KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

2006-03-30 11:20:01

2006-03-30 11:20:01 | インポート

先生の受難

先生という仕事は大変な仕事だ。人間相手の教育は、もっとも難しい学問かもしれない。教えてもらいたくないのに、教えようとする先生。教えてもらいたいのに、教えようとしない先生。学ぶ側の心を読みながら、教育は展開していく。生徒が何を考え、何を求めているのかを理解しないと、決して先に進むことはできない。一方的な教壇からの講義はもはや時代遅れだ。先生、受難の時代だ。教育は、まさに読心術の学問だ。先生は選ばれる時代になった。先生になりたいと思っても、いくら知識があっても、どんなに学生の気を引こうと努力しても、簡単に先生になれるわけではない。教職を希望するとき、身の程を知らないといけない。客観的にも、主観的にも、互いに自分を見極められる能力が求められる。教える側のあり方を語るときに、メダカの学校の話をよく引き合いに出す。はじめは、誰が生徒か先生か判らない。でも、やがて、一匹のリーダーが選ばれる。その先生たるリーダーに率いられて、他の学生たるメダカ達が続いて泳いでいく。俺が先生だと主張しても、誰も従わなければ、もはや先生の資格はない。今までの時代は、物知りが先生だった。これからは、物知り博士の地位を、コンピュータ先生がのっとっていく。通常の人間が記憶できる知識の何百倍もの、いや何千倍もの知識を教えてくれるコンピュータ先生が、さらに進化してヒューマノイドの時代が来る。人間先生の責務は大きい。既成の先生の形から、一日も早く脱却して、人間学を学んで欲しい。僕が唱える人間学とは、表現力、人間関係力、そして全体を見れる力だ。


愛するもの

2006-03-29 12:10:26 | インポート

Dsc00091 フッと我に帰って考えてみた。人は何のために生きているのか?一生懸命勉強して、一生懸命働いて、お金を稼いで、財を残して、・・・、でも、何のために?愛するもののため?そう、人は愛するもののために生きている。それがどんな形であれ、愛するもののために生きている。いや、活かされている。人は、愛するものがあるから生きていける。その瞬間が、人は一番美しい。愛にはいろんな形がある。1日、1月、1年、10年、100年、永遠の形はない。刹那の連続だ。でも、永遠でありたいと願う心が美しい。苦しみと、悲しみと、そして絶望しか生まれないかもしれない。愛は残酷だ。でも、人は愛するもののために生きている。そこには駆け引きはない。損得はない。ただ、愛するものの笑顔が欲しいだけ。僕は、フッと考える。生きること、それは愛。


トカラの島

2006-03-28 11:07:08 | インポート

Dsc00107_1 トカラの島々の生きる道を模索しようと言うことで、シンポジウムの基調講演の機会を得た。種子島・屋久島と奄美の島の間に12の島々が点在する。十島村とかトカラとか呼ばれている地域である。七島灘の激しい海流の合間に美しく点在する島々だ。5年前までは、3千人を越す島民が住んでいたが、今はその5分の1となった。職場と便利さを求めて、島離が後を絶たない。島の人々が願う豊かさと、島外の人々が考える豊かさには大きなギャップがあるようだ。70分近くの講演をさせて頂いたが、多くの課題を残したまま終えてしまったような気がする。大自然に満ち溢れる島々は、島民や鹿児島県、日本のみならず、地球の財産であるとの視野に立って、島民が島に生きることを誇りに思えるように、あらゆる視点から、本気で島の在り方の議論を続けて欲しい。参加してくれた学院生の積極的な意見は、多くの人々の心を動かし、素晴らしいメッセージとなった。


礼儀作法教育は日本文化の支柱

2006-03-23 14:27:17 | インポート

Dsc00003 日本の礼儀作法の教えは、西暦603年の冠位十二階に始まります。翌年604年の十七条の憲法、794年の第50代桓武天皇の平安遷都以降400年間続いた貴族社会の礼儀作法である公家有職(こうけゆうそく)、室町時代の第三代将軍足利義満の時代に体系付けられた小笠原流礼法(日本の礼法の基礎にある礼法)を主流として、茶の湯、歌舞伎、生け花、日本建築(書院造り)など、礼儀作法を基盤とした日本伝統文化の大半がこの室町時代に形を整えられ、貴族の「公家有職(こうけゆうそく)」と武士社会の「武家故実」が足されたような形の「有職故実(ゆうそくこじつ)」の礼儀作法も体系付けられました。江戸時代になり中国の孔子の論語など儒教の思想などを取り入れて、寺子屋を通して一般庶民の礼儀作法が勧められました。禅寺の礼儀作法の基礎を原点として、農作業、掃除などの労働一般の重要性を説いた「作務」の考え方も一般化しました。時は流れて、明治維新の改革で、貴賎尊卑の差別なく専ら平等と、士農工商の身分が四民平等となりました。明治政府は富国強兵の思想を掲げ、同時に和洋折衷の中で、日本帝国の文化を基盤として、国際的に通用する礼儀作法を模索し始めました。明治5年に学校制度ができあがると、「修身」と言う科目を設け、その冒頭に教育勅語を載せました。昭和13年に文部省が作法教授要綱調査委員会をつくり、宮内省、文部省、外務省、陸軍省、海軍省から30名の委員を選任して、昭和16年4月に新しい教養体系「作法要綱」を作り、文部大臣が地方長官に通達し、これを違反したものは罰則を設けるという厳しいものとし、「国民礼法」と名づけました。ところが、終戦となり、国民礼法は幻の礼法となりました。わが国の歴史においては、国が形を整える頃から、常に礼儀作法というものは国を治めるために欠かすことのできない教えでありました。礼儀作法教育が消えてしまった結果、日本はどんな時代になってしまったかは、みなさんご周知の通りです。


退化する脳

2006-03-19 17:18:36 | インポート

Dsc00055_1 便利になればなるほど脳は退化する。人間の脳の進化は、間違った方向に進化させられているかもしれない。ほとんどの文明人の脳は、文明の山を越え、谷に転がり落ち始めた。普通に焚き火を起こせるだろうか。ナイフを使って木を削れるだろうか。洗濯機なしに洋服が洗えるだろうか。ご飯を薪で炊けるだろうか。野山の雑草を見分けられるだろうか。つい一昔前までは、誰でもできた当たり前のことができなくなった。文明の利器に全てを任せて、自分の力では何にもできなくなってしまった。文字すら自分で書かなくなった。考えなくても、コンピュータが答えを出してくれる。果てしない便利追及の社会。矛盾だが、人間は、自滅を辿るために、破滅の未来に向かって、頑張っているとしか言いようがない。退化する脳をくい止めるための手段は一つしかない。面倒だが、頑張って、時には文明の利器に頼らないで、文明の利器に逆らって、物事をやってみようと思う心がけだ。