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パリ、カフェ、子育て、サードプレイス、
新たな時代を感じるものなどに関して
徒然なるままに自分の想いを綴っています。

美のある暮らし

2010年08月15日 | インフォーマルパブリックライフ


 「日本人てさ、なんでそんなにパリが好きなの?」と
パリにいるとよくきかれることがある。
だけどこれを読んでくれてる人ならわかると思うけど
日本人のうちパリが好きでパリに住みたい!!と
情熱を燃やしてしまう人なんて圧倒的に少数で
普通はなんとも思わないよね。
だけどパリが好きなのは 私に関して言わせてもらうと
やっぱり美しいからだろう。


 東京も 京都の街も かなり歩いてきたけれど
写真もずいぶん撮ろうとしたけど
それでもやっぱり限界があり
東京で写真を撮ろうとしたら どうしたって
コンクリートやモダンな建物 電線を
美しいと思うしかなく それを美しいかもと
思えないなら 一枚の写真もとれない
それほどに コンクリートで満ちている。

 京都はといえば 美しいところもたくさんあるけど
それらはほとんど観光地 で 他にも古い町家が
あるけれど そのすぐとなりに
5階建てのかわいくもなんともないアパートが
ごちゃごちゃ並んだりして こちらもなんだか
町並みとしたは微妙なんだな。写真はよっぽど
撮りやすいけど。


 それに対してパリはというと
郊外に近くなるほど 危なくて怖い!と
思ってたけど 昔はこわいと思ってた地区や
あまりに異国の人たちも 今の自分の状況を
考えてみると 異国からパリに来て
お金がなくて それでもなんとか住んでいて 
という あ なんか それ よくわかる、と
親近感がわいてしまう。別に怖がらなくていいんだな

 そしてそんな郊外にも もちろん街の
真ん中に も 美しいものがかなりの
頻度で存在してて 伝統があり その中で
育ち いろんなものを見聞きしながら
その環境を活かした上で じゃあ 私は
何をしようかと楽しんでみる そんな
姿勢が感じられる。





 以前パリに来て驚いたのは
テレラマというテレビ用の雑誌の広告を
見た時で ワールドカップの特集なのだけど
サッカーを抽象絵画で表現していた。
そんなの日本じゃありえないだろ?
大衆むけの雑誌の表紙が ただの
写真ならわかるけど そこであえて
抽象絵画でサッカーを表してみる
その発想にとても私は驚いた。


 先日は友達の友達の家で夕飯を食べにいき
(フランス人の中ではこの夕飯に招く 招かれる
というのがとっても大事みたい 留学中は
一度も経験できなかったけど 最近は
そんな機会も増えてうれしい!!)
そこで何故が餃子をつくった。
その家の人は春巻きをつくり みんなで
ブルゴーニュワインを飲んで 餃子と春巻き!
ご飯もパンもあるわけじゃなく
日本では考えられない組み合わせだけど
これがまたおいしくて
「どこで食べる?」「じゃあ外にしよう」と
ベランダにテーブルセッティングされ
ろうそくの光の中でワインと餃子と美味しい春巻き!
かなり素敵で夢の中にいるんじゃないかと
思えて仕方がなかったです。





 こんな暮らし 当たり前に
している人がいるんだな、、、
うらやましい、、、うらやましすぎる。
昔南仏に行ったときも知り合いの人の家で
中庭にある よく手入れされたブドウの樹の下で
みんなで夕飯を食べたけど 全部お母さんの
手作りで 全部とっても美味しくて
めちゃくちゃ素敵な夕飯だった。
テーブルクロスにアペリティフ、
ちょっとしたおつまみをたべて
サラダがでてきてワインを飲んで
そしてメインのおいしいご飯
食後にはデザートがあり
本当に 私には もう 夢みたい。


 そんな素晴らしい環境で
そんな夢みたいな暮らし方 を
目の前でしてる人がいる それは
とっても贅沢だけど けっして豪華な
わけじゃない。ワインだって そんなに
高いものではないから ごはんだって
自分たちでつくる方が美味しいし
外に食べにいくよりよっぽどお金がかからない。


 いーなーフランス人の暮らし、、、!
スーパーには山のようにサラミやハムが
存在してて チーズも6メーターくらいの
棚がどーんと存在してる。
ワインは日常生活にあり ワインがご飯に
ついてこないと 大事な何かがかけている
日本人のご飯にとって 味噌汁がない
なんだかそんな感じなんだな。
そしてそれを この湿気のない風土のなかで
食事と空間を存分に満喫しようという
風土のなかで 普通に楽しむ
それがとってもいいんだな、、、。
(それになりより1分もあるけばカフェがある!)





 昨日はかねてからの念願だった
映画『ニキータ』にでてくるレストラン
ル トラン ブルーというところにいって
意外にも食事しなくてもカフェだけでも
大丈夫 で あまり混んでもいなかったので
ゆっくりさせてもらってた。
ここは想像以上に豪華で もう
美術館の中にいるようで 装飾も
すごいのだけど 天井に何枚も巨大な絵が
飾ってあったり スケールが本当にすごい。
そしてめちゃくちゃ美しい。
こんなところが あるなんて
そう ヨーロッパにはあるんだな
オランダにもこんなところは存在してたし
ウィーンにも存在してたし
太刀打ちのできないような 美が生活の中に
存在してて それがカフェだったりするんだよ?
そんなところに5ユーロもあれば入れる
そして心行くまで空間を味わってられる
それって本当にすごいと思う。




 日本にも 美しいものはあると思うけど
やっぱり田舎の風景なんか 特に奈良とか
美しくって 力づよいと思うけど
今の日本には それが美しいんだと思えて
それを後世にひきつごうとする
そんな力が圧倒的に足りない気がする。
昨日何故『平成狸合戦ぽんぽこ』を観ることに
なったのだけど(今やフランスの子供が
日本の童謡をフランス語で歌ってますよ!)
そこででてきた宮崎駿特有の田舎の風景も
本当に美しいけど 結局はこわされていく。
そして私が住んでいるような 何の味わい深さも
ないような ニュータウンが建設されていってしまう。


 日本には 美しいものがあったのに
いまでもかろうじて存在してるのに
それを見るということも それを知るということも
教育の中に組み込まれているわけではなくて
個人で興味をもつことくらいはできるけど
それだけだったら 何か大きな変化があるとき
大企業や力のある人の声におされて
それらは破壊されてしまう。
日本の美 は 自然にあるのに
田舎の 美 は かろうじて残っているのに
「何か」をつくっている人と 自然の美とは
とても遠くて 「何か」をやろうとしている人こそ
本当は見なきゃいけない 美しい日本の伝統が
どこかに残っているはずなのに
それらは 小さな点でしかなく いつも
見過ごされてしまう。


 生活の中の美ということに
昔西洋の人たちが日本に来た時圧倒されていたのにな
いまの日本はあまりに物であふれてて
あまりにゴチャゴチャしすぎてる
大切なことって何なんだろう
大切なことを大切にして
シンプルにそぎ落としていく
美しいものを大切にして 
自分でそれをつくってく
どこに住むかはわからないけど
もっとそうしていきていけたらいいよなあ


フランスに行くなら

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