「薩摩は英語ができる」とは、IBS外語学院の大プロジェクトである。鹿児島は南の玄関口だ。薩摩は、遠い昔から異文化にさらされて生きてきた。薩摩には外国語ができる遺伝子がある。中国は秦の時代に不老不死の薬を求めて薩摩に渡ってきた徐福が漢字を教え、琉球王国との交流では琉球語が浸透し、織田信長がバサラの異文化を積極的に取り入れ始めた戦国時代は、ポルトガルやオランダ語が普及し、薩摩の玉龍山福昌寺は外国語や国際感覚を学ぶメッカとなった。留学を志すには、先ず薩摩に行け!であった。フランシスコ・ザビエルもこの地で始めて本格的に日本を学んだ。そして、明治の維新では、19名の薩摩の留学生が英国に旅立ち、英語を武器に、多くの偉人達は、次から次に外国に目を向けた。東郷平八郎元帥が、ロシアの無敵と言われたバルチック艦隊を撃破できたのも、この遺伝子のなせる業かもしれない。薩摩は、日本と諸外国との国際交流の架け橋となった。この遺伝子に、再度、火をつけようとしているのがIBS外語学院である。鹿児島よ目を覚ませ!「薩摩は英語ができる」遺伝子を持っている。
毎年恒例の、<msnctyst w:st="on" addresslist="46:鹿児島県鹿児島市;" address="鹿児島市"></msnctyst> 鹿児島市国際交流市民の会主催のイベント、一日インターナショナルカレッジが開催された。
8ヶ国からの講師が様々な分野で講義する。ヨガ、マレーシアダンス、ベトナム料理、中国の結婚式、韓国の世界などなどである。
僕は、「小学校の教科書を英訳してみよう」という講座を担当した。
受講生は、高校生から高齢者まで、様々な世代の人々である。もっとも活躍したのが、猛暑の中をどんなに大変な役目にも、不平ひとつこぼさずに、慢心の笑顔でボランティア活動にいそしんでくれたIBSの学生諸君であった。真っ青な真夏の海の色をした瞳と透明な青春の心は限りなく美しい。
花のように蝶のように。バレリーナは少女の夢だった。そんな夢を現実のものとした少女が、7年振りに学院を訪れた。岡元沙織さんだ。僕の左に座している女性だ。
バレエの名門、白ロシア共和国国立舞踊学校を卒業後、バレリーナの夢また夢、超難関と言われる、世界一の名門ワガノアバレエアカデミーに合格、三年間の試練を超えて帰国、そして現在は自らの舞台はもちろん、後輩の指導にもあたっている。筑紫キャスターの『ニュース23』でもクローズアップされたほどの人物だ。
ジャズダンスを研究している33期在院生の小野理菜さんの研修課題である「著名な人にインタビュー」の目的達成と、彼女のダンスの動きを見てもらいたかったのが、来院をお誘いした意図だが、頂点を極めた人の目の輝きには、凡人を超えた不思議な力が溢れていた。