alternativeway

パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

異邦人のパリ

2010年08月12日 | フランスあれこれ


 今までずっとのんきに気持ちよくパリを
楽しんでいたけれど 昨日はいろんな機会があって
ちょっと考えさせられて 自分が向かいたい方向と
そこでたちあらわれてくるだろう沢山の難題に
どう向かっていったらいいものか と
悩んでいたら気分はずいぶん落ち込んで
また笑えない私になっていた。


 昨日はパリの友人主催の「お茶会」という
日仏交流イベントがあり、
興味深い人たちがたくさん来ていた。
パリに10年以上前からアパルトマンをもっていて
日本といったり来たりしながら、作曲活動をしてる人、
アクセサリー作家の人で、東京に住んでいるけど
年に2回くらパリに長期滞在しながら制作を
している女性、カメラマンとしてパリに来たけど
今は着物っぽい洋服を売る仕事をしている男性に、
大学で源氏物語を研究してから卒業後すぐに
パリに来たという22歳の女の子。

 いろんな人がいるんだなー


 パリには強い人たちがいる。


 みんな自分の方向性で なんとかどこかへ
到達しようともがいてて パリにいたら
「パリの日本人」の一人なんだけど 日本の中では
有名な美大を優秀な成績で出た人だとか
音大から何人かしかいけない留学で
コンセルバトワールに来てるとか
そうとうなレベルの人が わんさかそこにはいるんだな。
まあ あんまりすれ違うこともないのだけれど。



 その帰り道の12時過ぎに、まだキラキラしている
サンミッシェルの明かりの下で、
そのうちの一人がこう言っていた。


「30歳を過ぎてからじゃね 外国に移住するのは
本当に厳しいと思いますよ」


 その男性の言葉に続いて
アクセサリーをつくってる女性はこう言った。
「そうですよねー 私も住む勇気はなかなかないなあ
たいていはワーホリでパリにきても1年終わったら
みんな帰ってきてますよね」そうなのか、、、
私はどうしたいのか なんとも言えないとこだけど。





 昨日はその「お茶会」という友人宅の日仏
交流会に、念願の浴衣を着ていき、「お茶会」という
名前なんだから一度はお抹茶たててみようよ!という
これまた小さな願いがかなって 浴衣で簡単な
お手前をした。私なんかがするのだなんて茶道界では
侮辱に近いかもだけど それでもやってくうちに
それなりに作法を思い出し それにだいたい
みんなお抹茶を飲んだことすらなかったようで
「まずはお菓子から食べるんです」とか
「正面をさけるためにこうやってまわして」とか
いろんなことを それなりにだけど説明ができて
経験としては とてもやってよかったなー。




 私のフランス語 は どうなのかなと思うけど
いまだに読むのはさっぱりだけど 話す分には
相当レベルがあがったらしく みんなの前では
とても難かしかったけど 「あらパリに住んでるのかと
思ったわ!!パリ在住の人みたいにフランス語上手ね!」と
言ってもらえて嬉しくなった。8年前のあの苦しすぎた
時期をなんとか乗り越えて 今では話に入っていける
フランス人が何人かいても それなりに は
話に入れる。流暢には なかなかなれないけれど
それでもたまにびっくりされる それが私は
とても嬉しい。だって 本当に辛かったから。



 話ができる 表現できる もっと彼らの
あのリズムの中にのっていたいと私は思う。
私も一緒に笑いたい し カフェでカウンターに
一人で行って 私も冗談の1つも言いたい。
もっともっと 教えてほしい 沢山のことを
発見したい。パリは私にとっては驚きと
発見に満ちている。





 昨日はずっと行きたいと思ってた
アジアの仏像や芸術作品がたくさん展示されている
私の大好きなギメ美術館に行ってきた。
そこで私がみたものは クメールの美しすぎる
仏様だけじゃなくって 最近日本史で勉強してた
なんと銅鐸、それから青銅器の鏡に甕棺!!
(ご存知ですか?縄文時代に死者を埋葬していた
陶器の大きな丸い棺です)
よく甕棺もってきたよな!!日本からこんな
壊れやすそうなものどうやって!?とかなり驚く。


 それから土偶に埴輪 埴輪は馬のと人形があり、
時代が飛んで日本刀でしょ、刀の鍔に、印籠に。
それから楽茶碗に尾形乾山のお皿まで!!
こんなの日本じゃみれないよ!?甕棺なんて
どこでみれるの?銅鐸なんてはじめてみたよ
尾形乾山だって京都で展覧会をやってた他には
みたこともない。それから北斎漫画もあった
パリ、、、すごすぎる、、、


 しかもパリでは それを「日本だけの文化」として
みるんじゃなくて 隣では韓国の展示があって
その隣では中国の展示があるから
うわー 本当にこんなに影響されてるんだとか
中国ではこんなにもはやくから青銅器が
使われてるんだとか そういうのがわかってうれしい。
しかもフランス語で書かれた説明は いつも難かしいのだけれど
アジアの文化に詳しい人と一緒に行くと
かなり教えてもらえるので それが私はとっても嬉しい。
展覧会って 一人で行っても あんまりいいもんじゃないんだな。
(ここの人たちはアフリカの古代文明を説明できたり
チベット仏教に詳しかったり、中国の歴史を知ってたりする)




 今の私の人生に は 沢山の難題があるけれど
それを全部 解決するのは 難しいのだと思うけど
問題を全部考え込んで しんどくなって暗くなるよりは
自分自身に素直になって 笑って一歩
歩みを進めた方がいいのだろう。

 パリにはいろんな人がいる 
人生は時に難かしく 時に複雑なんだけど
複雑なことを経験してきた そんな人たちも
いっぱいそこには存在してて それでもみんな
それらをそのまま背負ったままで
ワイン片手に ちょっと笑って生きている。
苦しかったら?飲みに行こうよ!
じゃあいついく?今週の日曜日!
そんなノリ が いつもあって
東京みたいに3週間先じゃないと予定が埋まって、
とかじゃない。明日だめなら明後日は?という
かなり適当に でも絶対に 会える感じが
私は嬉しい。こんどはみんなで浴衣でワインバー。




 諦められたら ことは簡単になるのだろうと思うけど
でも ここに 集ってきている外国人は
とりあえず 諦めることをいったん拒否した人たちで
この先どこまでい続けるのかも
何をするかもそれぞれだけど
彼らはやっぱり私に刺激を与えてくれる。
これから先はどうなるだろう?
神のみぞしるならば もがこうとするんじゃなくて
いろんな殻を取り除き、ゆだねた方がいいのだろう。

心地よい風に吹かれて

2010年08月11日 | インフォーマルパブリックライフ


 「みきちゃんはついてるよー!
みきちゃんが来る一週間くらい前のパリはね
めちゃくちゃ寒かったんだから!7月14日の
革命記念日の時だなんて みんな色々
準備してたのに嵐だったよ 嵐!!」

 そうなのかー パリはとっても
過ごしやすいと思っていたけど
それでもパリに住んでる日本人の彼女に対して
京都の殺人的な暑さと湿気について話をすると
「確かにね、、、帰ったら大変だろうね」と
納得してくれる。彼女は京都にも5年住んでたのだけど
湿気からくる微生物のアレルギーがあるらしく
乾燥したところじゃないと、毎日病院通で
大変らしい。だからインドやオランダに住み
パリももう4年目くらいで 両親は
そんな病弱だった彼女を想って
「帰ってこなくていいよ」と言ってくれてるらしい




 私もそんな病気だったなら 
私も病気といえたなら 日本の湿気と
エアコンの中で生きてけないと言えたなら
そんなだったらいいのになー なんて
京都にいるときよく思ってた。

 パリにきたら 湿気もなくて 涼しくて
変なストレスが全くないから
夜だってぐっすり眠れて 日本にいるとき
一ヶ月半夢にみていた ただただ
「眠りたい」ということが
ようやく叶って 本当に気持ちいい。




 「やっぱりまた来ることにしました」
そういって 彼女と昨日はサンマルタン運河の
隣のカフェで待ち合わせして 心地よい
運河沿いの樹々をさわさわ揺らす風に吹かれて
彼女のことを待っていた。
すると彼女が現れて 私にこう言ってくれた。
「みきちゃん おかえりー!!!」


 そう パリにいる友達は
なんだかんだ 言ったところで
結局「おかえり!」と言ってくれ
それが私はうれしくて 「いつ帰ってくるの?」とか
「いつになったら本当に住むの?」と冗談であったとしても
聞いてくれるのが私は嬉しい。
東京の友達もそうだけど 受け入れてくれる
あったかく あえてよかったよ!と受け入れてくれる
それが私は本当に嬉しい。




 彼女と4時間くらいにわたって
パリのことやら日本との違いなんかについて話をしてて
あーこんなことが思いっきり話せるなんて
なんて貴重な友達なんだ!と嬉しくなった。
彼女はパリを知っている。そして日本も知っている
そんな人って 日本においては本当にまれで
だから私にはありがたい。
彼女は私の情熱も このもどかしさすら
応援してくれ いつか私も仲間に入れて
パリに住む面白い人の一人になれたらいいなと
本当に そんな日がくることを祈ってしまう。


 パリはね 嫌なところもたくさんあっても
なーんか 気楽 なんだなあ
だって適当なんだもん スーパーで買い物したって
レジの店員さんはたいていは隣のレジの人と
会話をしながらピッとしてるし
日本みたいに おそろしいほどの早業で
かごにきれいに整頓してくれる
そんなことは全くないし
(だけどいつも主婦として思うんだけど
あれってほとんど意味がない!だって
そのあと買い物袋にいれるには 重いものから
入れ直さないといけないわけで
底のものからとりなおさないといけないんだよ?
ほんの一瞬するだけなのなら 買い物袋に
いれやすいように反対にしてくたらいいのにと
私はいつも思ってしまう)


 洋服屋さんに行ったって 試着室も
ないとこで いきなりTシャツを試着しはじめる
人もいるし フェイスカバーなんかもちろんないし
買ったところで きれいにたたんでくれていることも
あるけれど たたまれていないこともある。
本当に 適当 なんだなー。
それがイヤ!!!と思う日本人もきっとめちゃくちゃ
多いだろうけど わたしもはじめはびっくりしたけど
最近はそれくらい 息を抜いた感じがよくて
気持ちよく 自分の気持ちにしたがって
誰かのことばかり考えないで 生きてみたっていいんじゃない?と
思えるようになってきた。



 おとといから 哲学の雑誌で人生を変える
特集について読んでるのだけど 
私は今頃この年になって ようやく自分に気づき始めて
驚いてるけど そんな人は 実は私だけではないんだそうな
学生時代に勉強をして おわったら就職をして
ひたすら働いて ふ と 何かの機会があって
本来の自分に気づく それは私くらいの年の人にはあるようで


 なーんだ 私だけおかしいわけじゃなかったんだ。
フーコーは「人生を一つの芸術作品のように生きること」が
大切だ と言ってるらしい。ドゥルーズは、
いろんな選択肢がある中で 欲求や偶然にそって
前に進んでいくことが大切なんだと言ってるらしい。
人生には転機があって その転機を転機とわかっても
先に進むか進まないかは 自分自身が決めること で
パリにはもう一つの生き方がある
そしてそれは おそらく私に合っている。
こんなにも気持ちよくって こんなにも自分らしくて
こんなにも笑っていられる そしてどこかに
向かっていける 私はそれがとてもうれしい。


 フランス語 で 哲学を
その言語のまま 学んでいったら
1年後には 私も哲学カフェで 議論の輪 に
入れるだろうか 私は何にも知らないけれど
教えてくれる人がいるなら 助けてくれる人がいるなら
どこかに向かっていけるだろう。

 パリの友達はみんなやさしい
パリにいたら 時間もあるから助けてくれる
日本にいたら時差やら会えないやらで
本当に大変だけど パリにいる と
いろんなことが そう 船が運河をすすむよう に
時間はけっこうかかるけど いがいにスゥっと
進んでく。だからやっぱり 私はパリに生きていたい。




おまけ
《サンマルタン運河にある船の階段をみてました》


パリにあるサンマルタン運河
(アメリの映画にでてきます)は
水位に差があって、セーヌ川に近づくにつれて
下がっていくらしいのです。それで
船用の階段があるんだって!
ちょうど開くときに居合わせました。


ギギギ、、、と扉があいて、、、
水が下に落ちていって水位が下がります

そして船がゆっくり進み


Bonjour!
1つ目の階段通過


またその下の段に水をいれて
下の段の水位をあげて段差をへらします



そのうち踏切がなり
道路が閉鎖され なんと道路が回転!!



道路が横にいってくれたので
船はまた進めます


橋の上はどうなるのかしら?
と思っている人たちでいっぱい。


やったー!進める!
Voila!


Et a bientot!
またね!バイバイ!いってらっしゃーい
みんな手をふってました


この間約20分くらい?のんびりした国ですね
なんだか人生もこうやって関門をゆっくりと
門が開くのをゆっくり待って でも
時間がたったら意外と先に進んでるみたいな
そんなものなのかもしれません。










未だ見ぬどこかへ

2010年08月10日 | 想いをカタチに


 パリにきてもう4日目が過ぎ
どうなることかと思っていたけど
今回もまた 想像以上にいい驚きに満ちていて
あー やっぱりなあ 私も仲間に入れてほしいよ
私もここで暮らしたい!!と本当に強く思ってしまう。


 今回はなんだかとっても肩の力が抜けていて
いつもはかなり気を張ってるのに
今はとてもゆるくて自然体 で
めちゃくちゃにカフェをまわらなきゃ!とも
思ってないけど 気がつけば4軒くらいは行っていた
そんな感じで過ごしてる。




 やっぱりここに住みたいなあという
気持ちはどんどんつのるばかりで
さあて一体どうすりゃいいのかと
考えてみたり 考える前に一応勉強しにきたわけで
フランス語の雑誌を買って がんばってカフェで
読んではみたり さあてどうしたらいいものか。


 私は自由を求めてて 自由に生きてみたかったけど
私の受けてきた教育が 私をがっちり縛ってて
「もう好きにしたっていいよ」と言われても
私は私を縛ってた。勉強をしなきゃいけない
もっともっと 学ばなくては
もっともっと あの本も読まなくっては、、、


 そういう風に生きてきて 
そういう風に学んできたけど
今フランス語のガイドの試験を受けるため に
また日本史の問題を解いたりしてるのだけど
さっぱり記憶に残ってなくて
日本で一番くらいに日本史が難かしいとされていた
早稲田の商学部に受かるため に めちゃくちゃ
勉強してたというのに こんなにも忘れるものかと
哀しさをとおりこして空しくなってしまう。


 勉強って しなきゃいけない
到達しないといけないと思ってしていても
「テスト」が終わったその後に
ほとんどのものが指の間からすりぬけてしまうかも
しれないけれど 本当は 「勉強をする!」
そのためにするんじゃなくて ただ
知りたいから 興味があるから
なまけた風に生きながら も
時折雑誌を読んだりしながら
自分の血となり 肉となる そんな
知識となるように 身につけていくものかもしれない。




 私の中で この2回にわたるパリ滞在で
沢山のことが変わり始めて 
私の中の真実に 私は気づき始めているようで
本来持ってた自分らしさが ようやくここで
でてきたようで ありのままの自分であれる
それって とても気持ちがいい。
無理にがんばろうとしなくても
無理に問題をとこうとしなくても
好奇心をもとにしてたら すっと入ってくるものがある
知識は後からついてくる
なんだかそんな 気がするな。




 昨日は新聞を読まなくちゃ!と
やっと空いてるキオスクをみつけ
これで買えると思っていたら
あれ?なんだか興味のある題、、、
'philosophie'(哲学)という雑誌があって
特集は'peut-on changer de vie?'
(人生を変えることはできるのか?)と書いてある。
これだよこれ、、、 今の私にしっくりくるのは。

 いくらかな?と思ったら600円くらいして
新聞よりはだいぶ高いけど まあ仕方ない
哲学の雑誌なんて読んだこともなかったけれど
興味のあるタイトルだから買ってみよう、と
それを手にすることにした。




 それからバスチーユのカフェにいき
辞書も使わずがんばってみる。わかるところは
わかるだろうし わからんところはわからないけど
それでも先日京都で出会った人がいってた
ドゥルーズの話が載っていたりしたようで
あ これは理解できるとか サルトルの
「実存主義とは何か」の中で
「人間はかくあろうとしたものになるのではない
かくあろうと投企したものになるのだ」と言っていたのが
でていたりして なーんだ 意外と わかるところは
わかるんだ と思ったりした。


 いつになったら 私の中で 時が満ちてくれるのか
いつになったら もう十分だ 旅立っていいといえるのか
「日本でだって できることはたくさんあるでしょ?」
多分誰かがそういうだろう いつまで待てばいいのだろうか
読まなければいけないと思っていた沢山の本。
フランス文学 哲学書たち 詩だって全然知らないし
日本にいるうちだから 翻訳書 で読むことができる
だけどいつまで 待てばいいのか?
いつになったら もう十分だ フランスにいこうと
言えるのだろうか サルトルも言っていたけど
自分の人生を運命づけて きっとこういう運命だから
自分はこうするべきなんだ と道を決めるのは
自分であって それは他の誰でもない。




 他のすべての人にとって どうでもいいような出来事を
自分には運命かも と 運命づけてみることは
その人の選択であって 時がきたか 来ていないかを
決定するのも自分な訳で 日本語で読まなくっても
私の語学のレベルがあがったら フランス語で
フランス語のまま 理解できる日が来るかもしれない。
彼らはフランス語で書いたのだから
そこには 言葉特有の ニュアンスだってあるわけだから


 私はどこかに到達したい
日本では雲がかかってちらついてしか見えなかった
あまりにも遠い景色が ここにきて
また目の前にあらわれて
自分さえ がんばったなら
もしかしていけるのかもしれなくて
そこに手を差し伸べてくれる
そんな人だって いるのかもしれなくて
行けるのだったら 私はもっと遠くに行きたい
そしてこの地でもっと自分の気持ちに素直になって
未だ見ぬどこかへ到達したい


 どうしたらいいのかなんて
私にはわからないけれど
まだ何かが起こる可能性はあるわけで
「何か」をカフェで 待ってみよう




パリの生き方

2010年08月09日 | インフォーマルパブリックライフ



 日本とフランスは 似ているように見えるところも
沢山あるけど 知れば知るほど その文化といったら
正反対にも近くって その溝を乗り越えるのは
大変だけど それでも私はフランスの適当な感じが
好きだから 知れば知るほど やっぱりいいなと思ってしまう。


 友人によればパリの人たちはなまけもの、で
日曜日の朝なんか早く起きるわけないんだそうな。
朝ご飯?ほらね、11時半に朝食のパンを買いにくる
人がいるでしょ?と教えてくれる。
それでは昼食はどうかというと 12時になんか
食べるわけもなく 2時やら3時になっていて
夕飯はといえば9時くらいに食べるのが普通らしい。
しかも彼らは 食べたいものを食べたいときに食べるから
日本に彼らがやってきたとき お昼時に
ご飯やさんに連れて行っても 「刺身だけ」とか
「豆腐だけ」とか 日本的にはありえない食べ方をする。

 規則正しく、30品目!の日本人主婦にとっては
かなり驚きな生き方だけど 先日ガイドをした人に
「それで平均寿命はどれくらいなんですか?」と
きいてみたところ 70歳か80歳くらいじゃないかと
言われ なーんだ日本とそんなに変わらないじゃないかと
思い ものすごく厳しい食事制限をして 80歳まで
生きるのと 適当に人生を楽しんで 70歳まで
生きるんだったら 私は楽しむ方がいい!と
かなり強く思ってしまった。





 昨日はパリにある素敵な公園やらお庭を
はしごして、公園でのんびりしたり
即席ピクニックをしてみたりしてのんびりと
楽しんでいた。パリの公園をみていると
思い思いに好きなことをしているようで
ジョギングする人 ジョギングしながら踊る人、
子守りをする人、ピクニックの人、
恋人とキスをする人、本を読む人、
サッカーする人、乗馬する人たちもいて
みーんなのんびり 過ごしてる。





 パリにいて 気がついたのは
意外なことに 普通のカフェではあんまりみんな
のんびりはせずに、注文したものを
食べ終わったり飲み終えたりしたら
すっと立ってお会計に行くのだけれど
たまに特別なカフェがあり
テラス席が気持ちよくって
ずっとこのままここにいたい!という
気持ちになっちゃう そんなカフェでは
まわりを ふ と 見渡すと
まわりの人も同じように動いてないし
閉店ですよ と言われたところで
動きたくないという顔をしている。
やっぱり気持ちのいいものは
どうしたって 気持ちいいよね。





 パリにいたら みんながみんな自然体で
自分の欲求に従って いきてけるわけもないけれど
私はここでは外国人で パリのブルジョワじゃ
ないわけで だからこそもっと楽しめる。
パリにいて 自分もアホだと思うけど
もっとアホな人に出会うことも多々あるわけで
ああここは こんなおかしな人でも住めるから
世界中から 天才達が集まってきたのかなあと
そんな時代に思いをはせる。


 パリは本当に 芸術なんかのレベルが高くて
しかもそれに 一般市民がものすごく身近に
触れられるのがすごいと思う。
例えば昨日は二つの美術館を巡ったけれど
その二つとも入場無料の素敵なところで
パリ中には10カ所くらい そんなところがあるらしい。

 それに今は夏だから 2カ所くらいで
月の光で映画を見ようという大規模な企画をしているらしく
ほとんど毎晩 野外映画祭が開催されて
基本的には入場無料で 夜の9時くらいになってから
みんなでピクニックみたいにしながら
のんびりと映画を見るらしい。そんなのが
毎晩あるなんて!本当にいいなと思う。



 美術館に行かなくっても ギャラリーの前を
通ったり ちょっとのぞいてみたりするだけで
お金は一切かからないけど かなり素敵な絵に出会え
その辺の美術館より 感動できることもある。
そんな感じで あんまりお金はかからないけど
うわあと圧倒されるような そして自分も
楽しめるような そんな機会が至る所に存在してて
とてもじゃないけど 2週間じゃ味わいきれない
まあ きっと 住んだところで おんなじだろうと思うけど。





 ここは本当に 世界の中でも唯一の街なんだと思う
とても巡りきれない数の美術館に展覧会(展覧会は
本当にありすぎる!!今は北野武の展覧会もしてるらしい)
連日必ずと言っていいほど開催されてるショパンのコンサート。
セーヌにいったらパリプラージュで人は踊って
美術館の中にいったら長椅子があって
何故か人は横たわり パリプラージュでも
公園の中でも やっぱり人が横になってる
だって 気持ちいいんだもんね。


 フランス人はいつだって Comme vous voulez.と
言ってくる。あなたのお好きなようにどうぞ
だって決めるのは私じゃなくってあなたですから
何を頼んでもいいんですから 遠慮しないでと言ってくる。
あなたの好きなようにどうぞ
え?本当にいいんですか?
日本では遠慮するところをフランス人は本当に好きにする。
フランス料理を食べてみたって 別にそんなに
優雅じゃないし 3代続くパリジャンだって
ディナーの時にフォークをあっと落としたりする。
なーんだ そんなもんなんだ。
コンサートにいったって シャツを来てくる人もいるけど
キャミソールの人だっている。なーんだ そんなもんなんだ
別に気負わなくってもいいんだ
適当で 好きなようにしてればいいんだ

 なんだかそれがとても嬉しい。


 人生において 本当に大切なことって何だろう
私はそれを見失ってた気がするけれど
だんだんと気がつき始めた。
もっと自分の心に耳を傾けて
気持ちよく生きてみたいな
まだまだこれから 人生を楽しむ秘訣を学んでこよう



パリの空の下

2010年08月08日 | フランスあれこれ


 本当に?本当に?と何度も確かめてしまったけれど
今このパソコンの横で見えるのは やっぱり
パリの屋根達のようで 私はパリに着いたらしい。


 どうなるかなあと思っていたけど
やっぱりパリは心地よくって
なんで気持ちがいいのかって
夏なのに湿気がないのと
エアコンなしでも過ごせちゃうのは大きいけれど
(意外と寒くて驚きました)
それよりなにより 大方の人が
好き勝手に やりたいように生きているっていう
それが一番大きいのだろう。


 パリ?パリ と言ったって、、、
と私の中にも 自分で疑問を投げかける言葉くらいは
いつもあるのだけれど それでも圧倒されてしまう
そんなすごさがパリにはあって
一日目の散歩だけ で やっぱりすごいと思わされる。


 何がすごいかと言いますと


 私が留学をしていた2001年にパリプラージュという
意味の分からない大規模な企画がはじまって
それが今でもしっかりと受け継がれてて
自分たちのまちを自分たちでもっと
楽しくしちゃえというアイデアを実現する力というか
そんなのありなの?というのが目の前で行われてるすごさ




 パリプラージュというのはもともとセーヌ川の
横を通ってる高速道路を夏の間だけ通行止めにして
海から砂をもってきて セーヌ川沿いを
海岸にしてしまおうという 突拍子もないアイデアで

 私がパリにいたころに その一年目がはじまって
かなり長い区間にわたって 白い砂がしきつめられて
そこには長椅子もたくさんおかれ パリの
ど真ん中であるというのに 水着をきて
日焼けしようとしている人たちがたくさん寝そべっていた。
なんじゃこりゃ!!とその時は本当に驚いたけど
(パリジャンも驚いていたらしいけど)
結局その後もそれはつづいて だんだんと規模も
拡大されて セーヌ川だけじゃなくって
周辺の運河でもやったりしてるらしい。




 私がそこで見たものは
砂浜と長椅子だけじゃなくって もちろんカフェに
5歳くらいの子達専用の小さなボート教室に
運河の上に大きな風船みたいなものを浮かべて
その上を歩いてみたりとか 子供用の
遊び場だったり サルサも踊れるダンス場とか
まああれやこれやと 人生を楽しむ仕掛けが
沢山あって かなり圧倒されてしまった。

 そこにいるのは 乳児からおじいちゃんまで
国籍もアフリカ系から中国人まで
もうごっちゃごちゃにまじってて
パリの底力を感じた一日でした。
やっぱり国際都市だなあ
本当に 初日から圧倒されてしまいました。




 パリはごちゃごちゃしてるけど
うるさい音も沢山あるし そりゃあメトロは汚いけれど
なんというか 人生に対する気楽さ 気安さみたいなのが
存在してて せっかく生まれてきたわけだから
なるべく楽しんじゃえばいいじゃない?と
そんな雰囲気が流れてる。
私は自分一人では 自分を縛ってがんじがらめに
してしまいがちな人だから そういう環境が
とても嬉しい。そして私もカフェに長居して
そんな人たちを眺めてる。





 パリに行ったら すべてがバラ色なわけないけれど
美術館にでも行こうものなら もう説明文の
2行目からわからなくなって
とっても悲しくなるけれど まだまだまだまだ
フランス語のレベルをあげないとダメなんだなあと
いつも痛感されるけど
それでもここには 世界の他の国にはないような
でもここにだけ 今でも存在しているような
何かがちゃんと あるんだな
それを「自由」というのだろうか
しいていうなら「精神の自由」?

 私が一人で日本にいたら
決して見ることも考えることも到達することも
できないような 沢山のまだ見ぬことが存在してて
それを吸収しようとするのは ものすごく
しんどいことだけど やっぱりまだまだ
興味があるから このパリ滞在
できるだけ沢山のものを吸収しよう。







フィンランド

2010年08月06日 | 私の人生



 昨日の朝は たしか蓮太郎と近所の川に
遊びに行ってたはずなのに その日の夜に
名古屋にいって 本当に 本当に
飛行機にのり 今 本当に?フィンランド。
ヘルシンキの空港にいます。
なんだか信じられないけれど、、、


 いつも飛行機運の悪い私も
今回ばかりは運がよくって
フィンランド航空は飛行機嫌いの私にとっても
快適で どれくらい乗ってるのかも知らなかったけど
9時間といくばくか でトランジットで着いてしまった。

 
 今は日本ではもう真夜中になるのらしいけど
ヘルシンキ は午後6時。これから
もう少し待ったらあのパリです。
なんだか本当に信じられない。


 今日は空港で時間はあんまりなかったものの
それでも本を一冊は買っていこうと本屋に立寄り
友達が以前から強く勧めてくれてた
『ユダヤ人大富豪の教え』を買ってみた。

ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣 (だいわ文庫)
本田 健
大和書房



 本当は機内では勉強をするはずだったけど
面白そうだから読んでみようかと手に取ると
なんだかどんどん引き込まれていき
今まさに 人生を変えようとしているかもしれない
そんな私にはかなりピッタリな一冊だった。


 この2ヶ月間 何を信じて生きたらいいのか
すごく悩んでいたけれど やっぱり成功した人たちに は
その人たちの哲学が存在してて 彼らは決して諦めない。
私はもうすぐ三十歳になり 随分年をとっちゃったけど
それでもまだまだ 可能性があるのなら
私ももうすこし頑張りたい。

 夢って描いちゃいけないのかな
希望って もてばもつだけ 
うちひしがれてしまうのだろうか
何も望まず ただ毎日を 受け入れて
生きていくのがいいのだろうか

 たくさんの葛藤があったけど
夢を見ることすらもしなければ
それが現実になるわけもなく
私はたくさんの夢を描いて
それをなんとか現実にして
そういうことをしてきたからこそ
それが今でも続いてたりする
だからやっぱり 夢を描くのは大切だ。


 最近は 怖かったからか
諦めていたからか 夢にあまり想いをはせずに
過去に自分が書いてきた ノートなんかを見ていたけれど
この本に「夢をノートに書いてみましょう
恐れてはいけません 起こりうる最悪の結果は
叶わなくってあなたががっかりすることだけです」と
書いてあり それならば と 書いてみる と
新しい夢がたくさん現れて
地中海に別荘を持ってみたいとか
ヨーロッパをもっと旅行したいとか
そんなの無理だと思っても
書いてみたら いつの日か実現することがある
(去年友人にやってもらった
「自由を手にするワークショップ」で
「そんなの無理!!」と思いながら書いたことは
一年以内になんと全部かなってた!)


 だから私は書いてみた。


 これからこの先 何かが起こるかもしれないし
ヨーロッパに 住めることだってあるかもしれない。
フランス語 や 他の言語でずっと過ごすのは怖いけど
もう私 は 旅発ってしまった もうここに は
日本語はない。だけど私は また他の自分に
ここではなれるわけだから
それはそれで 今はとっても楽しいんだな。




 本を読んだり 写真をとったり
ここぞとばかりに絵を書いてみたり
明日から は フランス語づけになるのだろうか
本当は試験勉強をしにきたのだけれど
パリのカフェ で日本史の勉強をしているというのも
なんだかお門違いな気がするし。
なけなしの所持金を みなさんに買ってもらった
本のお金を 2回のフランス行きに費やしたのなら
それなりに 何かを得て 帰らなきゃ。
やっぱりデッサンしようかな、、、
 




 『ユダヤ人大富豪の教え』の著者は、好きなことをして
お金を稼ぐのが一番だから、自分が本当に何が
好きなのかをよく見極めなさいと書いていた。
得意なことと 好きなことはまたちがい
得意なことをやりつづけてても 自分の思う
自分と違って いつかしんどくなる日がくるそうな
エコリーグで頑張っていて でも自殺したくなってしまった
私にはその気持ちもなんだかよくわかる。
本当に 好きなこと 心の底から好きなこと?
フランス語をしゃべってみたら
また沢山のことに気がつくのだろう
これからこの先の2週間で 人生がどう変わるかは
わからないけど きっと 何かは動き出す し
きっと何かは もう始まっている。


 あと少し あと少し で パリにつくかな
早く実感が湧くといいけど。
またカフェの写真アップするので見てくださいね。


 

C'est le temps de partir!

2010年08月03日 | 私の人生

長かった一ヶ月半だか二ヶ月が過ぎ
ついに再び旅立ちます。

 本当に?本当に、、、


 かの地にいる人たちは
「本当に?」と聞いた後に
「ミキは本当に馬鹿だねえ」と言ってくる。
でもそのつぎには「でもぜひ会おう!」と言ってくれ
私はそれがとても嬉しい。
そう 本当に馬鹿なのです。



 この間パリに行った時に はじめて
自分を悪い母だと思ったけれど そう思う方が
どんなに楽か いい母親を演じようと
がんじがらめになってるよりも 
「私ってダメな母親なんです」と人に向かって言える人は
どんなにか心が楽だろう だってダメな母親をしている分だけ
他になにかをしているわけで ダメだとわかって
しているわけで ダメだからって
子供とべったり二人だけ の 時間に戻りはしないわけ で
なんだかとてもうらやましいなと思ったりした。


 バカになる って 私にはずっとできなくて
バカになるのが大事とされた 早稲田という学校にいても
私はもっと勉強したくて 先輩達に馬鹿にされながら
バカにはなかなかなりきれなかった。
だけど今の私は本当にバカで バカでいるのは
気が楽だ。だって自分で知っているから
だけどそれでもバカである方を選んでいるから だから
なんだか少し強いような 開き直りがあるような



 パリに行って ことの成り行きで帰りの飛行機を
変えてから まるでテトリスのゲームのように
上から色んなことが降ってきて そして
なにかがぴったりはまった。
そしてはまったのかと思った瞬間
ゲームは中断されてしまった。
なんだか電源が切られた感じで
何がなんだかわからなかった。
あれは一体なんだったのか
私はどこへ向かっていくのがいいのだろうか
たくさんのことがまだまだ霧の向こうにあるから
それをみたくて 少しでもクリアにしたくて
私はそこへ行くのだろう。


 2週間で 人の人生は変わるのだろうか
2週間は 普通あっという間に過ぎてしまうけど
時には違う日々もあり 人生には 濃い日々もあれば
薄い日々もあるようで またぽっかりと
時間があったら 何かが起こってゆくのだろうか


 私ももうすぐ30歳になり 気がつけば
人生の半分くらいに近づいてしまったようで
たくさんの情熱を持っていたけど こんなままで
いいのかなとか 思ったりもする訳で

 昨日は漫画ミュージアムに行き
たくさんの漫画とともに人生を少し振り返ってたら
真ん中にどーんと『ベルサイユのばら』が展示してあり
フランス人の知り合いに「これが私の人生を変えた
漫画なんです」と説明してた。「これに出会ったのが
13歳くらいのときで それから一人でフランス語を
勉強し始めて、、、」「なるほど これがあなたの
情熱のもとになったってわけね!」「そうなんです」


 情熱かー 私は情熱の人だったけど
すっかりそんなの忘れてた。
書いた本は熱いけど(火傷しそう)
私にはもう情熱なんて遠いのかなあと思ってた
情熱 狂気 芸術家 カフェ? 狂乱の時代?
それらは近くにあるものなのかもしれなくて
『ベルばら』を読んだ時でさえ 感動したのは
ほんの2ページにも満たないようなカフェのシーン。


 あそこには 未だ見ぬ何かがあるのだろうか
それともなんにもないのだろうか
スターバックス マクドナルドにコカコーラ
もうグローバリゼーションにまいちゃってる感じがするけど
まだ見ぬ何かはあるのだろうか
私の知らない何かがあるなら それは生きる喜びなのかも
人生を楽しむ方法 まずはそれから学びたい。

フランス語の私

2010年08月01日 | フランスあれこれ



 今日はまちに待ってったフランス人を
京都に案内する1日目 で
どうなるかなあと思ってたけど
私なりには 4年前にやったときより
それなりに は しゃべれたし
それなりにだけど知識もついたし
ちょっとは役にたったかな??だといいけれど、、、


 役目を終えて家の近くについたころには
あまりに足が疲れてて驚いたけど
それでも私は楽しくて パリにいた頃を思い出す。


 あー私 なんであんなに笑顔だったんだろうと
帰ってきてから本当に不思議に思ったけれど 
たぶん一つは フランス語しゃべってたからなんだ、、、


 今日は朝から晩までひたすらフランス語づけだったけど
この1ヶ月半 脳みそがフランス語だったおかげかどうか
フランス語のせいで疲れたということは全くなくて
逆にとってもエキサイティングで自分らしくなり
嬉しくなった。私 フランス語 好きなんだ、、、


 何が好きって フランス語をしゃべっている自分自身が
好きらしい。日本にいて 日本語をしゃべっていると
「自分のこと好き!」だなんて 思うことすらないけれど
フランス語を話す自分は たどたどしくても
本来の私らしくて 私は自分の全部を出して
オープンになり なんだかとってもナチュラルだ。
なんでなのかはわからないけど フランス語の自分というのは
別人でもあり より本来の自分に近くて
だからきっと友達だってできるのだろう。


 けれども何故か 日本語になると
私は壁をつくっているのか なんだか自分になれなくて
とくに京都では本当に気の合う友達をつくるのがとても難かしい。
一体何が違うんだろう?フランス人の考え方が好きなのか
そのフランス的志向方法が好きなのか
ただフランス語をしゃべっているのが好きなのか
何なのかはわからないけど
最近フランス語で思ったことを 日本語にするのがとてもしんどい。


 たとえば挨拶ひとつでも それを日本語におきかえたとたん
トーンがひとつおちついて なんだが形式ばってしまって
あの気楽さであり 気安さみたいなのがどっかにいって
なんだか別物になってしまう。多分イタリア語の
「ボンジョールノ!」が「こんにちは」と全く別ものな
感じに似ているんだろう。


 それならきっと 翻訳 というものは
ちょっとは意味をなすけれど やっぱりかなり無理があり
本当に知りたい者は そこの文化をしっかり学んで
そこの言語をしっかり学んで それで原文でがんばってみる
それでこそ本来の意味がわかるのだろう。


 昔読んだ 今橋映子という人の『異図憧憬 日本人のパリ』
という本に こんな話が書いてあったのを覚えてる。

 日本とフランスの文化は似ているようで全然違う
その違いに気がついてしまった者は その短いけれども
深い溝を埋めるために半生を費やさねばならない、、、

異都憧憬 日本人のパリ (平凡社ライブラリー)
今橋 映子
平凡社



 なんて馬鹿みたいな!放っとけば?と
大方の人は思うのだろうと思うけど
もしかして 私はといえば その溝を自分で埋めるために
半生を費やしてしまう人の方なのかもしれない。


 今日ガイドを始める前に ホテルのトイレで考えたけど
なーんで私 フランス語をやってるんだろう
レベルをあげて レベルをあげて?
Et Alors?
それで一体どうしたいわけ?
Je ne sais pas,,,? Ou je le sais?
たぶん私は議論したくて そこからどこかに到達したくて
私のもうひとつの言語を獲得したいから
そうすればもっと沢山の人と意見をかわして
思考をもっと深められるから
違う世界に向かってけるから
だからきっと 私は勉強してるんだ、、、

 フランス語を学ぶため に フランス語を
学んでるんじゃなく どこか違う世界をめざして
私は向かっているんだな おそらくそうだとトイレで思った。

 そして私は楽しくなった
パリって遠いと思ってたけど
きっとまた 怖い想いをするんだろうと思ってたけど
意外とこれだけ話せるのなら そんなに怖くないんじゃない?
意外とこんなにも自分自身であれるのならば
日本語よりも 生きる喜びを感じて話せるのなら
いつも笑顔になってしまうなら
意外と怖く ないのかも?


 もっとフランス語で話していたい
もっとフランス語で書いていたい
そしてもっと理解がしたい
彼らのいっていることも
彼らが書いてきたことも
そして私も 仲間にいれてほしいから
明日もちゃんと がんばろう。 

フランスに行くなら

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