪漫派の有名詩人伊藤静雄のことはあまり出てこないのでは。おいらは、初めて知った。戦時中、サイパン島に米軍が上陸し熾烈な闘いが繰り広げられていた頃、三島(平岡公威)は自著の推薦文を書いてもらうために、伊東静雄に面会。即座に見限られたとのこと。なお、伊東静雄の詩、「水中花」(昭和15年)、すべてのものは吾にむかひて  死ねといふ、  わが水無月のなどかくはうつくしき というのがあるらしい。三島は伊東に「死ね」とはいわなかったに違いない。俗人だからだ。

 1944年5月22日の日記;「学校に三時半頃平岡来る。夕食を出す。俗人」。5月28日の日記:「平岡から手紙。面白くない。背伸びした無理な文章」

▼ 本物の欧米的知性

 三島由紀夫は、日本浪漫派からの発展で、ドイツ・ロマン派に親しんだ。だが、お伽噺の「時間と空間の紛糾した舞台」で生きてきた三島は、本物の「西欧思想と西欧芸術」の洗礼を受ける機会がなかったのではないか? p98

 三島は、本物の欧米的知性の洗礼を受ける機会が、遂になかった。三島は日本の文学者であり、「悠久な日本の歴史の請し子」だった。ただし、古代から近世までのすべての日本の古典を血肉化し、一つに融合することで、世界に通用する「普遍的な文学者」となったのである。p98

▼ 実現しなかった「一高生・三島」

 一高は(中略)徹底した外国語教育を通して、西欧近代の学問体系と芸術体系と政治体系を若者たちを叩き込む教育機関だった。 p96

▼ 変な家に住んでいたこと

 三島由紀夫は、晩年に住んだ大田区馬込の「白亜の豪邸」のイメージが強烈なので、ヨーロッパの王侯たちが栄華を誇った大宮殿に憧れていたと思いがちである。だが、それもまた、「三島伝説」の一つではないか。彼は、本当は「草庵」のような住まいが好きだった。最後の豪邸は、永住するためではなく、むしろ「破却・破棄」すべき価値ある建造物として必要だったのではないか。 p129

 (三島は西行を評価していた)西行は、「乱世」を生きた。西行と同じように草庵文学者だった鴨長明は、『方丈記』で「古き都を」の今様歌が歌っている「都移り」の実態を、「旧都は既に荒れて、新都はいまだ成らず」と書いている。そのような源平争乱期さえ上回る、太平洋戦争の大混乱を、三島は生きた。 
 そして三島は、「草庵で暮らす自分」のセルフ・イメージを維持し続けた。草庵の日々こそ、文学者の「使命感」が最高に燃え上がる、充実した生活だからである。「文明の廃墟」にあって、滅び去った「美しい文明」を追慕し、文学作品の中で「滅びた文明よりもさらに美しい文明」を作り出すこと。それが、「隠世者=文学者」の使命である。経済の高度成長を国是とした戦後日本ほど「美しい日本文明」の忘却と破却が進んだ不毛な時代はなかった。それは、太平洋戦争の空襲よりも悪質だった。「形」でなく、「心」の廃墟がもたらされたからである。 p142

▼ 西洋かぶれ

 三島由紀夫は、なぜあれほどヨーロッパに憧れたのか。三島の『潮騒』がギリシャ的な明るい世界観と人間観への憧れであるとすれば、三島にとってのヨーロッパやギリシャは、「自分から最も遠い地点」なのではあるまいか。そして、『潮騒』を書くことで三島は、「自分ではない人間」や「日本ではないような国」まで精神的な旅をした。そのうえで、真実の自分、すなわち「日本文化」、それも古代の日本文化を激しく恋い焦がれた。三島由紀夫の「日本回帰」は、自分自身が最初から固有に持っていた文化への帰郷であるのだ。 p214

 日本に生まれた三島は、「日本に固有なるもの」を「自己に固有なるもの」とするために、ドイツをはじめとする欧米の明晰な世界観に深く沈潜した。さらには。「男なるもの」の本質を知るために、「女なるもの」への沈潜も試みた。それほど、「真に日本的なるもの」への烈しい追想に行き、帰郷への渇望を抱えて、活発な創作活動を展開したのである。それが、三島のヘルダーリン体験だった。三島を「ロマン派」と呼んでよいのは、こういう意味においてである。 p215

▼ 血と死

 三島由紀夫は、「血と死」が大好きだった。この二つには、本能的な憧れと嗜好を持っていた。私が不思議なのは、三島ほど「神道」に深い理解を示した現代文化人はいないのに、神道の最大のタブーである「血と死」を決して忌まなかったことである。p301

 三島は、倫理学の第一人者えある相良亨と対談をしたことがある(「『葉隠』の魅力」)。昭和四十三年十一月二十六日、自決の二年前である。その時にも、神道は穢れを忌むと言われているが、武士が切腹して血を流すことが穢れに当たるのかどうか、平田篤胤の学説に対する不満を述べながら、三島は相良に質問している。その場では、相良からの学術的な回答はなかった。三島の「血の穢れ」に関する思い入れの深さが、あまりにも個人的な美学に根ざしていたからだろう。p302

▼ 『源氏物語』を越えて

 光源氏とスサノオは、どちらも貴種流離譚の主人公だから、確かに似た面はある。しかし、光源氏の女性的心性は、明らかにスサノオの「荒魂」とは違う。三島は、『源氏物語』が遠ざけた古代の「荒魂」を現代小説に復活させれば、『源氏物語』を越える傑作が初めて日本文学史で誕生すると考えた。むろん、女性的な「和魂(にぎみたま)」も忘れてはならない。優雅と野生の調和が、奇跡に繋がる。そして、四十五年間の絶えざる修練で、それを達成した。 p340

 思えば、三島由紀夫の四十五年間の人生は、自らが「日本一」になるために切磋琢磨の日々だった。

 三島の野心には、果てしがない。近代以降の「日本一」だけでなく、古代から始まる日本文学史全体の中で、「日本一」になりたい。そのためには、『源氏物語』を越えねばならない。それが、「世界一」の栄冠に直結する。 p261

■ 今週の対米英戦争一番槍:久留米の連隊=菊歩兵(菊兵団) 第56歩兵連隊

12月8日、すなわち75年前我らが日帝海軍が真珠湾を襲い、それより早く我らが日帝陸軍がコタバルに上陸した愚記事


中村研一(wiki)コタバル。(google)

1941年12月8日午前1時35分、第一回上陸部隊約1300名は約20隻の舟艇で隊形を整えてコタバル陸岸へ進発した。第二回上陸部隊は第一回の30分後に出発予定であったが遅れ、午前2時45分、那須歩兵連隊長以下が出発した[30]。午前3時30分、第一回の舟艇の一部が船団に帰ってきたころ、英軍機3機が日本の船団と艦艇に攻撃を開始し、その後一時間にわたり低空爆撃と機銃掃射を反復した。そのため、橋本少将は揚陸を第二回までで中止し、船団はシンゴラに退避するべきと陸軍に意見を述べたが、陸軍の支隊長は上陸戦闘遂行上認めがたく3回必要であるとして、午前6時30分までに上陸が終了するとの支隊長の判断に基づき、同時刻になったら揚陸状況にかかわらず船団を退避することで合意した[31]。第三回上陸部隊は第一回で使用した舟艇が細切れに戻ってくるのに逐次移乗出発することになった。その間、英軍機4機の反復攻撃により「淡路山丸」が被弾炎上して放棄され、残る2隻の輸送船も被爆して150名以上の死傷者が出た。午前7時、橋本少将は泊地の各艦に退避を命じた[32]。上陸した第一線部隊は英軍の水際陣地に苦戦し、日没までにコタバル飛行場を占領する目標は達せられなかったが、佗美支隊は800名以上の死傷者を出す激戦ののち、8日夜半占領に成功。9日午前にはコタバル市街に突入し、英軍を急追して南進を続けた。wiki

久留米城址、篠山神社

歩兵第56連隊(wiki)。マレー作戦(wiki)。

■ 今週の「最凶」、あるいは、最「狂」?


福岡県久留米市、全国総本宮 水天宮。真木和泉守保臣(wiki) 像。

「我が国は神州であり、たとえ国土・民族が滅亡することがあろうともあくまでも攘夷を断行すべきである」(上wiki)

■ 今週の意外


孫崎さんは「パンダ外交」蔑視派と知る。孫崎さんの対中態度は下記のようなもだ。