屋久島は小杉谷の小学校3年に在学していたときの体験である。
物凄い台風が吹き荒れた日だった。
突然崖が崩れ、家の外にあった便所小屋が吹き飛び濁流に飲まれていった。壁に穴を開けて、しばらく外の様子を見ていた父が、母と三人兄弟の僕らに、布団を頭に被って家の外に逃げるように叫んだ。家族の全員が家を飛び出して数分後の出来事だった。バリバリという音と共に、家が崩れ落ち川の中に消えていった。避難した近所の家で頂いたおにぎりが、この世の食べ物ともおもえないほど美味しかったのを覚えている。
そして一年が過ぎた。
僕は、幼い頃から自然の中で生きてきた。自然の全てが僕の友達だ。川の土手に大きな鳥もちの木があった。皮を剥いで、石で何回も叩いて、木屑を水で洗い流すと、やがてベトベトの鳥もちができる。これを棒の先にくっつけて小鳥を捕まえるのだ。屋久島の山の川はとても危険だ。急な山の上流の方で降る雨のせいで、突然の激流が起こる。鳥もちの皮を石の上で叩いていた時に、その激流はやってきた。今でも時々頭の周りをたくさんの水の泡が恐ろしく絡みつく様子を思い出すことがある。岩に叩きつけられながら、数百メートル先で自力で這い上がった。体はガタガタ震えていた。真っ青になって駆けつけてくれた人々の顔を見たとき、涙が顔をぐちゃぐちゃにするくらいに溢れてきた。
「♪花も嵐も踏み越えて♪行くが男の生きる途(みち)♪
泣いてくれるな♪ほろほろ鳥よ♪
月の比叡を独り行く♪」
西条八十氏の作詞である。
鹿児島・沖縄航路の船旅で、甲板のデッキに立って、
台風の黒雲が迫り来る海上を眺めながら、ついこの歌を口ずさんでしまった。
生前、父がよく口ずさんでいた歌である。高校の大大先輩が所有する会社の客船に招待を受け、視察調査も兼ねて旅を楽しんで欲しいという計らいである。
招待客は、高校の先輩、大嵩文雄氏と僕の二人である。台風到来のニュースでキャンセルになるかもとの期待に、若干ホッとした自分もいたが、何事も体験だ。5メートルを越す大波に完全に睡眠不足。波が床に激しく叩きつけられる音。部屋の外では、船酔いしている客の嘔吐の悲鳴。15時間ほどの時間が流れて、奄美の島を越える頃、波も穏やかになった。南北600キロに連なる鹿児島の島々、沖縄までの26時間の船旅、飛行機では絶対に味わえない体感である。やがて台風11号は韓国の方向に消えていった。船が那覇に着いたのは予定の時間を2時間近く過ぎた午後8時前だった。船会社の所長さんがお迎えに来ていた。休むまもなく会食だ。 社交辞令のような沖縄舞踊をそそくさと済ませ、二次会は僕の苦手なバーだ。泡盛の焼酎を片手に、かなり外れたカラオケを3曲ほど疲労?披露?。社交辞令の拍手喝采。僕の白いスーツの背はカサブランカの花粉で黄色く地図を描いていた。ホテルに帰りベットに転がったのは、午前3時を回っていた。明日こそは、自分の好きな沖縄の海を満喫できるだろうとの期待と共に爆睡。 朝一番のニュースは、今度は新たに台風12号がやってくるとの知らせである。その日のうちに帰らないと、帰れなくなってしまう。さっそく、飛行機の手配。数時間並んだ後に、やっと手にした搭乗券を手に鹿児島に帰ってきた。飛行所要時間は1時間15分。沖縄に何を目的に?船旅と飛行機の旅の時間の長さの比較研究???