水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「風間陽水の依頼簿(カルテ)・798」

2016-01-21 21:09:12 | Weblog



カルテ番号 も・6(6)

一通り動作が終わって、夫人は隣のベンチに来た。
そこには夫人のものであろうバッグが置いてあった。
バッグから水筒と簡易コップを取り出した。
どうやらお茶のようだ。
そして、コップに注いでから、茂木滋の方を見て、少し礼をした。
それは、見知らぬ人ではあるが、近くで飲食する時の礼であった。
今の日本には廃れてしまったマナーでもあった。

そうだった。
マナーも道徳も時には法さえも無視して生きてきた。
だが、混乱期の日本でも、そういった心配りはいたるところにあった。
日本は戦争も敗戦も混乱も動乱もあったが、心配りは染みこんでいたのだ。
それがどう評価されるかは立場によって違うだろう。
茂木滋のように、ほぼ無法で生きてきた人もいる。
それでも、その心配りは美しいと思った。
今なら、充分解る。

茂木滋は、それに対して、深くお辞儀を返した。
その心配りにお礼をしたかったのだ。
商売上で深くお辞儀をすることは幾度もある。
心の中で毒付きながらも、深く頭は下げられる。
逆に社長という立場の茂木に、深く頭を下げる人。
お金を持っているという事で、頭を下げる人も日常茶飯だった。
腹の中は茂木と同じようなものだったろう。
そういうお辞儀とは、全く別のお辞儀が自然に返せた。
その事に、茂木は軽く驚き、そして、自分はもう長くないのかとも思った。

(登場する人物・組織・その他はフィックションです)

(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。
治療・若返り・講演、お話会依頼、悩み相談受付中。日本中出張します。
ブログで書いた「迷説般若心経」  「迷説恋愛論」  「迷説幸福論」
誰か出版してくれぇ~
18年間封印していた本物の「氣入れパワーストーン」を販売開始 「笑顔の雑貨屋Yakkoo」)
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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・797」

2016-01-20 19:02:54 | Weblog



カルテ番号 も・6(5)

会社で働いている時、死という事を意識した事はなかった。
会社を離れ、毎日が自分一人の時間になってからだ。
自分が老齢だと思うようにもなった。
それが寂しいとは思わないが、身近にあるような気がする。
老齢とは、幾つからだろう。
おそらく、年齢で線引きするのではない。
意識し出した時から、かもしれない。

特別に運動をしてはいないが、歩くのは好きだった。
好きというよりも、歩いているほうが楽になれる。
とはいえ、街の喧騒は疲れる。
やはり公園や土手を歩く。
そして、日本は四季が美しいと感じるようになった。
今まで、四季の美しさに心が反応してなかったのだろう。

一通り歩くと、公園のベンチで休む。
時には喫茶店も入るが、公園のベンチの方が落ち着く。
ある時、その公園でゆっくり体を動かしている婦人がいた。
おそらく、あれは太極拳だろう。
見ていても、その婦人が気持ち良くしているのがわかる。
自分の世界に入り込んでいるのもわかる。
そして、優雅でもある。

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・796」

2016-01-19 19:04:00 | Weblog



カルテ番号 も・6(4)

金と地位がある時、人はやたらと近づいてくる。
会社が経営不振の時だった。
それまで力になる、と言っていた人達が来なくなった。
蜘蛛の子を散らすように、という表現通りだった。
そして、好調になると、とても親切で寄ってくる。
そういう人達ばかり相手にしてきたのだ。
もちろん、自分も同じだった。

もう充分だった。
そういう関係の人達と関わるのは嫌になっていた。
だから、会社からは縁を切った。
自分で作ったとはいえ、もう未練はなかった。
案の定、訪れる人はいなくなった。
まぁ、自分で蒔いた種でもある。
いや、自分で種を蒔かなかったということか・・・

社長をしていても孤独だったのだ。
今更一人きりでも、殊更寂しいとも思わない。
趣味というほどの事もない。
読書は好きだが、近ごろはさすがに目が疲れる。
それなりに衰えてはいるが、特に病ということもない。
だが、死というものを意識するようになった。

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・795」

2016-01-18 18:05:58 | Weblog



カルテ番号 も・6(3)

世の中、建前がある。
綺麗事を言いたがる。
正論を言いたがる。
特に公の場で話す人は本音など話さない。
地位のある人が、金で傾くのは常識だと思っている。
もちろん、どんな事でも例外がある。

茂木滋は家庭の事情で中学校だけしか出ていない。
その中学校も、ほとんど通っていない。
食べる為に働くのが優先だった。
それでも、読書だけは好きだった。
そして、わからない事はどんどん質問していった。
自分で調べた。
いつの間にか、茂木は物知りといわれるようになっていた。

5年前に社長職を退いた。
会長職にもならなかった。
それまでの働きで、一生暮らせるだけの財産はある。
だが、結婚しなかったから、身内はいない。
家もさほど大きくはなかったが、一人には広すぎた。
家政婦が2日に1度くるが、基本的には一人きりだった。

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・794」

2016-01-17 18:57:42 | Weblog



カルテ番号 も・6(2)

思い出したくない仕事もした。
生きる為には仕方がない、と思っていた。
親も兄弟もいない。
仲間はいたが、友達ではなかった。
それでも商才があったのだろう。
次第に金回りがよくなっていった。
気がつくと、小さいながらも会社経営者だった。

日本は、もっと景気が抑揚していった。
高度成長期とかいわれた。
敗戦直後の食べ物の為だけに仕事をしていたのが変わった。
金を増やす為の仕事になった。
そして、会社は大きくなった。
それなりに、遊びも覚えたが、いつも不満だった。

金も地位もある立場になった。
だが、どうしても家庭を持つ気持ちになれなかった。
女には不自由しない。
金があれば、ほとんどの事に不自由はしないものだ。
全員ではないが、心は金で傾く事を充分に知っていた。
極少数の例外がいる事は知っていた。

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・793」

2016-01-16 19:04:54 | Weblog



カルテ番号 も・6(1)

茂木滋は80歳になった。
まさか自分が80歳まで生きるとは思わなかった。
日本が戦争に負けた時、10歳だった。
敗戦ショックというものはなかったが、とにかく大変だった。
何しろ、食べ物が無い。
毎日、腹を空かせていた。

父親は知らない。
召集令状で南の島に行ったきり帰ってこない、と聞かされた。
茂木滋は、その父の顔さえしらなかった。
写真もない。
母は父親の事を話したがらなかった。
大人になってから、こっそり調べてみた。
どうやら通常の結婚ではなかったらしいと推測できた。
それ以上、調べようとはしなかった。

滋を育てる為、母はとても無理をしていたのだろう。
43歳で逝った。
滋は22歳になっていた。
日本は復興に向けて、急成長と混乱の最中だった。
仕事はあった。
何でもあった。
怪しげで、儲かる仕事も沢山あった。

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・792」

2016-01-15 19:06:02 | Weblog



カルテ番号 め・3(60)

誰かの本だった。
女は50歳過ぎてからが、女になれる。
女の花が開く。
そして、その先は、ずっと花がある。
もちろん、本人次第だろう。
だが、自分が60歳になって、意味が解る気がする。

「裕子さん、私達、これからなのね」
「そうよ。今までがあって、これからがある。
新たな、これからがあるのよ」
社会の中で生きてきた。
これからも社会の中で生きていくのは違いない。
でも、社会の固定概念からは自由に生きられる。

裕子は言った。
「こういう話、あの先生としてみたいね。
今度は一緒に行ってみる?」
礼子も微笑んで答えた。
「それもいいわね。
お話会、みたいな感じで予約してみましょう。
もちろん、お互い、それぞれが行く時もね」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・791」

2016-01-14 19:20:54 | Weblog



カルテ番号 め・3(59)

三木裕子も頷いた。
「私も、とても素直になれている。
この30年間、気張って生きてきた。
30歳からだから、いろいろお誘いもあったわ。
でも、異性なんて興味なし、という態度だった。
実際、一人で娘を一人前にする決心だったし。
酷い結婚生活だったから、結婚なんてこりごりだった。

上手くいっている、他の夫婦も、うらやましいとは思わなかった」
でもね、心の底から男性が嫌いかというと、そんな事はなかったわ。
結婚ではなく、時々のパートナーが欲しい時もあった。
もちろん、肉体的にもね。
でも、こんな話、本当に初めて口にするわ」
そう言って、三木裕子は照れたように笑った。

年齢じゃない。
そんな話を聞いて、礼子は、つくづくそう思う。
むしろ、娘を一人前にして、やっと自由に考えられるのではないか。
結婚は、家庭を持つ為にする。
社会的に協力し合って、暮らす為にする。
だから、社会的に適合している事が優先だ。
子供が出来れば、一人前まで育てる。
出来なくても、お互いが助け合って暮らす為の家庭だ。

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・790」

2016-01-13 19:17:46 | Weblog



カルテ番号 め・3(58)

三木裕子は社交的で積極的な生き方をしてきた。
母子家庭を意識して、そうせざるを得なかった。
礼子とは、かなり違う性格だった。
でも、とても気が合う。
構えていた分、気持ちをさらけ出すなんてなかった。
それが、礼子といると、自然に何でも話せる。

「礼子さんが男性だったら、結婚してもいいな」
「裕子さんは、まだ結婚願望があるの?」
「う~ん・・・。どうだろう・・・
そうねぇ・・・今更家庭は持ちたくないけど・・・
何だか、一人きりで寂しい気持ちもあるわよ」
今まで、決して言わなかった言葉だ。
今までなら、絶対結婚なんてしない、と言ってきた。

礼子は改めて考えた。
そんな事は考えた事が無かった。
夫に先立たれ、子供はいない。
これからは、一人で暮らすしか道は無いと思っていた。
それに、もう60歳も過ぎている。
新たな異性と結婚なんて、夢にも思えなかった。
でも、ほぼ同い年の裕子の言葉で気づいた。

「私は、全く考えた事もなかった。
というよりも、そんな道は無いと思っていた。
でも、違ったのね。
選択できる道は沢山ある。
今は、とても他の人と暮らしたいとは思わない。
けれど、それは選択できる道の1つなのね。
今までと表面は変わらないけれど、大きく変わっているわ。
私、とても自由になっている」

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「風間陽水の依頼簿(カルテ)・789」

2016-01-12 19:07:52 | Weblog



カルテ番号 め・3(57)

悲しい事や辛い事は、勝手にやって来る。
でも・・・愉しい事は作り出せる。
そして、大切なのは、どちらにもしがみつかない。
巡らせる事・・・
今まで、暗く、閉じこもっていたのだ。
それは、自分で動こうとしなかったからの受け身。
ならば、明るく、愉しく生きられる。

「裕子さん、こちらこそ、ありがとう、です。
今のお話、私にとって、とても大切。
私、閉じこもっていたでしょ。
自分で受け身だけだったのね。
辛い事、悲しい事をしっかりつかんでいたのね。
そして、愉しい事や嬉しい事も待っていた。
いつまでも来ないと嘆いていた。

でも、愉しい事や嬉しい事は自分で作り出すもの。
待っているのは、間違い。
自分で動いて、見つけるものなのね。
ならば、これからの未来、とても期待できるわ。
悲しい事や辛い事は勝手にやって来るから、あるかもしれない。
でも、嬉しい事や愉しい事を沢山作り出せは、楽になれる」

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