寝ても覚めても携帯電話、果てしないメール。
若者にとって一番大切なものは?との問いに、返ってくる答えは携帯電話だ。
携帯電話が無い生活なんて考えられないそうだ。
親兄弟、恋人以上に大切な携帯電話。何よりも大切な携帯電話。
病気としか言いようがない。
携帯電話シンドロームだ。
人間と人間の生身の交流が希薄になってから久しくなる。
人間と機械との対話。ケイタイは、何でも言うことを聞いてくれる。
100%の我侭がまかり通る。
ON とOFF が自由自在。
人間と人間の関係がもっとも重要であった社会が消えていく。
人間は今、何を考え、何を学ぶのが一番大切なのかをよくよく考えなければいけない。
22期卒業の有江君(ブライアン)の結婚式で祝辞を述べさせて頂いた。
次のような内容の祝辞だ。
「ご両家の皆様、心よりお祝い申し上げます。ただ今ご紹介いただきました、南徹と申します。
新郎の憲吾君は、僕が経営しておりますIBS外語学院の第22期卒業生であります。
卒業後は、アメリカの広大な原野で有名な、ワイオミングの大学に留学致しました。今から11年前でございます。
非常にさわやかでもの静かな文武両道の知的好青年であったことを記憶しております。
ワイオミングの南部の方に、九州全部がすっぽり入るぐらいの大きさのバッドランドという、未開の荒野が広がります。僕は、そこに飛行機で墜落するという大変な体験をしました。でも、この場で、こうして、お祝いの言葉を述べるために無事生還できたのだと思います。
世界が小さいと悩みが大きくなり、世界が大きいと悩みが小さくなります。
本日も、憲吾君同様、大きな世界を体験した、たくさんのIBS外語学院同期の仲間が同席しておりますが、この場をお借りしまして、憲吾君が学んでおりましたIBS外語学院を少しだけ紹介させてください。
現在は、第33期生が在学しております。英語力はもちろんですが、英語で表現力や人間関係力など、教養を中心とした、生きる力を学ぶ国際教養専門学院であります。世界に通用する若者育成のための学院です。寺子屋のような小さな、小さな学院ですが、こんな学校があったのか?と、定評を頂いております。そんな学校を、憲吾君は、ブライアンというニックネームで呼ばれながら、第22期生として、在籍しておりました。とてもまじめな、何事にも一生懸命で寡黙な学生だったと記憶しています。
本日は、お二人の素晴らしい門出によせて、三つのお話を紹介させていただきたく思います。
一つ目は、数学の確率のお話であります。憲吾くんも香織さんも、天文学的数字分の一の確率でこの世に誕生したわけです。お二人が偶然にも出会って、結婚することになったという確率は、さらに無限大分のⅠであります。まさに奇跡であります。神に祝福された奇跡であります。大自然の魔法であります。どうぞ、この愛の奇跡に心から感謝して、大切に、大切に育んで欲しいと思います。
二番目のお話は、思いやりです。僕の尊敬する偉人の一人に、第二次世界大戦での真珠湾攻撃で、連合艦隊司令長官を命じられた、山元五十六元帥という人物がおります。戦争反対、真珠湾攻撃反対、日独伊三国同盟反対を唱えながらも、やむなく任務を命じられ、後に太平洋の彼方に散っていった素晴らしい人物です。彼は、教育者でもありました。彼の名言に、「やってみて、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」と、あります。ご夫婦互いに、心から支えあい、いつも会話を忘れることなく、思いやりを持って、良いところを誉めあいながら、一日一日を大切に生きていって欲しいと思います。お二人に子供さんが誕生したら、この言葉を、子育ての教訓にしていただけたら幸いです。
三番目のお話ですが、僕は、僕の学生時代、青春の大半をハワイで過ごしました。大学も、ハワイの大学出身です。10年を超えるハワイの生活の中で、いつも口ずさんでいた歌があります。真珠貝の歌です。真っ白なハワイの砂浜に、太陽の光が、キラキラと輝いています。砂浜に転がる虹色の真珠貝は、海の青、空の青、そして金色の太陽、全ての光をダイヤモンドのような輝きに変え、とても美しい風景です。でも、どんなに美しく、真珠貝が輝いても、君を愛する僕の心の輝きにはとうてい及ばない。そんな歌です。
Pearly shell
From the ocean
Shinning in the sun
Covering the shore
When I see them
My heart tells me that I love you
More than all those little pearly shell
More than all those little pearly shell
おふたりの末永いご多幸をお祈りいたします。
本日はほんとうにおめでとうございました。 」
祝福する者、される者。
人は人によって人となる。
結婚式に出席する度に、互いに支えあって生きていくことの大切さを教えられる。
鹿児島市立玉龍高等学校でお話をさせていただいた。 言葉が描く心の世界と題して、<msnctyst w:st="on" address="鹿児島市" addresslist="46:鹿児島県鹿児島市;"></msnctyst>
聞く力、話す力、演出する力と、この三つの力が美しく織り成された時、言葉が魔法の力となる。
個を主張するばかりに、対話の力を忘れてしまった日本社会が失ったものは大きい。
対話をするには相手が必要だ。一対一の対話もあれば、不特定多数の人々との対話もある。自分との対話もある。
対話の形はいろいろだ。
次世代を担う若者は、地球規模に生きていく若者は、対話を、言葉を、学問として学ぶ必要がある。
日本人は英会話力のレベルが世界の国々の中でも最下位に位置する。
もともと日本人は、以心伝心の民だから、おしゃべりの異民族の真似をする必要はない、という考え方もあるが、もはや英語は外国語ではない。
英語が理解できないと、世界の情勢を正しく分析することができない。
諸外国に騙される。馬鹿にされる。発言権が消える。
そこで、英語嫌いの人に、一つのエピソードを紹介しよう。
英語の魔力の話だ。
孫との対話の断絶に悩んでいた、あるお爺ちゃんが、これ以上孫に無視されては威信にかかわると、いつものように自分を無視して通り過ぎる孫に、後ろから突然一声を発した。
「Spring has come!」びっくりした孫が、お爺ちゃんが気が変になったと、立ち止まり、振り返った。
すかさず、「春が来たという意味だ!わかるか」と、話した。
「すごい!爺ちゃんは英語ができるんだ!」と、尊敬の眼差し。
そのことがきっかけで、孫との楽しい対話が始まった。
普段使わない脳の言語中枢を刺激することで、眠っていた別の脳も目を覚ます。
英会話力は、様々な脳に素晴らしい効用を発揮する。