alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

未だ見ぬどこかへ

2010年08月10日 | 想いをカタチに


 パリにきてもう4日目が過ぎ
どうなることかと思っていたけど
今回もまた 想像以上にいい驚きに満ちていて
あー やっぱりなあ 私も仲間に入れてほしいよ
私もここで暮らしたい!!と本当に強く思ってしまう。


 今回はなんだかとっても肩の力が抜けていて
いつもはかなり気を張ってるのに
今はとてもゆるくて自然体 で
めちゃくちゃにカフェをまわらなきゃ!とも
思ってないけど 気がつけば4軒くらいは行っていた
そんな感じで過ごしてる。




 やっぱりここに住みたいなあという
気持ちはどんどんつのるばかりで
さあて一体どうすりゃいいのかと
考えてみたり 考える前に一応勉強しにきたわけで
フランス語の雑誌を買って がんばってカフェで
読んではみたり さあてどうしたらいいものか。


 私は自由を求めてて 自由に生きてみたかったけど
私の受けてきた教育が 私をがっちり縛ってて
「もう好きにしたっていいよ」と言われても
私は私を縛ってた。勉強をしなきゃいけない
もっともっと 学ばなくては
もっともっと あの本も読まなくっては、、、


 そういう風に生きてきて 
そういう風に学んできたけど
今フランス語のガイドの試験を受けるため に
また日本史の問題を解いたりしてるのだけど
さっぱり記憶に残ってなくて
日本で一番くらいに日本史が難かしいとされていた
早稲田の商学部に受かるため に めちゃくちゃ
勉強してたというのに こんなにも忘れるものかと
哀しさをとおりこして空しくなってしまう。


 勉強って しなきゃいけない
到達しないといけないと思ってしていても
「テスト」が終わったその後に
ほとんどのものが指の間からすりぬけてしまうかも
しれないけれど 本当は 「勉強をする!」
そのためにするんじゃなくて ただ
知りたいから 興味があるから
なまけた風に生きながら も
時折雑誌を読んだりしながら
自分の血となり 肉となる そんな
知識となるように 身につけていくものかもしれない。




 私の中で この2回にわたるパリ滞在で
沢山のことが変わり始めて 
私の中の真実に 私は気づき始めているようで
本来持ってた自分らしさが ようやくここで
でてきたようで ありのままの自分であれる
それって とても気持ちがいい。
無理にがんばろうとしなくても
無理に問題をとこうとしなくても
好奇心をもとにしてたら すっと入ってくるものがある
知識は後からついてくる
なんだかそんな 気がするな。




 昨日は新聞を読まなくちゃ!と
やっと空いてるキオスクをみつけ
これで買えると思っていたら
あれ?なんだか興味のある題、、、
'philosophie'(哲学)という雑誌があって
特集は'peut-on changer de vie?'
(人生を変えることはできるのか?)と書いてある。
これだよこれ、、、 今の私にしっくりくるのは。

 いくらかな?と思ったら600円くらいして
新聞よりはだいぶ高いけど まあ仕方ない
哲学の雑誌なんて読んだこともなかったけれど
興味のあるタイトルだから買ってみよう、と
それを手にすることにした。




 それからバスチーユのカフェにいき
辞書も使わずがんばってみる。わかるところは
わかるだろうし わからんところはわからないけど
それでも先日京都で出会った人がいってた
ドゥルーズの話が載っていたりしたようで
あ これは理解できるとか サルトルの
「実存主義とは何か」の中で
「人間はかくあろうとしたものになるのではない
かくあろうと投企したものになるのだ」と言っていたのが
でていたりして なーんだ 意外と わかるところは
わかるんだ と思ったりした。


 いつになったら 私の中で 時が満ちてくれるのか
いつになったら もう十分だ 旅立っていいといえるのか
「日本でだって できることはたくさんあるでしょ?」
多分誰かがそういうだろう いつまで待てばいいのだろうか
読まなければいけないと思っていた沢山の本。
フランス文学 哲学書たち 詩だって全然知らないし
日本にいるうちだから 翻訳書 で読むことができる
だけどいつまで 待てばいいのか?
いつになったら もう十分だ フランスにいこうと
言えるのだろうか サルトルも言っていたけど
自分の人生を運命づけて きっとこういう運命だから
自分はこうするべきなんだ と道を決めるのは
自分であって それは他の誰でもない。




 他のすべての人にとって どうでもいいような出来事を
自分には運命かも と 運命づけてみることは
その人の選択であって 時がきたか 来ていないかを
決定するのも自分な訳で 日本語で読まなくっても
私の語学のレベルがあがったら フランス語で
フランス語のまま 理解できる日が来るかもしれない。
彼らはフランス語で書いたのだから
そこには 言葉特有の ニュアンスだってあるわけだから


 私はどこかに到達したい
日本では雲がかかってちらついてしか見えなかった
あまりにも遠い景色が ここにきて
また目の前にあらわれて
自分さえ がんばったなら
もしかしていけるのかもしれなくて
そこに手を差し伸べてくれる
そんな人だって いるのかもしれなくて
行けるのだったら 私はもっと遠くに行きたい
そしてこの地でもっと自分の気持ちに素直になって
未だ見ぬどこかへ到達したい


 どうしたらいいのかなんて
私にはわからないけれど
まだ何かが起こる可能性はあるわけで
「何か」をカフェで 待ってみよう




フランスに行くなら

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