水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
波動帯の重なりは共鳴する。
だから「出会い」が起こる。
ところが、この世の特徴がもう一つある。
波動帯が違う相手との「出会い」がある。
違うといっても、近い状態だ。
一つ先、二つ先の波動帯だ。
あるいは、一つ前、二つ前だった波動帯だ。
それらとの「出会い」を「縁」という。
少し先の先導役となる相手との出会い。
自分が(意識せず)先導役となる相手との出会い。
お互い様というやつだ。
この世は、とても親切に創られていた。
肉体を持って生まれて来たのだ。
否応無しに歩くように出来ている。
自然体で歩けば、喜びと出会うように創られている。
この世に存在できるのは
とても
ラッキーだと思う。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
キーワードの「自然体」
諸行無常。
万物流転。
常に自分が変化している事実。
常に全てが変化している事実。
波動帯が重なると「出会い」となる。
波動帯は常に変化している。
だから常に「出会い」があるのが事実。
それを知覚するか、活かすかは生き方だ。
変化を無視する。
出会いを無いものと思い込むのは「無理」という。
「理(法則)」を無視すれば「苦しみ」を生む。
(心の)閉じこもりは「苦しみ」を生む行為だ。
出会いは内(家)にはない。
出会いは外に溢れている。
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生きているのは「出会う」為。
ならば「出会う」事を意識して生きるのが自然体。
自然体に沿っているなら現象が起きる。
それが自然体なんだと判るようにサインが出る。
グレちゃんは(ヒネクレていても)優しいのだ。
嬉しさ・愉しさ・気持ちよさ。
そして、生命力は活性する。
自然体は超積極的な生き方だと思う。
無理せず、無駄せず、ひょうきんに。
「出会い」は人だけではない。
むしろ、人との出会いは限られている。
「出会い」は「新たな世界」だ。
体験であり、体感であり、気づきだ。
それは自然体であるほど多く出会う出来事となる。
理屈や理論や計算での出会いではない。
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この世は
何故
存在するのか?
アホでなければ疑問にしない。
疑問を持っても、持たなくても変わりない。
毎日生きていくのに変わりない。
でも・・・何故、存在しているのだろう?
ワシは思った。
この世は「出会い」の為の場。
グレちゃん(創造主)は優しい仕組みを創った。
グレちゃんは・・・出会い系サイト経営者。
あの世は「出会い系」の世界ではないらしい。
たぶん・・・あの世は「自己内部」の世界だろう。
問い・・・何故「出会い」があるのか?
答え・・・グレちゃんがその目的でこの世を創ったから。
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流されて歩いていると、疑問に思わなかった。
だが、アホは時々口を開けて空を見上げる。
その時は足も止まる。
アホだから一度に二つの事が出来ないのだ。
空を見上げていると、いろいろな何故?が浮かぶ。
子供の頃に帰れるのだ。
何故「出会い」があるのか?
何故「別れ」があるのか?
人生は「出会いと別れ」の繰り返し。
「出会い」があるから「別れ」がある。
などと、何の疑問も思わずに受け入れていた。
疑問を持たない人は頭が良い人だ。
疑問を持つと、テストで良い点が取れないのだ。
今の日本は頭の良い人ばかり製造している。
頭の良い人は・・・利用しやすい。
疑問を持たぬ人達は管理しやすい。
(誰がそういう世の中に変えたのだろうね?)
何故、戦争を認めているの?
近い未来、疑問を持つアホは狙われるかも・・・。
非国民とされるかもしれない・・・。
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マハトマ・ガンディーというジイチャンがいた。
争いをしない生き方を実践した偉人だ。
もちろんMの一族だ。
(ワシの師匠の師匠の師匠にあたる人だ)
Mは「いいところ探し」の特性もある。
ガンディーは長所や明点を出し続けたのだ。
それがインドを独立自立させた勇気となった。
褒め続ける。
疲弊の人々。
闇(病)を見つめる人々。
奴隷の国民を自立させたのは明るさだ。
敵を攻める勇気ではない。
今、かなり(戦争に)危ない状況の世界。
(軍国化に)危ない雰囲気の日本。
蛮勇は双方酷い結果しか残さない。
必要なのは、明るさなのだ。
褒める目線。
ボケの明るさ。
M嬢はやっぱりイイオナゴだった。
Mの大切さを改めて気づいたワシだった。
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Mは平和的だ。
虐げられるのが好きなわけじゃない。
争いが苦手なのだ。
その代表にキリちゃんがいる。
イエス・キリストというオッサンだ。
「右の頬を打たれたら、左の頬を出す」
キリちゃんはMなのだ。
打たれるのが好きなわけじゃない。
打つのが苦手なのだ。
相手を侵す(犯す)生き方はマッピラゴメンだぁ。
キリちゃんはそう言ったのだ。
SはMの暴走を止める時のみ存在を許される。
それ以外はいらないのだ。
Sの国、某アメリカや某中国は生き方を変更しよう。
敬虔なクリスチャンが戦争の応援をする某アメリカ。
信者はキリちゃんの生き方、もう一度学びなよ。
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少し褒められるのは心地よい。
ある程度なら褒められて嬉しい。
褒められれば誰でも伸びる。
だが・・・程度がある。
人によって程度にも差がある。
その程度を超すと・・・
褒められると図に乗る。
伸びるのを止める。
傲慢になり、転がってしまう。
褒め殺しという言葉があるのだ。
ダメにする事を意識して使う。
意識しなくて使ってしまう。
結果として褒め殺しにはなる。
限度、程度、適量というのは何にでもあるのだ。
Mの特性・・・
止めないと、簡単に限度を超す。
ツッコミ役(S)がいて、Mは活きる。
M嬢は(意識しない)褒め殺しが得意だったのだ・・・。
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「先生ってモテるでしょう」
(生まれて初めて聞いた言葉だ・・・)
「Mさんこそモテるだろ」
「先生、今まで会った中で一番ステキ」
「Mさん、京都で一番だよ」
「先生こそ関西で最高」
「Mさん、日本一!」
「先生、アジア最高峰」
「Mさん、世界一!」
「先生、地球で最強!(なんで最強?)」
「Mさん、太陽系で一番美人!」
「先生こそ、銀河系で最高よ」
「Mさん、宇宙一!」
「先生、え~と・・・え~と・・・」
(フッ、勝ったぜ・・・)
誰も止めてくれなくても、自動的に止まる事もある。
宇宙より大きいのは何か?
空しいボケは宇宙哲学を招いたのだ。
「Mさん、宇宙より大きいのは、心だよ」
心の仕組みは宇宙と同じだ。
多くの様々な大きさと質の星がある。
多くの様々な大きさの感情や記憶や思いがある。
それらは互いに複雑に干渉影響しあっている。
どれか一つが心じゃないぜ。
心は(複雑すぎて)マトモに相手にできない。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
空しい言葉の中に漂うと人は哲学する。
そういう仕組みで創られたらしい。
グレちゃん(創造主)はオチャメなのだ。
妻に虐められてソクラテスは大哲人になった。
悩んで大きくなるとは限らない。
が、誰でも悩んで哲学するようだ。
もちろん正しさなんて無い。
アホな仮の結論しか掴めない。
悩みは萎縮し歪むだけだ。
だが、悩みを解放すると、成長する。
我々MMコンビは空しさから哲学へとシフトした。
ボケも果てしなく続けば空しさを脱却する。
明けない闇(病)は無い。
飽きないボケはある。
したがって・・・ボケの勝ち!
アホは得意技だ。
アホな結論は得意なのだ。
病(闇)はボケに負ける・・・。
ワシは・・・
名医かもしれない。
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