KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

死に直面して~その4~

2007-09-22 11:12:08 | 九死に一生物語

僕がアメリカに渡ったのは,30数年昔だ。
学校では、一ドルは360円だと教えられていた時代だ。

片道の旅費と、半年分の授業料だけを手にしての極貧留学だった。

雨が漏るアパート、パンの耳だけの毎日、アジア人しかも鹿児島という田舎からの留学生というだけでの偏見、寝てもさめても授業料・寮費稼ぎのためのバイト・・・
上げればきりがないが、天性のポジティブ思考というのか、苦しいと思った記憶がない。

でも一度だけ、栄養失調か病気かわからないが、体が動かなくなり、一切の食を受け付けなくなったことがある。
一週間余り、学生寮の自分の部屋で苦しんでいた。
これで俺の人生は最後だと思った。
心配して訪れてくれる人は誰もいなかった。
一週間ほど過ぎて夢をみた。
「どんなに苦しくても、這ってでもカフェテリア(学生食堂)に行け!何でもいいから、そこにあるものを口にしろ!」
そんな声を何回も聞いた。何を食べても吐くんだから、食べられるはずはない。
でも、このままのたれ死ぬよりはと、フラフラと幽霊のように500メートルほど離れたカフェテリアに歩いていった。
物凄く遠い距離に思えた。
僕が変な歩き方をしているのに、全く気に留めることもなく、ハーイ!トオル!と、通り過ぎて行く学生達が妙に憎らしかった。
やっとの思いで辿り着き、握り締めたパンを口にした。どこにでも転がっているただのパンだが、19年の僕の人生の中で、こんなにおいしいものを口にした事はない。そんな味がした。
それから数年、困ったときにはいつも、僕の夢が僕の進むべき道の道案内をしてくれるようになった。

純朴な僕の青春時代だ。


母校に凱旋

2007-09-22 06:58:58 | インポート

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昨日、鹿児島県立松陽高等学校で、英語スキット・弁論大会が行われた。学校創立以来23回目の大会になる。第一回目から審査委員長として参加させて頂いている。審査の後、講評・講話が僕の役目だが、今回は、松陽高校卒業生で学院の33期生に在学している有村健志郎君と松下沙耶香さんに特別出演をお願いした。「日本の若者のファッション」と「折り紙が織りなす日本の文化」について英語でスピーチをしてもらった。9月も終わりに近い秋の季節のはずだが、体育舘は真夏のように暑い。英語スキット・英語弁論が先生の司会に準じて、ひとりひとりと進んでいく。200名を超える聴講生はかなり苦しそうだ。発表の全てが終わり、松下さんと有村君の特別参加スピーチが始まった。突然、会場のざわめきが消えた。先生方が教え子の成長に身を乗り出して聞き入っている。イギリス出身の講師(ALT)オマー氏が目をまん丸にして唖然としていた。拍手喝采に、緊張もほぐれ、満足した笑顔で退場した学生に驚きながら、一体全体、どうしたらあんなに立派に堂々と英語でスピーチができるようになるんですか?と、先生が尋ねてきた。有村君・松下さんにとって、まさに母校に凱旋であった。