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チェコ、オーストリア、ベルギー、フィンランド、リトアニア、
スロバキア、スロベニア、スウェーデン、イギリスからの
EU9ヶ国大使館の商務担当官が来鹿し、県内の視察を行った。
チェコ共和国が2009年前半の議長国を務めることとなった機会に、
同国大使館が、日本国内の視察先として、本県を選択したものである。
訪問先は「維新ふるさと館」。
建物の周囲は、新緑の楠の大木と、満開の桜が美しい。
鹿児島市内の中心を流れる甲突川沿いの、加治屋町一帯は、
明治の偉人を数多く輩出したことで、著名な地域である。
島津斉彬・西郷・大久保・大山・山本・五代・東郷平八郎と
あげればきりがないほどの偉人達が、日本の近代化に命を賭けた。
その足跡を残すべく建てられたのが「維新ふるさと館」だ。
郷中教育、薩英戦争、薩摩留学生、明治維新の立役者達、
日の丸や君が代の発祥の地などを紹介していくと、
鹿児島の地が、薩摩という日本の南の果ての辺境の地が、
日本の歴史を変えたことの事実に驚きながら、
一生懸命に耳を傾けていた。
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昨夜、卒寿のお祝いがあった。
鹿児島市立病院の院長を務められ、
奄美の赤ひげ先生と言われるほどの名医で、
僕も心から尊敬している、
福田正臣先生をお祝いする集いである。
年を重ねることを誇りとする文化の中に生きていたのが、日本人であった。
大家族の中で、長老は神様にも等しかった。
戦後、こんな文化が剥奪されて久しくなる。
90の齢(よわい)を超え、
高らかに吟じられる平野國臣の歌
「我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば、煙は薄し桜島山」
が心を打った。
そして、七高の巻頭言に始まり、寮歌、北辰斜に、と続いた。
古の若者たちの、学問に対する情熱と故郷を思い、
国を憂うる純朴さが、哲学や思想の姿となって生きていた。
福田先生の瞳の中に、古き良き日本の心を見つけたようなひと時であった。
誕生、七五三、15歳の元服、20歳の成人式、
60歳の還暦、70歳の古希、81歳の盤寿、88歳の米寿、
90歳の卒寿、95歳の珍寿、99歳の白寿、100歳の百(もも)寿、
100歳以上になると、毎年、上寿、
108歳で茶寿、111歳で皇寿、119歳で頑寿、120歳で大還暦、
250歳で天寿と、
年を取ることを誇りとする日本の文化を
もう一度思い出して欲しい。
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嬉しくも寂しい日、感謝と旅立ちの日、それが卒業式だ。
卒業生も、教職員も、保護者の皆さんも、
溢れる涙をこらえる事ができなかった。
IBS外語学院、第34期生の卒業式だ。
学院長式辞として、次のようなお話をした。
「第34期生のみなさん、卒業おめでとうございます。
卒業式と申しますと、
大きなキャンパス、大講堂、数百名の卒業生、学位などなど、
規模の大きさや形式に沿っていることなどが常識で、
こんな小さな寺子屋の、名もない学院の卒業式など
何の意味があるのと思っておられる方もいらっしゃるかもしれません。
既成の概念であります。
卒業生のみなさんは、どんなお気持ちでしょうか?
如何に既成の概念を脱却して、真理を見出すか?
人間は何のために学ぶのか?
僕は、そんな思いで、
1980年にこの学院を創立して以来、
29年間、このテーマを研究し続けてまいりました。
科学も、人間が考え得る極限のレベルまで進化してきました。
著名なアメリカの物理学者達の計算によると、
後40年近くで、
人類は人類の頭の中で考え得る
知識や知恵の限界点に達するそうです。
「文明の特異点」という言葉で表現されています。
今までの常識では、どうにもならないということです。
そんな重大な問題が目前にあるのに、
地位、名誉、プライド、既成の概念、
そんな間違った欲望の呪縛から抜け出せない。
物の生産も、売りも、買いも限界に来ています。
余るほどに食べ物があるのに、
食料不足という矛盾の中で
平然と生きている。。。
こんなに豊かになったのに、なぜ幸せを感じられないのか?
人間の果てしない欲望だけのせいでもなさそうです。
既成の学問では解決できない、新しい学問の時代が始まりました。
新しい学問の種が、
大地の中から芽を出してきました。
年齢、性別、学歴、過去の経験などなど、
全てを超越した種であります。
そんな美しい新芽の一つ一つが、
今日卒業されるみなさん、お1人お1人であります。
1人が100人、千人、いや一万人に匹敵する1人1人かもしれません。
様々な宝石の色に輝くお1人お1人であります。・・・」
そんな僕の式辞の合間を縫って、
卒業生1人1人から、
Review for the year のスピーチをしてもらった。
素晴らしいメッセージとなった。
キラキラ光る涙は、ありがとうという感謝の言葉で
虹の色に染まっていった。
どんな学校にも負けない。
どんな大学にも負けない。
もう私はくじけない。
そんな自信に満ちたスピーチであった。
みんな、みんな、本当に美しい。
僕は、みんなが大好きだ。
34期生に栄えあれ!心から心から、感謝を込めて
万歳!万歳!万歳!
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八島太郎生誕100年展実行委員会委員長、
愛場美和氏(ロスアンジェルス在住)、
事務局長 橋本幸容氏(東京在住)が学院を訪れた。
八島太郎(本名:岩松淳)は、僕にとって、
鹿児島県立甲南高校(当時二中)の大先輩だ。
甲南高校の美術館には、氏の作品の一つ
「からす太郎」が展示されている。
卒業後、東京美術学校(東京芸大)に進学するが、
日本プロレタリア美術同盟に加入、軍国主義に反対し、退学処分。
10回投獄される。
官憲による拷問で死んだ『蟹工船』の著者、
小林多喜二の死に顔をスケッチし、一躍有名になる。
このとき、妻光子(本名:笹子智江)が妊婦でありながら、
官憲による拷問を耐え、
そして生まれたのが、後のハリウッド俳優、故岩松マコである。
真珠湾攻撃の一年前に、亡命のような形で、
アメリカのニューヨーク美術学校に留学。
マコは日本にそのまま残された。
戦時中は、アメリカに残り、米戦時情報部に勤務し、
日本人が無残に殺されたり、無駄死にしないように奔走した。
戦後、日本に息子マコを迎えに行き、アメリカに帰った。
この時すでに、娘モモが生まれていた。
モモは、僕より一つ年上だ。
僕の記憶が正しければ、27年ほど前に、
ロスアンジェルスで一度だけ
モモさんにお会いしたことがある。
八島は戦争を憎悪した。
日本の美しさが破壊されることを恐れた。
そんな作品の1つ1つに、美しい日本の古里の風景が描かれている。
郷愁と哀愁溢れる古里が描かれている。
思い出して欲しい日本人の心の古里が描かれている。
愛場、橋本両氏の熱き思いが
そんな美しい日本人の心を呼び戻してくれるかもしれない。
作品は、4月29日(水)~5月27日(水)まで、
長島美術館
鹿児島市武3-42-18
TEL:099-250-5400
にて紹介される。
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遠い遠い昔、人間は神様だった。
風を起こし、波を沈め、暖かい日の光を注ぎ、
緑の森と、動物や植物たち、青い海と珊瑚や魚達、
夜空を彩る天の川ときらめく星達、
青く澄んだ空と、天空を舞う鳥達、
人間は大自然の守り神だった。
大きな大きな心で、大自然を守っていた。
千里眼を持ち、天空を自在に飛来し、
八百万(ヤオロズ)の神々の頂点にいた。
スーパーマンであった。
人間と人間の間も、心と愛の絆でしっかりと繋がっていた。
弱い者を慈しみ、「決して怒らず、いつも静かに笑っていた」。
しかし、いつしか人間は、
神様であったことを忘れてしまった。
怒りと嫉妬と妬み
他人の悲しみや苦しみが理解できなくなった。
機械だ!ロボットだ!心はいらない!思いやりはいらない!
悪魔の狡猾なシステムに操られ、
心をもぎ取られ、ロボットになっていく。
悪魔に心を渡してはいけない。
愛の心を持ち続けている以上、
悪魔の付け入る隙はない。
一度は放棄してしまった心の鍵…
僕らは、この鍵を取り戻すために学ばなければいけない。
心して学ばなければいけない。
人間と自然と地球を守るために。
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