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10月30日は、僕の生まれた日である。
朝一番のメール、そして学院生の皆さん、職員の皆さん、
友人たち、家族等、
たくさんの人々の祝福を頂いた。
誕生日がくる度に、身も心も若くなる気がする。
感謝、感謝で合掌の一日でした。
日本人が誕生日を祝う文化を取り入れるようになったのはいつからだろう。
定かではないが、
せいぜい60年か昔そこらの戦後に始まった文化のようだ。
戦前、日本の四大祭りと言われていた四大節というのがある。
新年、紀元節、明治節、天長節の四つである。
紀元節は日本創世に携わったと伝えられていた。
神武天皇の即位の日、
明治節は明治天皇の即位の日、
天長節は今上天皇の誕生日である。
この中の天長節が、戦後、西洋文化と相まって、
自分たち平民の誕生日も祝おうではないか!!
と云うことになったようだ。
戦後の世論調査で、国民の祝日としたい日は?との問いで、
一番多かったのが新年で、二番目が天皇誕生日であった。
この時から、天長節と呼ばずに、
天皇誕生日と呼ばれるようになったようだ。
ちなみに、天長という言葉は、
2500年ほど昔の中国の思想家、
老子の教え、「天長地久」から引用したものとされている。
恐れ多いが、10月30日は、僕も天皇陛下の気分であった(笑)。
答礼として、祝ってくれたみなさんの「天長地久」を祈ります。
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学院には、キャリアカウンセリングという講座がある。
講師は松山里恵氏である。
今日も、学院生のモーティベーションに火をつけた。
学歴を超え、資格を超え、求める職場に如何に採用されるか?
仕事で面白い人は、五点評価から外れている。
一生懸命に緊張して面接を受けている姿は
面接官に悪い印象を与えないから
緊張を恐れる必要はない。
採用したい人は、一緒に働きたい人
素直な人、前向きな人、向上心を持った人、好奇心を持った人
中身を磨くことの大切さ
当たり前のことを当たり前にできるようにすること。
「文章とは経済である」
糸井重里氏のメッセージより引用して
文は、話すように書け!
語りかけるように書け!
一息で読めるように書け!
読者を想定して書け!
メッセージは尽きない。
キャリアの原点を説く講義は、
130分という長い時間を
あっという間に流れていった。
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後片付けや、整理整頓を習慣としてできなくなった人々が増えてきた。
きちんと片付ける人と、元通りに返しておくこと、
決まったことを継続することなど、
全くできない人と、できる人との格差がひろがった。
整理整頓が当たり前のことではなくなったからだ。
「ゴミは持って帰りましょう」何処へ持って帰るの?
繁華街や遊園地からゴミ箱が消えた。
ゴミ箱を置かないことが町をきれいにすると思っている。
見た目はきれいに見えるが、
どのようにゴミを片付けたらいいのかは
教わっていない。
見えないところで捨てるか処理してしまう。
誰にも注意されない身の回りは
ゴミで溢れかえる。
ゴミとは護美とも書く。
美しく護るための箱が消えて
行き場を失ったゴミは、
良識ある人々だけが対処できる厄介物になった。
ゴミ箱の存在が護美箱であった時代は、
ゴミはゴミ箱に捨てる物と、
無意識のうちに整理整頓できるように育ってきた。
行き場を失ったゴミは、
整理整頓を教育されていない人々によって
見えない世界で反乱を起こしている。
もう、そろそろ、表面だけをつくろうような、
誰かの都合の良い仕組みに騙されるような
きれいごとの真似事から脱却して
本当の美しさを追求する時代になってもいいと思う。
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人は人に認められるために勉強し、働き、頑張る。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
人は人に認められるために生きている。
わが道を行く!とか何とか言って、
ワガママに生きたければ、
好き勝手に生きたければ、
人間が住んでいないジャングルか海の中で、
たった一人で生きるしかない。
共に生きること、共存社会が人間の基本だとすると、
互いに認め合って生きるしかない。
認められる術を学ぶしか生きる道はない。
恋愛も就職も、如何に認められるかで全てが決まる。
認められるために頑張ることが苦痛にならないように、
人間社会で生きるための基本の基本を徹底して学ぶ必要がある。
この学びの中核をなすのは、
相手の気持ちを考えること、思いやりを持つこと、
感謝すること、我慢すること、整理整頓など、
そして、認めるという漢字が示すように、
言葉が忍び持っている力を引き出すこと、
心と言葉の養育学習である。
間違った常識や既成の概念に妥協せよ!ということではない。
普遍に通用する認め合う心を培おうということである。
誰にでもできるようで、なかなかマスターできない学問である。
このような厳しい人間教育の体験がない人々は、
認められて生きるという意味が理解できない。
民主主義を大上段に掲げるわが国では、
基本的人権が保障されているから、
多少のワガママは許されるが、
諸外国の多くでは、
多少のワガママなど決して許されないことがある。
認められる自分を如何に作るか?
演出、表現力の知恵も必要となる。
とにもかくにも、認められるのは難しい。
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全ての公的システムが信頼に値すると信じ、
言われるままに税金を払い、
言われるままに働き、
純朴に生きてきた。
ただ静かに、ひたすらに信じる心で、疑う事なしに、
安心依存の思いで生きてきた。
言われるとおりに生きていけば未来は保障されると信じて生きてきた。
一生懸命に真面目に生きてきた。
いわれるとおりに小学校から大学まで勉強してきた。
不合格のときは、予備校にまで通った。
大学で、有意義な日々を過ごしたり、学問を楽しんだり、
自らの理念とか哲学を構築できた記憶があまりない。
それでも、大卒という肩書きは必要だからと教えられた。
大学3年になると、就職先を決めなければいけない重圧に苦しんだ。
幸せな家庭を築くため、豊かな社会生活を営むために、
当然の悩みだと思った。
20数年の苦難の末、勝ち得た職場の世界。
就職ができた喜びや、社会に生きる幸せは幻想だった。
アリのように働く事が美徳であると教えられた。
退職したら、年金や社会保障で幸せな老後が待っているからと・・・・
全て幻想だ。
人生を振り返るとき、
空しい一生懸命の日々だけが走馬灯のようによみがえってくる。
僕の人生とは、一体全体何だったんだ。
日本国民のほとんどが病んでいる。
騙されている。
ずるい人々に操られている。
それでも、社会は、未来を支える子供達に
同じような生き方を強いている。
愚かだ。
教育のあり方、政治のあり方、
社会のあり方、環境のあり方などなど、
僕らが当たり前と信じてきた幻想を
根本から徹底治療する勇気が必要だ。
もう、誰にも頼れない。
幻想なんてまっぴらだ。
自分の力で生き抜いていく知恵を学ぶしかない。
さもなくば、素晴らしいリーダーを求めるしかない。
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