KONA WIND-南の風- iBS学院長・南 徹ブログ

アメリカ人に英語を教えていた日本人が外語学院を作った。その学院長が、日本を、世界を斬るブログ!!

裁判員制度~人を裁く~

2008-01-30 20:23:00 | インポート

来年の2009年5月までに裁判員制度が始まる。

アメリカで行われている陪審員制度と日本で行われる裁判員制度には一つの大きな違いがある。

陪審員制度では、有罪、無罪のVerdict ( 評決 )  は下すが、死刑とか無期懲役などのSentence (量刑:判決 ) は裁判官が下す。

裁判員制度では、裁判員と裁判官が対等の立場で、Verdict Sentenceも決めることになる。

日本での裁判員はアメリカでの陪審員よりも重い責任を持つことになる。

僕らは、普通に、

あの人は好きとか、嫌いとか、素直だとか、ひねくれているとか、

優しいとか、厳しいとか、問題児だとか、そうではないとか、

無意識的にも、意識的にも、いつも誰かを裁いている。

裁き裁かれるのは日常茶飯事だ。

ほとんどの場合、勝手な思い込みだから、気にすることはない。

たわい無いウワサ話のようなものだ。

だが、裁判員となると問題は別だ。

量刑までも決めるわけだから、重大責任となる。

日本国憲法の条文すらほとんど理解していない多くの日本国民が、

評決のみならず量刑までも決定するという意味の深さを

よくよく考える必要がある。


アスペルガー症候群

2008-01-29 16:12:20 | インポート

英語では、Asperger Syndrome と綴る。
知的に正常な自閉症のことである。知的に正常だから、なぜなのか?わからない。
言葉で言われたことを額面どおりに真に受け取り、悩んでしまう障害だ。
正直すぎる正確だといわれることもある。
言葉の裏の意味を察することができなくて、
人の気持ちや感情が理解しづらく、
人とのコミュニケーションをとることが難しいために
社会から孤立してしまい、
限られた狭い興味や関心、活動を持ち続ける。
人の気持ちを考えない、自己中心的な人だとみなされることもある。

アスペルガーに似たような心の病は、いろんな言葉で表現されている。

PDD ( High- functioning Pervasive Developmental Disorders ): 高機能自閉症
ADHD( Attention Deficit Hyperactivity Disorder ):注意欠陥多動性障害

うつ病もどこか似たところがある。

うつ病( Major Depression ) :何をしても晴れない嫌な気分、空虚感、悲しさや、以前まで楽しめていたことにも楽しみをみいだせず、感情が麻痺した状態

と、心の病が溢れかえっている時代だ
でも、すべて治療のできる病だそうだ。
先ずは、病気を知ることだ。
病気に直面することだ。
病気に対しての、知識と知恵の欠如が病状を悪化してしまう。
精神科医の先生に診察してもらうことも大切だが、一番の薬は、思いやりのある対話を根気強く続けることだと思う。
こんな時代だから、僕らはみんな何らかの心の病で苦しんでいる。
でも、自分の力だけでは治すことはできない。
人は人によって人となる。当たり前だが、“支え合う”ということは、どういうことなのかをもっと真剣に学問する時代だ。



心の貧・病・争

2008-01-27 13:05:46 | インポート

人の心が弱くなった。

物質的に貧しくなると、必ずといっていいほど、貧・病・争という現象が表面化してくる。

歴史の必然だ。

ところが、果てしない物の生産と廃棄の繰り返しの中で、物が溢れ過ぎ、人の尊厳が無視されるようになると、心の貧・病・争が表面化してくる。

この、心の貧・病・争を利用して、至る所で、怪しげな人々が、目に見えない世界を言葉巧みに操りながら、人心を惑わしはじめる。

宗教を否定しているわけではないが、僕は、予言だとか、占いだとか、霊能者だとか信じない。

心の安らぎとしての、神社・お寺・教会は必要だが、摩訶不思議な超能力者の集会場ではない。

不思議な現象を理解できないのは、僕らが自分自身の能力をまだまだ充分に使いきっていないだけのことだ。

様々な未知の現象は、別世界から、特別な力を持った何かがもたらすものではない。

全て自分の頭の中から生まれ出てくる。

新しい時代の学問とは、人の心を豊かにする学問だ。

新しい時代の学問を修めることで、僕らはみんな超能力者になれる。


オーストラリア建国記念日

2008-01-27 01:49:39 | インポート

Dsc04387 1月26日はオーストラリアの建国記念日である。

1778年のこの日に後のオーストラリア植民地提督、英国のキャプテン・アーサー・フィリップ(Arthur Phillip)がシドニー・コーブ(Sydney)に着いたことを記念する日である。

大陸では、ありとあらゆるところに国旗が翻り、大都市の大空には花火が満開となり、国民の大半は、お祭り一色に酔いしれていく。

鹿児島に在住のオーストラリアの人々も例外ではなかった。

天文館のある社交の場に100名近くの人々が所狭しと集まり、オーストラリアの自然や文化の紹介など、お酒や食事を楽しみながら、とても賑やかに記念日を祝っていた。

日本では、2月11日が建国記念の日である。国旗を掲げている家を見つけるのは難しい。通りを歩く人々は、祝日の休みを楽しんでいるに過ぎない。

お祭りなんてありえない。

「今日は何の日?」と尋ねても、正しい答えが返ってくるのは少ない。

国家のことをこれほど意識しない民族は本当に珍しい。

いや、意識しないように教育されてきたわけだから、無理もないと言えばそれまでだが、国家を意識しないということは、故郷も、家族も、愛する人も意識しないということになる。

日本の建国記念日まで、あと3週間ほどある。

今年の日本の建国記念日は、どんな一日になるんだろう。


努力の種類

2008-01-26 16:56:26 | インポート

何でもかんでも努力をすればよいというものではない。

すべき努力?する必要のない努力?を見極める力が必要である。

「そんなに頑張らなくてもいいんだよ。」というメッセージがある。

する努力を間違えて、強いられて、思い込まされて・・・

そんな自分に気づかせてくれるメッセージだ。

異なる視点からのメッセージは、優しさや励みとなり、心に安らぎをもたらしてくれる。

我に返れる瞬間だ。

努力を見直す瞬間だ。

努力には種類がある。

必要な努力か否かを判断するのは、他の誰でもない、自分自身だ。

必要な努力だと確信したら、一生懸命、でも、楽しみながら、全身全霊で頑張ればいい。

頑張ることを生甲斐にすればいい。

それが、青春であり、求めて止まぬ心である。