KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

イタリアからのお客様

2005-03-31 16:02:19 | インポート
イスティトゥート・エウロペアというイタリアの芸術学校のリナルド・ロマニョ?リ校長先生が本学院を訪れた。芸術と歴史の町フィレンツェからのお客様だ。本学院からのイタリア留学は過去に五名ほどいるが、全ての学生は、例外なくイタリアを満喫している。フェスタ、フェスタに明け暮れ、陽気で笑顔一杯の国民性に、羨ましい何かを感じるのかもしれない。我が鹿児島市は、ナポリ市と姉妹都市盟約を締結して55年の年月が流れる。世界的には、文明の頂点までも極めたイタリア。二千数百年を超える歴史の中から見えるイタリアは奥DH000023
が深い。日本人学生がホームステイを体験する中で一番困惑するのが、台所を使わせてもらえないことらしい。台所は、その家の主婦の聖域である。美しい台所から、美しい料理は生まれる。日本にもそんな時代があったような気がする。見るもの、感じるもの、全てが芸術で創造された国、イタリア。何度訪れても新しい発見がある国だ。



エフゲニー・プリマコフ氏の素顔

2005-03-31 13:44:15 | インポート
blog_photo1ソ連最高会議連邦会議議長、KGB長官、首相歴任  
エフゲニー・プリマコフ氏の素顔
昨日、プリマコフ氏との語らいにご招待を頂いた。歴史を変えたと言われる、あの名相ゴルバチョフがなぜ失墜したのか、なぜ国家特別警察KGBを解散させたのか、なぜプーチン大統領が来日をなかなかはっきりと決断しないのか、北方領土の問題など、興味深い話をたくさん伺えた。『日本の素晴らしさが二つある』と驚嘆されたが、1つは、素晴らしい科学の技術、もう一つは、奇跡と言ってもいいほどの文化の保存力だそうである。文化は民族の魂であると強調していた。さらにソ連に欠けているものは、人口のヨーロッパへの移動と減少、経済発展を石油に依存し過ぎていること、物づくりの技術の欠如、インフレの抑えだなど、鉄のカーテンで内情が見えないと言われていたソ連が、ぼんやりと内側が見える、白いカーテンに変え、大きな構造改革を望んでいることが見えてきた。



おばあちゃんの笑顔

2005-03-14 10:15:30 | インポート
DL000012DL000001昨日の日曜日、鹿児島には珍しくなごり雪が降った。そんな寒い日だったが、一人のちょっと変わったアメリカ人のおかげで、心暖かい一日になった。彼の名前は、ジェフリー・アイリッシュさんと言う。仏壇作りで有名な川辺と言う町があるが、その町をさらに奥に入っていくと、勝目麓という村がある、さらにその村の奥地を目指していくと、川原入口という小さな立て札が立っている。その川原の牧場の丘の上に、ワイオミングの一軒家を連想する粗末な小屋が建っている。そこが彼の住居だ。訪問した我々を、寒い雪風を縫って、タイムマシンに乗るかのように、30人程の人々しか住んでいない小さな集落、古き良き日本の世界に案内してくれた。そこには満身の笑みを浮かべた3人の80歳を超えたおばあちゃん達がいた。突然の訪問者の我々に、心暖まる歓迎をしてくれる。こんな日本の原風景をアメリカ人のジェフがこよなく愛している。おばあちゃん達の笑顔はどんな宝石よりも美しかった。生きると言うことの意義を考え直してみたい。そんな素晴らしい日曜日であった。


タテとヨコのバランス

2005-03-11 12:26:39 | インポート
生きるということのバランスの方程式を、ある農業研究家から聞いた。植物の世界の話しだが、植物の葉脈を描きなさいと疑問を投げ掛けると、通常の場合は、ヨコに網の目状に描くが、ススキの葉脈はタテだ。自然の植物界にはヨコとタテの葉脈を持ったものが、助け合いながら共存している。どちらかだけを植えていると、やがては死に絶えてしまうそうだ。最近、バランスとは何かを良く考えるのだが、バランスとは多様性のことではないかと考える。僕らの社会を見渡すと、多様性を主張するわりには、正反対に、同じグループ、同じ地域の人々、同じ社会と、同じレベルの能力を持った者同士を集めたがる形態が頑固に支配している。能力別に学校を分けている風景がその際たるものかもしれない。国際社会の津波を真っ向から受け入れなければ生きていけない、この激動の地球時代は、このバランス感覚を如何に学ぶかが、新しい時代を生き残るための重要な論点となる。


高校生に伝えたい、大学生に伝えたい。

2005-03-10 10:31:45 | インポート
大学合格、不合格と一喜一憂の風がいたるところで吹き荒れている。僕は日本の若者に訴えたい。どうしてもっと冒険をしないのか?どうして真剣に世界を舞台に挑戦しないのか?経済も政治も、今までの常識をはるかに超えたところで展開している。環境の激変である。教育も例外ではないはずなのに、合格しただの、不合格しただのと、生きる道はただ1つ、自分の偏差値に合った日本の大学を受験して、将来が約束されているような錯覚に陥っている。日本の教育は、旧態依然の頑固な保守的な発想から抜け出せないでいる。全部の大学を否定しているわけではないが、ほとんどの日本の大学は、大学生は、学問を楽しむという世界からは、程遠いキャンパスライフを送っている。頭の良さの履き違いから生まれた奇妙な頭の良い人現象がまことしやかに往来を闊歩している。僕は、日本の大学には不合格したが、世界の大学に進学して、合格以上の、いやそのはるかに高いレベルで活躍している若者を数多く輩出してきた。自分の力で生きる力と自分を客観的に見ることのできる世界にいて初めて本当の頭脳の明快さと、自分の生きる場所が発見できると確信している。